2011年12月07日
アングラ
詳細はブログ→http://motomurayasuhiko.ti-da.net/e3824783.htmlをご覧ください
「概略」報告と説明
様
しばらくの間、訪問での御挨拶が遅れておりましたので以下、その理由の報告説明をいたします。
平成23年12月5日 金城本村リフォーム設計 代表 本村安彦 電話098-876-5538番
ご承知のように金城本村リフォーム設計代表者の本村安彦は訪問販売の営業活動を通じ、この18年間、無党派無宗教無団体という庶民の立場で様々な沖縄社会の問題をボランティア活動の一環として提起し、自由に議論して頂きながら皆様のご協力の下、多くの沖縄社会の問題を解決してきました。これからもよろしくお願いいたします。
しかし、残念ながら去る5月24日以降から、その金城本村リフォーム設計の特色であるそのような社会貢献がまったくもって行えないようになりました。今日はその報告と説明をいたします。
ものの本によると、弾圧(だんあつ)とは、権力を濫用(らんよう)し与える加害行為で、権力者側による弾圧を組織的弾圧と呼ぶこともある。または、おさえつけること。特に、支配者が権力を行使して反対勢力の活動を抑圧すること。「言論を―する」などとありますとおり、今まさにその弾圧によってこの金城本村リフォーム設計の言論ボランティア活動が現在のところ行えません。
事の成り行き:
※2011平成22年11月21日。
これは大した関係はないとは思うが、しかし一応はこの記事に付け加えておく。
「このトンネルが出来、ヒ素混じりの地下水が大量に川へ流れる」との情報を聞きつけ、2010/11/21 17:42:20にインターネット上で当時、小生は名護市の幸地川や世富慶で出た”ヒ素”騒動をしきりに名護市役所や北部国道事務所へ調査を依頼していた。→http://motomurayasuhiko.ti-da.net/e3250815.htmlこれは当時のブログのURLです。ご覧ください。
※2011年2月27日。以下の仮説をインターネット上とチラシ配布で発表する。
先ず今日現在沖縄の健康状況から:
1、1946年以降生まれ世代の全国1早世・早死にの問題。いわゆるつい最近まで長寿日本1の沖縄が現在は26位に下がり、数年すれば47番目の最下位に向かう最大の原因である70歳未満世代の早世・早死にが男性全国1で、女性も5位の高さ。男女合わせると全国1の早世・早死にという問題。
2、全国平均不妊症カップルの割合が10組に1組なのに、なぜ沖縄では7組に1組と多いのかという問題。
3、低出生体重児・未熟児(1500グラム以上2500グラム以下)が生まれる率が全国1高い沖縄。全国2番目に多い青森県でさえ9パーセント台(10人中0.9人がその未熟児が生まれる)なのに、全国1の沖縄ではなんと11パーセントを超える(10人中1・1人がその未熟児が生まれる)問題。低出生体重児や超低出生体重児は幼少時期からかなりの成人病・生活習慣病のリスクを背負って誕生するそうです。だから問題なのです。
仮説第一回目:
1、の原因その1、1946年から始まったビキニ環礁での核実験。終了する15年後の1962年までに米国などによっておよそ合計70回行われた。よって、約70回もの核実験による放射性物質を含む放射能雨が琉球列島へ15年余連日のように降り注ぎ続けた。
米軍の核実験時の放射能雨の情報を握りつぶした当の米軍の米軍基地は慌てて水道を敷いた一方、その間の琉球列島の住民約80パーセントは琉球気象台の情報を操作された関係でなんの疑いも無く天水を利用していた。特に当時生まれたばかりの頃の年代の者、いわゆる現在70歳の者は 満15歳になるまでづ~とその放射性物質を含む天水を毎日摂取していただろうから全国1の早世・早死にの短命になっている。
1、の原因その2、上記に加えて1960年代のベトナムで使用された枯葉剤に混入していたダイオキシン散布の問題も重なった。つまり、1962年にビキニ環礁での原爆の実験が終わった頃の1960年代初頭から後半にかけて沖縄本島北部の米軍北部訓練場内でダイオキシンを含む枯葉剤が散布実験・訓練として散布し ていた問題。その地域には実は、その1960年代後半から1970年代にかけて敷かれた水道本管のうち沖縄県民の60パーセントが利用する水道水の水がめのダムが五つも出来るのである。
2007年に暴露されるまでまったく知る由もない県民はその水道水を飲み続けるわけだが、特にその現在70歳未満の者は原爆の放射能雨から連続していることから被害が多く、全国1早世・早死にになるのは当然の結果と言える。
1、の原因その3、戦後沖縄の教育行政で現れている通り、特殊教育対象児童の急激な増加時期とビキニ環礁との因果関係性の問題。戦後の沖縄で盲ろう学校という特殊教育が始まった1951の盲対象児童がほんの10人(全体では32人)で、その4年後の1955年にはその盲対象児童がなんと132人にも上り 、更にそれから7~9年後の1962年から64年に流行した風疹(三日はしか)が原因と認定され新たに生まれた374人もの特殊教育対象児童(内339人は難聴児童)らの主原因とされる妊婦母体の出産当時年齢が17歳~27歳という現在70歳未満の早世・早死に年齢という問題。つまり、放射性物質で免疫力も衰え、弱り きった世代が妊娠をし、風疹(三日はしか)に侵され、全国総数でも僅か1,000人しか対象児童のいないその時期の特殊教育対象児童をたったの1県・沖縄だけで374人も一挙に出産することに繋がったのではないのか。当然の結果として、この年代の沖縄での健康診断時で「必ず病院へ行くこと」として持たされる有所見率 は全国1である。
2、の原因その1、上記65歳未満の年代の健康問題を考えると、ちょうど彼等の子ども世代が現在の不妊症で悩む世代となっている。
母体への汚染が仮に放射性物質などであった場合、時系列からいって当たり前と言えば当たり前の結果だろう。1、の原因上記のような原因であれば。
あえてここで特筆するなら、後々の70~80年台には県民の60パーセントが飲料水として利用することとなる5つもの水がめが建設されるその土壌、森林や水辺へ、当時もその場所が米軍の北部訓練場ということで1960年代のベトナム戦争当時から長年に亘りダイオキシンを含む枯葉剤を散布実験・訓練していたこととの因果関係だろう。
3、の原因その1、問題の70歳未満の年代からすれば丁度母体や父親がその息子や娘世代で、低出生体重児・未熟児がその孫に当たる問題。
参考資料:2007年に発覚した五つも県民の水がめであるダムが存在する北部米軍訓練区域内のそのダム周辺に米軍がダイオキシンを含む枯葉剤を長年に亘り散布。(2007年7月9日付沖縄タイムス紙夕刊一面及び同日付琉球新報紙夕刊一面)これはお願いですから皆さん是非図書館へ行って下さい。
さらにもうひとつ沖縄の県民すべての世代にとって見過ごすことができないかなり深刻な事件がある。 1954年の米国政府によるビキニ環礁での水爆実験の際に被爆した沖縄のマグロ漁船のマグロは一匹も棄てられた記録がないこと。また、実験直後から日本への放射能汚染への懸念が全国的に広がったが、沖縄では当初は米軍による調査で、検査値の結果も明らかになっていない実情があること。そして、当時の県内は80パーセントが天水の利用だったが、実験の後、米軍基地は急いで水道を敷いたこと。加えて、実験の後県民の相当な人が(放射能物質を含む可能性があった)天水を飲んだのではないか」との研究報告から、沖縄は当事も米軍占領下だったことから、実験国が支配していた状況で、本土と対応が違い沖縄の米軍基地内と外との対応の差別的違いが明らかになった調査結果。(2010年11月22日付琉球新 報紙22ページから)
※2011年3月3日(木)。沖縄では本村安彦仮説から始まった沖縄タイムス紙スクープ↓
沖縄タイムス紙一面「ビキニ死の灰沖縄に」「死の灰嘉手納で本土の2倍」「54年水爆実験後米が観測」「人体の影響専門家調査へ」。社会面「何も知らず被ばくか」「沖縄に死の灰」「米統治下情報奪われ」「近海の船員早世相次ぐ」
※2011年3月11日。フクシマ原子力発電所から放射能が漏れる。
※2011年4月4日。琉球新報紙、本村家、きょうだい6人皆勤賞 港川小2011年4月4日 きょうだい全員小学校皆勤賞を達成した本村家の(左から)五男望君、三男自然さん、末っ子未姫さん、次男眞理さん、四男公平君=3月29日、浦添市港川http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-175672-storytopic-7.html
【浦添】浦添市の港川小学校を今春卒業した本村未姫さん(12)が皆勤賞で表彰された。未姫さんは6人きょうだいの末っ子で、きょうだい全員が同小を1日も休まず卒業。兄たちは中学校も皆勤賞を取り、未姫さんは「兄ちゃんたちがやってきたことで当たり前だと思ってきた。港川中学校の3年間も頑張りたい」と語り、父安彦さん(57)は「共働きで一人一人にゆっくり付き添うことができない中、自分たちの力で頑張ってくれた」と子どもたちの成長を喜んでいる。
※4月5日(4月8報道)。フクシマの放射能が沖縄で観測される。
※4月24日。沖縄電力も原子力発電を7年前から研究問題が新聞で発覚。
※5月23日。夕方、インターネット掲示板 http://groups.yahoo.co.jp/group/ml_ryukyu_400130/ 上で、今回のフクシマ現地の放射能雨の汚染量より、かつてのビキニ環礁での核実験による放射能雨が琉球列島に降り注いだ当時の琉球気象台の記録、17万カウントのほうがかなり凄い放射能汚染量であることを伝え、公表し警鐘を鳴らす。
※5月24日。浦添警察署生活安全課による人通りの多い時間帯での、沖縄の核貯蔵庫撤去市民運動歴17年間の主人の個人的な市民運動に対するこれ見よがし的な妻と二人だけの零細自営家業の個人自宅への突然の家宅捜索。そしてその後の2ヶ月に亘るも数回だけの取調べなどの長期嫌がらせによって商売上の信用が顧客との間でぐらつき、以来、この約半年収入が20分の1に激減した。
信用が第一の商売。とうぜんながら自営家業の商売が危うくなる。すると売り上げが上がらなくなることで金銭的にお父さんやお母さんを圧迫し、家計や商売がうまくいかなくなり出します。そして、その被害行為が長引くと当然に精神的にも圧迫され続けることになる。そうなると、当然ながら家庭内では多少の混乱が予想されます。
★11月に入ってまもなく、上記のその零細自営家業の我が家へなぜ浦添警察署が別件をでっち上げてまで家宅捜索までして深く入り込んで来たかが分かる情報が飛び込んで来た。
★一つ目はこの↓妻への手紙の内容につづってある:
以下↓は24日自然(しぜん・三男)に持たせた手書きの手紙と同じ内容だけど、ワープロだと読みやすいだろうから、こんどこそ返事をくれないか?
それと、これを未姫(みき・長女)にも見せるといい。きっとおやじの手書きの手紙は読めなかっただろうから。おやじ
弘美へ
平成23年11月24日おやじ
金は大丈夫か?
弘美、これは○○○さん→△△→おやじが聞いた話だけど。
10月に△△からtelがあって、用件を聞くと○○の○○○さんから「水の出が悪い。前と同じ症状だから」−との事だった。
実際にみてみたら、まったく以前と同じだった。
作業中と作業が終わって今度の浦添警察署の汚さを話したら聞いてくれた。(「ん?奥さんは?」という話もあって)
どうも当山小学校横の××××と数年前にもめた事も絡んで複合的に入り組んでいるみたいーとの話だった。
すると、○○さんは「浦添警察署の生活安全課なら以前から知り合いが居るから早速その裏側を調べてみる」−との事だった。
(○○さんは、知っていた。××が元警察官で、その当山小学校横の××××××所はゴロツキ刑事がゴロゴロしているのを)
その翌々日に電話をかけたら○○に出掛けていて携帯電話が繋がらなくて話を聞けないままいたら、丁度○○の○○○○が同乗してくれていたからその足で△△の事務所まで行った。
△△とは2,3日前から(11月21日月曜日から)△△が保身に転じていてあまり信用できなくなってしまっているが、その日の頃はまだ割りと親身になって我が家の事を心配していた。
△△が言うには「○○さんの話によると、そのゴロツキ刑事らがよってたかって『本村を潰せ』ーと号令を掛けているらしい。気を付けたほうがいい。その食堂「ふく家」の店主をしている妹の夫の兄のゴロツキと一緒になって(いつのまにか)浦添警察署生活安全課とつるんで『本村つぶし』をしている。権力相手だからこれ以上向きになるのは止めたほうがいい。これ以上その食堂などを相手に告訴とか何とかを続けるなら『本村をもっとやってやる』−と言っている」−との話しだった。
おやじ
弘美へ。返事が無いから仮説を続ける。おやじ
○○ちゃんの戸籍が気になるから教えて?
一、何で○○ちゃんは(○○年前生まれたばかりの当時)一人だけ家族と切り離 されて○○の○○○の故・島袋照子のお姉さんの嫁ぎ先の「○○」家へ養子 みたいにそこで育っていたの?
二、何でおやじと弘美で連れに行くことになったんだろう?
三、その○○の○○○のおばさんには子どもが授からなかったの?
四、○○ちゃんは戸籍上どうなっているの?
A、出生届は?
B、母親は?(その時の届け出の)
C、まさか「○○」になっていないよね?
五、その事は、宜野湾のおばあちゃんも(本村キヨ)、無くなったおじいちゃん も(本村寛)、同じく亡くなっている次男の徳光(のりみつ)も、○○らも皆知っているの?(誰が何の目的で知らせたの?の意味)
六、当時、何の目的で知らせたの?(誰が何の目的で知らせたの?の意味)
そして、今回の未姫へも何の目的で知らせたの?(誰が何の目的で知らせたの?の意味)
そんなことしたら、知らない血縁と知っている血縁とでは埋まりがたい溝が出来るんじゃない?(しかもおやじだけが知らないことになっていたということになるから、悪質だ。これも誰が何の目的で隠していたのか?)
おやじ
弘美へ
返事が無いからそのまま仮説をつづける。
その前にこれは答えて。おやじ
やつらは罪を逃れるため、お前が8月4日当時出て行ったのも、8月12日に未姫が拉致されたのもみんな「夫婦喧嘩」のせいにしようとやっきになっている。(刑事事件から夫婦のいさかいにすりかえれば自分たちは逃げおうせると考えているから)
おやじが知りたいのは、そのやつらの狙いを知ってて加担までしているのかーという点。だからこうやって仮説をたててる。
なぜなら、だとすれば「脅迫」されているのだから、何をもってして「脅迫」しているのかを探っている。
これはよくある話だけど、「世間一般ではよくあることで実は何でもない事なのに、それを過剰に『知られたら大変な事』みたいに洗脳させられてしまって大げさになってしまっていてそれを盾に脅迫されていた」ーなんて話はよくある話。
もしそんなことがあるとすれば、早くオープンにしておけば決してやつ等はお前をこれ以上はそれをネタに二度と脅せなくなる。
2011年11月26日 おやじ
★二つ目は、実はこの時点で妻は浦添警察署へは二年も前にその犯人らにそそのかされて行っていて、妻は後悔していたようである。
これも↓妻への手紙となっている:
お母さんへ。以下の内容と自分の取らされた行動を分析してみてくれないか。
もしかしたら、お前はその外圧を受け、それが原因で当時の夫婦のいさかいになっていた可能性があるから。おやじ
外圧と夫婦のいさかい(夫婦喧嘩)
一、
★以下のような状況が、妻が当時からすでに犯人の彼らにそそのかされ、単なる夫婦のいさかいを大げさにする目的で、
犯人の彼らが妻を家出させた8月4日以来、約三ヵ月間も夫の私に会わなかったその間の先々月、平成23年10月26日に書かされ、しかも今現在起こっている事件にもかかわらず四年以上も前の
「平成19年3月頃自宅の駐車場で夫婦のいさかいがあった」と配偶者暴力に関する保護命令申立て書に今回書かされている当時の本村家の妻が一主婦としては訳の分からない外圧を受けるであろう要素。
①出版本 「琉球自治州の構想」を共著で出したのが2007/01/09日となっている。
②また、「五年も前に!県議会や県、浦添市、那覇市は”実感”したが・・・」と題してネット上で2007/02/15日に「これは’01年(平成13年)7月5日の第3回沖縄県議会(定例会)で採択された、当時の小生の陳情案件の内容の一部です。以後の参考になれば幸いです。詳細な内容一式につきましてはこのブログでこれから公表しますが、もし早急に必要であれば小生に云うか、県議会で取り寄せてください。」「陳情第110号 「沖縄県ポスト3次振計等に関する陳情」 (沖縄振興特別部会)」の「陳情書 沖縄県議会議長殿」「振興新法・計画は"本土との所得格差是正”明記を」ーという公文書となっている当時からすれば五年前の公な出来事を初めて伝えている。
③「それは児童手当を出す意味からすると違法ではないか?!」と2007/02/17日には浦添市役所の国民健康行政に対する「児童手当差し押さえ」に対する抗議をネット上でしている。
二、
★以下のような状況が、妻が当時からすでに犯人の彼らにそそのかされ、単なる夫婦喧嘩を大げさにする目的で、
犯人の彼らが妻を家出させた8月4日以来、約三ヵ月間も夫の私に会わなかったその間の先々月、平成23年10月26日に書かされ、しかも今現在起こっている事件にもかかわらず二年半以上も前の
「平成21年2月か3月頃自宅の廊下などで夫婦のいさかいがあった」と配偶者暴力に関する保護命令申立て書に今回書かされている当時の本村家の妻が一主婦としては訳の分からない外圧を受けるであろう要素。
★(その情報によるとこの時は、浦添警察署へ相談とある。相談内容は一時保護と保護命令の制度について情報提供を受けるとある)
③この頃までは単に「リフォーム設計」という自営家業の名前だったのを「金城本村リフォーム設計」と2008/12/16日にネット上で「『金城』本村リフォーム設計」と妻の旧姓を冠として使用することを強調する戦略に出た。
②「日本国総理大臣麻生太郎君へ浦添市港川2-10-8本村安彦から」と題して2009/02/01日にネット上で総理大臣の沖縄に対する政策が理不尽なのを指摘している。
例えば、 県内のとある政党は十四日、国土交通省政務官に対し、時間がかかるピアーチェックのことで沖縄一県だけが被害を被る今回の理不尽な法の手続きの迅速化を要請した。それに対し国交省はいかなる小規模住宅であれ沖縄県独自で解決するようたらい回ししたなどとの事を無視している政府を批判した。
③「ご意見を下さい。沖縄県浦添市国民健康保険課統括の宮平君」と題して2009/02/19 日にネット上で浦添市の国保行政の市民いじめについて公表している。
三、
★以下のような状況が、妻が当時からすでに犯人の彼らにそそのかされ、単なる夫婦喧嘩を大げさにする目的で、
犯人の彼らが妻を家出させた8月4日以来、約三ヵ月間も夫の私に会わなかったその間の先々月、平成23年10月26日に書かされ、しかも今現在起こっている事件にもかかわらず二年半以上も前の
「平成21年4月頃自宅の台所と洗濯室の間で夫婦のいさかいがあった」と配偶者暴力に関する保護命令申立て書に今回書かされている当時の本村家の妻が一主婦としては訳の分からない外圧を受けるであろう要素。
①「薩摩の琉球支配400年を問う シンポジューム・大激論会」と題して3・29(日) 午後1時~6時
教育福祉会館大ホール(3F)
(那覇市モノレール古島駅徒歩2分)
沖縄よ! どこへ行く?
今年は薩摩が1609年に琉球王国を侵略・支配してから400年、明治政府が
琉球処分(廃藩置県)してから130年の節目の年になります。現在、沖縄を取り巻
く問題は山積していますが、政府が進める道州制をはじめ、自治州、現状維持、
独立、東アジア共同体本部を設置した独立国、非武装中立国などいろいろな自立
の動きがあります。
ーというよう運動の中に私も加わって居た。
②「琉球処分130年を問うシンポジウム・大激論会」の第二回目の激論会を5月24日(日) 午後1時~5時 那覇市民会館中ホールで基 調 講 演に 金城正篤氏(琉球大学名誉教授)「琉球処分を考える」
パネリスト 福地曠昭氏(沖縄人権協会理事長)「大衆運動と琉球処分」
宮城弘岩氏(沖縄大学講師)「400年の経済支配を問う」
平良勝保氏(琉球歴史研究家)「周縁史から見た島津支配400年」
後田多敦氏 (『うるまネシア』編集員)「〈琉球併合〉を救国運動から考え る」
主 催 「薩摩の琉球支配から400年・日本国の琉球処分130年を問う会」
(会長・金城実、彫刻家)
ー当時その呼びかけ人の中に私は加わって居た。
四、
★以下のような状況が、妻が当時からすでに犯人のかれらにそそのかされ、多単なる夫婦喧嘩程度を大げさにする目的で、
犯人の彼らが妻を家出させた8月4日以来、約三ヵ月間も夫の私に会わなかったその間の先々月、平成23年10月26日に書かされ、しかも今現在起こっている事件にもかかわらず二年以上も前の
「平成21年10月頃子供の目の前で台所と選択室の間で夫婦のいさかいがあった」と配偶者暴力に関する保護命令申立て書に今回書かされている当時の本村家の妻が一主婦としては訳の分からない外圧を受ける要素。
①「最大級(昨日9月5日付、沖縄タイムス紙と琉球新 報紙から)」と新聞に載った沖縄のホワイトビーチ寄港原子力潜水艦では最大級の核搭載型の原子力潜水艦報道の話題をネット上でわざわざ取り上げたのが2009/09/06日。
②そして「もしや、「沖縄”核”密約」では新報に15年遅れだから ?」と題してまったく核密約を無視し続けている沖縄タイムス社を批判する記事をネット上で書き込んだのが2009/09/15日。
③「第3回 シンポジウム・大激論会『国連の先住民勧告をどう考えるか』を来る11月1日(日)那覇市、教育福祉会館で行う」とのチラシ:
テーマ 「国連の先住民勧告をどう考えるか」
開催日 11月1日(日曜日)午後1時から
場 所 教育福祉会館 *モノレール古島駅下車。
参加費 1,000円(資料代を含む)
主 催 薩摩の琉球支配から400年・日本国の琉球処分130年を問う会
http://www.ntt-i.net/ryukyu/index.html
第1部 シンポジウム
基調講演 喜久里康子(沖縄市民情報センター)
「国連の先住民勧告と琉球・沖縄民族」
パネリスト
?安里 進(沖縄県立芸術大学教授)「沖縄人はどこから来たのか」
?貝澤 和明(北海道アイヌ協会) 「アイヌ民族と国連勧告」
?村上 呂里(琉球大学教授) 「アジアから照射する沖縄の言語教育」
?渡名喜守太(沖縄国際大学講師)「国連先住民族の権利に関する専門家機
構の報告」
*コーディネーター 仲里 効(映像批評家)
第2部 大激論会
ーとの内容をネット上で琉球独立党の屋良朝助氏と並んだ写真を掲載したの2009/10/22 日。当時その中に私は呼びかけ人の一人として加わっていた。
★(その情報によるとその後、約一ヶ月ほど経った11日20頃、配偶者暴力相談支援センターへ保護命令について情報提供を受けるとある)
その年の11月といえばこんな出来事があった:
①「自宅保管にしたのは琉球人を侮辱する内容だからだろう。」と佐藤首相を批判している書き込みが2009/12/22日。
②「佐藤栄作の遺品から沖縄「核」密約日本側文書見つかる」と書き込んだのが2009/12/22日。
③「腑に落ちない。何故??吉野文六は「”核”密約」は黙る?」と書き込んだのが2009/12/03日。
④「いずれも自民党政権が国会答弁などで一貫して否定。」-として来たこれまでの核密約に対するコペルニクス的一大転換を迎えた様子を書き込んだのが2009/11/27日。
⑤「一方、失効している「1960年安保改定時核密約」は確認」と書き込んだのが2009/11/27日。
⑥「第 3 回 シンポジウム・大激論会 お知らせチラシ」を掲載したのが2009/10/22日。
⑦「表だって「児童・生徒指導支援」の「カルテ」というが」と教育指導カルテの存在を批判していたのが2009/10/19日。
⑧「6日に開かれた県立高有識者会議。」と県教育庁のこの問題を巡るきな臭さに反論を繰り返していたのが2009/10/18日。
更に、今回の事件では:
★平成23年8月12日と30日にも妻は再度犯人の彼らにそそのかされて配偶者暴力相談支援センターへ行かせられている。
平成23年8月11日。父親の13歳のアスリートの実娘に対する通常の厳しいトレーニングや、人間的な教育的指導監督がその日もあったことをその犯人らは知り、拉致に利用しようともくろみ、自らの刑事犯罪を何とかもみ消し、その刑事事件から夫婦のいさかいや13歳の娘に対するDVによって家出をしているとのシナリオ工作を行い、自らが犯した刑事事件の矮小化を狙う目的と同時に、ありもしない大げさな夫婦喧嘩としてでっち上げる目的で、
犯人の彼らが妻を家出させた8月4日以来、約三ヵ月間も夫の私に会わせなかったその間のあいだの先々月、平成23年10月26日に書かされ、しかも今現在起こっている事件にもかかわらず
二十五年以上前の夫婦のいさかいや、二年以上も昔の夫婦の喧嘩を大げさに表現させ、今現在起こっているかのごとく偽装までしたと思しき内容で持ち出し、
「ほれっ、今起こっている」ーなどと揚げ足を取ろうとのあせりからか、あろうことか「父親は13歳の実娘に対し性的虐待やDVまであった」ーなどと真っ赤な”うそ”をでっち上げ、更に大げさにする目的で、この時もわざわざ★配偶者暴力相談支援センターへアリバイ作りとしてその13歳の娘まで違法に連れて行かされ、その8月12日の日に自らが指示し、拉致させられていたその13歳の子への接近禁止命令を求める事情を話しているともある。また親族等への接近命令を求める事情もすでに相談しているともある。
以上、列記してみたが、やはり関連がありそうだ。
★特に、平成21年10月の夫婦のいさかいをわざわざ11月になって相談に行かされたあたりは、丁度、お父さんのライフワークが十五年ぶりに認められ、沖縄の高校教科書にまでなった「核密約文書総理私邸で見つかる」の報道があったほどの一大事件があった時だ。
☆それからすると、なんらかの外圧がお母さんへかかっていて、その事をまったく知らないお母さんはイライラするというようなことを繰り返しているのではないだろうか。そして、それらが私へ「何らかの隠し事があるのではないか?」などと、問い詰められたことがきっかけで夫婦のいさかいになった一例かもしれない。
2011年12月5日 おやじ・本村安彦
※六日後の2011年5月30日深夜。長崎放送放映の沖縄の核兵器報道に妻と二人だけの零細自営家業の主人・私本村が出演。以後、8月3日までの約二ヵ月半浦添警察署生活安全課による取調べが続く。
ところで、手前味噌ですが私、本村安彦はこの二十年間。妻と二人で六人の子どもたちへ教育上良くないと思えるような人物とはいかに親戚といえども悪影響を受けないように以下の①~⑤の少年法でいう五点に特に注意を払った教育方針を執ってきました。
①親の正当な指導監督に従うこと
②正当な理由も無く家を空けないこと
③いかがわしい場所に出入りしないこと
④いかがわしい場所に出入りする不道徳な者と付き合わないこと
⑤自他の徳性を害しないこと
※今日現在も未だに中学生二人を含む未成熟子五人を浄水器販売なども行うリフォーム設計の自営家業で支え、抱えている。
★浦添警察署の裏金目当ての情報屋と警察関係者である犯人の彼らは、私、本村家の自営家業の浄水器販売とはまったく違ったメーカーの浄水器会社のネットワークビジネス参加なり、その会社の浄水器を個人的にも使用している。
別のメーカーの浄水器を販売している私、本村家自営家業のライバルの浄水器メーカーであるアムエやエナジックなどといった浄水器メーカーとの金絡みのある宜野湾市真栄原の売春街の新町で売春婦相手のゲーム喫茶を十年余り開業している。
★その店とは、妻の妹とその夫の兄で実質経営者との噂の有る警察関係者のその者の影響でその店が表通り側はシャッターが下りて閉店と表示されている同時間帯にも裏口の出入り口を利用して朝まで開業している。しかも、にもかかわらず摘発された話を聞いたことが無い店である。
ですから、その関係者とはいかに親戚といえども六人の子どもたちへは私の教育方針の
③いかがわしい場所に出入りしないこと
④いかがわしい場所に出入りする不道徳な者と付き合わないこと
★ーその本村家の教育方針に従い出来る限り一切の付き合いを相手が妻の実母といえども、或いは妻の実の妹やその夫などといった親戚関係にあたろうが、なんであろうが父親の私が知る限りではこの13歳の娘の拉致監禁事件が起こった8月12日まで絶たせてきました。
★ですから、娘は現在その妻の実母の住んでいた県営団地の一室にいることになってはいても、実際はその場所も、その実母も、その周辺に住む妻の妹一家ともこの拉致事件までは一切逢ったことも無ければ見たことも無いはずである。
☆おそらく、この二十年近く。かねてから、色々と個人でボランティア活動を行いながら飛び込み営業を適法に行う一種変則的な本村家の自営家業に対する偏見から、違法でもないにも関わらず単なるその「変則的な」というだけの理由で本村家の自営家業でしかも企業として当たり前の「特性」の生業を「潰す」狙いのある浦添警察署の裏金目当ての情報屋と警察関係者であるその娘拉致の犯人の彼らは、自らの懐を太らせる個人的な狙いもあったのでしょう。
★その証拠に去った4月4日の琉球新報紙に「本村家兄だい皆皆勤賞」などと私の一家を大きく取り上げていたことに対して、なんのわだかまりも無いのであれば本来なら本村の知人なり、親戚として大いに祝うかと思いきや実際にはそのまったく逆で、特にその妹の夫や情報屋の石川やもうひとりの妻の妹の金城香の男らは私の妻がこの二十年家出ばかりを繰り返している割にはその二十年間もの間、夫婦仲良く過ごさないとあり得ないような快挙を達成したことから、普段から自分らへは悪く話す姉である妻の本村家での夫の私との話しなどとは違う側面があることの証拠が出たことへの不信感から、妻とすれば世間一般的な単なる社交辞令程度の話しであったにもかかわらず極まともで、「正常な夫婦関係」の「本村家」であるにも関わらず邪推もし、このままだと本村の仕事を潰すどころか逆にその新聞などの影響で元気が出てくるのではないかなどと懸念をしていたのでしょう。
そこで彼ら犯人らは、浄水器という自らのライバルである
★(その宜野湾市真栄原の店舗の裏口のドアには浄水器メーカーのアムエの表示があるのを8月に見つけている)
☆私達本村一家がその妻と二人だけで行う家業の浄水器販売の仕事を潰す目的に協力させるなどの踏み絵目的で、運転免許のない私に仕事をこれ以上させないようにこれまでもそのようなことをしていた経緯に沿うことになる。
★ちなみに、警察裏金を狙う情報屋の石川はエナジックから金が回る仕組みになっている。そして、これも情報屋と思しきその食堂「ふく家」で働くもうひとりの妻の妹の金城香の男がその食堂「ふく家」での手伝い。またはその真栄原のゲーム喫茶なり、何処なりのキッチンで手伝いをしながら何処の浄水器メーカーと取引をしているかは知らないが、きっと志良堂ちあき夫婦と同じアムエか石川と同じエナジックなのかもしれない。
※2011年7月30日。来る8月13日の全国ネットテレビ放送ニュース番組に私が出演するこが決まる。すると、警察裏金狙いの情報屋がうごめいたのではないか。
7月30日。
☆おそらく、この日の時点では来る8月13日当たりには全国ネットのテレビで放送されるニュース番組に私が出演することは妻も承知していたから、当然妻の妹らを介してそのことをその犯人の男どもは承知していたのだろう。
だからこの日、新町で売春婦相手のゲーム喫茶を十年開業している妻の妹の夫が三年ほど前からその新町でのいかがわしいゲーム喫茶の表向きのダミー支店として出している★浦添市伊祖四丁目の食堂「ふく家」付近を私自身のライフワークの「沖縄から核施設を撤去させよう!!」のボランティア運動と併せ、放射能まで取れる逆浸透膜浄水器の販売営業を徒歩で一軒ずつ歩いている私の情報を、彼らがまさか「警察の裏金目当ての情報屋」などとは考えも付かない私の妻から聞き出し、そしてその私の妻へ「本村をここから歩かせないで」のような趣旨をしきりに電話したのではないか。
★そのダミー支店として出している浦添市伊祖四丁目の食堂「ふく家」だが、それがダミーである証拠としては、その店へ父親である私へ隠れて妻が当時小学校の頃から連れて行っていたことが先月10月になって中学生の息子の証言で明らかになっていることもある。
おそらく、私の一家の教育方針である:
③いかがわしい場所に出入りしないこと
④いかがわしい場所に出入りする不道徳な者と付き合わないこと
ーとの、本村一家の教育方針に従わざるを得ない本村の妻に対して、その「ふく家」を普通のありふれた「食堂」店として営業することで妻がその店を経営する妹夫婦らへ寄り付きにくい原因だった”いかがわしい店"を経営する妹夫婦らという難点を曲がりなりにもクリア出来たと彼らは思っていたのだろう。しかし、私に言わせれば、三年もの間妻の夫の私へは知らすことが無かったという点が逆にダミーである証拠と言える。
また、この時点ではその食堂「ふく家」という食堂の名さえも、場所すら知らなかった私に知らせることなく三年余りも隠してきたというやましい思いなどもあり、注視するようにとの意味も込めて妻へ知らせた意味も含んでいたのではないか。
★また、その食堂「ふく家」では何らかの浄水器メーカーのサーバーが置かれているのを8月19日に妻をそこで最初に見つけ、妻が家へ戻る条件の誓約書を書いた時に確認していることもある。
※翌日、8月1日。☆食堂「ふく家」の実質経営者でもある兄の警察関係者から浦添警察署へ「本村潰し」の商売上のデマを混ぜてのやらせ的問い合わせ。
その食堂「ふく家」で働く妹らから相談を受けた経営者の実質経営者でもある兄の警察関係者から浦添警察署へ放射能の影響などの現にフクシマや関東で評判になっている放射能除去能力のある逆浸透膜浄水器の沖縄での宣伝営業活動に対するデマ通報を行ったんでしょう。
と言うのも、家宅捜索直後の5月30日に出演した長崎放送に続き来る8月13日には、今度はTBS「報道特集」全国ネット番組出演予定となっていたことから、多少のあせりもあったのかもしれない。
問い合わせや通報を受けた浦添警察署とすれば、「いかに『沖縄電力の原発研究』を報じる新聞のコピーを持ち歩こうがどうしようがすでに20万部も発行している記事であり、違法でも何でもないが、本村がボランティアを兼ねて営業活動として動けば何かと浦添警察署生活安全課へ幅広い問い合わせが増えめんどくさい」ーと、常々潰したいと思っていたのだとすればの話だが、本村の会社が生き延びることに間違いなくなるテレビ出演予定には困っていたのだろう。
おそらく、この時点。5月24日の本村家の家宅捜索後の5月30日に私が出演した長崎放送に引き続き、来る8月13日には今度はTBS「報道特集」という全国ネットでの番組に私が出演することを妻の妹らを通じて知っていて、「本村が歩けば別に違法ではないが、何かと浦添警察署生活安全課への経・財・政界の大物らから一般庶民といった幅広い問い合わせが多くなりめんどくさくなることは間違いない」ーとのことから何とか潰したいと常々思っていたであろうそんな矢先の本村の会社が、今度は逆に生き延びることになるテレビ出演などの状況が立て続けに起こりつつあることで困っていたのではないか。
☆そして、そのデマを聞いた浦添警察署は、”デマ”は分かりつつもその日のうちに呼び出しの電話をし、その食堂「ふく家」の実質経営者で警察関係者の意向に沿い嫌がらせをする。
浦添警察署とすれば、その通報で需要と供給が一致し、去る5月24日のデマによる家宅捜索に絡めて、デマとして終えたはずのその件の残務があるからなどと、その日のうちに呼び出しの電話をし、その食堂「ふく家」の警察関係者の意向に沿う格好で本村家へ嫌がらせをすることになったのではないか。
★その時の電話で、取調べの日時を二日後の8月3日の午前十時から二時間ぐらいとした取調べの約束をする。
※2011/8/3 ↓
※8月3日午前8時24分、お母さんの携帯へ食堂「ふく 家」の経営者の妻で、妻の妹の志良堂ちあきから電話 が入る。(??)
午前10時丁度、お母さんがお父さんを浦添
警察署へ送り届ける。
これで※5月24日から始まっ
た一連の浦添察署生活安全
課による金城本村リフォー
ム設計の本村安彦に対する
取調べが終わり、嫌疑が晴
れ、事件が終息した。
※8月3日。浦添警察署生活安全課は最後の仕上げとばかりに、妻と二人だけの零細自営家業の個人へ間をおいた取調べ攻撃を2ヶ月ものらりくらり続けたあげく、「貴方の放射能除去浄水器販売自営家業・生業と核兵器撤去ボランティアは早くやめなさい」とのある種の脅迫メッセージを届けることに成功する。
午後1時ごろ、 お母さんが浦添警察署近くにいるお父さ
んを迎える。
午後1時49分、お母さんの携帯に090-2069-9934から着信がる。(??)
午後3時33分、お母さんの携帯へ妹の志良堂ちあきから電話がる。(??)
午後4時31分、お母さんの携帯に県内の大
手金融会社のオークスの債権
取り立てセンターから電話が入
る、、、。(??)
・
・
・
※この日、一連の家宅捜索事件が終息して、その他の懸案も解決を見たことで金城本村リフォーム設計としてはあとは新たな戦略の模索に入りつつあったが、その一方では、滞ってしまっている様々な学費や最低限度の衣食住の費用といった金銭的な問題などが一挙に脳裏をよぎった。
午前10:00分~午後1:00分頃まで浦添警察署の市民生活安全課か ら呼び出されて、なんと一ヶ月以上も前の先月7月の初旬までには5月24日以来5回に 亘って取調べをしてまでその事件は間違いだったということで終えているはずの、十 分に何の疑いもないことが分かっているはずの事件の件での突然の再調書だった。
と言うのも、そのことを問う私に対する担当刑事のしどろもど ろの説明などからは一体何のための呼び出しだったか今もって 分からない呼び出しだった印象を強くもっている。(よっぽど、 これはもしかして、、、警察関係にいる者の仕業では??など、 或いは警察そのものではなくて、誰かの嫌がらせではないか? などと思うようになっていった。
しかし、その一方、昨今の浦添警察署が家宅捜索までして、それ まで誰も侵したことがない本村家やお父さん、お母さんの家へ まで深く入り込んで繰り返す嫌がらせが続いていたことをきっ かけに、長女・未姫にまで上の男の兄弟並みな厳しい指導方針 を貫き通すアスリート一家としては当たり前的な考え方をめぐ り、昨日まではそんなアスリート一家の妻として、母として普 通についてきていたお母さんは、お父さんがこの日の取調べに疲れて帰って来た後からは、急に警察という虎の威をお母さんはどこから借りたのか急激に「女子にまでそんなに厳しくする必要などないのではないか」、、、などと大柄な態度にまで出てくるようになっていいった。いったい何時何処でなにがあった??
どうも、今思えば、お父さんが取調室に居る間のこの日のその 時間。午前10時から午後1時くらいまでの約三時間、一体何 がお母さんを大柄な態度へ変えていったのか??なんで急にそ のお父さんの考え方への対立が始まったのだろうか???
これはあくまでも推測だが、その3時間のあいだ、実は2年前にお母さ んの方からから浦添警察署まで来て夫婦喧嘩のことで相談に来ていた時の相 談保管記録を脅しに利用したんじゃないか。そしてこんなことを行ったんではな いか。
お母さんも事情聴取として、また以前のように、警察署の駐車場または生活安全課 かどこか浦添警察署内の生活安全課の伊礼課長辺りが直接担当者となって別の場所 で、その家宅捜索まで過剰にやってしまったような事件のお父さんの調書の裏を取 られていたのではないだろうか。
だから、そのお父さんだけの浦添警察署での取調べのある朝にそのことを伝えるために実の妹の志良堂ちあきから電話があったんじゃないか。
警察関係者を兄に持つちあきの夫が、その兄からその旨をお母さんへ伝えるようにとちあきの夫から指示が出たんじゃないか。
つまり、食堂「ふく家」の経営者の妻でお母さんの実の妹の志良堂ちあきから「本村の取調べ中、その話を別の場所でお母さんへ聞かせて、裏を取りたいから本村を降ろしたら、食堂「ふく家」なり、その警察署の何処何処へ行って取調べを受けて」などと、何らかの方法でお父さんが取調室で話している内容の裏を取らされるから、-との電話があったんじゃないか。
そして、その取調べが終わった頃にまた、「本村に気付かれなかった?」と確認の電話を入れて、このお父さんには「一切話さないで」などとの何らかの密約をさせられたことで何らかの縛りをその実の妹を介して食堂「ふく家」の夫の兄の警察関係者から圧力をかけられたんじゃないか?だからお母さんはそれ以来黙りこくようになっていったのではないか?そして2年前の浦添警察署に行かされた夫婦喧嘩のことの相談相談保管記録のことを一切知らないお父さんをいいことに、「もし、今日の事を話したらお父さんへ知らすぞ!!」-と脅しにも利用しているんじゃないか。
※2011/8/4昼前→ 以下、家庭裁判所へ出した仮処分申請書から抜粋:
8月4日。その日の昼前に家に戻る途中の 車内。夫婦でもめた。
原因は、妻の仕事中の携帯電話の多さだった。
電話の会話の調子からその相手の中には知っている者もいれば知ら ない者も含まれることがある程度分かることが災いし、全く誰かが 分からない時には「誰?(二人で情報交換しなければならないこと がこんなにあるのに妻への着信が邪魔でコミュニケーションがとれ ないの意)」「忙しいから切っとけ!俺がいる時は後でと言えば」 「今旦那がいるから後でねと言うんだ」などと連発する時もある。
結局何でもない証明で終わった5月24日の家宅捜索。何でもない 事が分かる先月7月末までの約二ヶ月の間に4~5回の事情聴取で 狭い街では信用ががた落ちで売り上げが普段の十分の一に激減し た。
(家宅捜索時の押収品目録交付書の写し2枚を添付したので参照のこ と)
、、、これはほんの一例だが、このところ様々な出来事が我が家 を覆い続ける。
そんな中、車の運転以外は夫の私が自営業のリフォーム関係の 仕事をこなす。
しかし売り上げがきつくなって約4ヶ月。心配事が山ほどあるにもか かわらず妻の運転中での、こんな調子でのほほんと、ぺちゃくちゃぺ ちゃくちゃやっている姿を見て後部座席から携電話を取り上げた。
その時に互いに胸ぐらを掴むなどの揉み合いになって先に夫のボタン 一つ妻が引きちぎっただけでその後も口喧嘩以外は何もなかった。
そのまま昼御飯を待っている子どもたちも家にいることもあ り、妻は家の駐車場で再度けんかを挑発するも、丁度子どもの姿が見 え出した場所に差し掛かったこともあり到着後、出来るだけ子どもた ちに気付かれないように振る舞い、そのまま時差を付けながら家に 入った。
(8月4日といえば、丁度昼過ぎから台風の強風域に入りつつあった日)
二人が家に入ってしばらく経ってそろそろ台風時の買い物を済ませ ようと、丁度車の運転ができる次男がたまたま来ていたこともあり、 さっきの揉め事でスッキリしていないことも手伝い、結局その次男と 買出しに出掛けた。
娘の話によると(ひとり家に残った)娘の父親と兄が買い物に出掛 けると同時に図ったように家にはない携帯電話を探し回るも夫がその まま持って行った事に腹を立てる。
そして、午後2時頃までにはその台風の最中、独りで家を出た。
(娘の家ではリフォーム業を自営し、長年生業として来た。その手伝い を運転免許のない夫の運転手としての重要な手伝いもしている母親が 娘だけではなく他の4人の兄もいる家を捨てどこへともなく姿を消し た)
その時家にはその中1の娘だけだった。
しばらく経って買い物から戻った娘の父親である私と娘の兄は娘の母 親がいないことに気付き、一人で残されたその娘へ尋ねると「知らん」 とパソコンに向かったままそっけない返事。
その日の夜になって台風は益々本格的に吹き荒れだしたことから心配 になってその母親がいなくなった時の詳しい情報を得ようと娘再度尋ね た。
すると娘は「とにかく何処に行ったか分からない。3~4回玄関のドア をバタンバタンさせていたからきっとタバコを切らしていてイライラ して外にタバコを買いに行ったかと思ったらそのまま帰ってこない」 と。
またこうも推理する「これは自分の想像だけど、どっか近所の家に行 き、、、、」とも。
娘の父親や兄たちも、又か、、、と。娘の父親は「50(歳)も超え てもまだ同じ事を繰り返して家を捨てる母親を探し回るのも恥ずかしい からと放っておいた。
5、6日経って娘の父親が心当たりに声を掛け出した。
、、、、、以下省略。つづきは、別紙「仮処分申請書」を参照の こと。
同日※2011/8/4 ↓
上記にもあるように、午後2時ごろ、お母さんはたった一人で家を出 ることになる。
その経緯の真相は実はこうではないか:
その前に、妻のそのような素行の根底にある以下のようなことを先ず、明らかにした上で事の真相を推理してみたい:
推理:
8月4日、↓
この日の午前中の上記のようなお父さんとのぶつかりなどの出来事の 主原因である前日や当日に電話で請求のあった夫には話せないような オークスなどの金銭的な問題を誰かに相談しようとするも、携帯電話 もなく、近場の電話を借りた家から第三者へ相談を持ちかけたとこ ろ、その夫のお父さんの知らない金銭的な問題をお母さんと関係持つ ような本村家に対して一種のやましさを持つその第三者で相談相手 は、金銭的な自らの問題にも絡むような緊急な問題を解決せんがため の目的で、そんな腹づもりなどに気付かず連絡してきたお母さんへ
「お父さんと喧嘩をした?夫に殴られるかも知れないから家をいった ん出てみれば」などと、ありもしない暴力といううそでそそのかし、 一日でも家を空けると大混乱に陥ることとなる本村家の妻で主婦兼自 営家業の共同経営者でもあるお母さんに対して、実はその秘密を夫の お父さんに知られるのが怖くなって、自らが逃れるために本村家の重 要な役割のあるお母さんの立場など一切かまわず無責任なアドバイス をしたのではないか。
そしてその第三者の思惑ありな指示でお母さんがたった一人で台 風が迫る最中家出を果たしたのではないか??しかもパトカーで?? 或いは食堂ふく家経営者の車で。
そして、それまでの一連の時系列からはもしかしたら、その第三者で 相談の相手というのは実は、お母さんやお父さんを陥れている張本人 で、その様な状況が早く来ないかと待ち構えていたその相談相手と関 係のある浦添警察署の生活安全課の誰かか、或いは同じ浦添警察署は 浦添警察署でも、本村家を貶めようと画策している生活安全課と関係 を持つ第三者で、その生活安全課以外の部署の夫の暴力が原因と勘違 いした単なる110番または婦人警察官だったのではないか??
つまり、お母さんの混乱の原因は、浦添警察署の生活安全課と何らか の関係を持つ第三者が持ち続けている本村家を貶める狙いの思惑など が主因で、その事にまったく気付く様子のないお母さんは間違って、 本村家を貶めようと待ち構えている張本人でもある第三者と関係のあ る浦添警察署へ相談の申し出をしてしまったたのではないか。あべこ べに。
そして、この日または後日、浦添警察署生活安全課の思惑などに未だ にまったく気づいていないお母さんから本村家のお父さんや子どもた ちを貶める情報を浦添警察署生活安全課とその第三者は易々と入手で きたことだろう。
要するに、表向きは、暴力も振るわない単なる夫婦げんかについてで はあるが、今後はできるだけ回避するためには一旦は家を出たほうが いいかどうかというようなごく世間一般的にもありふれたような何気 ない夫婦喧嘩について相談を持ちかけたお母さん、というシナリオを 用意していたのではないか。
そして、その裏を知らない他の警察官らへ夫の暴力が原因と勘違いさ せ、そのお母さんの家出当初の、第三者絡みの生活安全課とはまった く別の課である、その裏とはまったく無関係な地域課の婦人警官の誰 かがその相談者で第三者に摩り替わったのではないか。
しかし、その後その純粋な警察官、または婦人警官がいろいろと調べて いくうちに夫の暴力はないことに後で気付き、一連のDVや虐待などと のデマを元に大騒ぎしたのはいったいなんだったんだろうなどと、ばつ が悪くなったことから最後には本村家を潰す思惑のある生活安全課が扱 い、生活安全課や相談者で第三者自らの狙いである本村家を貶める目的 のためにお母さんを「金銭トラブル回避の保障」を盾に脅し、騙しだ し、巻き込み、お母さんを益々本村家から遠ざけてしまったのではな か。
その証拠として、お母さんはしきりに食堂「ふく家」で働かざるを得なくなってしまっていて我が家や家業へ戻れない状況が存在するのではないか。
或いは、少なくとも8月4日以来、今日現在も家出状態のお母 さんと、その後途中の8月12日から拉致監禁され続けている 娘の被害の原因までその浦添警察署生活安全課が作ってしまった可能 性も否定できないのではないか。
いや、それらすべてが浦添警察署生活安全課の仕業なのかも知れない。
だとすれば、お父さんが妻・お母さんや、娘・未姫との相談のことで 会おうと連絡を取ろうとしたとき必ず妨害をしてきている警察権力の 壁や影が常に立ちはだかるつじつまや、そんなにまでして本村家を貶め るなどとの狙いがある警察権力の思惑など知りようもない妻・お母さん や娘・未姫と、食堂のふく家でのお母さんの実の妹たちの一連の警察権 力をバックニした横柄な態度のつじつまも合致することになる。
(※8月4日。この日からの出来事はすでに詳細な内容として、 「仮処分申請書や被害届」の文書につづられていますのでご覧くださ い)
過去20年の金銭面での事実と推測からの考察:
「なんで母で妻の本村弘美が家に帰れないか?を金銭的な側面から」
あえて今回このように大げさに表現することで、あらゆる可能性を大胆に推測まで行い、真相を明らかにし、最終的には「そんな大それたことまではなかった」-と、逆に証明していく必要があると思い、以下したためましたのでご一読ください。
故・島袋照子は25年以上も前の過去において、自らが使う目的で実の娘で長女の本村弘美(当時の姓は旧姓で金城弘美)を名義人または連帯保証人として借金をした。
その後、その故・島袋照子自らが使った金銭債務の返済から自らが逃れる手段として、当時はすで嫁に行き、別々の世帯を持って何年にもなっていた本村弘美に対して、未だ二十歳をわずかに過ぎたばかりの若さでその意味もよく知らないことをいいことに「破産宣告が楽だ」と自己破産を押し付け、逃れた。
後になって、寝耳に水のその話を聞かされたときに「確かに自己破産すれば法的にはあらゆる債務から逃れられはするもののしかし、一方では、我が家の妻であり母親でもある本村弘美が、しかも別世帯の実母に自己破産されてしまっては、今後の我が家の人生の中で起こるであろう様々な社会的困難やペナルティーがその自己破産をしたことによってより多く降りかかることになることを伝え、当時のその選択は実は、本村弘美にとってはごくわずかなリスク回避のために膨大な便益を失うことのほうが大きい。間違っている」と当時も本村弘美へ話し、止めるよう薦めたのを今でも覚えているものの、この一家の主である私へは一切話もなく、私抜きで進めた手続きだったことから止めさせきれなかった。
おかげで妻・本村弘美自身はもちろん、本村一家の主である私自身や子どもたちも結婚当初から時折、社会的、或いはこと金融機関との関係において一人前じゃなかったことで後悔し悩み続けることになった。
案の定、本村弘美自身は、人として、一人の人間・子を持つ母親としては現実から逃げてしまった無責任ーとの内なる自己批判や、その自らの実母の不道徳がまねく殺伐とした将来へいざなう道徳的社会通念の制裁から以後十年余り、一人前の大人として扱われなくなる恐れの可能性を常に背負ってきてしまっている。
今から15年ほど前にもこんな事があった。 「県営団地の住居強制立ち退きの手続きの時間帯には絶対に立ち会うな。立ち会ったら本当に追い出されてしまうぞ」ーと、妻の本村弘美へ注意していた本村一家の主で夫の私の注意を、なんとその故・島袋照子は娘・本村弘美へ「母ちゃんの言うとおりにしなさい。強制立ち退きの手続きの時間にはちゃんと立会いなさい」などと、たぶらかし、本村弘美は主の私へは一切内緒で従い、おかげで即刻強制立ち退きに入られ、本村弘美自身も泣き泣き本村家一家全員の家を失わせた。
私が知らせを受け、駆けつけたときにはすでに後の祭り。詰め込めるだけの世帯道具を詰め込まれた普通乗用車の運転席でわずか生後三ヶ月の五男をひとり抱きかかえさせられるという冷たい扱いをされた本村弘美は、実母・故・島袋照子のあやまちに気付き、以後15年実の母であるその故・島袋照子の言いなりにならなくなり、本村家の母として妻としてここまでの15年成功の道を収めることができた。
しかし、15年の歳月と本村一家の主である本村安彦の注意不足や甘さがそのお母さんのあるべき姿、または道を狂わせた。
実は、その遠くに居るべき故・島袋照子が去年から近くの県営城間団地へ引っ越してきてからは怒濤のごとく、お母さんの昔の記憶へ記憶へと流れさかのぼって戻ってしまった。
そして、今回。
この二十年余、本村家で頑張ったお母さん自身の名誉や徳性。そして社会人なら当然の利益と債務。普通の社会人なら真正面から立ち向かわなければならない。
しかし、その故・島袋照子はまたもやお母さんへささやいた。(以後の内容についてはあくまでも可能性を追求してみた)
特に「離婚して、母子家庭になれ。そしたらかなりの母子手当てが入る。今の暮らしより楽になる」とのささやきは強く強調したのではないか。(故・島袋照子自分自身にはどんな狙いがあったかは本人に聞かないと知らないが、考えられることと言えば、例えば、母子手当てや福祉の援助金を持ってくる自分の思い通りになる娘を増やせることなどの欲得がありはする)
そして、故・島袋照子は、自らの実の娘・本村弘美の嫁ぎ先の本村一家の自営家業でその実の娘自身も夫と二人の共同経営者でもある金城本村リフォーム設計という、リフォーム工事などの仕事上の債務を背負ったままではその受給資格を失いかねなくなることから、「本村家の一切の債務を負わないで」その本村弘美と本村安彦の家業を潰し、市役所や福祉などの母子家庭などの援助を得させ、得る目的があったのではないか。以下、考えられることをさらに言えば、故・島袋照子自分自身への多少の小遣にもありつけるかもしれないなどと少しぐらいは目当てにしていたからこそ、債務の多い本村家の家業の共同経営者でありながらも連帯債務者にはなっていなかったことを本村弘美から聞き、
「ほら、昔かあちゃが言ったとおりに破産宣告で自己破産しておいてよかったでしょ。だから連帯責任者にさせられなかったんだよ。こんなふうなときに助かるんだよ。ありがたく思え」とささやきながら債務0での脱出・逃亡背任を図り、実娘・本村弘美をそそのかしまたもや教唆したのではないか。
そして、偶然とはいえ、その計画の道半ばの8月20日に本村家の主で本村弘美の夫の本村安彦が突然現れ、妻・本村弘美と娘・未姫を連れ戻そうと部屋へ入ってきた。
しかし、故・島袋照子がそのような計画を描いていたのであれば、浅はかではあるが、その浅はかな計画にとって必須の孫娘・未姫を取り戻そうとする娘の父親の本村安彦を追い払おうとしたものの、力尽きたのか、人生を全うしたのか、しばらくしてひとりでにその場で倒れ、救急車で運ばれはしたものの翌21日にはこの世を去った。
以上のような故・島袋照子と本村家の金銭にまつわる事実と推測の話は、故人本人とその実の娘で本村家の妻で母の本村弘美とその夫・本村安彦のこの三人だけにしか理解できない話であることから、偶然にも亡くなった故・島袋照子の四十九日の喪が明けた10月9日を持って終えたものとすべきであるとしたい。
よって、そのあやまった計画は実娘・本村弘美が実母故・島袋照子に代わって終わらすべきである。
終わらすことで、昨日まで足踏み状態が約三ヶ月続いてきた本村家一家全員が新たな明日の生活へ踏み出し、前へ進める。
以上。
平成23年10月19日 本村安彦
☆翌、8月4日に運転手役の妻を行方不明にさせて、その妹と夫は今度も私に無免許運転をさせる状況を作り出し、無免許運転をしたところをかねてから「情報屋」を介して私のライフワークである「沖縄から核施設を撤去させよう!!」とのボランティア活動を監視していた警察関係の兄を介して警察へ通報して逮捕監禁させ、仕事からはずし、ライフワークのボランティア活動も仕事もさせないようにしようとした。
私は5日後の8月8日に家出中の妻を探し当て、翌日家に実母や妹の香に伴われて戻ってきた妻とその運転免許の事について話し合いをした。
私はこの間も当然のようにチラシ配りと営業は徒歩で続けた。
翌日朝から、せめて夕方ぐらいまでの時間帯だけは仕事の件とは別にしてでも当時すでに家に残る遺棄・放棄状態にあった後になって拉致されることになる娘も含む5人の未成熟子の扶養の義務だけは最低限果たすことを決める。
翌日から子どもの送迎と家事だけは最低限やる目的で朝早くから何処からともなく現れて家事と子どもの送迎だけはやり続けた。
しかし、運転免許のない私が、徒歩で出来ることといえば自宅の地元を回るぐらいだが、それでもなんとか営業に毎日出てライフワークのボランティアを兼ねながら浄水器の販売営業を続ける傍ら、運転免許取得へ向け自練へ通うのを繰り返して三日ほどした
8月12日の早朝。
★その日も何処からともなく娘の早朝練習の出発時間に少し遅れてやって来た妻へ、待ちきれず徒歩で先に練習へ出掛けた娘を途中でピックアップするよう指示を出し、娘を浦添総合グラウンドへ連れて行くように頼んだ。
☆おそらくその時は、「いかなる理由があろうとも直ぐに家庭や仕事、そして社会的なあらゆる物事をむやみに放棄させられてしまったようなお母さんを真似することがない母親になりなさいね。お前は。お父さんは知っている。娘のお前に対してお母さんがここ2,3日しきりに自己弁護を繰り返しているのを。しっかりしなさいよ!!」
ーと前日の晩辺りからその13歳の娘へ陸上のトレーニングを行いながら、更に厳しく、時には涙がにじむほどのいち人間としての教育的指導を繰り返しながら強く話し掛けていた事を娘から聞いて知った妻から又聞きをした食堂「ふく家」の実質的経営者で警察関係者らが只、単に「気に入らない」と思ったのだろう。
その時は、只それだけの理由で娘の拉致をもくろんだのだろう。
そして「父親が娘に対して虐待をした」などとありもしない「デマ・狂言」を先ず浦添警察署へ流し、その後その13歳の娘まで伴って「配偶者暴力相談」などとして女性センターへ父親へは一切連絡もせず違法に連れ出し巻き込んだ。
以来、裏を取るうちにその事実は無いことに気付きはしたものの、父親へ「疑って済みませんでした」と一言謝罪すれば済む話にもかかわらず、その時すでに一週間が過ぎていて後へ引けなかったのか、それとも庶民を馬鹿にしたのかそのまま拉致することにしたのだろう。
☆そこで、娘13歳に対し、そして妻に対してそれなりの「悪者」に父親を仕立てる必要性が生じた。それが、事の始まりではなかったか。
おそらくその日の時点では、運転手役の妻が居ないなら居ないなりに地元を徒歩で回るなどの方法での営業やボランティア活動をしぶとく続ける私に対し、娘まで居ないとなれば、きっと今回も過去同様、緊急避難的に無免許で自動車を運転し、娘の捜索を始め出し頻繁に無免許運転を繰り返すのではないかと踏んだのだろう。
また、翌日の8月13日予定の全国放送へ父親の私が出演するとなると、私の仕事やボランティアも間違いなく好転することにつながることは目に見えていたことから、「本村の家族潰し」を企ててきたそれまでの努力が水泡に帰するのではないかとの危機感もあって、「娘の拉致」などという大それた犯行行動を取ってしまったのだろう。
また、その全国放送出演という私の約二十年来のライフワークが実り成功する姿を、いずれは自らの商売の広告塔として利用したくて手に入れたい娘・未姫(みき)へだけは見せたくないという思いもあったのではないか。
なにしろ、彼らが、浦添警察署を利用し、拉致以後のこの娘へ行った悪戯では「あんたのお父さんの商売は悪い商売で、被疑者とまでなっている」などと警察官から十分すぎるほど思わせるような悪戯などがあったからだ。
無免許運転での逮捕監禁を目的に娘の未姫(みき)まで拉致してまで私に無免許運転をさせようともくろんでは見たものの、しかし私は、 この8月12日の午前8時18分以来連絡の途絶えた娘の未姫(みき)と妻を案じ、試行錯誤の末、その時の連絡係りの四男の公平(こうへい)から伝えられる状況を「拉致」と疑い、認識・判断した午後2時ごろには前日からその拉致された娘の未姫(みき)や妻、その他の家族へ話してあったとおり、その彼らの悪戯を那覇家庭裁判所へ「拉致」と口頭で訴え、申立て書での手続きではその疑い、認識・判断である「拉致」を確かめる目的で、その彼ら食堂「ふく家」の経営者や第三者らを浮き彫りにする目的でとりあえず、その当時事実として表面に現れている現象である妻の置かれた立場から始めることとして「扶養の義務悪意の遺棄母妻事件」として彼らの思惑などまったく知らないであろう妻を相手方として調停を申し立てた。
以来、その家庭裁判所への調停申し立てによって、そのようなその食堂「ふく家」を中心とする彼らの「本村潰し」の手段であった「無免許運転での逮捕監禁」の思惑は外れた。
そして、夜8時頃になって私が浦添警察署へ娘の分の家出人捜索願を出し、数時間前には家庭裁判所へ「その妻を利用している彼らを浮き彫りにする目的」があることは伝えず、只単に「扶養の義務違反の妻」という趣旨だけの文書を見せ、その通り調停を申し立てていることをその時の浦添警察署の警察官へ伝えた。
おそらく、その食堂「ふく家」の経営者や関係者らはその家庭裁判所への訴えを知って、「無免許運転で逮捕監禁」との当てが外れたことから慌てて万が一のため、最低でも娘を拉致したことだけは隠蔽しようとの対抗処置として、その時点ではすでに「ドロボーの片棒」を担いでしまっていたこともあり、その浦添警察署も一緒になって「夫婦のいさかいで家出している」-とのストーリー作りに入る目的で女性センターへ先ず、アリバイ的な実績作りの目的でそうとは告げずに「何らかの相談」という名目で出向いたのではないか。
その根拠はというと、これまで教育的指導や過去3~4年ほど前にあった正当防衛での緊急避難での夫婦のいさかいはあっても「暴力」などというようなことを一切振るっても居ないにもかかわらず。後日分かったその彼らの行った8月12日と8月30日のその女性センターでの相談内容は「配偶者暴力相談」となっていることである。
その根拠や証拠はまだある。
その一週間後。8月19日。その食堂「ふく家」で無理やり働かされている妻を見つけた時。二人話し合った家へ戻る条件を提示する妻の条件の中には「暴力を振るわないで」などという条件など微塵も無かった。
その時は、妻の実の妹の志良堂ちあきともうひとりの実の妹の金城香の二人。そして実母の故・島袋照子も立ち会っている。
そして、その時私が書いた「暴力」の文字などまったく入っていない「家へ戻る条件誓約書」を妻が今も保管しているはずである。
以上2011年12月3日 おやじ・本村安彦
※8月3日。浦添警察署生活安全課は最後の仕上げとばかりに、零細自営家業の個人へ間をおいた取調べ攻撃を2ヶ月ものらりくらり続けたあげく、「貴方の放射能除去浄水器販売自営家業・生業と核兵器撤去ボランティアは早くやめなさい」とのある種の脅迫メッセージを届けることに成功する。
※翌日8月4日。妻と二人だけの零細自営家業の個人業者の妻で共同経営者で運転手役が、この自営家業では今後も警察からいじめられるのではないか、との恐怖心から、いち経営者としてもいち主婦としてもすべてを遺棄・放棄させられ、一人で家出。
※八日後の2011年8月12日。第三者の狂言を利用した浦添警察署が運転免許も持たない主人たった一人だけが残った零細自営家業の個人宅の13歳の娘の拉致誘拐を指示したことで、実行犯が娘の母親のため逃げ出せず二ヶ月が経った今も未だに寝泊りを転々としていて、自分の家族の待つ自分の家へ帰って来れない。
2011平成23年12月7日の妻の「お母さん」と娘の「未姫」への手紙から:
読んで違うところがあったらチェックして自然に持たせてね
おやじ(2011平成23年12月7日付け妻への手紙から)
8月4日。その日の昼前に家に戻る途中の車内で夫婦でもめた。
原因は、妻の仕事中の携帯電話の多さだった。
その時家にはその中1の一人娘だけでした。
しばらく経って買い物から戻った娘の父親である私と娘の兄は娘の母親がいない
ことに気付き、一人で残されたその娘に訪ねると「知らん」とパソコンに向かっ
たままでそっけない返事。
これはその日の夜になって台風は益々本格的に吹き荒れだすことから心配になっ
てその時の詳しい情報を得ようと娘に再度訪ねた。
すると娘は「とにかく何処に行ったかわからない。3~4回玄関のドアをバタバタ
させていたからきっとタバコを切らしてイライラして外にタバコを買いに行った
かと思ったらそのまま帰って来ない」。
またこうも推理する「これは自分の想像だけど、どっか近所の家に行き、と。
娘の父親や兄たちも叉か、、、と。娘の父親は50を越えてもまだ同じ事を繰り返
して家を捨てる母親を探し回るのも恥ずかしいから放って置いた。
5、6日経って娘の父親が心当たりに声をかけた。
★翌日、8月9日の夜に、27年前に同じように当時はまだ7人の乳飲み子を含む家族を捨て家出をした39歳当時から今日まで、そのままの状態を続ける現在67歳の娘の祖母にあたる娘の母親の母親の故・照子ががその娘の母親を伴って娘のいる家族の元へ現れた。
★前の晩8月8日に声をかけた者の中には娘の母親の母親もいて、その母親の母親へは特に強く「何度もこんな事を繰り返すには何かしらの負担を貴女の回りがかけすぎているからじゃないですか?じゃなければ何らかの薬物か覚醒剤の疑いもあるんじゃないか、という専門の関係機関の者の話しもありますよ。かばうだけじゃなくよ~く見て下さいよ!!親ならその辺りも注意して」と、善意からこう言ったのが気に入らないなどと凄い形相で来て、そんな疑いが生まれる自分の娘の行動を正すかと思いきや、逆に「あんたは気に入らない。離婚させる」とまくし立ててまた連れてかえろうとする始末。
☆おそらく、昨晩から家へ来るまでの間。妹の香の男やそしてその一家。或いは食堂「ふく家」の経営状態などを照子は聞きまわったんだろう。そこで、過剰に妻へ負担が行っていることを感じはしたものの、しかし、「覚せい剤又は薬物」の疑いについては専門へ尋ねる必要性から、警察関係者のちあきの夫の兄へ相談を持ちかけるまえに自分自身で確かめる必要性を感じたのではないか。
その時照子が話していた「覚せい剤ってお金がないと手に入らないんじゃないの?高いって聞いている」などのことからおそらく、昨晩からこの時間帯までに一応は調べるため友人知人へ聞いていた様子が窺えたためある程度の情報は集めていたのではないか。
そこで出た結論が「誰がそういっているか」について本村へ「どこの誰がそういっているか聞いてこよう!!」などと、かまをかけるなどの賭けをしてまで事がことだけに確認をする必要性から自分自身の目と耳で本村から直接聞き出し、確かめるために照子はわざわざ伴ってきたのではないか。
実はそれを確かめることこそが第一番目の目的だったのだろう。誰が考えてもそうなる。
★自分の娘のそのような素行の原因などを詳しく聞こうとはしないその母親の母親に対して本村は、「50も余って家を捨てる母親の母親でありながら、原因は自分のこの27年にあるのに、それを6人もの子どもたちをすべて並行にこの20年間義務教育期間無遅刻無欠席を達成させ5月20に行われた浦添市市民会議では健全育成で表彰されている。同時に高校生の兄たちも並行に無遅刻無欠席を達成させている。6人全員が9ヵ年間無遅刻無欠席どころか12年間無遅刻無欠席もだ!!。そうやってちゃんと子育てをしている60前のこの家の主で父親でそんな娘の夫に向かって、しかもそんな家へやって来て、なんてことを言うんだ!!」
と怒鳴りかえす。
★最後は覚醒剤の疑いの話しに戻ったあたりで娘の父親はその母親の母親を庭へ連れだしその覚醒剤の疑いの話をさらに二人だけで詳しく話をしょうとした途端。それ以上はもういいかのようだったとしかいいようがない様子をし、話をつづけようとする本村を遮るようにその娘の母親と、付いてきた妹の香らには構わず帰って行った。
★庭に出た帰り際の娘の母親は、重要な自営業の手伝いと最低限の中学生二人の主婦役は明日からやると言い残し、妹の香と伴にまた家を出た。
★、これは特記しておく。この日はかなり口論もあったが、この日から二ヶ月以上経った10月27日という後々になってでっち上げで持ち出す「配偶者の暴力」などの話はこの時も一切無かった。
★、これも特記しておく。照子は家に帰ってから四男の公平へ電話をかけ、「お母さんは必ず家に帰すから心配しないでね」-と伝えている。(お父さんへはこの電話のことは内緒にしてね、とのニュアンスで)
☆おそらく、庭先へまで自分だけを連れ出して話しかけようとする本村の様子から、「これは本当にその話をしている者がいることは確かだ」と判断したのだろう。だから、その場で本来の目的を終えたことでそのまま振り返らずに帰って行ったのではないか。
☆おそらく、その後このようなことがあったのではないか。
「本村が言っているのは本当だ。誰かがその事を疑っているのは間違いない。このままでは宜野湾の本店が実は、覚せい剤なども扱うことは常識とされている売春婦相手のゲーム喫茶で儲かっていることまで公になれば大変なことになる」-などと、ひとり帰り道を歩きながらどうにかしなければならないと考えていた照子へ二人の娘が追いつき、そのまま一緒に団地へ向かい、その事について食堂「ふく家」辺りで妹のちあきの夫、もうひとりの妹の香の男、そしてせいほうの警察関係者の兄らも集まり、相談することになったのではないか。そこで、もし妻が家に帰らないとなるとなればとにかく大変な事態になるのだから最終的には早く妻を家に戻すことで話は付いたのではないか。
しかし、その後もそのことへ言及させないように用心だけはしなければならない旨申し合わせをし、翌日も又、話し合うことになったのではないか。
★翌10日。前の晩に娘の母親が約束したとおり、重要な自営業の手伝いと最低限の中学生二人の主婦役は翌朝早くから出てきてそれをやった。
★しかし、夜になるとまた出て行く妻の様子だった。
☆おそらく、その日も食堂「ふく家」辺りで昨日に続く話し合いをする予定になっていて、その事をうまく伝えきれなものだから黙ってそのまま家を出たのではないか。昨夜に続く話し合いで、「妻が戻ったら戻ったで追求を緩めないのではないか」-などとの話になり、当面その結論が出るまで家出を続けさせることになったのではないか。
★その翌日の11日の朝も続けた。その夜にまたどこへやら出ようとする娘の母親を見かねて、そのような状態になるまで追い込んでいるその背景に潜む因果関係を二度と許すまいと、その晩は残った家族でとりあえず娘の母親を「民放877条の扶養違反」と「悪意の扶養義務遺棄」で家庭裁判所に訴える事を決める。
☆その晩の話し合いではおそらく、本村が追求する時は決まって酒を飲んだ時だろうから、昔のように酒をやめさせる必要があるとしたのではないか。そのためには娘を奪い人質にする必要があるのではないか、などと話し合いをしたのではないか。
★翌8月12日の早朝、家にいる娘をグランドまで送らすと、娘を送る車内で娘から昨晩の情報を得ようとしたのか、本当に自分のこれまでの素行を家庭裁判所へ訴えるのかどうなのか様子を見様としたのか、それとも娘がそれまで関わっていたお父さんには一切隠していた数年前からの食堂「ふく家」との関係の証拠隠滅と軟禁洗脳が目的なのか。
★以来、そのまま娘を連れ去ってしまったまま今日であれから約4ヶ月になる。
☆これもこの日から二ヶ月半経った10月27日に明らかになることだが、この日は「配偶者暴力相談支援センター」へ行かされていることが分っていることから、おそらく昼前の早い時間ぐらいまでは「その申し立て書を提出したらこの娘を奪うぞ!!」-という誘拐メッセージを込めていたからこそその後、その娘の担保や人質としての価値を高めるため、娘や母親との連絡をわざと絶たせたのではないか。
そして、とうとう提出をしたことを夜の八時辺りになって明らかになったことから、犯人らは自らの犯罪を隠蔽する目的で、あわてて「夫婦喧嘩や家庭内のDV」などというストーリーで、「その家の娘と母親が二人で伴に家出をした」-との偽のアリバイ作りを急ぐため、わざわざ妻や娘をかくまってるその場所とされる浦添市城間にある県営団地の3号棟ー401号室まで出向き、その画策を練ってから「配偶者暴力相談支援センター」へ妻と娘を脅し、そそのかし、出向かわせたのではないか。
★この時、確か午後の10時過ぎだったと思うが、その団地の一室の入り口付近ではこんなことがあった:
二時間ほど前の午後八時ごろに娘の家出人捜索願を提出して、「もしや?」と思いその団地へ確かめに行った。
すると、部屋のある四階の踊り場付近で様子を見ていると、団地内へパトカーが入って来て、その四階まで警官の一人が登って来てその部屋ドアを指差しこう言った「来てる?」-と。
☆つまり、向かいの一号棟から様子を見ていた妻の妹の金城香の家族の誰かが、110番通報して城間交番のパトカーを呼んだのだろう。それで、私を110番をかけた本人と勘違いした。★そして、本村と名乗った私に気が付き始めて「家出人捜索は取り下げてください」と浦添署の生活安全課の伊礼課長へ電話した。
★そこで、伊礼課長は本村を追い返すように指示を出した。
☆、おそらく、この時は伊礼課長は浦添警察署内のどこかに居て、私へ携帯電話から「今日はもう遅いから帰るように」と、何の根拠もないにも関わらず強制をしたのだろう。
これは推理だが、犯人らは「夫婦喧嘩や家庭内のDV」のでった上げで忙しい。
おそらくその団地内或いは食堂「ふく家」あたりを出て浦添警察署内の一室でアリバイ作りを急いでいた。そして実はまったく実態がない「配偶者暴力相談支援センター」称した書類をその浦添警察署内であしらえている最中だったのではないか。
だから私がその団地へ来た時はその団地内には誰も居なかったのではないか。それを知られるのが怖くなった浦添警察署の伊礼課長は城間交番の警官の携帯電話まで介して私へ無理やり今日のところは引き下がることを大声で怒鳴っていたのではないか。
彼ら犯人らが自ら犯したその刑法犯罪である「拉致教唆」を逃れる目的のために。
そして、その内容はというと:
☆おそらく、拉致や誘拐を教唆されただけで何の罪にもならない妻へは「あんたが罪になる」とうそを言って脅し、そそのかす。
その一方娘へも「あんたも今日お母さんと一緒になって家出したことにしないとお母さんがあんたを拉致したことで刑務所に行ってしまう。だから絶対に拉致されたとは言わないこと」-と、ありもしない妻の刑務所行きを盾に娘まで脅迫し、脅し、そそのかしたのではないか。
★家庭裁判所平成23年(家イ)第413、414、415、416、417号事件各々として調停日程調整中として届けたその8月12日の昼には恐ろしくなり躊躇して提出間際に受付で相談すると、母親の素行を訴える申し立て人の一人である娘を相手方である母親が連れ去ったなら危険な疑いはあるから警察暑へ家出人捜索届けをだすのがいいのでは、
ーと言われ、夜の8時を回って娘が生まれて初めて(学校行事や旅行以外では)こんな遅くまで音信不通でさえなかったこともあり、「家出人」として届け出書を提出。
翌日帰って来ない娘の相談で家庭裁判所に行くと児童相談所がいいと言うので警察に通告を頼むがどうなったのかわけがわからないまま数日が過ぎる。
3日目の午前、メールで部活中とあったので部活へ様子を見に行くと父親の姿を
見るなり逃げてどこかへいなくなった。直後自転車で校内外を探すとなにやら不
審な車両に娘らしき影を発見するも見失ってしまった。
内心、あれはもしや児童相談所の車で保護されているのかな?とも思い、ほっと
するも不安は募り、翌日見覚えのある車両ナンバー(11‐27)を児童相談所で発見するまでは安心できなかった。受付で訪ねると教えてくれはしなかったものの娘は機関に保護されている確信を得、娘が居なくなって初めて安堵感に浸った。(8月19日金曜日)
その足で早速裏付けを取るため警察がおうむ返しをする「母親と一緒だから~!」と繰り返す娘の母親がいるとされる母親の母親の住む団地への電話と娘の
母親が手伝っているだろう姉妹の経営する食堂で娘はいないが娘の母親だけはい
るのを確認した。
翌日20日土曜日午後。その食堂へ行くと本日休業。
夜の9時半頃に団地に電話をかけるといるというので入り娘を8日振りに身近で
見る。
その直後の詳細は別の機会に、、、。
以上。
2011年12月7日 おやじ、本村安彦
※翌日の8月13日夕方5時30分。TBS全国ネット「報道特集」の沖縄の核兵器報道に妻と二人だけの零細自営家業の主人の私が出演し、全国へ沖縄や日本の平和運動を広めるがしかしその一方、今日現在、その自営家業は潰れかけ、妻と娘は行方不明状態が続いている。 そして、その背景にいる間接的弾圧者で沖縄の権力構造の頂点に居座る加害者らは暗黙のうちにそうなっていくことの情報をなぜか承知していた、、、。
だからといって、これはなにも国や沖縄電力そして県、或いは市などと言った経済や政治の統治者や支配者がこんな普通の市民一家でしかないいち本村家を直接的に言論弾圧していると言おうとしているわけではありません。では誰がいったい何の目的で彼ら経済や政治の統治者や支配者の間接的な言論弾圧加害行為に手を貸しているのだろうか推測してみるとこうなるのではないか:
それは、彼ら国や沖縄電力そして県、或いは市などと言った統治者らから回っているであろう言論弾圧裏金を貰い続ける警察関係者と、その警察関係者へ情報を提供することで警察裏金が得られる情報屋個人のこの本村家に対する個人的な誹謗中傷での警察への情報提供と、5月24日の浦添警察署生活安全課が絡む家宅捜索のことを知ったいち警察官の個人的なこの本村家に対するねたみや勘違いなどからくる直接的な言論弾圧が、間接的には彼ら経済や政治の統治者の弾圧に手を貸していることになるのではないか、ということを言いたいのです。
或いはその逆も考えられます。つまり、浦添市の一市民が、過去二十年にも亘り執ってきた商活動方法を普通に行ったことがたまたま彼ら経済や政治の統治者側が自らの愚かな行いである沖縄電力の沖縄本島での「7年前から行われている原子力発電研究」批判に繋がるからといって、その一市民としての商活動をそのものを本末転倒にも不当なものとしてあべこべに「言論弾圧」などと称し、新聞社などのマスメディアや浦添警察署へ訴え、「本村を潰してくれないか」と泣きこんだ可能性も否定できないのではないか。
(むしろその事例が近年の日本では増えているそうである)
もしそうならば、仕事の合間ですでに20万部も発行し終えている記事を配る新聞の切抜きのチラシや個人的なインターネット上での言論を指しての訴えでしかないのだから、むしろその訴えに手を貸したマスメディアと警察署は余計に罰せられなければならない。
特に4ヶ月間にも亘り、その個人宅の娘や母親と、その父親で夫間を音信不通にすることで、①「親の正当な指導監督に背けさせ」②正当な理由も無く家を空けさせ」③「いかがわしい場所へ出入りさせ」④「いかがわしい場所へ出入りする不道徳な者と交友させ」⑤「その13歳の持つ『6年間皆勤賞』の徳性を害させ」るなど、その間すでに犯してしまった13歳の娘の少年法違反教唆や刑法224条・225条~227条の1(略取及び誘拐幇助)及び247条(背任罪教唆)刑法第217条~218条(遺棄罪教唆)その他諸々の刑事事件などの不正義などを警察としては知られたくないだろう。だからそのことを追及するであろう父親と妻及び娘とはその音信不通のまま離婚でも何でもして貰おうとしているのではないだろうか。
弾圧は、個人や団体が自分たちの集団より劣っているという意識、あるいは無自覚ながら劣っているという思い込みが背景にあることが多いと聞きます。
その理屈からすれば、この金城本村リフォーム設計という家業を持つ本村家は個人です。個人が被弾圧者にされるていのですから加害行為の弾圧者もきっと個人に間違いないのではないのでしょうか。
そして彼ら経済や政治の統治者側自らは高見の見物でそのような違法な人権侵害行為を暗黙のうちに認めている、のではないだろうか。
(1948年12月10日に国連で採択された世界人権宣言、1976年採択された国際人権規約)
以上
詳細はブログ→http://motomurayasuhiko.ti-da.net/e3824783.htmlをご覧ください
2011年12月5日
沖縄県浦添市港川2丁目10番8号
金城本村リフォーム設計 本村安彦 電話番号:098-876ー5538
「概略」報告と説明
様
しばらくの間、訪問での御挨拶が遅れておりましたので以下、その理由の報告説明をいたします。
平成23年12月5日 金城本村リフォーム設計 代表 本村安彦 電話098-876-5538番
ご承知のように金城本村リフォーム設計代表者の本村安彦は訪問販売の営業活動を通じ、この18年間、無党派無宗教無団体という庶民の立場で様々な沖縄社会の問題をボランティア活動の一環として提起し、自由に議論して頂きながら皆様のご協力の下、多くの沖縄社会の問題を解決してきました。これからもよろしくお願いいたします。
しかし、残念ながら去る5月24日以降から、その金城本村リフォーム設計の特色であるそのような社会貢献がまったくもって行えないようになりました。今日はその報告と説明をいたします。
ものの本によると、弾圧(だんあつ)とは、権力を濫用(らんよう)し与える加害行為で、権力者側による弾圧を組織的弾圧と呼ぶこともある。または、おさえつけること。特に、支配者が権力を行使して反対勢力の活動を抑圧すること。「言論を―する」などとありますとおり、今まさにその弾圧によってこの金城本村リフォーム設計の言論ボランティア活動が現在のところ行えません。
事の成り行き:
※2011平成22年11月21日。
これは大した関係はないとは思うが、しかし一応はこの記事に付け加えておく。
「このトンネルが出来、ヒ素混じりの地下水が大量に川へ流れる」との情報を聞きつけ、2010/11/21 17:42:20にインターネット上で当時、小生は名護市の幸地川や世富慶で出た”ヒ素”騒動をしきりに名護市役所や北部国道事務所へ調査を依頼していた。→http://motomurayasuhiko.ti-da.net/e3250815.htmlこれは当時のブログのURLです。ご覧ください。
※2011年2月27日。以下の仮説をインターネット上とチラシ配布で発表する。
先ず今日現在沖縄の健康状況から:
1、1946年以降生まれ世代の全国1早世・早死にの問題。いわゆるつい最近まで長寿日本1の沖縄が現在は26位に下がり、数年すれば47番目の最下位に向かう最大の原因である70歳未満世代の早世・早死にが男性全国1で、女性も5位の高さ。男女合わせると全国1の早世・早死にという問題。
2、全国平均不妊症カップルの割合が10組に1組なのに、なぜ沖縄では7組に1組と多いのかという問題。
3、低出生体重児・未熟児(1500グラム以上2500グラム以下)が生まれる率が全国1高い沖縄。全国2番目に多い青森県でさえ9パーセント台(10人中0.9人がその未熟児が生まれる)なのに、全国1の沖縄ではなんと11パーセントを超える(10人中1・1人がその未熟児が生まれる)問題。低出生体重児や超低出生体重児は幼少時期からかなりの成人病・生活習慣病のリスクを背負って誕生するそうです。だから問題なのです。
仮説第一回目:
1、の原因その1、1946年から始まったビキニ環礁での核実験。終了する15年後の1962年までに米国などによっておよそ合計70回行われた。よって、約70回もの核実験による放射性物質を含む放射能雨が琉球列島へ15年余連日のように降り注ぎ続けた。
米軍の核実験時の放射能雨の情報を握りつぶした当の米軍の米軍基地は慌てて水道を敷いた一方、その間の琉球列島の住民約80パーセントは琉球気象台の情報を操作された関係でなんの疑いも無く天水を利用していた。特に当時生まれたばかりの頃の年代の者、いわゆる現在70歳の者は 満15歳になるまでづ~とその放射性物質を含む天水を毎日摂取していただろうから全国1の早世・早死にの短命になっている。
1、の原因その2、上記に加えて1960年代のベトナムで使用された枯葉剤に混入していたダイオキシン散布の問題も重なった。つまり、1962年にビキニ環礁での原爆の実験が終わった頃の1960年代初頭から後半にかけて沖縄本島北部の米軍北部訓練場内でダイオキシンを含む枯葉剤が散布実験・訓練として散布し ていた問題。その地域には実は、その1960年代後半から1970年代にかけて敷かれた水道本管のうち沖縄県民の60パーセントが利用する水道水の水がめのダムが五つも出来るのである。
2007年に暴露されるまでまったく知る由もない県民はその水道水を飲み続けるわけだが、特にその現在70歳未満の者は原爆の放射能雨から連続していることから被害が多く、全国1早世・早死にになるのは当然の結果と言える。
1、の原因その3、戦後沖縄の教育行政で現れている通り、特殊教育対象児童の急激な増加時期とビキニ環礁との因果関係性の問題。戦後の沖縄で盲ろう学校という特殊教育が始まった1951の盲対象児童がほんの10人(全体では32人)で、その4年後の1955年にはその盲対象児童がなんと132人にも上り 、更にそれから7~9年後の1962年から64年に流行した風疹(三日はしか)が原因と認定され新たに生まれた374人もの特殊教育対象児童(内339人は難聴児童)らの主原因とされる妊婦母体の出産当時年齢が17歳~27歳という現在70歳未満の早世・早死に年齢という問題。つまり、放射性物質で免疫力も衰え、弱り きった世代が妊娠をし、風疹(三日はしか)に侵され、全国総数でも僅か1,000人しか対象児童のいないその時期の特殊教育対象児童をたったの1県・沖縄だけで374人も一挙に出産することに繋がったのではないのか。当然の結果として、この年代の沖縄での健康診断時で「必ず病院へ行くこと」として持たされる有所見率 は全国1である。
2、の原因その1、上記65歳未満の年代の健康問題を考えると、ちょうど彼等の子ども世代が現在の不妊症で悩む世代となっている。
母体への汚染が仮に放射性物質などであった場合、時系列からいって当たり前と言えば当たり前の結果だろう。1、の原因上記のような原因であれば。
あえてここで特筆するなら、後々の70~80年台には県民の60パーセントが飲料水として利用することとなる5つもの水がめが建設されるその土壌、森林や水辺へ、当時もその場所が米軍の北部訓練場ということで1960年代のベトナム戦争当時から長年に亘りダイオキシンを含む枯葉剤を散布実験・訓練していたこととの因果関係だろう。
3、の原因その1、問題の70歳未満の年代からすれば丁度母体や父親がその息子や娘世代で、低出生体重児・未熟児がその孫に当たる問題。
参考資料:2007年に発覚した五つも県民の水がめであるダムが存在する北部米軍訓練区域内のそのダム周辺に米軍がダイオキシンを含む枯葉剤を長年に亘り散布。(2007年7月9日付沖縄タイムス紙夕刊一面及び同日付琉球新報紙夕刊一面)これはお願いですから皆さん是非図書館へ行って下さい。
さらにもうひとつ沖縄の県民すべての世代にとって見過ごすことができないかなり深刻な事件がある。 1954年の米国政府によるビキニ環礁での水爆実験の際に被爆した沖縄のマグロ漁船のマグロは一匹も棄てられた記録がないこと。また、実験直後から日本への放射能汚染への懸念が全国的に広がったが、沖縄では当初は米軍による調査で、検査値の結果も明らかになっていない実情があること。そして、当時の県内は80パーセントが天水の利用だったが、実験の後、米軍基地は急いで水道を敷いたこと。加えて、実験の後県民の相当な人が(放射能物質を含む可能性があった)天水を飲んだのではないか」との研究報告から、沖縄は当事も米軍占領下だったことから、実験国が支配していた状況で、本土と対応が違い沖縄の米軍基地内と外との対応の差別的違いが明らかになった調査結果。(2010年11月22日付琉球新 報紙22ページから)
※2011年3月3日(木)。沖縄では本村安彦仮説から始まった沖縄タイムス紙スクープ↓
沖縄タイムス紙一面「ビキニ死の灰沖縄に」「死の灰嘉手納で本土の2倍」「54年水爆実験後米が観測」「人体の影響専門家調査へ」。社会面「何も知らず被ばくか」「沖縄に死の灰」「米統治下情報奪われ」「近海の船員早世相次ぐ」
※2011年3月11日。フクシマ原子力発電所から放射能が漏れる。
※2011年4月4日。琉球新報紙、本村家、きょうだい6人皆勤賞 港川小2011年4月4日 きょうだい全員小学校皆勤賞を達成した本村家の(左から)五男望君、三男自然さん、末っ子未姫さん、次男眞理さん、四男公平君=3月29日、浦添市港川http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-175672-storytopic-7.html
【浦添】浦添市の港川小学校を今春卒業した本村未姫さん(12)が皆勤賞で表彰された。未姫さんは6人きょうだいの末っ子で、きょうだい全員が同小を1日も休まず卒業。兄たちは中学校も皆勤賞を取り、未姫さんは「兄ちゃんたちがやってきたことで当たり前だと思ってきた。港川中学校の3年間も頑張りたい」と語り、父安彦さん(57)は「共働きで一人一人にゆっくり付き添うことができない中、自分たちの力で頑張ってくれた」と子どもたちの成長を喜んでいる。
※4月5日(4月8報道)。フクシマの放射能が沖縄で観測される。
※4月24日。沖縄電力も原子力発電を7年前から研究問題が新聞で発覚。
※5月23日。夕方、インターネット掲示板 http://groups.yahoo.co.jp/group/ml_ryukyu_400130/ 上で、今回のフクシマ現地の放射能雨の汚染量より、かつてのビキニ環礁での核実験による放射能雨が琉球列島に降り注いだ当時の琉球気象台の記録、17万カウントのほうがかなり凄い放射能汚染量であることを伝え、公表し警鐘を鳴らす。
※5月24日。浦添警察署生活安全課による人通りの多い時間帯での、沖縄の核貯蔵庫撤去市民運動歴17年間の主人の個人的な市民運動に対するこれ見よがし的な妻と二人だけの零細自営家業の個人自宅への突然の家宅捜索。そしてその後の2ヶ月に亘るも数回だけの取調べなどの長期嫌がらせによって商売上の信用が顧客との間でぐらつき、以来、この約半年収入が20分の1に激減した。
信用が第一の商売。とうぜんながら自営家業の商売が危うくなる。すると売り上げが上がらなくなることで金銭的にお父さんやお母さんを圧迫し、家計や商売がうまくいかなくなり出します。そして、その被害行為が長引くと当然に精神的にも圧迫され続けることになる。そうなると、当然ながら家庭内では多少の混乱が予想されます。
★11月に入ってまもなく、上記のその零細自営家業の我が家へなぜ浦添警察署が別件をでっち上げてまで家宅捜索までして深く入り込んで来たかが分かる情報が飛び込んで来た。
★一つ目はこの↓妻への手紙の内容につづってある:
以下↓は24日自然(しぜん・三男)に持たせた手書きの手紙と同じ内容だけど、ワープロだと読みやすいだろうから、こんどこそ返事をくれないか?
それと、これを未姫(みき・長女)にも見せるといい。きっとおやじの手書きの手紙は読めなかっただろうから。おやじ
弘美へ
平成23年11月24日おやじ
金は大丈夫か?
弘美、これは○○○さん→△△→おやじが聞いた話だけど。
10月に△△からtelがあって、用件を聞くと○○の○○○さんから「水の出が悪い。前と同じ症状だから」−との事だった。
実際にみてみたら、まったく以前と同じだった。
作業中と作業が終わって今度の浦添警察署の汚さを話したら聞いてくれた。(「ん?奥さんは?」という話もあって)
どうも当山小学校横の××××と数年前にもめた事も絡んで複合的に入り組んでいるみたいーとの話だった。
すると、○○さんは「浦添警察署の生活安全課なら以前から知り合いが居るから早速その裏側を調べてみる」−との事だった。
(○○さんは、知っていた。××が元警察官で、その当山小学校横の××××××所はゴロツキ刑事がゴロゴロしているのを)
その翌々日に電話をかけたら○○に出掛けていて携帯電話が繋がらなくて話を聞けないままいたら、丁度○○の○○○○が同乗してくれていたからその足で△△の事務所まで行った。
△△とは2,3日前から(11月21日月曜日から)△△が保身に転じていてあまり信用できなくなってしまっているが、その日の頃はまだ割りと親身になって我が家の事を心配していた。
△△が言うには「○○さんの話によると、そのゴロツキ刑事らがよってたかって『本村を潰せ』ーと号令を掛けているらしい。気を付けたほうがいい。その食堂「ふく家」の店主をしている妹の夫の兄のゴロツキと一緒になって(いつのまにか)浦添警察署生活安全課とつるんで『本村つぶし』をしている。権力相手だからこれ以上向きになるのは止めたほうがいい。これ以上その食堂などを相手に告訴とか何とかを続けるなら『本村をもっとやってやる』−と言っている」−との話しだった。
おやじ
弘美へ。返事が無いから仮説を続ける。おやじ
○○ちゃんの戸籍が気になるから教えて?
一、何で○○ちゃんは(○○年前生まれたばかりの当時)一人だけ家族と切り離 されて○○の○○○の故・島袋照子のお姉さんの嫁ぎ先の「○○」家へ養子 みたいにそこで育っていたの?
二、何でおやじと弘美で連れに行くことになったんだろう?
三、その○○の○○○のおばさんには子どもが授からなかったの?
四、○○ちゃんは戸籍上どうなっているの?
A、出生届は?
B、母親は?(その時の届け出の)
C、まさか「○○」になっていないよね?
五、その事は、宜野湾のおばあちゃんも(本村キヨ)、無くなったおじいちゃん も(本村寛)、同じく亡くなっている次男の徳光(のりみつ)も、○○らも皆知っているの?(誰が何の目的で知らせたの?の意味)
六、当時、何の目的で知らせたの?(誰が何の目的で知らせたの?の意味)
そして、今回の未姫へも何の目的で知らせたの?(誰が何の目的で知らせたの?の意味)
そんなことしたら、知らない血縁と知っている血縁とでは埋まりがたい溝が出来るんじゃない?(しかもおやじだけが知らないことになっていたということになるから、悪質だ。これも誰が何の目的で隠していたのか?)
おやじ
弘美へ
返事が無いからそのまま仮説をつづける。
その前にこれは答えて。おやじ
やつらは罪を逃れるため、お前が8月4日当時出て行ったのも、8月12日に未姫が拉致されたのもみんな「夫婦喧嘩」のせいにしようとやっきになっている。(刑事事件から夫婦のいさかいにすりかえれば自分たちは逃げおうせると考えているから)
おやじが知りたいのは、そのやつらの狙いを知ってて加担までしているのかーという点。だからこうやって仮説をたててる。
なぜなら、だとすれば「脅迫」されているのだから、何をもってして「脅迫」しているのかを探っている。
これはよくある話だけど、「世間一般ではよくあることで実は何でもない事なのに、それを過剰に『知られたら大変な事』みたいに洗脳させられてしまって大げさになってしまっていてそれを盾に脅迫されていた」ーなんて話はよくある話。
もしそんなことがあるとすれば、早くオープンにしておけば決してやつ等はお前をこれ以上はそれをネタに二度と脅せなくなる。
2011年11月26日 おやじ
★二つ目は、実はこの時点で妻は浦添警察署へは二年も前にその犯人らにそそのかされて行っていて、妻は後悔していたようである。
これも↓妻への手紙となっている:
お母さんへ。以下の内容と自分の取らされた行動を分析してみてくれないか。
もしかしたら、お前はその外圧を受け、それが原因で当時の夫婦のいさかいになっていた可能性があるから。おやじ
外圧と夫婦のいさかい(夫婦喧嘩)
一、
★以下のような状況が、妻が当時からすでに犯人の彼らにそそのかされ、単なる夫婦のいさかいを大げさにする目的で、
犯人の彼らが妻を家出させた8月4日以来、約三ヵ月間も夫の私に会わなかったその間の先々月、平成23年10月26日に書かされ、しかも今現在起こっている事件にもかかわらず四年以上も前の
「平成19年3月頃自宅の駐車場で夫婦のいさかいがあった」と配偶者暴力に関する保護命令申立て書に今回書かされている当時の本村家の妻が一主婦としては訳の分からない外圧を受けるであろう要素。
①出版本 「琉球自治州の構想」を共著で出したのが2007/01/09日となっている。
②また、「五年も前に!県議会や県、浦添市、那覇市は”実感”したが・・・」と題してネット上で2007/02/15日に「これは’01年(平成13年)7月5日の第3回沖縄県議会(定例会)で採択された、当時の小生の陳情案件の内容の一部です。以後の参考になれば幸いです。詳細な内容一式につきましてはこのブログでこれから公表しますが、もし早急に必要であれば小生に云うか、県議会で取り寄せてください。」「陳情第110号 「沖縄県ポスト3次振計等に関する陳情」 (沖縄振興特別部会)」の「陳情書 沖縄県議会議長殿」「振興新法・計画は"本土との所得格差是正”明記を」ーという公文書となっている当時からすれば五年前の公な出来事を初めて伝えている。
③「それは児童手当を出す意味からすると違法ではないか?!」と2007/02/17日には浦添市役所の国民健康行政に対する「児童手当差し押さえ」に対する抗議をネット上でしている。
二、
★以下のような状況が、妻が当時からすでに犯人の彼らにそそのかされ、単なる夫婦喧嘩を大げさにする目的で、
犯人の彼らが妻を家出させた8月4日以来、約三ヵ月間も夫の私に会わなかったその間の先々月、平成23年10月26日に書かされ、しかも今現在起こっている事件にもかかわらず二年半以上も前の
「平成21年2月か3月頃自宅の廊下などで夫婦のいさかいがあった」と配偶者暴力に関する保護命令申立て書に今回書かされている当時の本村家の妻が一主婦としては訳の分からない外圧を受けるであろう要素。
★(その情報によるとこの時は、浦添警察署へ相談とある。相談内容は一時保護と保護命令の制度について情報提供を受けるとある)
③この頃までは単に「リフォーム設計」という自営家業の名前だったのを「金城本村リフォーム設計」と2008/12/16日にネット上で「『金城』本村リフォーム設計」と妻の旧姓を冠として使用することを強調する戦略に出た。
②「日本国総理大臣麻生太郎君へ浦添市港川2-10-8本村安彦から」と題して2009/02/01日にネット上で総理大臣の沖縄に対する政策が理不尽なのを指摘している。
例えば、 県内のとある政党は十四日、国土交通省政務官に対し、時間がかかるピアーチェックのことで沖縄一県だけが被害を被る今回の理不尽な法の手続きの迅速化を要請した。それに対し国交省はいかなる小規模住宅であれ沖縄県独自で解決するようたらい回ししたなどとの事を無視している政府を批判した。
③「ご意見を下さい。沖縄県浦添市国民健康保険課統括の宮平君」と題して2009/02/19 日にネット上で浦添市の国保行政の市民いじめについて公表している。
三、
★以下のような状況が、妻が当時からすでに犯人の彼らにそそのかされ、単なる夫婦喧嘩を大げさにする目的で、
犯人の彼らが妻を家出させた8月4日以来、約三ヵ月間も夫の私に会わなかったその間の先々月、平成23年10月26日に書かされ、しかも今現在起こっている事件にもかかわらず二年半以上も前の
「平成21年4月頃自宅の台所と洗濯室の間で夫婦のいさかいがあった」と配偶者暴力に関する保護命令申立て書に今回書かされている当時の本村家の妻が一主婦としては訳の分からない外圧を受けるであろう要素。
①「薩摩の琉球支配400年を問う シンポジューム・大激論会」と題して3・29(日) 午後1時~6時
教育福祉会館大ホール(3F)
(那覇市モノレール古島駅徒歩2分)
沖縄よ! どこへ行く?
今年は薩摩が1609年に琉球王国を侵略・支配してから400年、明治政府が
琉球処分(廃藩置県)してから130年の節目の年になります。現在、沖縄を取り巻
く問題は山積していますが、政府が進める道州制をはじめ、自治州、現状維持、
独立、東アジア共同体本部を設置した独立国、非武装中立国などいろいろな自立
の動きがあります。
ーというよう運動の中に私も加わって居た。
②「琉球処分130年を問うシンポジウム・大激論会」の第二回目の激論会を5月24日(日) 午後1時~5時 那覇市民会館中ホールで基 調 講 演に 金城正篤氏(琉球大学名誉教授)「琉球処分を考える」
パネリスト 福地曠昭氏(沖縄人権協会理事長)「大衆運動と琉球処分」
宮城弘岩氏(沖縄大学講師)「400年の経済支配を問う」
平良勝保氏(琉球歴史研究家)「周縁史から見た島津支配400年」
後田多敦氏 (『うるまネシア』編集員)「〈琉球併合〉を救国運動から考え る」
主 催 「薩摩の琉球支配から400年・日本国の琉球処分130年を問う会」
(会長・金城実、彫刻家)
ー当時その呼びかけ人の中に私は加わって居た。
四、
★以下のような状況が、妻が当時からすでに犯人のかれらにそそのかされ、多単なる夫婦喧嘩程度を大げさにする目的で、
犯人の彼らが妻を家出させた8月4日以来、約三ヵ月間も夫の私に会わなかったその間の先々月、平成23年10月26日に書かされ、しかも今現在起こっている事件にもかかわらず二年以上も前の
「平成21年10月頃子供の目の前で台所と選択室の間で夫婦のいさかいがあった」と配偶者暴力に関する保護命令申立て書に今回書かされている当時の本村家の妻が一主婦としては訳の分からない外圧を受ける要素。
①「最大級(昨日9月5日付、沖縄タイムス紙と琉球新 報紙から)」と新聞に載った沖縄のホワイトビーチ寄港原子力潜水艦では最大級の核搭載型の原子力潜水艦報道の話題をネット上でわざわざ取り上げたのが2009/09/06日。
②そして「もしや、「沖縄”核”密約」では新報に15年遅れだから ?」と題してまったく核密約を無視し続けている沖縄タイムス社を批判する記事をネット上で書き込んだのが2009/09/15日。
③「第3回 シンポジウム・大激論会『国連の先住民勧告をどう考えるか』を来る11月1日(日)那覇市、教育福祉会館で行う」とのチラシ:
テーマ 「国連の先住民勧告をどう考えるか」
開催日 11月1日(日曜日)午後1時から
場 所 教育福祉会館 *モノレール古島駅下車。
参加費 1,000円(資料代を含む)
主 催 薩摩の琉球支配から400年・日本国の琉球処分130年を問う会
http://www.ntt-i.net/ryukyu/index.html
第1部 シンポジウム
基調講演 喜久里康子(沖縄市民情報センター)
「国連の先住民勧告と琉球・沖縄民族」
パネリスト
?安里 進(沖縄県立芸術大学教授)「沖縄人はどこから来たのか」
?貝澤 和明(北海道アイヌ協会) 「アイヌ民族と国連勧告」
?村上 呂里(琉球大学教授) 「アジアから照射する沖縄の言語教育」
?渡名喜守太(沖縄国際大学講師)「国連先住民族の権利に関する専門家機
構の報告」
*コーディネーター 仲里 効(映像批評家)
第2部 大激論会
ーとの内容をネット上で琉球独立党の屋良朝助氏と並んだ写真を掲載したの2009/10/22 日。当時その中に私は呼びかけ人の一人として加わっていた。
★(その情報によるとその後、約一ヶ月ほど経った11日20頃、配偶者暴力相談支援センターへ保護命令について情報提供を受けるとある)
その年の11月といえばこんな出来事があった:
①「自宅保管にしたのは琉球人を侮辱する内容だからだろう。」と佐藤首相を批判している書き込みが2009/12/22日。
②「佐藤栄作の遺品から沖縄「核」密約日本側文書見つかる」と書き込んだのが2009/12/22日。
③「腑に落ちない。何故??吉野文六は「”核”密約」は黙る?」と書き込んだのが2009/12/03日。
④「いずれも自民党政権が国会答弁などで一貫して否定。」-として来たこれまでの核密約に対するコペルニクス的一大転換を迎えた様子を書き込んだのが2009/11/27日。
⑤「一方、失効している「1960年安保改定時核密約」は確認」と書き込んだのが2009/11/27日。
⑥「第 3 回 シンポジウム・大激論会 お知らせチラシ」を掲載したのが2009/10/22日。
⑦「表だって「児童・生徒指導支援」の「カルテ」というが」と教育指導カルテの存在を批判していたのが2009/10/19日。
⑧「6日に開かれた県立高有識者会議。」と県教育庁のこの問題を巡るきな臭さに反論を繰り返していたのが2009/10/18日。
更に、今回の事件では:
★平成23年8月12日と30日にも妻は再度犯人の彼らにそそのかされて配偶者暴力相談支援センターへ行かせられている。
平成23年8月11日。父親の13歳のアスリートの実娘に対する通常の厳しいトレーニングや、人間的な教育的指導監督がその日もあったことをその犯人らは知り、拉致に利用しようともくろみ、自らの刑事犯罪を何とかもみ消し、その刑事事件から夫婦のいさかいや13歳の娘に対するDVによって家出をしているとのシナリオ工作を行い、自らが犯した刑事事件の矮小化を狙う目的と同時に、ありもしない大げさな夫婦喧嘩としてでっち上げる目的で、
犯人の彼らが妻を家出させた8月4日以来、約三ヵ月間も夫の私に会わせなかったその間のあいだの先々月、平成23年10月26日に書かされ、しかも今現在起こっている事件にもかかわらず
二十五年以上前の夫婦のいさかいや、二年以上も昔の夫婦の喧嘩を大げさに表現させ、今現在起こっているかのごとく偽装までしたと思しき内容で持ち出し、
「ほれっ、今起こっている」ーなどと揚げ足を取ろうとのあせりからか、あろうことか「父親は13歳の実娘に対し性的虐待やDVまであった」ーなどと真っ赤な”うそ”をでっち上げ、更に大げさにする目的で、この時もわざわざ★配偶者暴力相談支援センターへアリバイ作りとしてその13歳の娘まで違法に連れて行かされ、その8月12日の日に自らが指示し、拉致させられていたその13歳の子への接近禁止命令を求める事情を話しているともある。また親族等への接近命令を求める事情もすでに相談しているともある。
以上、列記してみたが、やはり関連がありそうだ。
★特に、平成21年10月の夫婦のいさかいをわざわざ11月になって相談に行かされたあたりは、丁度、お父さんのライフワークが十五年ぶりに認められ、沖縄の高校教科書にまでなった「核密約文書総理私邸で見つかる」の報道があったほどの一大事件があった時だ。
☆それからすると、なんらかの外圧がお母さんへかかっていて、その事をまったく知らないお母さんはイライラするというようなことを繰り返しているのではないだろうか。そして、それらが私へ「何らかの隠し事があるのではないか?」などと、問い詰められたことがきっかけで夫婦のいさかいになった一例かもしれない。
2011年12月5日 おやじ・本村安彦
※六日後の2011年5月30日深夜。長崎放送放映の沖縄の核兵器報道に妻と二人だけの零細自営家業の主人・私本村が出演。以後、8月3日までの約二ヵ月半浦添警察署生活安全課による取調べが続く。
ところで、手前味噌ですが私、本村安彦はこの二十年間。妻と二人で六人の子どもたちへ教育上良くないと思えるような人物とはいかに親戚といえども悪影響を受けないように以下の①~⑤の少年法でいう五点に特に注意を払った教育方針を執ってきました。
①親の正当な指導監督に従うこと
②正当な理由も無く家を空けないこと
③いかがわしい場所に出入りしないこと
④いかがわしい場所に出入りする不道徳な者と付き合わないこと
⑤自他の徳性を害しないこと
※今日現在も未だに中学生二人を含む未成熟子五人を浄水器販売なども行うリフォーム設計の自営家業で支え、抱えている。
★浦添警察署の裏金目当ての情報屋と警察関係者である犯人の彼らは、私、本村家の自営家業の浄水器販売とはまったく違ったメーカーの浄水器会社のネットワークビジネス参加なり、その会社の浄水器を個人的にも使用している。
別のメーカーの浄水器を販売している私、本村家自営家業のライバルの浄水器メーカーであるアムエやエナジックなどといった浄水器メーカーとの金絡みのある宜野湾市真栄原の売春街の新町で売春婦相手のゲーム喫茶を十年余り開業している。
★その店とは、妻の妹とその夫の兄で実質経営者との噂の有る警察関係者のその者の影響でその店が表通り側はシャッターが下りて閉店と表示されている同時間帯にも裏口の出入り口を利用して朝まで開業している。しかも、にもかかわらず摘発された話を聞いたことが無い店である。
ですから、その関係者とはいかに親戚といえども六人の子どもたちへは私の教育方針の
③いかがわしい場所に出入りしないこと
④いかがわしい場所に出入りする不道徳な者と付き合わないこと
★ーその本村家の教育方針に従い出来る限り一切の付き合いを相手が妻の実母といえども、或いは妻の実の妹やその夫などといった親戚関係にあたろうが、なんであろうが父親の私が知る限りではこの13歳の娘の拉致監禁事件が起こった8月12日まで絶たせてきました。
★ですから、娘は現在その妻の実母の住んでいた県営団地の一室にいることになってはいても、実際はその場所も、その実母も、その周辺に住む妻の妹一家ともこの拉致事件までは一切逢ったことも無ければ見たことも無いはずである。
☆おそらく、この二十年近く。かねてから、色々と個人でボランティア活動を行いながら飛び込み営業を適法に行う一種変則的な本村家の自営家業に対する偏見から、違法でもないにも関わらず単なるその「変則的な」というだけの理由で本村家の自営家業でしかも企業として当たり前の「特性」の生業を「潰す」狙いのある浦添警察署の裏金目当ての情報屋と警察関係者であるその娘拉致の犯人の彼らは、自らの懐を太らせる個人的な狙いもあったのでしょう。
★その証拠に去った4月4日の琉球新報紙に「本村家兄だい皆皆勤賞」などと私の一家を大きく取り上げていたことに対して、なんのわだかまりも無いのであれば本来なら本村の知人なり、親戚として大いに祝うかと思いきや実際にはそのまったく逆で、特にその妹の夫や情報屋の石川やもうひとりの妻の妹の金城香の男らは私の妻がこの二十年家出ばかりを繰り返している割にはその二十年間もの間、夫婦仲良く過ごさないとあり得ないような快挙を達成したことから、普段から自分らへは悪く話す姉である妻の本村家での夫の私との話しなどとは違う側面があることの証拠が出たことへの不信感から、妻とすれば世間一般的な単なる社交辞令程度の話しであったにもかかわらず極まともで、「正常な夫婦関係」の「本村家」であるにも関わらず邪推もし、このままだと本村の仕事を潰すどころか逆にその新聞などの影響で元気が出てくるのではないかなどと懸念をしていたのでしょう。
そこで彼ら犯人らは、浄水器という自らのライバルである
★(その宜野湾市真栄原の店舗の裏口のドアには浄水器メーカーのアムエの表示があるのを8月に見つけている)
☆私達本村一家がその妻と二人だけで行う家業の浄水器販売の仕事を潰す目的に協力させるなどの踏み絵目的で、運転免許のない私に仕事をこれ以上させないようにこれまでもそのようなことをしていた経緯に沿うことになる。
★ちなみに、警察裏金を狙う情報屋の石川はエナジックから金が回る仕組みになっている。そして、これも情報屋と思しきその食堂「ふく家」で働くもうひとりの妻の妹の金城香の男がその食堂「ふく家」での手伝い。またはその真栄原のゲーム喫茶なり、何処なりのキッチンで手伝いをしながら何処の浄水器メーカーと取引をしているかは知らないが、きっと志良堂ちあき夫婦と同じアムエか石川と同じエナジックなのかもしれない。
※2011年7月30日。来る8月13日の全国ネットテレビ放送ニュース番組に私が出演するこが決まる。すると、警察裏金狙いの情報屋がうごめいたのではないか。
7月30日。
☆おそらく、この日の時点では来る8月13日当たりには全国ネットのテレビで放送されるニュース番組に私が出演することは妻も承知していたから、当然妻の妹らを介してそのことをその犯人の男どもは承知していたのだろう。
だからこの日、新町で売春婦相手のゲーム喫茶を十年開業している妻の妹の夫が三年ほど前からその新町でのいかがわしいゲーム喫茶の表向きのダミー支店として出している★浦添市伊祖四丁目の食堂「ふく家」付近を私自身のライフワークの「沖縄から核施設を撤去させよう!!」のボランティア運動と併せ、放射能まで取れる逆浸透膜浄水器の販売営業を徒歩で一軒ずつ歩いている私の情報を、彼らがまさか「警察の裏金目当ての情報屋」などとは考えも付かない私の妻から聞き出し、そしてその私の妻へ「本村をここから歩かせないで」のような趣旨をしきりに電話したのではないか。
★そのダミー支店として出している浦添市伊祖四丁目の食堂「ふく家」だが、それがダミーである証拠としては、その店へ父親である私へ隠れて妻が当時小学校の頃から連れて行っていたことが先月10月になって中学生の息子の証言で明らかになっていることもある。
おそらく、私の一家の教育方針である:
③いかがわしい場所に出入りしないこと
④いかがわしい場所に出入りする不道徳な者と付き合わないこと
ーとの、本村一家の教育方針に従わざるを得ない本村の妻に対して、その「ふく家」を普通のありふれた「食堂」店として営業することで妻がその店を経営する妹夫婦らへ寄り付きにくい原因だった”いかがわしい店"を経営する妹夫婦らという難点を曲がりなりにもクリア出来たと彼らは思っていたのだろう。しかし、私に言わせれば、三年もの間妻の夫の私へは知らすことが無かったという点が逆にダミーである証拠と言える。
また、この時点ではその食堂「ふく家」という食堂の名さえも、場所すら知らなかった私に知らせることなく三年余りも隠してきたというやましい思いなどもあり、注視するようにとの意味も込めて妻へ知らせた意味も含んでいたのではないか。
★また、その食堂「ふく家」では何らかの浄水器メーカーのサーバーが置かれているのを8月19日に妻をそこで最初に見つけ、妻が家へ戻る条件の誓約書を書いた時に確認していることもある。
※翌日、8月1日。☆食堂「ふく家」の実質経営者でもある兄の警察関係者から浦添警察署へ「本村潰し」の商売上のデマを混ぜてのやらせ的問い合わせ。
その食堂「ふく家」で働く妹らから相談を受けた経営者の実質経営者でもある兄の警察関係者から浦添警察署へ放射能の影響などの現にフクシマや関東で評判になっている放射能除去能力のある逆浸透膜浄水器の沖縄での宣伝営業活動に対するデマ通報を行ったんでしょう。
と言うのも、家宅捜索直後の5月30日に出演した長崎放送に続き来る8月13日には、今度はTBS「報道特集」全国ネット番組出演予定となっていたことから、多少のあせりもあったのかもしれない。
問い合わせや通報を受けた浦添警察署とすれば、「いかに『沖縄電力の原発研究』を報じる新聞のコピーを持ち歩こうがどうしようがすでに20万部も発行している記事であり、違法でも何でもないが、本村がボランティアを兼ねて営業活動として動けば何かと浦添警察署生活安全課へ幅広い問い合わせが増えめんどくさい」ーと、常々潰したいと思っていたのだとすればの話だが、本村の会社が生き延びることに間違いなくなるテレビ出演予定には困っていたのだろう。
おそらく、この時点。5月24日の本村家の家宅捜索後の5月30日に私が出演した長崎放送に引き続き、来る8月13日には今度はTBS「報道特集」という全国ネットでの番組に私が出演することを妻の妹らを通じて知っていて、「本村が歩けば別に違法ではないが、何かと浦添警察署生活安全課への経・財・政界の大物らから一般庶民といった幅広い問い合わせが多くなりめんどくさくなることは間違いない」ーとのことから何とか潰したいと常々思っていたであろうそんな矢先の本村の会社が、今度は逆に生き延びることになるテレビ出演などの状況が立て続けに起こりつつあることで困っていたのではないか。
☆そして、そのデマを聞いた浦添警察署は、”デマ”は分かりつつもその日のうちに呼び出しの電話をし、その食堂「ふく家」の実質経営者で警察関係者の意向に沿い嫌がらせをする。
浦添警察署とすれば、その通報で需要と供給が一致し、去る5月24日のデマによる家宅捜索に絡めて、デマとして終えたはずのその件の残務があるからなどと、その日のうちに呼び出しの電話をし、その食堂「ふく家」の警察関係者の意向に沿う格好で本村家へ嫌がらせをすることになったのではないか。
★その時の電話で、取調べの日時を二日後の8月3日の午前十時から二時間ぐらいとした取調べの約束をする。
※2011/8/3 ↓
※8月3日午前8時24分、お母さんの携帯へ食堂「ふく 家」の経営者の妻で、妻の妹の志良堂ちあきから電話 が入る。(??)
午前10時丁度、お母さんがお父さんを浦添
警察署へ送り届ける。
これで※5月24日から始まっ
た一連の浦添察署生活安全
課による金城本村リフォー
ム設計の本村安彦に対する
取調べが終わり、嫌疑が晴
れ、事件が終息した。
※8月3日。浦添警察署生活安全課は最後の仕上げとばかりに、妻と二人だけの零細自営家業の個人へ間をおいた取調べ攻撃を2ヶ月ものらりくらり続けたあげく、「貴方の放射能除去浄水器販売自営家業・生業と核兵器撤去ボランティアは早くやめなさい」とのある種の脅迫メッセージを届けることに成功する。
午後1時ごろ、 お母さんが浦添警察署近くにいるお父さ
んを迎える。
午後1時49分、お母さんの携帯に090-2069-9934から着信がる。(??)
午後3時33分、お母さんの携帯へ妹の志良堂ちあきから電話がる。(??)
午後4時31分、お母さんの携帯に県内の大
手金融会社のオークスの債権
取り立てセンターから電話が入
る、、、。(??)
・
・
・
※この日、一連の家宅捜索事件が終息して、その他の懸案も解決を見たことで金城本村リフォーム設計としてはあとは新たな戦略の模索に入りつつあったが、その一方では、滞ってしまっている様々な学費や最低限度の衣食住の費用といった金銭的な問題などが一挙に脳裏をよぎった。
午前10:00分~午後1:00分頃まで浦添警察署の市民生活安全課か ら呼び出されて、なんと一ヶ月以上も前の先月7月の初旬までには5月24日以来5回に 亘って取調べをしてまでその事件は間違いだったということで終えているはずの、十 分に何の疑いもないことが分かっているはずの事件の件での突然の再調書だった。
と言うのも、そのことを問う私に対する担当刑事のしどろもど ろの説明などからは一体何のための呼び出しだったか今もって 分からない呼び出しだった印象を強くもっている。(よっぽど、 これはもしかして、、、警察関係にいる者の仕業では??など、 或いは警察そのものではなくて、誰かの嫌がらせではないか? などと思うようになっていった。
しかし、その一方、昨今の浦添警察署が家宅捜索までして、それ まで誰も侵したことがない本村家やお父さん、お母さんの家へ まで深く入り込んで繰り返す嫌がらせが続いていたことをきっ かけに、長女・未姫にまで上の男の兄弟並みな厳しい指導方針 を貫き通すアスリート一家としては当たり前的な考え方をめぐ り、昨日まではそんなアスリート一家の妻として、母として普 通についてきていたお母さんは、お父さんがこの日の取調べに疲れて帰って来た後からは、急に警察という虎の威をお母さんはどこから借りたのか急激に「女子にまでそんなに厳しくする必要などないのではないか」、、、などと大柄な態度にまで出てくるようになっていいった。いったい何時何処でなにがあった??
どうも、今思えば、お父さんが取調室に居る間のこの日のその 時間。午前10時から午後1時くらいまでの約三時間、一体何 がお母さんを大柄な態度へ変えていったのか??なんで急にそ のお父さんの考え方への対立が始まったのだろうか???
これはあくまでも推測だが、その3時間のあいだ、実は2年前にお母さ んの方からから浦添警察署まで来て夫婦喧嘩のことで相談に来ていた時の相 談保管記録を脅しに利用したんじゃないか。そしてこんなことを行ったんではな いか。
お母さんも事情聴取として、また以前のように、警察署の駐車場または生活安全課 かどこか浦添警察署内の生活安全課の伊礼課長辺りが直接担当者となって別の場所 で、その家宅捜索まで過剰にやってしまったような事件のお父さんの調書の裏を取 られていたのではないだろうか。
だから、そのお父さんだけの浦添警察署での取調べのある朝にそのことを伝えるために実の妹の志良堂ちあきから電話があったんじゃないか。
警察関係者を兄に持つちあきの夫が、その兄からその旨をお母さんへ伝えるようにとちあきの夫から指示が出たんじゃないか。
つまり、食堂「ふく家」の経営者の妻でお母さんの実の妹の志良堂ちあきから「本村の取調べ中、その話を別の場所でお母さんへ聞かせて、裏を取りたいから本村を降ろしたら、食堂「ふく家」なり、その警察署の何処何処へ行って取調べを受けて」などと、何らかの方法でお父さんが取調室で話している内容の裏を取らされるから、-との電話があったんじゃないか。
そして、その取調べが終わった頃にまた、「本村に気付かれなかった?」と確認の電話を入れて、このお父さんには「一切話さないで」などとの何らかの密約をさせられたことで何らかの縛りをその実の妹を介して食堂「ふく家」の夫の兄の警察関係者から圧力をかけられたんじゃないか?だからお母さんはそれ以来黙りこくようになっていったのではないか?そして2年前の浦添警察署に行かされた夫婦喧嘩のことの相談相談保管記録のことを一切知らないお父さんをいいことに、「もし、今日の事を話したらお父さんへ知らすぞ!!」-と脅しにも利用しているんじゃないか。
※2011/8/4昼前→ 以下、家庭裁判所へ出した仮処分申請書から抜粋:
8月4日。その日の昼前に家に戻る途中の 車内。夫婦でもめた。
原因は、妻の仕事中の携帯電話の多さだった。
電話の会話の調子からその相手の中には知っている者もいれば知ら ない者も含まれることがある程度分かることが災いし、全く誰かが 分からない時には「誰?(二人で情報交換しなければならないこと がこんなにあるのに妻への着信が邪魔でコミュニケーションがとれ ないの意)」「忙しいから切っとけ!俺がいる時は後でと言えば」 「今旦那がいるから後でねと言うんだ」などと連発する時もある。
結局何でもない証明で終わった5月24日の家宅捜索。何でもない 事が分かる先月7月末までの約二ヶ月の間に4~5回の事情聴取で 狭い街では信用ががた落ちで売り上げが普段の十分の一に激減し た。
(家宅捜索時の押収品目録交付書の写し2枚を添付したので参照のこ と)
、、、これはほんの一例だが、このところ様々な出来事が我が家 を覆い続ける。
そんな中、車の運転以外は夫の私が自営業のリフォーム関係の 仕事をこなす。
しかし売り上げがきつくなって約4ヶ月。心配事が山ほどあるにもか かわらず妻の運転中での、こんな調子でのほほんと、ぺちゃくちゃぺ ちゃくちゃやっている姿を見て後部座席から携電話を取り上げた。
その時に互いに胸ぐらを掴むなどの揉み合いになって先に夫のボタン 一つ妻が引きちぎっただけでその後も口喧嘩以外は何もなかった。
そのまま昼御飯を待っている子どもたちも家にいることもあ り、妻は家の駐車場で再度けんかを挑発するも、丁度子どもの姿が見 え出した場所に差し掛かったこともあり到着後、出来るだけ子どもた ちに気付かれないように振る舞い、そのまま時差を付けながら家に 入った。
(8月4日といえば、丁度昼過ぎから台風の強風域に入りつつあった日)
二人が家に入ってしばらく経ってそろそろ台風時の買い物を済ませ ようと、丁度車の運転ができる次男がたまたま来ていたこともあり、 さっきの揉め事でスッキリしていないことも手伝い、結局その次男と 買出しに出掛けた。
娘の話によると(ひとり家に残った)娘の父親と兄が買い物に出掛 けると同時に図ったように家にはない携帯電話を探し回るも夫がその まま持って行った事に腹を立てる。
そして、午後2時頃までにはその台風の最中、独りで家を出た。
(娘の家ではリフォーム業を自営し、長年生業として来た。その手伝い を運転免許のない夫の運転手としての重要な手伝いもしている母親が 娘だけではなく他の4人の兄もいる家を捨てどこへともなく姿を消し た)
その時家にはその中1の娘だけだった。
しばらく経って買い物から戻った娘の父親である私と娘の兄は娘の母 親がいないことに気付き、一人で残されたその娘へ尋ねると「知らん」 とパソコンに向かったままそっけない返事。
その日の夜になって台風は益々本格的に吹き荒れだしたことから心配 になってその母親がいなくなった時の詳しい情報を得ようと娘再度尋ね た。
すると娘は「とにかく何処に行ったか分からない。3~4回玄関のドア をバタンバタンさせていたからきっとタバコを切らしていてイライラ して外にタバコを買いに行ったかと思ったらそのまま帰ってこない」 と。
またこうも推理する「これは自分の想像だけど、どっか近所の家に行 き、、、、」とも。
娘の父親や兄たちも、又か、、、と。娘の父親は「50(歳)も超え てもまだ同じ事を繰り返して家を捨てる母親を探し回るのも恥ずかしい からと放っておいた。
5、6日経って娘の父親が心当たりに声を掛け出した。
、、、、、以下省略。つづきは、別紙「仮処分申請書」を参照の こと。
同日※2011/8/4 ↓
上記にもあるように、午後2時ごろ、お母さんはたった一人で家を出 ることになる。
その経緯の真相は実はこうではないか:
その前に、妻のそのような素行の根底にある以下のようなことを先ず、明らかにした上で事の真相を推理してみたい:
推理:
8月4日、↓
この日の午前中の上記のようなお父さんとのぶつかりなどの出来事の 主原因である前日や当日に電話で請求のあった夫には話せないような オークスなどの金銭的な問題を誰かに相談しようとするも、携帯電話 もなく、近場の電話を借りた家から第三者へ相談を持ちかけたとこ ろ、その夫のお父さんの知らない金銭的な問題をお母さんと関係持つ ような本村家に対して一種のやましさを持つその第三者で相談相手 は、金銭的な自らの問題にも絡むような緊急な問題を解決せんがため の目的で、そんな腹づもりなどに気付かず連絡してきたお母さんへ
「お父さんと喧嘩をした?夫に殴られるかも知れないから家をいった ん出てみれば」などと、ありもしない暴力といううそでそそのかし、 一日でも家を空けると大混乱に陥ることとなる本村家の妻で主婦兼自 営家業の共同経営者でもあるお母さんに対して、実はその秘密を夫の お父さんに知られるのが怖くなって、自らが逃れるために本村家の重 要な役割のあるお母さんの立場など一切かまわず無責任なアドバイス をしたのではないか。
そしてその第三者の思惑ありな指示でお母さんがたった一人で台 風が迫る最中家出を果たしたのではないか??しかもパトカーで?? 或いは食堂ふく家経営者の車で。
そして、それまでの一連の時系列からはもしかしたら、その第三者で 相談の相手というのは実は、お母さんやお父さんを陥れている張本人 で、その様な状況が早く来ないかと待ち構えていたその相談相手と関 係のある浦添警察署の生活安全課の誰かか、或いは同じ浦添警察署は 浦添警察署でも、本村家を貶めようと画策している生活安全課と関係 を持つ第三者で、その生活安全課以外の部署の夫の暴力が原因と勘違 いした単なる110番または婦人警察官だったのではないか??
つまり、お母さんの混乱の原因は、浦添警察署の生活安全課と何らか の関係を持つ第三者が持ち続けている本村家を貶める狙いの思惑など が主因で、その事にまったく気付く様子のないお母さんは間違って、 本村家を貶めようと待ち構えている張本人でもある第三者と関係のあ る浦添警察署へ相談の申し出をしてしまったたのではないか。あべこ べに。
そして、この日または後日、浦添警察署生活安全課の思惑などに未だ にまったく気づいていないお母さんから本村家のお父さんや子どもた ちを貶める情報を浦添警察署生活安全課とその第三者は易々と入手で きたことだろう。
要するに、表向きは、暴力も振るわない単なる夫婦げんかについてで はあるが、今後はできるだけ回避するためには一旦は家を出たほうが いいかどうかというようなごく世間一般的にもありふれたような何気 ない夫婦喧嘩について相談を持ちかけたお母さん、というシナリオを 用意していたのではないか。
そして、その裏を知らない他の警察官らへ夫の暴力が原因と勘違いさ せ、そのお母さんの家出当初の、第三者絡みの生活安全課とはまった く別の課である、その裏とはまったく無関係な地域課の婦人警官の誰 かがその相談者で第三者に摩り替わったのではないか。
しかし、その後その純粋な警察官、または婦人警官がいろいろと調べて いくうちに夫の暴力はないことに後で気付き、一連のDVや虐待などと のデマを元に大騒ぎしたのはいったいなんだったんだろうなどと、ばつ が悪くなったことから最後には本村家を潰す思惑のある生活安全課が扱 い、生活安全課や相談者で第三者自らの狙いである本村家を貶める目的 のためにお母さんを「金銭トラブル回避の保障」を盾に脅し、騙しだ し、巻き込み、お母さんを益々本村家から遠ざけてしまったのではな か。
その証拠として、お母さんはしきりに食堂「ふく家」で働かざるを得なくなってしまっていて我が家や家業へ戻れない状況が存在するのではないか。
或いは、少なくとも8月4日以来、今日現在も家出状態のお母 さんと、その後途中の8月12日から拉致監禁され続けている 娘の被害の原因までその浦添警察署生活安全課が作ってしまった可能 性も否定できないのではないか。
いや、それらすべてが浦添警察署生活安全課の仕業なのかも知れない。
だとすれば、お父さんが妻・お母さんや、娘・未姫との相談のことで 会おうと連絡を取ろうとしたとき必ず妨害をしてきている警察権力の 壁や影が常に立ちはだかるつじつまや、そんなにまでして本村家を貶め るなどとの狙いがある警察権力の思惑など知りようもない妻・お母さん や娘・未姫と、食堂のふく家でのお母さんの実の妹たちの一連の警察権 力をバックニした横柄な態度のつじつまも合致することになる。
(※8月4日。この日からの出来事はすでに詳細な内容として、 「仮処分申請書や被害届」の文書につづられていますのでご覧くださ い)
過去20年の金銭面での事実と推測からの考察:
「なんで母で妻の本村弘美が家に帰れないか?を金銭的な側面から」
あえて今回このように大げさに表現することで、あらゆる可能性を大胆に推測まで行い、真相を明らかにし、最終的には「そんな大それたことまではなかった」-と、逆に証明していく必要があると思い、以下したためましたのでご一読ください。
故・島袋照子は25年以上も前の過去において、自らが使う目的で実の娘で長女の本村弘美(当時の姓は旧姓で金城弘美)を名義人または連帯保証人として借金をした。
その後、その故・島袋照子自らが使った金銭債務の返済から自らが逃れる手段として、当時はすで嫁に行き、別々の世帯を持って何年にもなっていた本村弘美に対して、未だ二十歳をわずかに過ぎたばかりの若さでその意味もよく知らないことをいいことに「破産宣告が楽だ」と自己破産を押し付け、逃れた。
後になって、寝耳に水のその話を聞かされたときに「確かに自己破産すれば法的にはあらゆる債務から逃れられはするもののしかし、一方では、我が家の妻であり母親でもある本村弘美が、しかも別世帯の実母に自己破産されてしまっては、今後の我が家の人生の中で起こるであろう様々な社会的困難やペナルティーがその自己破産をしたことによってより多く降りかかることになることを伝え、当時のその選択は実は、本村弘美にとってはごくわずかなリスク回避のために膨大な便益を失うことのほうが大きい。間違っている」と当時も本村弘美へ話し、止めるよう薦めたのを今でも覚えているものの、この一家の主である私へは一切話もなく、私抜きで進めた手続きだったことから止めさせきれなかった。
おかげで妻・本村弘美自身はもちろん、本村一家の主である私自身や子どもたちも結婚当初から時折、社会的、或いはこと金融機関との関係において一人前じゃなかったことで後悔し悩み続けることになった。
案の定、本村弘美自身は、人として、一人の人間・子を持つ母親としては現実から逃げてしまった無責任ーとの内なる自己批判や、その自らの実母の不道徳がまねく殺伐とした将来へいざなう道徳的社会通念の制裁から以後十年余り、一人前の大人として扱われなくなる恐れの可能性を常に背負ってきてしまっている。
今から15年ほど前にもこんな事があった。 「県営団地の住居強制立ち退きの手続きの時間帯には絶対に立ち会うな。立ち会ったら本当に追い出されてしまうぞ」ーと、妻の本村弘美へ注意していた本村一家の主で夫の私の注意を、なんとその故・島袋照子は娘・本村弘美へ「母ちゃんの言うとおりにしなさい。強制立ち退きの手続きの時間にはちゃんと立会いなさい」などと、たぶらかし、本村弘美は主の私へは一切内緒で従い、おかげで即刻強制立ち退きに入られ、本村弘美自身も泣き泣き本村家一家全員の家を失わせた。
私が知らせを受け、駆けつけたときにはすでに後の祭り。詰め込めるだけの世帯道具を詰め込まれた普通乗用車の運転席でわずか生後三ヶ月の五男をひとり抱きかかえさせられるという冷たい扱いをされた本村弘美は、実母・故・島袋照子のあやまちに気付き、以後15年実の母であるその故・島袋照子の言いなりにならなくなり、本村家の母として妻としてここまでの15年成功の道を収めることができた。
しかし、15年の歳月と本村一家の主である本村安彦の注意不足や甘さがそのお母さんのあるべき姿、または道を狂わせた。
実は、その遠くに居るべき故・島袋照子が去年から近くの県営城間団地へ引っ越してきてからは怒濤のごとく、お母さんの昔の記憶へ記憶へと流れさかのぼって戻ってしまった。
そして、今回。
この二十年余、本村家で頑張ったお母さん自身の名誉や徳性。そして社会人なら当然の利益と債務。普通の社会人なら真正面から立ち向かわなければならない。
しかし、その故・島袋照子はまたもやお母さんへささやいた。(以後の内容についてはあくまでも可能性を追求してみた)
特に「離婚して、母子家庭になれ。そしたらかなりの母子手当てが入る。今の暮らしより楽になる」とのささやきは強く強調したのではないか。(故・島袋照子自分自身にはどんな狙いがあったかは本人に聞かないと知らないが、考えられることと言えば、例えば、母子手当てや福祉の援助金を持ってくる自分の思い通りになる娘を増やせることなどの欲得がありはする)
そして、故・島袋照子は、自らの実の娘・本村弘美の嫁ぎ先の本村一家の自営家業でその実の娘自身も夫と二人の共同経営者でもある金城本村リフォーム設計という、リフォーム工事などの仕事上の債務を背負ったままではその受給資格を失いかねなくなることから、「本村家の一切の債務を負わないで」その本村弘美と本村安彦の家業を潰し、市役所や福祉などの母子家庭などの援助を得させ、得る目的があったのではないか。以下、考えられることをさらに言えば、故・島袋照子自分自身への多少の小遣にもありつけるかもしれないなどと少しぐらいは目当てにしていたからこそ、債務の多い本村家の家業の共同経営者でありながらも連帯債務者にはなっていなかったことを本村弘美から聞き、
「ほら、昔かあちゃが言ったとおりに破産宣告で自己破産しておいてよかったでしょ。だから連帯責任者にさせられなかったんだよ。こんなふうなときに助かるんだよ。ありがたく思え」とささやきながら債務0での脱出・逃亡背任を図り、実娘・本村弘美をそそのかしまたもや教唆したのではないか。
そして、偶然とはいえ、その計画の道半ばの8月20日に本村家の主で本村弘美の夫の本村安彦が突然現れ、妻・本村弘美と娘・未姫を連れ戻そうと部屋へ入ってきた。
しかし、故・島袋照子がそのような計画を描いていたのであれば、浅はかではあるが、その浅はかな計画にとって必須の孫娘・未姫を取り戻そうとする娘の父親の本村安彦を追い払おうとしたものの、力尽きたのか、人生を全うしたのか、しばらくしてひとりでにその場で倒れ、救急車で運ばれはしたものの翌21日にはこの世を去った。
以上のような故・島袋照子と本村家の金銭にまつわる事実と推測の話は、故人本人とその実の娘で本村家の妻で母の本村弘美とその夫・本村安彦のこの三人だけにしか理解できない話であることから、偶然にも亡くなった故・島袋照子の四十九日の喪が明けた10月9日を持って終えたものとすべきであるとしたい。
よって、そのあやまった計画は実娘・本村弘美が実母故・島袋照子に代わって終わらすべきである。
終わらすことで、昨日まで足踏み状態が約三ヶ月続いてきた本村家一家全員が新たな明日の生活へ踏み出し、前へ進める。
以上。
平成23年10月19日 本村安彦
☆翌、8月4日に運転手役の妻を行方不明にさせて、その妹と夫は今度も私に無免許運転をさせる状況を作り出し、無免許運転をしたところをかねてから「情報屋」を介して私のライフワークである「沖縄から核施設を撤去させよう!!」とのボランティア活動を監視していた警察関係の兄を介して警察へ通報して逮捕監禁させ、仕事からはずし、ライフワークのボランティア活動も仕事もさせないようにしようとした。
私は5日後の8月8日に家出中の妻を探し当て、翌日家に実母や妹の香に伴われて戻ってきた妻とその運転免許の事について話し合いをした。
私はこの間も当然のようにチラシ配りと営業は徒歩で続けた。
翌日朝から、せめて夕方ぐらいまでの時間帯だけは仕事の件とは別にしてでも当時すでに家に残る遺棄・放棄状態にあった後になって拉致されることになる娘も含む5人の未成熟子の扶養の義務だけは最低限果たすことを決める。
翌日から子どもの送迎と家事だけは最低限やる目的で朝早くから何処からともなく現れて家事と子どもの送迎だけはやり続けた。
しかし、運転免許のない私が、徒歩で出来ることといえば自宅の地元を回るぐらいだが、それでもなんとか営業に毎日出てライフワークのボランティアを兼ねながら浄水器の販売営業を続ける傍ら、運転免許取得へ向け自練へ通うのを繰り返して三日ほどした
8月12日の早朝。
★その日も何処からともなく娘の早朝練習の出発時間に少し遅れてやって来た妻へ、待ちきれず徒歩で先に練習へ出掛けた娘を途中でピックアップするよう指示を出し、娘を浦添総合グラウンドへ連れて行くように頼んだ。
☆おそらくその時は、「いかなる理由があろうとも直ぐに家庭や仕事、そして社会的なあらゆる物事をむやみに放棄させられてしまったようなお母さんを真似することがない母親になりなさいね。お前は。お父さんは知っている。娘のお前に対してお母さんがここ2,3日しきりに自己弁護を繰り返しているのを。しっかりしなさいよ!!」
ーと前日の晩辺りからその13歳の娘へ陸上のトレーニングを行いながら、更に厳しく、時には涙がにじむほどのいち人間としての教育的指導を繰り返しながら強く話し掛けていた事を娘から聞いて知った妻から又聞きをした食堂「ふく家」の実質的経営者で警察関係者らが只、単に「気に入らない」と思ったのだろう。
その時は、只それだけの理由で娘の拉致をもくろんだのだろう。
そして「父親が娘に対して虐待をした」などとありもしない「デマ・狂言」を先ず浦添警察署へ流し、その後その13歳の娘まで伴って「配偶者暴力相談」などとして女性センターへ父親へは一切連絡もせず違法に連れ出し巻き込んだ。
以来、裏を取るうちにその事実は無いことに気付きはしたものの、父親へ「疑って済みませんでした」と一言謝罪すれば済む話にもかかわらず、その時すでに一週間が過ぎていて後へ引けなかったのか、それとも庶民を馬鹿にしたのかそのまま拉致することにしたのだろう。
☆そこで、娘13歳に対し、そして妻に対してそれなりの「悪者」に父親を仕立てる必要性が生じた。それが、事の始まりではなかったか。
おそらくその日の時点では、運転手役の妻が居ないなら居ないなりに地元を徒歩で回るなどの方法での営業やボランティア活動をしぶとく続ける私に対し、娘まで居ないとなれば、きっと今回も過去同様、緊急避難的に無免許で自動車を運転し、娘の捜索を始め出し頻繁に無免許運転を繰り返すのではないかと踏んだのだろう。
また、翌日の8月13日予定の全国放送へ父親の私が出演するとなると、私の仕事やボランティアも間違いなく好転することにつながることは目に見えていたことから、「本村の家族潰し」を企ててきたそれまでの努力が水泡に帰するのではないかとの危機感もあって、「娘の拉致」などという大それた犯行行動を取ってしまったのだろう。
また、その全国放送出演という私の約二十年来のライフワークが実り成功する姿を、いずれは自らの商売の広告塔として利用したくて手に入れたい娘・未姫(みき)へだけは見せたくないという思いもあったのではないか。
なにしろ、彼らが、浦添警察署を利用し、拉致以後のこの娘へ行った悪戯では「あんたのお父さんの商売は悪い商売で、被疑者とまでなっている」などと警察官から十分すぎるほど思わせるような悪戯などがあったからだ。
無免許運転での逮捕監禁を目的に娘の未姫(みき)まで拉致してまで私に無免許運転をさせようともくろんでは見たものの、しかし私は、 この8月12日の午前8時18分以来連絡の途絶えた娘の未姫(みき)と妻を案じ、試行錯誤の末、その時の連絡係りの四男の公平(こうへい)から伝えられる状況を「拉致」と疑い、認識・判断した午後2時ごろには前日からその拉致された娘の未姫(みき)や妻、その他の家族へ話してあったとおり、その彼らの悪戯を那覇家庭裁判所へ「拉致」と口頭で訴え、申立て書での手続きではその疑い、認識・判断である「拉致」を確かめる目的で、その彼ら食堂「ふく家」の経営者や第三者らを浮き彫りにする目的でとりあえず、その当時事実として表面に現れている現象である妻の置かれた立場から始めることとして「扶養の義務悪意の遺棄母妻事件」として彼らの思惑などまったく知らないであろう妻を相手方として調停を申し立てた。
以来、その家庭裁判所への調停申し立てによって、そのようなその食堂「ふく家」を中心とする彼らの「本村潰し」の手段であった「無免許運転での逮捕監禁」の思惑は外れた。
そして、夜8時頃になって私が浦添警察署へ娘の分の家出人捜索願を出し、数時間前には家庭裁判所へ「その妻を利用している彼らを浮き彫りにする目的」があることは伝えず、只単に「扶養の義務違反の妻」という趣旨だけの文書を見せ、その通り調停を申し立てていることをその時の浦添警察署の警察官へ伝えた。
おそらく、その食堂「ふく家」の経営者や関係者らはその家庭裁判所への訴えを知って、「無免許運転で逮捕監禁」との当てが外れたことから慌てて万が一のため、最低でも娘を拉致したことだけは隠蔽しようとの対抗処置として、その時点ではすでに「ドロボーの片棒」を担いでしまっていたこともあり、その浦添警察署も一緒になって「夫婦のいさかいで家出している」-とのストーリー作りに入る目的で女性センターへ先ず、アリバイ的な実績作りの目的でそうとは告げずに「何らかの相談」という名目で出向いたのではないか。
その根拠はというと、これまで教育的指導や過去3~4年ほど前にあった正当防衛での緊急避難での夫婦のいさかいはあっても「暴力」などというようなことを一切振るっても居ないにもかかわらず。後日分かったその彼らの行った8月12日と8月30日のその女性センターでの相談内容は「配偶者暴力相談」となっていることである。
その根拠や証拠はまだある。
その一週間後。8月19日。その食堂「ふく家」で無理やり働かされている妻を見つけた時。二人話し合った家へ戻る条件を提示する妻の条件の中には「暴力を振るわないで」などという条件など微塵も無かった。
その時は、妻の実の妹の志良堂ちあきともうひとりの実の妹の金城香の二人。そして実母の故・島袋照子も立ち会っている。
そして、その時私が書いた「暴力」の文字などまったく入っていない「家へ戻る条件誓約書」を妻が今も保管しているはずである。
以上2011年12月3日 おやじ・本村安彦
※8月3日。浦添警察署生活安全課は最後の仕上げとばかりに、零細自営家業の個人へ間をおいた取調べ攻撃を2ヶ月ものらりくらり続けたあげく、「貴方の放射能除去浄水器販売自営家業・生業と核兵器撤去ボランティアは早くやめなさい」とのある種の脅迫メッセージを届けることに成功する。
※翌日8月4日。妻と二人だけの零細自営家業の個人業者の妻で共同経営者で運転手役が、この自営家業では今後も警察からいじめられるのではないか、との恐怖心から、いち経営者としてもいち主婦としてもすべてを遺棄・放棄させられ、一人で家出。
※八日後の2011年8月12日。第三者の狂言を利用した浦添警察署が運転免許も持たない主人たった一人だけが残った零細自営家業の個人宅の13歳の娘の拉致誘拐を指示したことで、実行犯が娘の母親のため逃げ出せず二ヶ月が経った今も未だに寝泊りを転々としていて、自分の家族の待つ自分の家へ帰って来れない。
2011平成23年12月7日の妻の「お母さん」と娘の「未姫」への手紙から:
読んで違うところがあったらチェックして自然に持たせてね
おやじ(2011平成23年12月7日付け妻への手紙から)
8月4日。その日の昼前に家に戻る途中の車内で夫婦でもめた。
原因は、妻の仕事中の携帯電話の多さだった。
その時家にはその中1の一人娘だけでした。
しばらく経って買い物から戻った娘の父親である私と娘の兄は娘の母親がいない
ことに気付き、一人で残されたその娘に訪ねると「知らん」とパソコンに向かっ
たままでそっけない返事。
これはその日の夜になって台風は益々本格的に吹き荒れだすことから心配になっ
てその時の詳しい情報を得ようと娘に再度訪ねた。
すると娘は「とにかく何処に行ったかわからない。3~4回玄関のドアをバタバタ
させていたからきっとタバコを切らしてイライラして外にタバコを買いに行った
かと思ったらそのまま帰って来ない」。
またこうも推理する「これは自分の想像だけど、どっか近所の家に行き、と。
娘の父親や兄たちも叉か、、、と。娘の父親は50を越えてもまだ同じ事を繰り返
して家を捨てる母親を探し回るのも恥ずかしいから放って置いた。
5、6日経って娘の父親が心当たりに声をかけた。
★翌日、8月9日の夜に、27年前に同じように当時はまだ7人の乳飲み子を含む家族を捨て家出をした39歳当時から今日まで、そのままの状態を続ける現在67歳の娘の祖母にあたる娘の母親の母親の故・照子ががその娘の母親を伴って娘のいる家族の元へ現れた。
★前の晩8月8日に声をかけた者の中には娘の母親の母親もいて、その母親の母親へは特に強く「何度もこんな事を繰り返すには何かしらの負担を貴女の回りがかけすぎているからじゃないですか?じゃなければ何らかの薬物か覚醒剤の疑いもあるんじゃないか、という専門の関係機関の者の話しもありますよ。かばうだけじゃなくよ~く見て下さいよ!!親ならその辺りも注意して」と、善意からこう言ったのが気に入らないなどと凄い形相で来て、そんな疑いが生まれる自分の娘の行動を正すかと思いきや、逆に「あんたは気に入らない。離婚させる」とまくし立ててまた連れてかえろうとする始末。
☆おそらく、昨晩から家へ来るまでの間。妹の香の男やそしてその一家。或いは食堂「ふく家」の経営状態などを照子は聞きまわったんだろう。そこで、過剰に妻へ負担が行っていることを感じはしたものの、しかし、「覚せい剤又は薬物」の疑いについては専門へ尋ねる必要性から、警察関係者のちあきの夫の兄へ相談を持ちかけるまえに自分自身で確かめる必要性を感じたのではないか。
その時照子が話していた「覚せい剤ってお金がないと手に入らないんじゃないの?高いって聞いている」などのことからおそらく、昨晩からこの時間帯までに一応は調べるため友人知人へ聞いていた様子が窺えたためある程度の情報は集めていたのではないか。
そこで出た結論が「誰がそういっているか」について本村へ「どこの誰がそういっているか聞いてこよう!!」などと、かまをかけるなどの賭けをしてまで事がことだけに確認をする必要性から自分自身の目と耳で本村から直接聞き出し、確かめるために照子はわざわざ伴ってきたのではないか。
実はそれを確かめることこそが第一番目の目的だったのだろう。誰が考えてもそうなる。
★自分の娘のそのような素行の原因などを詳しく聞こうとはしないその母親の母親に対して本村は、「50も余って家を捨てる母親の母親でありながら、原因は自分のこの27年にあるのに、それを6人もの子どもたちをすべて並行にこの20年間義務教育期間無遅刻無欠席を達成させ5月20に行われた浦添市市民会議では健全育成で表彰されている。同時に高校生の兄たちも並行に無遅刻無欠席を達成させている。6人全員が9ヵ年間無遅刻無欠席どころか12年間無遅刻無欠席もだ!!。そうやってちゃんと子育てをしている60前のこの家の主で父親でそんな娘の夫に向かって、しかもそんな家へやって来て、なんてことを言うんだ!!」
と怒鳴りかえす。
★最後は覚醒剤の疑いの話しに戻ったあたりで娘の父親はその母親の母親を庭へ連れだしその覚醒剤の疑いの話をさらに二人だけで詳しく話をしょうとした途端。それ以上はもういいかのようだったとしかいいようがない様子をし、話をつづけようとする本村を遮るようにその娘の母親と、付いてきた妹の香らには構わず帰って行った。
★庭に出た帰り際の娘の母親は、重要な自営業の手伝いと最低限の中学生二人の主婦役は明日からやると言い残し、妹の香と伴にまた家を出た。
★、これは特記しておく。この日はかなり口論もあったが、この日から二ヶ月以上経った10月27日という後々になってでっち上げで持ち出す「配偶者の暴力」などの話はこの時も一切無かった。
★、これも特記しておく。照子は家に帰ってから四男の公平へ電話をかけ、「お母さんは必ず家に帰すから心配しないでね」-と伝えている。(お父さんへはこの電話のことは内緒にしてね、とのニュアンスで)
☆おそらく、庭先へまで自分だけを連れ出して話しかけようとする本村の様子から、「これは本当にその話をしている者がいることは確かだ」と判断したのだろう。だから、その場で本来の目的を終えたことでそのまま振り返らずに帰って行ったのではないか。
☆おそらく、その後このようなことがあったのではないか。
「本村が言っているのは本当だ。誰かがその事を疑っているのは間違いない。このままでは宜野湾の本店が実は、覚せい剤なども扱うことは常識とされている売春婦相手のゲーム喫茶で儲かっていることまで公になれば大変なことになる」-などと、ひとり帰り道を歩きながらどうにかしなければならないと考えていた照子へ二人の娘が追いつき、そのまま一緒に団地へ向かい、その事について食堂「ふく家」辺りで妹のちあきの夫、もうひとりの妹の香の男、そしてせいほうの警察関係者の兄らも集まり、相談することになったのではないか。そこで、もし妻が家に帰らないとなるとなればとにかく大変な事態になるのだから最終的には早く妻を家に戻すことで話は付いたのではないか。
しかし、その後もそのことへ言及させないように用心だけはしなければならない旨申し合わせをし、翌日も又、話し合うことになったのではないか。
★翌10日。前の晩に娘の母親が約束したとおり、重要な自営業の手伝いと最低限の中学生二人の主婦役は翌朝早くから出てきてそれをやった。
★しかし、夜になるとまた出て行く妻の様子だった。
☆おそらく、その日も食堂「ふく家」辺りで昨日に続く話し合いをする予定になっていて、その事をうまく伝えきれなものだから黙ってそのまま家を出たのではないか。昨夜に続く話し合いで、「妻が戻ったら戻ったで追求を緩めないのではないか」-などとの話になり、当面その結論が出るまで家出を続けさせることになったのではないか。
★その翌日の11日の朝も続けた。その夜にまたどこへやら出ようとする娘の母親を見かねて、そのような状態になるまで追い込んでいるその背景に潜む因果関係を二度と許すまいと、その晩は残った家族でとりあえず娘の母親を「民放877条の扶養違反」と「悪意の扶養義務遺棄」で家庭裁判所に訴える事を決める。
☆その晩の話し合いではおそらく、本村が追求する時は決まって酒を飲んだ時だろうから、昔のように酒をやめさせる必要があるとしたのではないか。そのためには娘を奪い人質にする必要があるのではないか、などと話し合いをしたのではないか。
★翌8月12日の早朝、家にいる娘をグランドまで送らすと、娘を送る車内で娘から昨晩の情報を得ようとしたのか、本当に自分のこれまでの素行を家庭裁判所へ訴えるのかどうなのか様子を見様としたのか、それとも娘がそれまで関わっていたお父さんには一切隠していた数年前からの食堂「ふく家」との関係の証拠隠滅と軟禁洗脳が目的なのか。
★以来、そのまま娘を連れ去ってしまったまま今日であれから約4ヶ月になる。
☆これもこの日から二ヶ月半経った10月27日に明らかになることだが、この日は「配偶者暴力相談支援センター」へ行かされていることが分っていることから、おそらく昼前の早い時間ぐらいまでは「その申し立て書を提出したらこの娘を奪うぞ!!」-という誘拐メッセージを込めていたからこそその後、その娘の担保や人質としての価値を高めるため、娘や母親との連絡をわざと絶たせたのではないか。
そして、とうとう提出をしたことを夜の八時辺りになって明らかになったことから、犯人らは自らの犯罪を隠蔽する目的で、あわてて「夫婦喧嘩や家庭内のDV」などというストーリーで、「その家の娘と母親が二人で伴に家出をした」-との偽のアリバイ作りを急ぐため、わざわざ妻や娘をかくまってるその場所とされる浦添市城間にある県営団地の3号棟ー401号室まで出向き、その画策を練ってから「配偶者暴力相談支援センター」へ妻と娘を脅し、そそのかし、出向かわせたのではないか。
★この時、確か午後の10時過ぎだったと思うが、その団地の一室の入り口付近ではこんなことがあった:
二時間ほど前の午後八時ごろに娘の家出人捜索願を提出して、「もしや?」と思いその団地へ確かめに行った。
すると、部屋のある四階の踊り場付近で様子を見ていると、団地内へパトカーが入って来て、その四階まで警官の一人が登って来てその部屋ドアを指差しこう言った「来てる?」-と。
☆つまり、向かいの一号棟から様子を見ていた妻の妹の金城香の家族の誰かが、110番通報して城間交番のパトカーを呼んだのだろう。それで、私を110番をかけた本人と勘違いした。★そして、本村と名乗った私に気が付き始めて「家出人捜索は取り下げてください」と浦添署の生活安全課の伊礼課長へ電話した。
★そこで、伊礼課長は本村を追い返すように指示を出した。
☆、おそらく、この時は伊礼課長は浦添警察署内のどこかに居て、私へ携帯電話から「今日はもう遅いから帰るように」と、何の根拠もないにも関わらず強制をしたのだろう。
これは推理だが、犯人らは「夫婦喧嘩や家庭内のDV」のでった上げで忙しい。
おそらくその団地内或いは食堂「ふく家」あたりを出て浦添警察署内の一室でアリバイ作りを急いでいた。そして実はまったく実態がない「配偶者暴力相談支援センター」称した書類をその浦添警察署内であしらえている最中だったのではないか。
だから私がその団地へ来た時はその団地内には誰も居なかったのではないか。それを知られるのが怖くなった浦添警察署の伊礼課長は城間交番の警官の携帯電話まで介して私へ無理やり今日のところは引き下がることを大声で怒鳴っていたのではないか。
彼ら犯人らが自ら犯したその刑法犯罪である「拉致教唆」を逃れる目的のために。
そして、その内容はというと:
☆おそらく、拉致や誘拐を教唆されただけで何の罪にもならない妻へは「あんたが罪になる」とうそを言って脅し、そそのかす。
その一方娘へも「あんたも今日お母さんと一緒になって家出したことにしないとお母さんがあんたを拉致したことで刑務所に行ってしまう。だから絶対に拉致されたとは言わないこと」-と、ありもしない妻の刑務所行きを盾に娘まで脅迫し、脅し、そそのかしたのではないか。
★家庭裁判所平成23年(家イ)第413、414、415、416、417号事件各々として調停日程調整中として届けたその8月12日の昼には恐ろしくなり躊躇して提出間際に受付で相談すると、母親の素行を訴える申し立て人の一人である娘を相手方である母親が連れ去ったなら危険な疑いはあるから警察暑へ家出人捜索届けをだすのがいいのでは、
ーと言われ、夜の8時を回って娘が生まれて初めて(学校行事や旅行以外では)こんな遅くまで音信不通でさえなかったこともあり、「家出人」として届け出書を提出。
翌日帰って来ない娘の相談で家庭裁判所に行くと児童相談所がいいと言うので警察に通告を頼むがどうなったのかわけがわからないまま数日が過ぎる。
3日目の午前、メールで部活中とあったので部活へ様子を見に行くと父親の姿を
見るなり逃げてどこかへいなくなった。直後自転車で校内外を探すとなにやら不
審な車両に娘らしき影を発見するも見失ってしまった。
内心、あれはもしや児童相談所の車で保護されているのかな?とも思い、ほっと
するも不安は募り、翌日見覚えのある車両ナンバー(11‐27)を児童相談所で発見するまでは安心できなかった。受付で訪ねると教えてくれはしなかったものの娘は機関に保護されている確信を得、娘が居なくなって初めて安堵感に浸った。(8月19日金曜日)
その足で早速裏付けを取るため警察がおうむ返しをする「母親と一緒だから~!」と繰り返す娘の母親がいるとされる母親の母親の住む団地への電話と娘の
母親が手伝っているだろう姉妹の経営する食堂で娘はいないが娘の母親だけはい
るのを確認した。
翌日20日土曜日午後。その食堂へ行くと本日休業。
夜の9時半頃に団地に電話をかけるといるというので入り娘を8日振りに身近で
見る。
その直後の詳細は別の機会に、、、。
以上。
2011年12月7日 おやじ、本村安彦
※翌日の8月13日夕方5時30分。TBS全国ネット「報道特集」の沖縄の核兵器報道に妻と二人だけの零細自営家業の主人の私が出演し、全国へ沖縄や日本の平和運動を広めるがしかしその一方、今日現在、その自営家業は潰れかけ、妻と娘は行方不明状態が続いている。 そして、その背景にいる間接的弾圧者で沖縄の権力構造の頂点に居座る加害者らは暗黙のうちにそうなっていくことの情報をなぜか承知していた、、、。
だからといって、これはなにも国や沖縄電力そして県、或いは市などと言った経済や政治の統治者や支配者がこんな普通の市民一家でしかないいち本村家を直接的に言論弾圧していると言おうとしているわけではありません。では誰がいったい何の目的で彼ら経済や政治の統治者や支配者の間接的な言論弾圧加害行為に手を貸しているのだろうか推測してみるとこうなるのではないか:
それは、彼ら国や沖縄電力そして県、或いは市などと言った統治者らから回っているであろう言論弾圧裏金を貰い続ける警察関係者と、その警察関係者へ情報を提供することで警察裏金が得られる情報屋個人のこの本村家に対する個人的な誹謗中傷での警察への情報提供と、5月24日の浦添警察署生活安全課が絡む家宅捜索のことを知ったいち警察官の個人的なこの本村家に対するねたみや勘違いなどからくる直接的な言論弾圧が、間接的には彼ら経済や政治の統治者の弾圧に手を貸していることになるのではないか、ということを言いたいのです。
或いはその逆も考えられます。つまり、浦添市の一市民が、過去二十年にも亘り執ってきた商活動方法を普通に行ったことがたまたま彼ら経済や政治の統治者側が自らの愚かな行いである沖縄電力の沖縄本島での「7年前から行われている原子力発電研究」批判に繋がるからといって、その一市民としての商活動をそのものを本末転倒にも不当なものとしてあべこべに「言論弾圧」などと称し、新聞社などのマスメディアや浦添警察署へ訴え、「本村を潰してくれないか」と泣きこんだ可能性も否定できないのではないか。
(むしろその事例が近年の日本では増えているそうである)
もしそうならば、仕事の合間ですでに20万部も発行し終えている記事を配る新聞の切抜きのチラシや個人的なインターネット上での言論を指しての訴えでしかないのだから、むしろその訴えに手を貸したマスメディアと警察署は余計に罰せられなければならない。
特に4ヶ月間にも亘り、その個人宅の娘や母親と、その父親で夫間を音信不通にすることで、①「親の正当な指導監督に背けさせ」②正当な理由も無く家を空けさせ」③「いかがわしい場所へ出入りさせ」④「いかがわしい場所へ出入りする不道徳な者と交友させ」⑤「その13歳の持つ『6年間皆勤賞』の徳性を害させ」るなど、その間すでに犯してしまった13歳の娘の少年法違反教唆や刑法224条・225条~227条の1(略取及び誘拐幇助)及び247条(背任罪教唆)刑法第217条~218条(遺棄罪教唆)その他諸々の刑事事件などの不正義などを警察としては知られたくないだろう。だからそのことを追及するであろう父親と妻及び娘とはその音信不通のまま離婚でも何でもして貰おうとしているのではないだろうか。
弾圧は、個人や団体が自分たちの集団より劣っているという意識、あるいは無自覚ながら劣っているという思い込みが背景にあることが多いと聞きます。
その理屈からすれば、この金城本村リフォーム設計という家業を持つ本村家は個人です。個人が被弾圧者にされるていのですから加害行為の弾圧者もきっと個人に間違いないのではないのでしょうか。
そして彼ら経済や政治の統治者側自らは高見の見物でそのような違法な人権侵害行為を暗黙のうちに認めている、のではないだろうか。
(1948年12月10日に国連で採択された世界人権宣言、1976年採択された国際人権規約)
以上
詳細はブログ→http://motomurayasuhiko.ti-da.net/e3824783.htmlをご覧ください
2011年12月5日
沖縄県浦添市港川2丁目10番8号
金城本村リフォーム設計 本村安彦 電話番号:098-876ー5538
2011年12月07日
権力者のアリバイに使われるためにそんざいする「女性センター」
お母さんと未姫へ:読んで違うところがあったらチェックして自然に持たせてね
おやじ(2011平成23年12月7日付け妻への手紙から)
8月4日。その日の昼前に家に戻る途中の車内で夫婦でもめた。
原因は、妻の仕事中の携帯電話の多さだった。
その時家にはその中1の一人娘だけでした。
しばらく経って買い物から戻った娘の父親である私と娘の兄は娘の母親がいない
ことに気付き、一人で残されたその娘に訪ねると「知らん」とパソコンに向かっ
たままでそっけない返事。
これはその日の夜になって台風は益々本格的に吹き荒れだすことから心配になっ
てその時の詳しい情報を得ようと娘に再度訪ねた。
すると娘は「とにかく何処に行ったかわからない。3~4回玄関のドアをバタバタ
させていたからきっとタバコを切らしてイライラして外にタバコを買いに行った
かと思ったらそのまま帰って来ない」。
またこうも推理する「これは自分の想像だけど、どっか近所の家に行き、と。
娘の父親や兄たちも叉か、、、と。娘の父親は50を越えてもまだ同じ事を繰り返
して家を捨てる母親を探し回るのも恥ずかしいから放って置いた。
5、6日経って娘の父親が心当たりに声をかけた。
★翌日、8月9日の夜に、27年前に同じように当時はまだ7人の乳飲み子を含む家族を捨て家出をした39歳当時から今日まで、そのままの状態を続ける現在67歳の娘の祖母にあたる娘の母親の母親の故・照子ががその娘の母親を伴って娘のいる家族の元へ現れた。
★前の晩8月8日に声をかけた者の中には娘の母親の母親もいて、その母親の母親へは特に強く「何度もこんな事を繰り返すには何かしらの負担を貴女の回りがかけすぎているからじゃないですか?じゃなければ何らかの薬物か覚醒剤の疑いもあるんじゃないか、という専門の関係機関の者の話しもありますよ。かばうだけじゃなくよ~く見て下さいよ!!親ならその辺りも注意して」と、善意からこう言ったのが気に入らないなどと凄い形相で来て、そんな疑いが生まれる自分の娘の行動を正すかと思いきや、逆に「あんたは気に入らない。離婚させる」とまくし立ててまた連れてかえろうとする始末。
☆おそらく、昨晩から家へ来るまでの間。妹の香の男やそしてその一家。或いは食堂「ふく家」の経営状態などを照子は聞きまわったんだろう。そこで、過剰に妻へ負担が行っていることを感じはしたものの、しかし、「覚せい剤又は薬物」の疑いについては専門へ尋ねる必要性から、警察関係者のちあきの夫の兄へ相談を持ちかけるまえに自分自身で確かめる必要性を感じたのではないか。
その時照子が話していた「覚せい剤ってお金がないと手に入らないんじゃないの?高いって聞いている」などのことからおそらく、昨晩からこの時間帯までに一応は調べるため友人知人へ聞いていた様子が窺えたためある程度の情報は集めていたのではないか。
そこで出た結論が「誰がそういっているか」について本村へ「どこの誰がそういっているか聞いてこよう!!」などと、かまをかけるなどの賭けをしてまで事がことだけに確認をする必要性から自分自身の目と耳で本村から直接聞き出し、確かめるために照子はわざわざ伴ってきたのではないか。
実はそれを確かめることこそが第一番目の目的だったのだろう。誰が考えてもそうなる。
★自分の娘のそのような素行の原因などを詳しく聞こうとはしないその母親の母親に対して本村は、「50も余って家を捨てる母親の母親でありながら、原因は自分のこの27年にあるのに、それを6人もの子どもたちをすべて並行にこの20年間義務教育期間無遅刻無欠席を達成させ5月20に行われた浦添市市民会議では健全育成で表彰されている。同時に高校生の兄たちも並行に無遅刻無欠席を達成させている。6人全員が9ヵ年間無遅刻無欠席どころか12年間無遅刻無欠席もだ!!。そうやってちゃんと子育てをしている60前のこの家の主で父親でそんな娘の夫に向かって、しかもそんな家へやって来て、なんてことを言うんだ!!」
と怒鳴りかえす。
★最後は覚醒剤の疑いの話しに戻ったあたりで娘の父親はその母親の母親を庭へ連れだしその覚醒剤の疑いの話をさらに二人だけで詳しく話をしょうとした途端。それ以上はもういいかのようだったとしかいいようがない様子をし、話をつづけようとする本村を遮るようにその娘の母親と、付いてきた妹の香らには構わず帰って行った。
★庭に出た帰り際の娘の母親は、重要な自営業の手伝いと最低限の中学生二人の主婦役は明日からやると言い残し、妹の香と伴にまた家を出た。
★、これは特記しておく。この日はかなり口論もあったが、この日から二ヶ月以上経った10月27日という後々になってでっち上げで持ち出す「配偶者の暴力」などの話はこの時も一切無かった。
★、これも特記しておく。照子は家に帰ってから四男の公平へ電話をかけ、「お母さんは必ず家に帰すから心配しないでね」-と伝えている。(お父さんへはこの電話のことは内緒にしてね、とのニュアンスで)
☆おそらく、庭先へまで自分だけを連れ出して話しかけようとする本村の様子から、「これは本当にその話をしている者がいることは確かだ」と判断したのだろう。だから、その場で本来の目的を終えたことでそのまま振り返らずに帰って行ったのではないか。
☆おそらく、その後このようなことがあったのではないか。
「本村が言っているのは本当だ。誰かがその事を疑っているのは間違いない。このままでは宜野湾の本店が実は、覚せい剤なども扱うことは常識とされている売春婦相手のゲーム喫茶で儲かっていることまで公になれば大変なことになる」-などと、ひとり帰り道を歩きながらどうにかしなければならないと考えていた照子へ二人の娘が追いつき、そのまま一緒に団地へ向かい、その事について食堂「ふく家」辺りで妹のちあきの夫、もうひとりの妹の香の男、そしてせいほうの警察関係者の兄らも集まり、相談することになったのではないか。そこで、もし妻が家に帰らないとなるとなればとにかく大変な事態になるのだから最終的には早く妻を家に戻すことで話は付いたのではないか。
しかし、その後もそのことへ言及させないように用心だけはしなければならない旨申し合わせをし、翌日も又、話し合うことになったのではないか。
★翌10日。前の晩に娘の母親が約束したとおり、重要な自営業の手伝いと最低限の中学生二人の主婦役は翌朝早くから出てきてそれをやった。
★しかし、夜になるとまた出て行く妻の様子だった。
☆おそらく、その日も食堂「ふく家」辺りで昨日に続く話し合いをする予定になっていて、その事をうまく伝えきれなものだから黙ってそのまま家を出たのではないか。昨夜に続く話し合いで、「妻が戻ったら戻ったで追求を緩めないのではないか」-などとの話になり、当面その結論が出るまで家出を続けさせることになったのではないか。
★その翌日の11日の朝も続けた。その夜にまたどこへやら出ようとする娘の母親を見かねて、そのような状態になるまで追い込んでいるその背景に潜む因果関係を二度と許すまいと、その晩は残った家族でとりあえず娘の母親を「民放877条の扶養違反」と「悪意の扶養義務遺棄」で家庭裁判所に訴える事を決める。
☆その晩の話し合いではおそらく、本村が追求する時は決まって酒を飲んだ時だろうから、昔のように酒をやめさせる必要があるとしたのではないか。そのためには娘を奪い人質にする必要があるのではないか、などと話し合いをしたのではないか。
★翌8月12日の早朝、家にいる娘をグランドまで送らすと、娘を送る車内で娘から昨晩の情報を得ようとしたのか、本当に自分のこれまでの素行を家庭裁判所へ訴えるのかどうなのか様子を見様としたのか、それとも娘がそれまで関わっていたお父さんには一切隠していた数年前からの食堂「ふく家」との関係の証拠隠滅と軟禁洗脳が目的なのか。
★以来、そのまま娘を連れ去ってしまったまま今日であれから約4ヶ月になる。
☆これもこの日から二ヶ月半経った10月27日に明らかになることだが、この日は「配偶者暴力相談支援センター」へ行かされていることが分っていることから、おそらく昼前の早い時間ぐらいまでは「その申し立て書を提出したらこの娘を奪うぞ!!」-という誘拐メッセージを込めていたからこそその後、その娘の担保や人質としての価値を高めるため、娘や母親との連絡をわざと絶たせたのではないか。
そして、とうとう提出をしたことを夜の八時辺りになって明らかになったことから、犯人らは自らの犯罪を隠蔽する目的で、あわてて「夫婦喧嘩や家庭内のDV」などというストーリーで、「その家の娘と母親が二人で伴に家出をした」-との偽のアリバイ作りを急ぐため、わざわざ妻や娘をかくまってるその場所とされる浦添市城間にある県営団地の3号棟ー401号室まで出向き、その画策を練ってから「配偶者暴力相談支援センター」へ妻と娘を脅し、そそのかし、出向かわせたのではないか。
★この時、確か午後の10時過ぎだったと思うが、その団地の一室の入り口付近ではこんなことがあった:
二時間ほど前の午後八時ごろに娘の家出人捜索願を提出して、「もしや?」と思いその団地へ確かめに行った。
すると、部屋のある四階の踊り場付近で様子を見ていると、団地内へパトカーが入って来て、その四階まで警官の一人が登って来てその部屋ドアを指差しこう言った「来てる?」-と。
☆つまり、向かいの一号棟から様子を見ていた妻の妹の金城香の家族の誰かが、110番通報して城間交番のパトカーを呼んだのだろう。それで、私を110番をかけた本人と勘違いした。★そして、本村と名乗った私に気が付き始めて「家出人捜索は取り下げてください」と浦添署の生活安全課の伊礼課長へ電話した。
★そこで、伊礼課長は本村を追い返すように指示を出した。
☆、おそらく、この時は伊礼課長は浦添警察署内のどこかに居て、私へ携帯電話から「今日はもう遅いから帰るように」と、何の根拠もないにも関わらず強制をしたのだろう。
これは推理だが、犯人らは「夫婦喧嘩や家庭内のDV」のでった上げで忙しい。
おそらくその団地内或いは食堂「ふく家」あたりを出て浦添警察署内の一室でアリバイ作りを急いでいた。そして実はまったく実態がない「配偶者暴力相談支援センター」称した書類をその浦添警察署内であしらえている最中だったのではないか。
だから私がその団地へ来た時はその団地内には誰も居なかったのではないか。それを知られるのが怖くなった浦添警察署の伊礼課長は城間交番の警官の携帯電話まで介して私へ無理やり今日のところは引き下がることを大声で怒鳴っていたのではないか。
彼ら犯人らが自ら犯したその刑法犯罪である「拉致教唆」を逃れる目的のために。
そして、その内容はというと:
☆おそらく、拉致や誘拐を教唆されただけで何の罪にもならない妻へは「あんたが罪になる」とうそを言って脅し、そそのかす。
その一方娘へも「あんたも今日お母さんと一緒になって家出したことにしないとお母さんがあんたを拉致したことで刑務所に行ってしまう。だから絶対に拉致されたとは言わないこと」-と、ありもしない妻の刑務所行きを盾に娘まで脅迫し、脅し、そそのかしたのではないか。
★家庭裁判所平成23年(家イ)第413、414、415、416、417号事件各々として調停日程調整中として届けたその8月12日の昼には恐ろしくなり躊躇して提出間際に受付で相談すると、母親の素行を訴える申し立て人の一人である娘を相手方である母親が連れ去ったなら危険な疑いはあるから警察暑へ家出人捜索届けをだすのがいいのでは、
ーと言われ、夜の8時を回って娘が生まれて初めて(学校行事や旅行以外では)こんな遅くまで音信不通でさえなかったこともあり、「家出人」として届け出書を提出。
翌日帰って来ない娘の相談で家庭裁判所に行くと児童相談所がいいと言うので警察に通告を頼むがどうなったのかわけがわからないまま数日が過ぎる。
3日目の午前、メールで部活中とあったので部活へ様子を見に行くと父親の姿を
見るなり逃げてどこかへいなくなった。直後自転車で校内外を探すとなにやら不
審な車両に娘らしき影を発見するも見失ってしまった。
内心、あれはもしや児童相談所の車で保護されているのかな?とも思い、ほっと
するも不安は募り、翌日見覚えのある車両ナンバー(11‐27)を児童相談所で発見するまでは安心できなかった。受付で訪ねると教えてくれはしなかったものの娘は機関に保護されている確信を得、娘が居なくなって初めて安堵感に浸った。(8月19日金曜日)
その足で早速裏付けを取るため警察がおうむ返しをする「母親と一緒だから~!」と繰り返す娘の母親がいるとされる母親の母親の住む団地への電話と娘の
母親が手伝っているだろう姉妹の経営する食堂で娘はいないが娘の母親だけはい
るのを確認した。
翌日20日土曜日午後。その食堂へ行くと本日休業。
夜の9時半頃に団地に電話をかけるといるというので入り娘を8日振りに身近で
見る。
その直後の詳細は別の機会に、、、。
以上。
2011年12月7日 おやじ、本村安彦
おやじ(2011平成23年12月7日付け妻への手紙から)
8月4日。その日の昼前に家に戻る途中の車内で夫婦でもめた。
原因は、妻の仕事中の携帯電話の多さだった。
その時家にはその中1の一人娘だけでした。
しばらく経って買い物から戻った娘の父親である私と娘の兄は娘の母親がいない
ことに気付き、一人で残されたその娘に訪ねると「知らん」とパソコンに向かっ
たままでそっけない返事。
これはその日の夜になって台風は益々本格的に吹き荒れだすことから心配になっ
てその時の詳しい情報を得ようと娘に再度訪ねた。
すると娘は「とにかく何処に行ったかわからない。3~4回玄関のドアをバタバタ
させていたからきっとタバコを切らしてイライラして外にタバコを買いに行った
かと思ったらそのまま帰って来ない」。
またこうも推理する「これは自分の想像だけど、どっか近所の家に行き、と。
娘の父親や兄たちも叉か、、、と。娘の父親は50を越えてもまだ同じ事を繰り返
して家を捨てる母親を探し回るのも恥ずかしいから放って置いた。
5、6日経って娘の父親が心当たりに声をかけた。
★翌日、8月9日の夜に、27年前に同じように当時はまだ7人の乳飲み子を含む家族を捨て家出をした39歳当時から今日まで、そのままの状態を続ける現在67歳の娘の祖母にあたる娘の母親の母親の故・照子ががその娘の母親を伴って娘のいる家族の元へ現れた。
★前の晩8月8日に声をかけた者の中には娘の母親の母親もいて、その母親の母親へは特に強く「何度もこんな事を繰り返すには何かしらの負担を貴女の回りがかけすぎているからじゃないですか?じゃなければ何らかの薬物か覚醒剤の疑いもあるんじゃないか、という専門の関係機関の者の話しもありますよ。かばうだけじゃなくよ~く見て下さいよ!!親ならその辺りも注意して」と、善意からこう言ったのが気に入らないなどと凄い形相で来て、そんな疑いが生まれる自分の娘の行動を正すかと思いきや、逆に「あんたは気に入らない。離婚させる」とまくし立ててまた連れてかえろうとする始末。
☆おそらく、昨晩から家へ来るまでの間。妹の香の男やそしてその一家。或いは食堂「ふく家」の経営状態などを照子は聞きまわったんだろう。そこで、過剰に妻へ負担が行っていることを感じはしたものの、しかし、「覚せい剤又は薬物」の疑いについては専門へ尋ねる必要性から、警察関係者のちあきの夫の兄へ相談を持ちかけるまえに自分自身で確かめる必要性を感じたのではないか。
その時照子が話していた「覚せい剤ってお金がないと手に入らないんじゃないの?高いって聞いている」などのことからおそらく、昨晩からこの時間帯までに一応は調べるため友人知人へ聞いていた様子が窺えたためある程度の情報は集めていたのではないか。
そこで出た結論が「誰がそういっているか」について本村へ「どこの誰がそういっているか聞いてこよう!!」などと、かまをかけるなどの賭けをしてまで事がことだけに確認をする必要性から自分自身の目と耳で本村から直接聞き出し、確かめるために照子はわざわざ伴ってきたのではないか。
実はそれを確かめることこそが第一番目の目的だったのだろう。誰が考えてもそうなる。
★自分の娘のそのような素行の原因などを詳しく聞こうとはしないその母親の母親に対して本村は、「50も余って家を捨てる母親の母親でありながら、原因は自分のこの27年にあるのに、それを6人もの子どもたちをすべて並行にこの20年間義務教育期間無遅刻無欠席を達成させ5月20に行われた浦添市市民会議では健全育成で表彰されている。同時に高校生の兄たちも並行に無遅刻無欠席を達成させている。6人全員が9ヵ年間無遅刻無欠席どころか12年間無遅刻無欠席もだ!!。そうやってちゃんと子育てをしている60前のこの家の主で父親でそんな娘の夫に向かって、しかもそんな家へやって来て、なんてことを言うんだ!!」
と怒鳴りかえす。
★最後は覚醒剤の疑いの話しに戻ったあたりで娘の父親はその母親の母親を庭へ連れだしその覚醒剤の疑いの話をさらに二人だけで詳しく話をしょうとした途端。それ以上はもういいかのようだったとしかいいようがない様子をし、話をつづけようとする本村を遮るようにその娘の母親と、付いてきた妹の香らには構わず帰って行った。
★庭に出た帰り際の娘の母親は、重要な自営業の手伝いと最低限の中学生二人の主婦役は明日からやると言い残し、妹の香と伴にまた家を出た。
★、これは特記しておく。この日はかなり口論もあったが、この日から二ヶ月以上経った10月27日という後々になってでっち上げで持ち出す「配偶者の暴力」などの話はこの時も一切無かった。
★、これも特記しておく。照子は家に帰ってから四男の公平へ電話をかけ、「お母さんは必ず家に帰すから心配しないでね」-と伝えている。(お父さんへはこの電話のことは内緒にしてね、とのニュアンスで)
☆おそらく、庭先へまで自分だけを連れ出して話しかけようとする本村の様子から、「これは本当にその話をしている者がいることは確かだ」と判断したのだろう。だから、その場で本来の目的を終えたことでそのまま振り返らずに帰って行ったのではないか。
☆おそらく、その後このようなことがあったのではないか。
「本村が言っているのは本当だ。誰かがその事を疑っているのは間違いない。このままでは宜野湾の本店が実は、覚せい剤なども扱うことは常識とされている売春婦相手のゲーム喫茶で儲かっていることまで公になれば大変なことになる」-などと、ひとり帰り道を歩きながらどうにかしなければならないと考えていた照子へ二人の娘が追いつき、そのまま一緒に団地へ向かい、その事について食堂「ふく家」辺りで妹のちあきの夫、もうひとりの妹の香の男、そしてせいほうの警察関係者の兄らも集まり、相談することになったのではないか。そこで、もし妻が家に帰らないとなるとなればとにかく大変な事態になるのだから最終的には早く妻を家に戻すことで話は付いたのではないか。
しかし、その後もそのことへ言及させないように用心だけはしなければならない旨申し合わせをし、翌日も又、話し合うことになったのではないか。
★翌10日。前の晩に娘の母親が約束したとおり、重要な自営業の手伝いと最低限の中学生二人の主婦役は翌朝早くから出てきてそれをやった。
★しかし、夜になるとまた出て行く妻の様子だった。
☆おそらく、その日も食堂「ふく家」辺りで昨日に続く話し合いをする予定になっていて、その事をうまく伝えきれなものだから黙ってそのまま家を出たのではないか。昨夜に続く話し合いで、「妻が戻ったら戻ったで追求を緩めないのではないか」-などとの話になり、当面その結論が出るまで家出を続けさせることになったのではないか。
★その翌日の11日の朝も続けた。その夜にまたどこへやら出ようとする娘の母親を見かねて、そのような状態になるまで追い込んでいるその背景に潜む因果関係を二度と許すまいと、その晩は残った家族でとりあえず娘の母親を「民放877条の扶養違反」と「悪意の扶養義務遺棄」で家庭裁判所に訴える事を決める。
☆その晩の話し合いではおそらく、本村が追求する時は決まって酒を飲んだ時だろうから、昔のように酒をやめさせる必要があるとしたのではないか。そのためには娘を奪い人質にする必要があるのではないか、などと話し合いをしたのではないか。
★翌8月12日の早朝、家にいる娘をグランドまで送らすと、娘を送る車内で娘から昨晩の情報を得ようとしたのか、本当に自分のこれまでの素行を家庭裁判所へ訴えるのかどうなのか様子を見様としたのか、それとも娘がそれまで関わっていたお父さんには一切隠していた数年前からの食堂「ふく家」との関係の証拠隠滅と軟禁洗脳が目的なのか。
★以来、そのまま娘を連れ去ってしまったまま今日であれから約4ヶ月になる。
☆これもこの日から二ヶ月半経った10月27日に明らかになることだが、この日は「配偶者暴力相談支援センター」へ行かされていることが分っていることから、おそらく昼前の早い時間ぐらいまでは「その申し立て書を提出したらこの娘を奪うぞ!!」-という誘拐メッセージを込めていたからこそその後、その娘の担保や人質としての価値を高めるため、娘や母親との連絡をわざと絶たせたのではないか。
そして、とうとう提出をしたことを夜の八時辺りになって明らかになったことから、犯人らは自らの犯罪を隠蔽する目的で、あわてて「夫婦喧嘩や家庭内のDV」などというストーリーで、「その家の娘と母親が二人で伴に家出をした」-との偽のアリバイ作りを急ぐため、わざわざ妻や娘をかくまってるその場所とされる浦添市城間にある県営団地の3号棟ー401号室まで出向き、その画策を練ってから「配偶者暴力相談支援センター」へ妻と娘を脅し、そそのかし、出向かわせたのではないか。
★この時、確か午後の10時過ぎだったと思うが、その団地の一室の入り口付近ではこんなことがあった:
二時間ほど前の午後八時ごろに娘の家出人捜索願を提出して、「もしや?」と思いその団地へ確かめに行った。
すると、部屋のある四階の踊り場付近で様子を見ていると、団地内へパトカーが入って来て、その四階まで警官の一人が登って来てその部屋ドアを指差しこう言った「来てる?」-と。
☆つまり、向かいの一号棟から様子を見ていた妻の妹の金城香の家族の誰かが、110番通報して城間交番のパトカーを呼んだのだろう。それで、私を110番をかけた本人と勘違いした。★そして、本村と名乗った私に気が付き始めて「家出人捜索は取り下げてください」と浦添署の生活安全課の伊礼課長へ電話した。
★そこで、伊礼課長は本村を追い返すように指示を出した。
☆、おそらく、この時は伊礼課長は浦添警察署内のどこかに居て、私へ携帯電話から「今日はもう遅いから帰るように」と、何の根拠もないにも関わらず強制をしたのだろう。
これは推理だが、犯人らは「夫婦喧嘩や家庭内のDV」のでった上げで忙しい。
おそらくその団地内或いは食堂「ふく家」あたりを出て浦添警察署内の一室でアリバイ作りを急いでいた。そして実はまったく実態がない「配偶者暴力相談支援センター」称した書類をその浦添警察署内であしらえている最中だったのではないか。
だから私がその団地へ来た時はその団地内には誰も居なかったのではないか。それを知られるのが怖くなった浦添警察署の伊礼課長は城間交番の警官の携帯電話まで介して私へ無理やり今日のところは引き下がることを大声で怒鳴っていたのではないか。
彼ら犯人らが自ら犯したその刑法犯罪である「拉致教唆」を逃れる目的のために。
そして、その内容はというと:
☆おそらく、拉致や誘拐を教唆されただけで何の罪にもならない妻へは「あんたが罪になる」とうそを言って脅し、そそのかす。
その一方娘へも「あんたも今日お母さんと一緒になって家出したことにしないとお母さんがあんたを拉致したことで刑務所に行ってしまう。だから絶対に拉致されたとは言わないこと」-と、ありもしない妻の刑務所行きを盾に娘まで脅迫し、脅し、そそのかしたのではないか。
★家庭裁判所平成23年(家イ)第413、414、415、416、417号事件各々として調停日程調整中として届けたその8月12日の昼には恐ろしくなり躊躇して提出間際に受付で相談すると、母親の素行を訴える申し立て人の一人である娘を相手方である母親が連れ去ったなら危険な疑いはあるから警察暑へ家出人捜索届けをだすのがいいのでは、
ーと言われ、夜の8時を回って娘が生まれて初めて(学校行事や旅行以外では)こんな遅くまで音信不通でさえなかったこともあり、「家出人」として届け出書を提出。
翌日帰って来ない娘の相談で家庭裁判所に行くと児童相談所がいいと言うので警察に通告を頼むがどうなったのかわけがわからないまま数日が過ぎる。
3日目の午前、メールで部活中とあったので部活へ様子を見に行くと父親の姿を
見るなり逃げてどこかへいなくなった。直後自転車で校内外を探すとなにやら不
審な車両に娘らしき影を発見するも見失ってしまった。
内心、あれはもしや児童相談所の車で保護されているのかな?とも思い、ほっと
するも不安は募り、翌日見覚えのある車両ナンバー(11‐27)を児童相談所で発見するまでは安心できなかった。受付で訪ねると教えてくれはしなかったものの娘は機関に保護されている確信を得、娘が居なくなって初めて安堵感に浸った。(8月19日金曜日)
その足で早速裏付けを取るため警察がおうむ返しをする「母親と一緒だから~!」と繰り返す娘の母親がいるとされる母親の母親の住む団地への電話と娘の
母親が手伝っているだろう姉妹の経営する食堂で娘はいないが娘の母親だけはい
るのを確認した。
翌日20日土曜日午後。その食堂へ行くと本日休業。
夜の9時半頃に団地に電話をかけるといるというので入り娘を8日振りに身近で
見る。
その直後の詳細は別の機会に、、、。
以上。
2011年12月7日 おやじ、本村安彦
2011年12月04日
日常
詳細はブログ→http://motomurayasuhiko.ti-da.net/e3824783.htmlをご覧ください
「概略」報告と説明
様
しばらくの間、訪問での御挨拶が遅れておりましたので以下、その理由の報告説明をいたします。
平成23年12月4日 金城本村リフォーム設計 代表 本村安彦 電話098-876-5538番
ご承知のように金城本村リフォーム設計代表者の本村安彦は訪問販売の営業活動を通じ、この18年間、無党派無宗教無団体という庶民の立場で様々な沖縄社会の問題をボランティア活動の一環として提起し、自由に議論して頂きながら皆様のご協力の下、多くの沖縄社会の問題を解決してきました。これからもよろしくお願いいたします。
しかし、残念ながら去る5月24日以降から、その金城本村リフォーム設計の特色であるそのような社会貢献がまったくもって行えないようになりました。今日はその報告と説明をいたします。
ものの本によると、弾圧(だんあつ)とは、権力を濫用(らんよう)し与える加害行為で、権力者側による弾圧を組織的弾圧と呼ぶこともある。または、おさえつけること。特に、支配者が権力を行使して反対勢力の活動を抑圧すること。「言論を―する」などとありますとおり、今まさにその弾圧によってこの金城本村リフォーム設計の言論ボランティア活動が現在のところ行えません。
事の成り行き:
※2011年2月27日。以下の仮説をインターネット上と散らし配布で発表する。
先ず今日現在沖縄の健康状況から:
1、1946年以降生まれ世代の全国1早世・早死にの問題。いわゆるつい最近まで長寿日本1の沖縄が現在は26位に下がり、数年すれば47番目の最下位に向かう最大の原因である70歳未満世代の早世・早死にが男性全国1で、女性も5位の高さ。男女合わせると全国1の早世・早死にという問題。
2、全国平均不妊症カップルの割合が10組に1組なのに、なぜ沖縄では7組に1組と多いのかという問題。
3、低出生体重児・未熟児(1500グラム以上2500グラム以下)が生まれる率が全国1高い沖縄。全国2番目に多い青森県でさえ9パーセント台(10人中0.9人がその未熟児が生まれる)なのに、全国1の沖縄ではなんと11パーセントを超える(10人中1・1人がその未熟児が生まれる)問題。低出生体重児や超低出生体重児は幼少時期からかなりの成人病・生活習慣病のリスクを背負って誕生するそうです。だから問題なのです。
仮説第一回目:
1、の原因その1、1946年から始まったビキニ環礁での核実験。終了する15年後の1962年までに米国などによっておよそ合計70回行われた。よって、約70回もの核実験による放射性物質を含む放射能雨が琉球列島へ15年余連日のように降り注ぎ続けた。
米軍の核実験時の放射能雨の情報を握りつぶした当の米軍の米軍基地は慌てて水道を敷いた一方、その間の琉球列島の住民約80パーセントは琉球気象台の情報を操作された関係でなんの疑いも無く天水を利用していた。特に当時生まれたばかりの頃の年代の者、いわゆる現在70歳の者は 満15歳になるまでづ~とその放射性物質を含む天水を毎日摂取していただろうから全国1の早世・早死にの短命になっている。
1、の原因その2、上記に加えて1960年代のベトナムで使用された枯葉剤に混入していたダイオキシン散布の問題も重なった。つまり、1962年にビキニ環礁での原爆の実験が終わった頃の1960年代初頭から後半にかけて沖縄本島北部の米軍北部訓練場内でダイオキシンを含む枯葉剤が散布実験・訓練として散布し ていた問題。その地域には実は、その1960年代後半から1970年代にかけて敷かれた水道本管のうち沖縄県民の60パーセントが利用する水道水の水がめのダムが五つも出来るのである。
2007年に暴露されるまでまったく知る由もない県民はその水道水を飲み続けるわけだが、特にその現在70歳未満の者は原爆の放射能雨から連続していることから被害が多く、全国1早世・早死にになるのは当然の結果と言える。
1、の原因その3、戦後沖縄の教育行政で現れている通り、特殊教育対象児童の急激な増加時期とビキニ環礁との因果関係性の問題。戦後の沖縄で盲ろう学校という特殊教育が始まった1951の盲対象児童がほんの10人(全体では32人)で、その4年後の1955年にはその盲対象児童がなんと132人にも上り 、更にそれから7~9年後の1962年から64年に流行した風疹(三日はしか)が原因と認定され新たに生まれた374人もの特殊教育対象児童(内339人は難聴児童)らの主原因とされる妊婦母体の出産当時年齢が17歳~27歳という現在70歳未満の早世・早死に年齢という問題。つまり、放射性物質で免疫力も衰え、弱り きった世代が妊娠をし、風疹(三日はしか)に侵され、全国総数でも僅か1,000人しか対象児童のいないその時期の特殊教育対象児童をたったの1県・沖縄だけで374人も一挙に出産することに繋がったのではないのか。当然の結果として、この年代の沖縄での健康診断時で「必ず病院へ行くこと」として持たされる有所見率 は全国1である。
2、の原因その1、上記65歳未満の年代の健康問題を考えると、ちょうど彼等の子ども世代が現在の不妊症で悩む世代となっている。
母体への汚染が仮に放射性物質などであった場合、時系列からいって当たり前と言えば当たり前の結果だろう。1、の原因上記のような原因であれば。
あえてここで特筆するなら、後々の70~80年台には県民の60パーセントが飲料水として利用することとなる5つもの水がめが建設されるその土壌、森林や水辺へ、当時もその場所が米軍の北部訓練場ということで1960年代のベトナム戦争当時から長年に亘りダイオキシンを含む枯葉剤を散布実験・訓練していたこととの因果関係だろう。
3、の原因その1、問題の70歳未満の年代からすれば丁度母体や父親がその息子や娘世代で、低出生体重児・未熟児がその孫に当たる問題。
参考資料:2007年に発覚した五つも県民の水がめであるダムが存在する北部米軍訓練区域内のそのダム周辺に米軍がダイオキシンを含む枯葉剤を長年に亘り散布。(2007年7月9日付沖縄タイムス紙夕刊一面及び同日付琉球新報紙夕刊一面)これはお願いですから皆さん是非図書館へ行って下さい。
さらにもうひとつ沖縄の県民すべての世代にとって見過ごすことができないかなり深刻な事件がある。 1954年の米国政府によるビキニ環礁での水爆実験の際に被爆した沖縄のマグロ漁船のマグロは一匹も棄てられた記録がないこと。また、実験直後から日本への放射能汚染への懸念が全国的に広がったが、沖縄では当初は米軍による調査で、検査値の結果も明らかになっていない実情があること。そして、当時の県内は80パーセントが天水の利用だったが、実験の後、米軍基地は急いで水道を敷いたこと。加えて、実験の後県民の相当な人が(放射能物質を含む可能性があった)天水を飲んだのではないか」との研究報告から、沖縄は当事も米軍占領下だったことから、実験国が支配していた状況で、本土と対応が違い沖縄の米軍基地内と外との対応の差別的違いが明らかになった調査結果。(2010年11月22日付琉球新 報紙22ページから)
※2011年3月3日(木)。沖縄では本村安彦仮説から始まった沖縄タイムス紙スクープ↓
沖縄タイムス紙一面「ビキニ死の灰沖縄に」「死の灰嘉手納で本土の2倍」「54年水爆実験後米が観測」「人体の影響専門家調査へ」。社会面「何も知らず被ばくか」「沖縄に死の灰」「米統治下情報奪われ」「近海の船員早世相次ぐ」
※2011年3月11日。フクシマ原子力発電所から放射能が漏れる。
※2011年4月4日。琉球新報紙、本村家、きょうだい6人皆勤賞 港川小2011年4月4日 きょうだい全員小学校皆勤賞を達成した本村家の(左から)五男望君、三男自然さん、末っ子未姫さん、次男眞理さん、四男公平君=3月29日、浦添市港川http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-175672-storytopic-7.html
【浦添】浦添市の港川小学校を今春卒業した本村未姫さん(12)が皆勤賞で表彰された。未姫さんは6人きょうだいの末っ子で、きょうだい全員が同小を1日も休まず卒業。兄たちは中学校も皆勤賞を取り、未姫さんは「兄ちゃんたちがやってきたことで当たり前だと思ってきた。港川中学校の3年間も頑張りたい」と語り、父安彦さん(57)は「共働きで一人一人にゆっくり付き添うことができない中、自分たちの力で頑張ってくれた」と子どもたちの成長を喜んでいる。
※4月5日(4月8報道)。フクシマの放射能が沖縄で観測される。
※4月24日。沖縄電力も原子力発電を7年前から研究問題が新聞で発覚。
※5月23日。夕方、インターネット掲示板 http://groups.yahoo.co.jp/group/ml_ryukyu_400130/ 上で、今回のフクシマ現地の放射能雨の汚染量より、かつてのビキニ環礁での核実験による放射能雨が琉球列島に降り注いだ当時の琉球気象台の記録、17万カウントのほうがかなり凄い放射能汚染量であることを伝え、公表し警鐘を鳴らす。
※5月24日。浦添警察署生活安全課による人通りの多い時間帯での、沖縄の核貯蔵庫撤去市民運動歴17年間の主人の個人的な市民運動に対するこれ見よがし的な妻と二人だけの零細自営家業の個人自宅への突然の家宅捜索。そしてその後の2ヶ月に亘るも数回だけの取調べなどの長期嫌がらせによって商売上の信用が顧客との間でぐらつき、以来、この約半年収入が20分の1に激減した。
信用が第一の商売。とうぜんながら自営家業の商売が危うくなる。すると売り上げが上がらなくなることで金銭的にお父さんやお母さんを圧迫し、家計や商売がうまくいかなくなり出します。そして、その被害行為が長引くと当然に精神的にも圧迫され続けることになる。そうなると、当然ながら家庭内では多少の混乱が予想されます。
※六日後の2011年5月30日深夜。長崎放送放映の沖縄の核兵器報道に妻と二人だけの零細自営家業の主人・私本村が出演。以後、8月3日までの約二ヵ月半浦添警察署生活安全課による取調べが続く。
※2011年7月30日。来る8月13日の全国ネットテレビ放送ニュース番組に私が出演するこが決まる。すると、警察裏金狙いの情報屋がうごめく。
※翌日、8月1日。食堂「ふく家」の実質経営者でもある兄の警察関係者から浦添警察署へ「本村潰し」のデマ通報。家宅捜索直後の5月30日に出演した長崎放送に続き来る8月13日。今度はTBS「報道特集」全国ネット番組出演。「違法ではないが、本村が動けば何かと浦添警察署生活安全課へ幅広い問い合わせが増えめんどくさい」ーと、常々潰したいと思っているそんな矢先。逆に本村の会社が生き延びることに間違いなくなるテレビ出演で困っていた。
そして、そのデマを聞いた浦添警察署は、デマは分かりつつもその日のうちに呼び出しの電話をし、その食堂「ふく家」の実質経営者で警察関係者の意向に沿い嫌がらせをする。
★その時の電話で、取調べの日時を二日後の8月3日の午前十時から二時間ぐらいとした取調べの約束をする。
※2011/8/3 ↓
※8月3日午前8時24分、お母さんの携帯へ食堂「ふく 家」の経営者の妻で、妻の妹の志良堂ちあきから電話 が入る。(??)
午前10時丁度、お母さんがお父さんを浦添
警察署へ送り届ける。
これで※5月24日から始まっ
た一連の浦添察署生活安全
課による金城本村リフォー
ム設計の本村安彦に対する
取調べが終わり、嫌疑が晴
れ、事件が終息した。
※8月3日。浦添警察署生活安全課は最後の仕上げとばかりに、妻と二人だけの零細自営家業の個人へ間をおいた取調べ攻撃を2ヶ月ものらりくらり続けたあげく、「貴方の放射能除去浄水器販売自営家業・生業と核兵器撤去ボランティアは早くやめなさい」とのある種の脅迫メッセージを届けることに成功する。
午後1時ごろ、 お母さんが浦添警察署近くにいるお父さ
んを迎える。
午後1時49分、お母さんの携帯に090-2069-9934から着信がる。(??)
午後3時33分、お母さんの携帯へ妹の志良堂ちあきから電話がる。(??)
午後4時31分、お母さんの携帯に県内の大
手金融会社のオークスの債権
取り立てセンターから電話が入
る、、、。(??)
・
・
・
※この日、一連の家宅捜索事件が終息して、その他の懸案も解決を見たことで金城本村リフォーム設計としてはあとは新たな戦略の模索に入りつつあったが、その一方では、滞ってしまっている様々な学費や最低限度の衣食住の費用といった金銭的な問題などが一挙に脳裏をよぎった。
午前10:00分~午後1:00分頃まで浦添警察署の市民生活安全課か ら呼び出されて、なんと一ヶ月以上も前の先月7月の初旬までには5月24日以来5回に 亘って取調べをしてまでその事件は間違いだったということで終えているはずの、十 分に何の疑いもないことが分かっているはずの事件の件での突然の再調書だった。
と言うのも、そのことを問う私に対する担当刑事のしどろもど ろの説明などからは一体何のための呼び出しだったか今もって 分からない呼び出しだった印象を強くもっている。(よっぽど、 これはもしかして、、、警察関係にいる者の仕業では??など、 或いは警察そのものではなくて、誰かの嫌がらせではないか? などと思うようになっていった。
しかし、その一方、昨今の浦添警察署が家宅捜索までして、それ まで誰も侵したことがない本村家やお父さん、お母さんの家へ まで深く入り込んで繰り返す嫌がらせが続いていたことをきっ かけに、長女・未姫にまで上の男の兄弟並みな厳しい指導方針 を貫き通すアスリート一家としては当たり前的な考え方をめぐ り、昨日まではそんなアスリート一家の妻として、母として普 通についてきていたお母さんは、お父さんがこの日の取調べに疲れて帰って来た後からは、急に警察という虎の威をお母さんはどこから借りたのか急激に「女子にまでそんなに厳しくする必要などないのではないか」、、、などと大柄な態度にまで出てくるようになっていいった。いったい何時何処でなにがあった??
どうも、今思えば、お父さんが取調室に居る間のこの日のその 時間。午前10時から午後1時くらいまでの約三時間、一体何 がお母さんを大柄な態度へ変えていったのか??なんで急にそ のお父さんの考え方への対立が始まったのだろうか???
これはあくまでも推測だが、その3時間のあいだ、実は2年前にお母さ んの方からから浦添警察署まで来て夫婦喧嘩のことで相談に来ていた時の相 談保管記録を脅しに利用したんじゃないか。そしてこんなことを行ったんではな いか。
お母さんも事情聴取として、また以前のように、警察署の駐車場または生活安全課 かどこか浦添警察署内の生活安全課の伊礼課長辺りが直接担当者となって別の場所 で、その家宅捜索まで過剰にやってしまったような事件のお父さんの調書の裏を取 られていたのではないだろうか。
だから、そのお父さんだけの浦添警察署での取調べのある朝にそのことを伝えるために実の妹の志良堂ちあきから電話があったんじゃないか。
警察関係者を兄に持つちあきの夫が、その兄からその旨をお母さんへ伝えるようにとちあきの夫から指示が出たんじゃないか。
つまり、食堂「ふく家」の経営者の妻でお母さんの実の妹の志良堂ちあきから「本村の取調べ中、その話を別の場所でお母さんへ聞かせて、裏を取りたいから本村を降ろしたら、食堂「ふく家」なり、その警察署の何処何処へ行って取調べを受けて」などと、何らかの方法でお父さんが取調室で話している内容の裏を取らされるから、-との電話があったんじゃないか。
そして、その取調べが終わった頃にまた、「本村に気付かれなかった?」と確認の電話を入れて、このお父さんには「一切話さないで」などとの何らかの密約をさせられたことで何らかの縛りをその実の妹を介して食堂「ふく家」の夫の兄の警察関係者から圧力をかけられたんじゃないか?だからお母さんはそれ以来黙りこくようになっていったのではないか?そして2年前の浦添警察署に行かされた夫婦喧嘩のことの相談相談保管記録のことを一切知らないお父さんをいいことに、「もし、今日の事を話したらお父さんへ知らすぞ!!」-と脅しにも利用しているんじゃないか。
※2011/8/4昼前→ 以下、家庭裁判所へ出した仮処分申請書から抜粋:
8月4日。その日の昼前に家に戻る途中の 車内。夫婦でもめた。
原因は、妻の仕事中の携帯電話の多さだった。
電話の会話の調子からその相手の中には知っている者もいれば知ら ない者も含まれることがある程度分かることが災いし、全く誰かが 分からない時には「誰?(二人で情報交換しなければならないこと がこんなにあるのに妻への着信が邪魔でコミュニケーションがとれ ないの意)」「忙しいから切っとけ!俺がいる時は後でと言えば」 「今旦那がいるから後でねと言うんだ」などと連発する時もある。
結局何でもない証明で終わった5月24日の家宅捜索。何でもない 事が分かる先月7月末までの約二ヶ月の間に4~5回の事情聴取で 狭い街では信用ががた落ちで売り上げが普段の十分の一に激減し た。
(家宅捜索時の押収品目録交付書の写し2枚を添付したので参照のこ と)
、、、これはほんの一例だが、このところ様々な出来事が我が家 を覆い続ける。
そんな中、車の運転以外は夫の私が自営業のリフォーム関係の 仕事をこなす。
しかし売り上げがきつくなって約4ヶ月。心配事が山ほどあるにもか かわらず妻の運転中での、こんな調子でのほほんと、ぺちゃくちゃぺ ちゃくちゃやっている姿を見て後部座席から携電話を取り上げた。
その時に互いに胸ぐらを掴むなどの揉み合いになって先に夫のボタン 一つ妻が引きちぎっただけでその後も口喧嘩以外は何もなかった。
そのまま昼御飯を待っている子どもたちも家にいることもあ り、妻は家の駐車場で再度けんかを挑発するも、丁度子どもの姿が見 え出した場所に差し掛かったこともあり到着後、出来るだけ子どもた ちに気付かれないように振る舞い、そのまま時差を付けながら家に 入った。
(8月4日といえば、丁度昼過ぎから台風の強風域に入りつつあった日)
二人が家に入ってしばらく経ってそろそろ台風時の買い物を済ませ ようと、丁度車の運転ができる次男がたまたま来ていたこともあり、 さっきの揉め事でスッキリしていないことも手伝い、結局その次男と 買出しに出掛けた。
娘の話によると(ひとり家に残った)娘の父親と兄が買い物に出掛 けると同時に図ったように家にはない携帯電話を探し回るも夫がその まま持って行った事に腹を立てる。
そして、午後2時頃までにはその台風の最中、独りで家を出た。
(娘の家ではリフォーム業を自営し、長年生業として来た。その手伝い を運転免許のない夫の運転手としての重要な手伝いもしている母親が 娘だけではなく他の4人の兄もいる家を捨てどこへともなく姿を消し た)
その時家にはその中1の娘だけだった。
しばらく経って買い物から戻った娘の父親である私と娘の兄は娘の母 親がいないことに気付き、一人で残されたその娘へ尋ねると「知らん」 とパソコンに向かったままそっけない返事。
その日の夜になって台風は益々本格的に吹き荒れだしたことから心配 になってその母親がいなくなった時の詳しい情報を得ようと娘再度尋ね た。
すると娘は「とにかく何処に行ったか分からない。3~4回玄関のドア をバタンバタンさせていたからきっとタバコを切らしていてイライラ して外にタバコを買いに行ったかと思ったらそのまま帰ってこない」 と。
またこうも推理する「これは自分の想像だけど、どっか近所の家に行 き、、、、」とも。
娘の父親や兄たちも、又か、、、と。娘の父親は「50(歳)も超え てもまだ同じ事を繰り返して家を捨てる母親を探し回るのも恥ずかしい からと放っておいた。
5、6日経って娘の父親が心当たりに声を掛け出した。
、、、、、以下省略。つづきは、別紙「仮処分申請書」を参照の こと。
同日※2011/8/4 ↓
上記にもあるように、午後2時ごろ、お母さんはたった一人で家を出 ることになる。
その経緯の真相は実はこうではないか:
その前に、妻のそのような素行の根底にある以下のようなことを先ず、明らかにした上で事の真相を推理してみたい:
推理:
8月4日、↓
この日の午前中の上記のようなお父さんとのぶつかりなどの出来事の 主原因である前日や当日に電話で請求のあった夫には話せないような オークスなどの金銭的な問題を誰かに相談しようとするも、携帯電話 もなく、近場の電話を借りた家から第三者へ相談を持ちかけたとこ ろ、その夫のお父さんの知らない金銭的な問題をお母さんと関係持つ ような本村家に対して一種のやましさを持つその第三者で相談相手 は、金銭的な自らの問題にも絡むような緊急な問題を解決せんがため の目的で、そんな腹づもりなどに気付かず連絡してきたお母さんへ
「お父さんと喧嘩をした?夫に殴られるかも知れないから家をいった ん出てみれば」などと、ありもしない暴力といううそでそそのかし、 一日でも家を空けると大混乱に陥ることとなる本村家の妻で主婦兼自 営家業の共同経営者でもあるお母さんに対して、実はその秘密を夫の お父さんに知られるのが怖くなって、自らが逃れるために本村家の重 要な役割のあるお母さんの立場など一切かまわず無責任なアドバイス をしたのではないか。
そしてその第三者の思惑ありな指示でお母さんがたった一人で台 風が迫る最中家出を果たしたのではないか??しかもパトカーで?? 或いは食堂ふく家経営者の車で。
そして、それまでの一連の時系列からはもしかしたら、その第三者で 相談の相手というのは実は、お母さんやお父さんを陥れている張本人 で、その様な状況が早く来ないかと待ち構えていたその相談相手と関 係のある浦添警察署の生活安全課の誰かか、或いは同じ浦添警察署は 浦添警察署でも、本村家を貶めようと画策している生活安全課と関係 を持つ第三者で、その生活安全課以外の部署の夫の暴力が原因と勘違 いした単なる110番または婦人警察官だったのではないか??
つまり、お母さんの混乱の原因は、浦添警察署の生活安全課と何らか の関係を持つ第三者が持ち続けている本村家を貶める狙いの思惑など が主因で、その事にまったく気付く様子のないお母さんは間違って、 本村家を貶めようと待ち構えている張本人でもある第三者と関係のあ る浦添警察署へ相談の申し出をしてしまったたのではないか。あべこ べに。
そして、この日または後日、浦添警察署生活安全課の思惑などに未だ にまったく気づいていないお母さんから本村家のお父さんや子どもた ちを貶める情報を浦添警察署生活安全課とその第三者は易々と入手で きたことだろう。
要するに、表向きは、暴力も振るわない単なる夫婦げんかについてで はあるが、今後はできるだけ回避するためには一旦は家を出たほうが いいかどうかというようなごく世間一般的にもありふれたような何気 ない夫婦喧嘩について相談を持ちかけたお母さん、というシナリオを 用意していたのではないか。
そして、その裏を知らない他の警察官らへ夫の暴力が原因と勘違いさ せ、そのお母さんの家出当初の、第三者絡みの生活安全課とはまった く別の課である、その裏とはまったく無関係な地域課の婦人警官の誰 かがその相談者で第三者に摩り替わったのではないか。
しかし、その後その純粋な警察官、または婦人警官がいろいろと調べて いくうちに夫の暴力はないことに後で気付き、一連のDVや虐待などと のデマを元に大騒ぎしたのはいったいなんだったんだろうなどと、ばつ が悪くなったことから最後には本村家を潰す思惑のある生活安全課が扱 い、生活安全課や相談者で第三者自らの狙いである本村家を貶める目的 のためにお母さんを「金銭トラブル回避の保障」を盾に脅し、騙しだ し、巻き込み、お母さんを益々本村家から遠ざけてしまったのではな か。
その証拠として、お母さんはしきりに食堂「ふく家」で働かざるを得なくなってしまっていて我が家や家業へ戻れない状況が存在するのではないか。
或いは、少なくとも8月4日以来、今日現在も家出状態のお母 さんと、その後途中の8月12日から拉致監禁され続けている 娘の被害の原因までその浦添警察署生活安全課が作ってしまった可能 性も否定できないのではないか。
いや、それらすべてが浦添警察署生活安全課の仕業なのかも知れない。
だとすれば、お父さんが妻・お母さんや、娘・未姫との相談のことで 会おうと連絡を取ろうとしたとき必ず妨害をしてきている警察権力の 壁や影が常に立ちはだかるつじつまや、そんなにまでして本村家を貶め るなどとの狙いがある警察権力の思惑など知りようもない妻・お母さん や娘・未姫と、食堂のふく家でのお母さんの実の妹たちの一連の警察権 力をバックニした横柄な態度のつじつまも合致することになる。
(※8月4日。この日からの出来事はすでに詳細な内容として、 「仮処分申請書や被害届」の文書につづられていますのでご覧くださ い)
過去20年の金銭面での事実と推測からの考察:
「なんで母で妻の本村弘美が家に帰れないか?」
あえて今回このように大げさに表現することで、あらゆる可能性を大胆に推測まで行い、真相を明らかにし、最終的には「そんな大それたことまではなかった」-と、逆に証明していく必要があると思い、以下したためましたのでご一読ください。
故・島袋照子は25年以上も前の過去において、自らが使う目的で実の娘で長女の本村弘美(当時の姓は旧姓で金城弘美)を名義人または連帯保証人として借金をした。
その後、その故・島袋照子自らが使った金銭債務の返済から自らが逃れる手段として、当時はすで嫁に行き、別々の世帯を持って何年にもなっていた本村弘美に対して、未だ二十歳をわずかに過ぎたばかりの若さでその意味もよく知らないことをいいことに「破産宣告が楽だ」と自己破産を押し付け、逃れた。
後になって、寝耳に水のその話を聞かされたときに「確かに自己破産すれば法的にはあらゆる債務から逃れられはするもののしかし、一方では、我が家の妻であり母親でもある本村弘美が、しかも別世帯の実母に自己破産されてしまっては、今後の我が家の人生の中で起こるであろう様々な社会的困難やペナルティーがその自己破産をしたことによってより多く降りかかることになることを伝え、当時のその選択は実は、本村弘美にとってはごくわずかなリスク回避のために膨大な便益を失うことのほうが大きい。間違っている」と当時も本村弘美へ話し、止めるよう薦めたのを今でも覚えているものの、この一家の主である私へは一切話もなく、私抜きで進めた手続きだったことから止めさせきれなかった。
おかげで妻・本村弘美自身はもちろん、本村一家の主である私自身や子どもたちも結婚当初から時折、社会的、或いはこと金融機関との関係において一人前じゃなかったことで後悔し悩み続けることになった。
案の定、本村弘美自身は、人として、一人の人間・子を持つ母親としては現実から逃げてしまった無責任ーとの内なる自己批判や、その自らの実母の不道徳がまねく殺伐とした将来へいざなう道徳的社会通念の制裁から以後十年余り、一人前の大人として扱われなくなる恐れの可能性を常に背負ってきてしまっている。
今から15年ほど前にもこんな事があった。 「県営団地の住居強制立ち退きの手続きの時間帯には絶対に立ち会うな。立ち会ったら本当に追い出されてしまうぞ」ーと、妻の本村弘美へ注意していた本村一家の主で夫の私の注意を、なんとその故・島袋照子は娘・本村弘美へ「母ちゃんの言うとおりにしなさい。強制立ち退きの手続きの時間にはちゃんと立会いなさい」などと、たぶらかし、本村弘美は主の私へは一切内緒で従い、おかげで即刻強制立ち退きに入られ、本村弘美自身も泣き泣き本村家一家全員の家を失わせた。
私が知らせを受け、駆けつけたときにはすでに後の祭り。詰め込めるだけの世帯道具を詰め込まれた普通乗用車の運転席でわずか生後三ヶ月の五男をひとり抱きかかえさせられるという冷たい扱いをされた本村弘美は、実母・故・島袋照子のあやまちに気付き、以後15年実の母であるその故・島袋照子の言いなりにならなくなり、本村家の母として妻としてここまでの15年成功の道を収めることができた。
しかし、15年の歳月と本村一家の主である本村安彦の注意不足や甘さがそのお母さんのあるべき姿、または道を狂わせた。
実は、その遠くに居るべき故・島袋照子が去年から近くの県営城間団地へ引っ越してきてからは怒濤のごとく、お母さんの昔の記憶へ記憶へと流れさかのぼって戻ってしまった。
そして、今回。
この二十年余、本村家で頑張ったお母さん自身の名誉や徳性。そして社会人なら当然の利益と債務。普通の社会人なら真正面から立ち向かわなければならない。
しかし、その故・島袋照子はまたもやお母さんへささやいた。(以後の内容についてはあくまでも可能性を追求してみた)
特に「離婚して、母子家庭になれ。そしたらかなりの母子手当てが入る。今の暮らしより楽になる」とのささやきは強く強調したのではないか。(故・島袋照子自分自身にはどんな狙いがあったかは本人に聞かないと知らないが、考えられることと言えば、例えば、母子手当てや福祉の援助金を持ってくる自分の思い通りになる娘を増やせることなどの欲得がありはする)
そして、故・島袋照子は、自らの実の娘・本村弘美の嫁ぎ先の本村一家の自営家業でその実の娘自身も夫と二人の共同経営者でもある金城本村リフォーム設計という、リフォーム工事などの仕事上の債務を背負ったままではその受給資格を失いかねなくなることから、「本村家の一切の債務を負わないで」その本村弘美と本村安彦の家業を潰し、市役所や福祉などの母子家庭などの援助を得させ、得る目的があったのではないか。以下、考えられることをさらに言えば、故・島袋照子自分自身への多少の小遣にもありつけるかもしれないなどと少しぐらいは目当てにしていたからこそ、債務の多い本村家の家業の共同経営者でありながらも連帯債務者にはなっていなかったことを本村弘美から聞き、
「ほら、昔かあちゃが言ったとおりに破産宣告で自己破産しておいてよかったでしょ。だから連帯責任者にさせられなかったんだよ。こんなふうなときに助かるんだよ。ありがたく思え」とささやきながら債務0での脱出・逃亡背任を図り、実娘・本村弘美をそそのかしまたもや教唆したのではないか。
そして、偶然とはいえ、その計画の道半ばの8月20日に本村家の主で本村弘美の夫の本村安彦が突然現れ、妻・本村弘美と娘・未姫を連れ戻そうと部屋へ入ってきた。
しかし、故・島袋照子がそのような計画を描いていたのであれば、浅はかではあるが、その浅はかな計画にとって必須の孫娘・未姫を取り戻そうとする娘の父親の本村安彦を追い払おうとしたものの、力尽きたのか、人生を全うしたのか、しばらくしてひとりでにその場で倒れ、救急車で運ばれはしたものの翌21日にはこの世を去った。
以上のような故・島袋照子と本村家の金銭にまつわる事実と推測の話は、故人本人とその実の娘で本村家の妻で母の本村弘美とその夫・本村安彦のこの三人だけにしか理解できない話であることから、偶然にも亡くなった故・島袋照子の四十九日の喪が明けた10月9日を持って終えたものとすべきであるとしたい。
よって、そのあやまった計画は実娘・本村弘美が実母故・島袋照子に代わって終わらすべきである。
終わらすことで、昨日まで足踏み状態が約三ヶ月続いてきた本村家一家全員が新たな明日の生活へ踏み出し、前へ進める。
以上。
平成23年10月19日 本村安彦
翌、8月4日に運転手役の妻を行方不明にさせて、その妹と夫は今度も私に無免許運転をさせる状況を作り出し、無免許運転をしたところをかねてから「情報屋」を介して私のライフワークである「沖縄から核施設を撤去させよう!!」とのボランティア活動を監視していた警察関係の兄を介して警察へ通報して逮捕監禁させ、仕事からはずし、ライフワークのボランティア活動も仕事もさせないようにしようとした。
私は5日後の8月8日に家出中の妻を探し当て、翌日家に実母や妹の香に伴われて戻ってきた妻とその運転免許の事について話し合いをした。
私はこの間も当然のようにチラシ配りと営業は徒歩で続けた。
翌日朝から、せめて夕方ぐらいまでの時間帯だけは仕事の件とは別にしてでも当時すでに家に残る遺棄・放棄状態にあった後になって拉致されることになる娘も含む5人の未成熟子の扶養の義務だけは最低限果たすことを決める。
翌日から子どもの送迎と家事だけは最低限やる目的で朝早くから何処からともなく現れて家事と子どもの送迎だけはやり続けた。
しかし、運転免許のない私が、徒歩で出来ることといえば自宅の地元を回るぐらいだが、それでもなんとか営業に毎日出てライフワークのボランティアを兼ねながら浄水器の販売営業を続ける傍ら、運転免許取得へ向け自練へ通うのを繰り返して三日ほどした
8月12日の早朝。
その日も何処からともなく娘の早朝練習の出発時間に少し遅れてやって来た妻へ、待ちきれず徒歩で先に練習へ出掛けた娘を途中でピックアップするよう指示を出し、娘を浦添総合グラウンドへ連れて行くように頼んだ。
☆おそらくその時は、「いかなる理由があろうとも直ぐに家庭や仕事、そして社会的なあらゆる物事をむやみに放棄させられてしまったようなお母さんを真似することがない母親になりなさいね。お前は。お父さんは知っている。娘のお前に対してお母さんがここ2,3日しきりに自己弁護を繰り返しているのを。しっかりしなさいよ!!」
ーと前日の晩辺りからその13歳の娘へ陸上のトレーニングを行いながら、更に厳しく、時には涙がにじむほどのいち人間としての教育的指導を繰り返しながら強く話し掛けていた事を娘から聞いて知った妻から又聞きをした食堂「ふく家」の実質的経営者で警察関係者らが只、単に「気に入らない」と思ったのだろう。
その時は、只それだけの理由で娘の拉致をもくろんだのだろう。
そして「父親が娘に対して虐待をした」などとありもしない「デマ・狂言」を先ず浦添警察署へ流し、その後その13歳の娘まで伴って「配偶者暴力相談」などとして女性センターへ父親へは一切連絡もせず違法に連れ出し巻き込んだ。
以来、裏を取るうちにその事実は無いことに気付きはしたものの、その時すでに一週間が過ぎていて父親へ謝罪すれば済む話にもかかわらず、そのまま拉致することにした。
そこで、娘13歳に対し、そして妻に対してそれなりの「悪者」に父親をする必要が生じた。それが、事の始まりではなかったか。
おそらくその日の時点では、運転手役の妻が居ないなら居ないなりに地元を徒歩で回るなどの方法での営業やボランティア活動をしぶとく続ける私に対し、娘まで居ないとなれば、きっと今回も過去同様、緊急避難的に無免許で自動車を運転し、娘の捜索を始め出し頻繁に無免許運転を繰り返すのではないかと踏んだのだろう。
また、翌日の8月13日予定の全国放送へ父親の私が出演するとなると、私の仕事やボランティアも間違いなく好転することにつながることは目に見えていたことから、「本村の家族潰し」を企ててきたそれまでの努力が水泡に帰するのではないかとの危機感もあって、「娘の拉致」などという大それた犯行行動を取ってしまったのだろう。
また、その全国放送出演という私の約二十年来のライフワークが実り成功する姿を、いずれは自らの商売の広告塔として利用したくて手に入れたい娘・未姫(みき)へだけは見せたくないという思いもあったのではないか。
なにしろ、彼らが、浦添警察署を利用し、拉致以後のこの娘へ行った悪戯では「あんたのお父さんの商売は悪い商売で、被疑者とまでなっている」などと警察官から十分すぎるほど思わせるような悪戯などがあったからだ。
無免許運転での逮捕監禁を目的に娘の未姫(みき)まで拉致してまで私に無免許運転をさせようともくろんでは見たものの、しかし私は、 この8月12日の午前8時18分以来連絡の途絶えた娘の未姫(みき)と妻を案じ、試行錯誤の末、その時の連絡係りの四男の公平(こうへい)から伝えられる状況を「拉致」と疑い、認識・判断した午後2時ごろには前日からその拉致された娘の未姫(みき)や妻、その他の家族へ話してあったとおり、その彼らの悪戯を那覇家庭裁判所へ「拉致」と口頭で訴え、申立て書での手続きではその疑い、認識・判断である「拉致」を確かめる目的で、その彼ら食堂「ふく家」の経営者や第三者らを浮き彫りにする目的でとりあえず、その当時事実として表面に現れている現象である妻の置かれた立場から始めることとして「扶養の義務悪意の遺棄母妻事件」として彼らの思惑などまったく知らないであろう妻を相手方として調停を申し立てた。
以来、その家庭裁判所への調停申し立てによって、そのようなその食堂「ふく家」を中心とする彼らの「本村潰し」の手段であった「無免許運転での逮捕監禁」の思惑は外れた。
そして、夜8時頃になって私が浦添警察署へ娘の分の家出人捜索願を出し、数時間前には家庭裁判所へ「その妻を利用している彼らを浮き彫りにする目的」があることは伝えず、只単に「扶養の義務違反の妻」という趣旨だけの文書を見せ、その通り調停を申し立てていることをその時の浦添警察署の警察官へ伝えた。
おそらく、その食堂「ふく家」の経営者や関係者らはその家庭裁判所への訴えを知って、「無免許運転で逮捕監禁」との当てが外れたことから慌てて万が一のため、最低でも娘を拉致したことだけは隠蔽しようとの対抗処置として、その時点ではすでに「ドロボーの片棒」を担いでしまっていたこともあり、その浦添警察署も一緒になって「夫婦のいさかいで家出している」-とのストーリー作りに入る目的で女性センターへ先ず、アリバイ的な実績作りの目的でそうとは告げずに「何らかの相談」という名目で出向いたのではないか。
その根拠はというと、これまで教育的指導や過去3~4年ほど前にあった正当防衛での緊急避難での夫婦のいさかいはあっても「暴力」などというようなことを一切振るっても居ないにもかかわらず。後日分かったその彼らの行った8月12日と8月30日のその女性センターでの相談内容は「配偶者暴力相談」となっていることである。
その根拠や証拠はまだある。
その一週間後。8月19日。その食堂「ふく家」で無理やり働かされている妻を見つけた時。二人話し合った家へ戻る条件を提示する妻の条件の中には「暴力を振るわないで」などという条件など微塵も無かった。
その時は、妻の実の妹の志良堂ちあきともうひとりの実の妹の金城香の二人。そして実母の故・島袋照子も立ち会っている。
そして、その時私が書いた「暴力」の文字などまったく入っていない「家へ戻る条件誓約書」を妻が今も保管しているはずである。
以上2011年12月3日 おやじ・本村安彦
※8月3日。浦添警察署生活安全課は最後の仕上げとばかりに、零細自営家業の個人へ間をおいた取調べ攻撃を2ヶ月ものらりくらり続けたあげく、「貴方の放射能除去浄水器販売自営家業・生業と核兵器撤去ボランティアは早くやめなさい」とのある種の脅迫メッセージを届けることに成功する。
※翌日8月4日。妻と二人だけの零細自営家業の個人業者の妻で共同経営者で運転手役が、この自営家業では今後も警察からいじめられるのではないか、との恐怖心から、いち経営者としてもいち主婦としてもすべてを遺棄・放棄させられ、一人で家出。
※八日後の2011年8月12日。第三者の狂言を利用した浦添警察署が運転免許も持たない主人たった一人だけが残った零細自営家業の個人宅の13歳の娘の拉致誘拐を指示したことで、実行犯が娘の母親のため逃げ出せず二ヶ月が経った今も未だに寝泊りを転々としていて、自分の家族の待つ自分の家へ帰って来れない。
※翌日の8月13日夕方5時30分。TBS全国ネット「報道特集」の沖縄の核兵器報道に妻と二人だけの零細自営家業の主人の私が出演し、全国へ沖縄や日本の平和運動を広めるがしかしその一方、今日現在、その自営家業は潰れかけ、妻と娘は行方不明状態が続いている。 そして、その背景にいる間接的弾圧者で沖縄の権力構造の頂点に居座る加害者らは暗黙のうちにそうなっていくことの情報をなぜか承知していた、、、。
だからといって、これはなにも国や沖縄電力そして県、或いは市などと言った経済や政治の統治者や支配者がこんな普通の市民一家でしかないいち本村家を直接的に弾圧していると言おうとしているわけではありません。では誰がいったい何の目的で彼ら経済や政治の統治者や支配者の間接的な弾圧加害行為に手を貸しているのだろうか推測してみるとこうなるのではないか:
それは、彼ら国や沖縄電力そして県、或いは市などと言った統治者らから回っているであろう弾圧裏金を貰い続ける警察関係者と、その警察関係者へ情報を提供することで警察裏金が得られる情報屋個人のこの本村家に対する個人的な誹謗中傷での警察への情報提供と、5月24日の浦添警察署生活安全課が絡む家宅捜索のことを知ったいち警察官の個人的なこの本村家に対するねたみや勘違いなどからくる直接的な弾圧が、間接的には彼ら経済や政治の統治者の弾圧に手を貸していることになるのではないか、ということを言いたいのです。
或いはその逆も考えられます。つまり、浦添市の一市民が、過去二十年にも亘り執ってきた商活動方法を普通に行ったことがたまたま彼ら経済や政治の統治者側が自らの愚かな行いである沖縄電力の沖縄本島での「7年前から行われている原子力発電研究」批判に繋がるからといって、その一市民としての商活動をそのものを本末転倒にも不当なものとして「弾圧」と呼び、新聞社などのマスメディアや浦添警察署へ訴え、「潰してくれないか」と泣きこんだ可能性も否定できないのではないか。
(むしろその事例が近年の日本では増えているそうである)
もしそうならば、仕事の合間で配る新聞の切抜きのチラシや個人的なインターネット上での言論を指しての訴えでしかないのだから、むしろその訴えに手を貸したマスメディアと警察署は余計に罰せられなければならない。
特に4ヶ月間にも亘り、その個人宅の娘や母親と、その父親で夫間を音信不通にすることで、その間すでに犯してしまった13歳の娘の少年法違反教唆やその他諸々の刑事事件などの不正義などを警察としては知られたくないだろう。だからそのことを追及するであろう父親と妻及び娘とはその音信不通のまま離婚でも何でもして貰おうとしているのではないだろうか。
弾圧は、個人や団体が自分たちの集団より劣っているという意識、あるいは無自覚ながら劣っているという思い込みが背景にあることが多いと聞きます。
その理屈からすれば、この金城本村リフォーム設計という家業を持つ本村家は個人です。個人が被弾圧者にされるていのですから加害行為の弾圧者もきっと個人に間違いないのではないのでしょうか。
そして彼ら経済や政治の統治者側自らは高見の見物でそのような違法な人権侵害行為を暗黙のうちに認めている、のではないでしょうか。
(1948年12月10日に国連で採択された世界人権宣言、1976年採択された国際人権規約)
以上
詳細はブログ→http://motomurayasuhiko.ti-da.net/e3824783.htmlをご覧ください
2011年12月4日
沖縄県浦添市港川2丁目10番8号
金城本村リフォーム設計 本村安彦 電話番号:098-876ー5538
「概略」報告と説明
様
しばらくの間、訪問での御挨拶が遅れておりましたので以下、その理由の報告説明をいたします。
平成23年12月4日 金城本村リフォーム設計 代表 本村安彦 電話098-876-5538番
ご承知のように金城本村リフォーム設計代表者の本村安彦は訪問販売の営業活動を通じ、この18年間、無党派無宗教無団体という庶民の立場で様々な沖縄社会の問題をボランティア活動の一環として提起し、自由に議論して頂きながら皆様のご協力の下、多くの沖縄社会の問題を解決してきました。これからもよろしくお願いいたします。
しかし、残念ながら去る5月24日以降から、その金城本村リフォーム設計の特色であるそのような社会貢献がまったくもって行えないようになりました。今日はその報告と説明をいたします。
ものの本によると、弾圧(だんあつ)とは、権力を濫用(らんよう)し与える加害行為で、権力者側による弾圧を組織的弾圧と呼ぶこともある。または、おさえつけること。特に、支配者が権力を行使して反対勢力の活動を抑圧すること。「言論を―する」などとありますとおり、今まさにその弾圧によってこの金城本村リフォーム設計の言論ボランティア活動が現在のところ行えません。
事の成り行き:
※2011年2月27日。以下の仮説をインターネット上と散らし配布で発表する。
先ず今日現在沖縄の健康状況から:
1、1946年以降生まれ世代の全国1早世・早死にの問題。いわゆるつい最近まで長寿日本1の沖縄が現在は26位に下がり、数年すれば47番目の最下位に向かう最大の原因である70歳未満世代の早世・早死にが男性全国1で、女性も5位の高さ。男女合わせると全国1の早世・早死にという問題。
2、全国平均不妊症カップルの割合が10組に1組なのに、なぜ沖縄では7組に1組と多いのかという問題。
3、低出生体重児・未熟児(1500グラム以上2500グラム以下)が生まれる率が全国1高い沖縄。全国2番目に多い青森県でさえ9パーセント台(10人中0.9人がその未熟児が生まれる)なのに、全国1の沖縄ではなんと11パーセントを超える(10人中1・1人がその未熟児が生まれる)問題。低出生体重児や超低出生体重児は幼少時期からかなりの成人病・生活習慣病のリスクを背負って誕生するそうです。だから問題なのです。
仮説第一回目:
1、の原因その1、1946年から始まったビキニ環礁での核実験。終了する15年後の1962年までに米国などによっておよそ合計70回行われた。よって、約70回もの核実験による放射性物質を含む放射能雨が琉球列島へ15年余連日のように降り注ぎ続けた。
米軍の核実験時の放射能雨の情報を握りつぶした当の米軍の米軍基地は慌てて水道を敷いた一方、その間の琉球列島の住民約80パーセントは琉球気象台の情報を操作された関係でなんの疑いも無く天水を利用していた。特に当時生まれたばかりの頃の年代の者、いわゆる現在70歳の者は 満15歳になるまでづ~とその放射性物質を含む天水を毎日摂取していただろうから全国1の早世・早死にの短命になっている。
1、の原因その2、上記に加えて1960年代のベトナムで使用された枯葉剤に混入していたダイオキシン散布の問題も重なった。つまり、1962年にビキニ環礁での原爆の実験が終わった頃の1960年代初頭から後半にかけて沖縄本島北部の米軍北部訓練場内でダイオキシンを含む枯葉剤が散布実験・訓練として散布し ていた問題。その地域には実は、その1960年代後半から1970年代にかけて敷かれた水道本管のうち沖縄県民の60パーセントが利用する水道水の水がめのダムが五つも出来るのである。
2007年に暴露されるまでまったく知る由もない県民はその水道水を飲み続けるわけだが、特にその現在70歳未満の者は原爆の放射能雨から連続していることから被害が多く、全国1早世・早死にになるのは当然の結果と言える。
1、の原因その3、戦後沖縄の教育行政で現れている通り、特殊教育対象児童の急激な増加時期とビキニ環礁との因果関係性の問題。戦後の沖縄で盲ろう学校という特殊教育が始まった1951の盲対象児童がほんの10人(全体では32人)で、その4年後の1955年にはその盲対象児童がなんと132人にも上り 、更にそれから7~9年後の1962年から64年に流行した風疹(三日はしか)が原因と認定され新たに生まれた374人もの特殊教育対象児童(内339人は難聴児童)らの主原因とされる妊婦母体の出産当時年齢が17歳~27歳という現在70歳未満の早世・早死に年齢という問題。つまり、放射性物質で免疫力も衰え、弱り きった世代が妊娠をし、風疹(三日はしか)に侵され、全国総数でも僅か1,000人しか対象児童のいないその時期の特殊教育対象児童をたったの1県・沖縄だけで374人も一挙に出産することに繋がったのではないのか。当然の結果として、この年代の沖縄での健康診断時で「必ず病院へ行くこと」として持たされる有所見率 は全国1である。
2、の原因その1、上記65歳未満の年代の健康問題を考えると、ちょうど彼等の子ども世代が現在の不妊症で悩む世代となっている。
母体への汚染が仮に放射性物質などであった場合、時系列からいって当たり前と言えば当たり前の結果だろう。1、の原因上記のような原因であれば。
あえてここで特筆するなら、後々の70~80年台には県民の60パーセントが飲料水として利用することとなる5つもの水がめが建設されるその土壌、森林や水辺へ、当時もその場所が米軍の北部訓練場ということで1960年代のベトナム戦争当時から長年に亘りダイオキシンを含む枯葉剤を散布実験・訓練していたこととの因果関係だろう。
3、の原因その1、問題の70歳未満の年代からすれば丁度母体や父親がその息子や娘世代で、低出生体重児・未熟児がその孫に当たる問題。
参考資料:2007年に発覚した五つも県民の水がめであるダムが存在する北部米軍訓練区域内のそのダム周辺に米軍がダイオキシンを含む枯葉剤を長年に亘り散布。(2007年7月9日付沖縄タイムス紙夕刊一面及び同日付琉球新報紙夕刊一面)これはお願いですから皆さん是非図書館へ行って下さい。
さらにもうひとつ沖縄の県民すべての世代にとって見過ごすことができないかなり深刻な事件がある。 1954年の米国政府によるビキニ環礁での水爆実験の際に被爆した沖縄のマグロ漁船のマグロは一匹も棄てられた記録がないこと。また、実験直後から日本への放射能汚染への懸念が全国的に広がったが、沖縄では当初は米軍による調査で、検査値の結果も明らかになっていない実情があること。そして、当時の県内は80パーセントが天水の利用だったが、実験の後、米軍基地は急いで水道を敷いたこと。加えて、実験の後県民の相当な人が(放射能物質を含む可能性があった)天水を飲んだのではないか」との研究報告から、沖縄は当事も米軍占領下だったことから、実験国が支配していた状況で、本土と対応が違い沖縄の米軍基地内と外との対応の差別的違いが明らかになった調査結果。(2010年11月22日付琉球新 報紙22ページから)
※2011年3月3日(木)。沖縄では本村安彦仮説から始まった沖縄タイムス紙スクープ↓
沖縄タイムス紙一面「ビキニ死の灰沖縄に」「死の灰嘉手納で本土の2倍」「54年水爆実験後米が観測」「人体の影響専門家調査へ」。社会面「何も知らず被ばくか」「沖縄に死の灰」「米統治下情報奪われ」「近海の船員早世相次ぐ」
※2011年3月11日。フクシマ原子力発電所から放射能が漏れる。
※2011年4月4日。琉球新報紙、本村家、きょうだい6人皆勤賞 港川小2011年4月4日 きょうだい全員小学校皆勤賞を達成した本村家の(左から)五男望君、三男自然さん、末っ子未姫さん、次男眞理さん、四男公平君=3月29日、浦添市港川http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-175672-storytopic-7.html
【浦添】浦添市の港川小学校を今春卒業した本村未姫さん(12)が皆勤賞で表彰された。未姫さんは6人きょうだいの末っ子で、きょうだい全員が同小を1日も休まず卒業。兄たちは中学校も皆勤賞を取り、未姫さんは「兄ちゃんたちがやってきたことで当たり前だと思ってきた。港川中学校の3年間も頑張りたい」と語り、父安彦さん(57)は「共働きで一人一人にゆっくり付き添うことができない中、自分たちの力で頑張ってくれた」と子どもたちの成長を喜んでいる。
※4月5日(4月8報道)。フクシマの放射能が沖縄で観測される。
※4月24日。沖縄電力も原子力発電を7年前から研究問題が新聞で発覚。
※5月23日。夕方、インターネット掲示板 http://groups.yahoo.co.jp/group/ml_ryukyu_400130/ 上で、今回のフクシマ現地の放射能雨の汚染量より、かつてのビキニ環礁での核実験による放射能雨が琉球列島に降り注いだ当時の琉球気象台の記録、17万カウントのほうがかなり凄い放射能汚染量であることを伝え、公表し警鐘を鳴らす。
※5月24日。浦添警察署生活安全課による人通りの多い時間帯での、沖縄の核貯蔵庫撤去市民運動歴17年間の主人の個人的な市民運動に対するこれ見よがし的な妻と二人だけの零細自営家業の個人自宅への突然の家宅捜索。そしてその後の2ヶ月に亘るも数回だけの取調べなどの長期嫌がらせによって商売上の信用が顧客との間でぐらつき、以来、この約半年収入が20分の1に激減した。
信用が第一の商売。とうぜんながら自営家業の商売が危うくなる。すると売り上げが上がらなくなることで金銭的にお父さんやお母さんを圧迫し、家計や商売がうまくいかなくなり出します。そして、その被害行為が長引くと当然に精神的にも圧迫され続けることになる。そうなると、当然ながら家庭内では多少の混乱が予想されます。
※六日後の2011年5月30日深夜。長崎放送放映の沖縄の核兵器報道に妻と二人だけの零細自営家業の主人・私本村が出演。以後、8月3日までの約二ヵ月半浦添警察署生活安全課による取調べが続く。
※2011年7月30日。来る8月13日の全国ネットテレビ放送ニュース番組に私が出演するこが決まる。すると、警察裏金狙いの情報屋がうごめく。
※翌日、8月1日。食堂「ふく家」の実質経営者でもある兄の警察関係者から浦添警察署へ「本村潰し」のデマ通報。家宅捜索直後の5月30日に出演した長崎放送に続き来る8月13日。今度はTBS「報道特集」全国ネット番組出演。「違法ではないが、本村が動けば何かと浦添警察署生活安全課へ幅広い問い合わせが増えめんどくさい」ーと、常々潰したいと思っているそんな矢先。逆に本村の会社が生き延びることに間違いなくなるテレビ出演で困っていた。
そして、そのデマを聞いた浦添警察署は、デマは分かりつつもその日のうちに呼び出しの電話をし、その食堂「ふく家」の実質経営者で警察関係者の意向に沿い嫌がらせをする。
★その時の電話で、取調べの日時を二日後の8月3日の午前十時から二時間ぐらいとした取調べの約束をする。
※2011/8/3 ↓
※8月3日午前8時24分、お母さんの携帯へ食堂「ふく 家」の経営者の妻で、妻の妹の志良堂ちあきから電話 が入る。(??)
午前10時丁度、お母さんがお父さんを浦添
警察署へ送り届ける。
これで※5月24日から始まっ
た一連の浦添察署生活安全
課による金城本村リフォー
ム設計の本村安彦に対する
取調べが終わり、嫌疑が晴
れ、事件が終息した。
※8月3日。浦添警察署生活安全課は最後の仕上げとばかりに、妻と二人だけの零細自営家業の個人へ間をおいた取調べ攻撃を2ヶ月ものらりくらり続けたあげく、「貴方の放射能除去浄水器販売自営家業・生業と核兵器撤去ボランティアは早くやめなさい」とのある種の脅迫メッセージを届けることに成功する。
午後1時ごろ、 お母さんが浦添警察署近くにいるお父さ
んを迎える。
午後1時49分、お母さんの携帯に090-2069-9934から着信がる。(??)
午後3時33分、お母さんの携帯へ妹の志良堂ちあきから電話がる。(??)
午後4時31分、お母さんの携帯に県内の大
手金融会社のオークスの債権
取り立てセンターから電話が入
る、、、。(??)
・
・
・
※この日、一連の家宅捜索事件が終息して、その他の懸案も解決を見たことで金城本村リフォーム設計としてはあとは新たな戦略の模索に入りつつあったが、その一方では、滞ってしまっている様々な学費や最低限度の衣食住の費用といった金銭的な問題などが一挙に脳裏をよぎった。
午前10:00分~午後1:00分頃まで浦添警察署の市民生活安全課か ら呼び出されて、なんと一ヶ月以上も前の先月7月の初旬までには5月24日以来5回に 亘って取調べをしてまでその事件は間違いだったということで終えているはずの、十 分に何の疑いもないことが分かっているはずの事件の件での突然の再調書だった。
と言うのも、そのことを問う私に対する担当刑事のしどろもど ろの説明などからは一体何のための呼び出しだったか今もって 分からない呼び出しだった印象を強くもっている。(よっぽど、 これはもしかして、、、警察関係にいる者の仕業では??など、 或いは警察そのものではなくて、誰かの嫌がらせではないか? などと思うようになっていった。
しかし、その一方、昨今の浦添警察署が家宅捜索までして、それ まで誰も侵したことがない本村家やお父さん、お母さんの家へ まで深く入り込んで繰り返す嫌がらせが続いていたことをきっ かけに、長女・未姫にまで上の男の兄弟並みな厳しい指導方針 を貫き通すアスリート一家としては当たり前的な考え方をめぐ り、昨日まではそんなアスリート一家の妻として、母として普 通についてきていたお母さんは、お父さんがこの日の取調べに疲れて帰って来た後からは、急に警察という虎の威をお母さんはどこから借りたのか急激に「女子にまでそんなに厳しくする必要などないのではないか」、、、などと大柄な態度にまで出てくるようになっていいった。いったい何時何処でなにがあった??
どうも、今思えば、お父さんが取調室に居る間のこの日のその 時間。午前10時から午後1時くらいまでの約三時間、一体何 がお母さんを大柄な態度へ変えていったのか??なんで急にそ のお父さんの考え方への対立が始まったのだろうか???
これはあくまでも推測だが、その3時間のあいだ、実は2年前にお母さ んの方からから浦添警察署まで来て夫婦喧嘩のことで相談に来ていた時の相 談保管記録を脅しに利用したんじゃないか。そしてこんなことを行ったんではな いか。
お母さんも事情聴取として、また以前のように、警察署の駐車場または生活安全課 かどこか浦添警察署内の生活安全課の伊礼課長辺りが直接担当者となって別の場所 で、その家宅捜索まで過剰にやってしまったような事件のお父さんの調書の裏を取 られていたのではないだろうか。
だから、そのお父さんだけの浦添警察署での取調べのある朝にそのことを伝えるために実の妹の志良堂ちあきから電話があったんじゃないか。
警察関係者を兄に持つちあきの夫が、その兄からその旨をお母さんへ伝えるようにとちあきの夫から指示が出たんじゃないか。
つまり、食堂「ふく家」の経営者の妻でお母さんの実の妹の志良堂ちあきから「本村の取調べ中、その話を別の場所でお母さんへ聞かせて、裏を取りたいから本村を降ろしたら、食堂「ふく家」なり、その警察署の何処何処へ行って取調べを受けて」などと、何らかの方法でお父さんが取調室で話している内容の裏を取らされるから、-との電話があったんじゃないか。
そして、その取調べが終わった頃にまた、「本村に気付かれなかった?」と確認の電話を入れて、このお父さんには「一切話さないで」などとの何らかの密約をさせられたことで何らかの縛りをその実の妹を介して食堂「ふく家」の夫の兄の警察関係者から圧力をかけられたんじゃないか?だからお母さんはそれ以来黙りこくようになっていったのではないか?そして2年前の浦添警察署に行かされた夫婦喧嘩のことの相談相談保管記録のことを一切知らないお父さんをいいことに、「もし、今日の事を話したらお父さんへ知らすぞ!!」-と脅しにも利用しているんじゃないか。
※2011/8/4昼前→ 以下、家庭裁判所へ出した仮処分申請書から抜粋:
8月4日。その日の昼前に家に戻る途中の 車内。夫婦でもめた。
原因は、妻の仕事中の携帯電話の多さだった。
電話の会話の調子からその相手の中には知っている者もいれば知ら ない者も含まれることがある程度分かることが災いし、全く誰かが 分からない時には「誰?(二人で情報交換しなければならないこと がこんなにあるのに妻への着信が邪魔でコミュニケーションがとれ ないの意)」「忙しいから切っとけ!俺がいる時は後でと言えば」 「今旦那がいるから後でねと言うんだ」などと連発する時もある。
結局何でもない証明で終わった5月24日の家宅捜索。何でもない 事が分かる先月7月末までの約二ヶ月の間に4~5回の事情聴取で 狭い街では信用ががた落ちで売り上げが普段の十分の一に激減し た。
(家宅捜索時の押収品目録交付書の写し2枚を添付したので参照のこ と)
、、、これはほんの一例だが、このところ様々な出来事が我が家 を覆い続ける。
そんな中、車の運転以外は夫の私が自営業のリフォーム関係の 仕事をこなす。
しかし売り上げがきつくなって約4ヶ月。心配事が山ほどあるにもか かわらず妻の運転中での、こんな調子でのほほんと、ぺちゃくちゃぺ ちゃくちゃやっている姿を見て後部座席から携電話を取り上げた。
その時に互いに胸ぐらを掴むなどの揉み合いになって先に夫のボタン 一つ妻が引きちぎっただけでその後も口喧嘩以外は何もなかった。
そのまま昼御飯を待っている子どもたちも家にいることもあ り、妻は家の駐車場で再度けんかを挑発するも、丁度子どもの姿が見 え出した場所に差し掛かったこともあり到着後、出来るだけ子どもた ちに気付かれないように振る舞い、そのまま時差を付けながら家に 入った。
(8月4日といえば、丁度昼過ぎから台風の強風域に入りつつあった日)
二人が家に入ってしばらく経ってそろそろ台風時の買い物を済ませ ようと、丁度車の運転ができる次男がたまたま来ていたこともあり、 さっきの揉め事でスッキリしていないことも手伝い、結局その次男と 買出しに出掛けた。
娘の話によると(ひとり家に残った)娘の父親と兄が買い物に出掛 けると同時に図ったように家にはない携帯電話を探し回るも夫がその まま持って行った事に腹を立てる。
そして、午後2時頃までにはその台風の最中、独りで家を出た。
(娘の家ではリフォーム業を自営し、長年生業として来た。その手伝い を運転免許のない夫の運転手としての重要な手伝いもしている母親が 娘だけではなく他の4人の兄もいる家を捨てどこへともなく姿を消し た)
その時家にはその中1の娘だけだった。
しばらく経って買い物から戻った娘の父親である私と娘の兄は娘の母 親がいないことに気付き、一人で残されたその娘へ尋ねると「知らん」 とパソコンに向かったままそっけない返事。
その日の夜になって台風は益々本格的に吹き荒れだしたことから心配 になってその母親がいなくなった時の詳しい情報を得ようと娘再度尋ね た。
すると娘は「とにかく何処に行ったか分からない。3~4回玄関のドア をバタンバタンさせていたからきっとタバコを切らしていてイライラ して外にタバコを買いに行ったかと思ったらそのまま帰ってこない」 と。
またこうも推理する「これは自分の想像だけど、どっか近所の家に行 き、、、、」とも。
娘の父親や兄たちも、又か、、、と。娘の父親は「50(歳)も超え てもまだ同じ事を繰り返して家を捨てる母親を探し回るのも恥ずかしい からと放っておいた。
5、6日経って娘の父親が心当たりに声を掛け出した。
、、、、、以下省略。つづきは、別紙「仮処分申請書」を参照の こと。
同日※2011/8/4 ↓
上記にもあるように、午後2時ごろ、お母さんはたった一人で家を出 ることになる。
その経緯の真相は実はこうではないか:
その前に、妻のそのような素行の根底にある以下のようなことを先ず、明らかにした上で事の真相を推理してみたい:
推理:
8月4日、↓
この日の午前中の上記のようなお父さんとのぶつかりなどの出来事の 主原因である前日や当日に電話で請求のあった夫には話せないような オークスなどの金銭的な問題を誰かに相談しようとするも、携帯電話 もなく、近場の電話を借りた家から第三者へ相談を持ちかけたとこ ろ、その夫のお父さんの知らない金銭的な問題をお母さんと関係持つ ような本村家に対して一種のやましさを持つその第三者で相談相手 は、金銭的な自らの問題にも絡むような緊急な問題を解決せんがため の目的で、そんな腹づもりなどに気付かず連絡してきたお母さんへ
「お父さんと喧嘩をした?夫に殴られるかも知れないから家をいった ん出てみれば」などと、ありもしない暴力といううそでそそのかし、 一日でも家を空けると大混乱に陥ることとなる本村家の妻で主婦兼自 営家業の共同経営者でもあるお母さんに対して、実はその秘密を夫の お父さんに知られるのが怖くなって、自らが逃れるために本村家の重 要な役割のあるお母さんの立場など一切かまわず無責任なアドバイス をしたのではないか。
そしてその第三者の思惑ありな指示でお母さんがたった一人で台 風が迫る最中家出を果たしたのではないか??しかもパトカーで?? 或いは食堂ふく家経営者の車で。
そして、それまでの一連の時系列からはもしかしたら、その第三者で 相談の相手というのは実は、お母さんやお父さんを陥れている張本人 で、その様な状況が早く来ないかと待ち構えていたその相談相手と関 係のある浦添警察署の生活安全課の誰かか、或いは同じ浦添警察署は 浦添警察署でも、本村家を貶めようと画策している生活安全課と関係 を持つ第三者で、その生活安全課以外の部署の夫の暴力が原因と勘違 いした単なる110番または婦人警察官だったのではないか??
つまり、お母さんの混乱の原因は、浦添警察署の生活安全課と何らか の関係を持つ第三者が持ち続けている本村家を貶める狙いの思惑など が主因で、その事にまったく気付く様子のないお母さんは間違って、 本村家を貶めようと待ち構えている張本人でもある第三者と関係のあ る浦添警察署へ相談の申し出をしてしまったたのではないか。あべこ べに。
そして、この日または後日、浦添警察署生活安全課の思惑などに未だ にまったく気づいていないお母さんから本村家のお父さんや子どもた ちを貶める情報を浦添警察署生活安全課とその第三者は易々と入手で きたことだろう。
要するに、表向きは、暴力も振るわない単なる夫婦げんかについてで はあるが、今後はできるだけ回避するためには一旦は家を出たほうが いいかどうかというようなごく世間一般的にもありふれたような何気 ない夫婦喧嘩について相談を持ちかけたお母さん、というシナリオを 用意していたのではないか。
そして、その裏を知らない他の警察官らへ夫の暴力が原因と勘違いさ せ、そのお母さんの家出当初の、第三者絡みの生活安全課とはまった く別の課である、その裏とはまったく無関係な地域課の婦人警官の誰 かがその相談者で第三者に摩り替わったのではないか。
しかし、その後その純粋な警察官、または婦人警官がいろいろと調べて いくうちに夫の暴力はないことに後で気付き、一連のDVや虐待などと のデマを元に大騒ぎしたのはいったいなんだったんだろうなどと、ばつ が悪くなったことから最後には本村家を潰す思惑のある生活安全課が扱 い、生活安全課や相談者で第三者自らの狙いである本村家を貶める目的 のためにお母さんを「金銭トラブル回避の保障」を盾に脅し、騙しだ し、巻き込み、お母さんを益々本村家から遠ざけてしまったのではな か。
その証拠として、お母さんはしきりに食堂「ふく家」で働かざるを得なくなってしまっていて我が家や家業へ戻れない状況が存在するのではないか。
或いは、少なくとも8月4日以来、今日現在も家出状態のお母 さんと、その後途中の8月12日から拉致監禁され続けている 娘の被害の原因までその浦添警察署生活安全課が作ってしまった可能 性も否定できないのではないか。
いや、それらすべてが浦添警察署生活安全課の仕業なのかも知れない。
だとすれば、お父さんが妻・お母さんや、娘・未姫との相談のことで 会おうと連絡を取ろうとしたとき必ず妨害をしてきている警察権力の 壁や影が常に立ちはだかるつじつまや、そんなにまでして本村家を貶め るなどとの狙いがある警察権力の思惑など知りようもない妻・お母さん や娘・未姫と、食堂のふく家でのお母さんの実の妹たちの一連の警察権 力をバックニした横柄な態度のつじつまも合致することになる。
(※8月4日。この日からの出来事はすでに詳細な内容として、 「仮処分申請書や被害届」の文書につづられていますのでご覧くださ い)
過去20年の金銭面での事実と推測からの考察:
「なんで母で妻の本村弘美が家に帰れないか?」
あえて今回このように大げさに表現することで、あらゆる可能性を大胆に推測まで行い、真相を明らかにし、最終的には「そんな大それたことまではなかった」-と、逆に証明していく必要があると思い、以下したためましたのでご一読ください。
故・島袋照子は25年以上も前の過去において、自らが使う目的で実の娘で長女の本村弘美(当時の姓は旧姓で金城弘美)を名義人または連帯保証人として借金をした。
その後、その故・島袋照子自らが使った金銭債務の返済から自らが逃れる手段として、当時はすで嫁に行き、別々の世帯を持って何年にもなっていた本村弘美に対して、未だ二十歳をわずかに過ぎたばかりの若さでその意味もよく知らないことをいいことに「破産宣告が楽だ」と自己破産を押し付け、逃れた。
後になって、寝耳に水のその話を聞かされたときに「確かに自己破産すれば法的にはあらゆる債務から逃れられはするもののしかし、一方では、我が家の妻であり母親でもある本村弘美が、しかも別世帯の実母に自己破産されてしまっては、今後の我が家の人生の中で起こるであろう様々な社会的困難やペナルティーがその自己破産をしたことによってより多く降りかかることになることを伝え、当時のその選択は実は、本村弘美にとってはごくわずかなリスク回避のために膨大な便益を失うことのほうが大きい。間違っている」と当時も本村弘美へ話し、止めるよう薦めたのを今でも覚えているものの、この一家の主である私へは一切話もなく、私抜きで進めた手続きだったことから止めさせきれなかった。
おかげで妻・本村弘美自身はもちろん、本村一家の主である私自身や子どもたちも結婚当初から時折、社会的、或いはこと金融機関との関係において一人前じゃなかったことで後悔し悩み続けることになった。
案の定、本村弘美自身は、人として、一人の人間・子を持つ母親としては現実から逃げてしまった無責任ーとの内なる自己批判や、その自らの実母の不道徳がまねく殺伐とした将来へいざなう道徳的社会通念の制裁から以後十年余り、一人前の大人として扱われなくなる恐れの可能性を常に背負ってきてしまっている。
今から15年ほど前にもこんな事があった。 「県営団地の住居強制立ち退きの手続きの時間帯には絶対に立ち会うな。立ち会ったら本当に追い出されてしまうぞ」ーと、妻の本村弘美へ注意していた本村一家の主で夫の私の注意を、なんとその故・島袋照子は娘・本村弘美へ「母ちゃんの言うとおりにしなさい。強制立ち退きの手続きの時間にはちゃんと立会いなさい」などと、たぶらかし、本村弘美は主の私へは一切内緒で従い、おかげで即刻強制立ち退きに入られ、本村弘美自身も泣き泣き本村家一家全員の家を失わせた。
私が知らせを受け、駆けつけたときにはすでに後の祭り。詰め込めるだけの世帯道具を詰め込まれた普通乗用車の運転席でわずか生後三ヶ月の五男をひとり抱きかかえさせられるという冷たい扱いをされた本村弘美は、実母・故・島袋照子のあやまちに気付き、以後15年実の母であるその故・島袋照子の言いなりにならなくなり、本村家の母として妻としてここまでの15年成功の道を収めることができた。
しかし、15年の歳月と本村一家の主である本村安彦の注意不足や甘さがそのお母さんのあるべき姿、または道を狂わせた。
実は、その遠くに居るべき故・島袋照子が去年から近くの県営城間団地へ引っ越してきてからは怒濤のごとく、お母さんの昔の記憶へ記憶へと流れさかのぼって戻ってしまった。
そして、今回。
この二十年余、本村家で頑張ったお母さん自身の名誉や徳性。そして社会人なら当然の利益と債務。普通の社会人なら真正面から立ち向かわなければならない。
しかし、その故・島袋照子はまたもやお母さんへささやいた。(以後の内容についてはあくまでも可能性を追求してみた)
特に「離婚して、母子家庭になれ。そしたらかなりの母子手当てが入る。今の暮らしより楽になる」とのささやきは強く強調したのではないか。(故・島袋照子自分自身にはどんな狙いがあったかは本人に聞かないと知らないが、考えられることと言えば、例えば、母子手当てや福祉の援助金を持ってくる自分の思い通りになる娘を増やせることなどの欲得がありはする)
そして、故・島袋照子は、自らの実の娘・本村弘美の嫁ぎ先の本村一家の自営家業でその実の娘自身も夫と二人の共同経営者でもある金城本村リフォーム設計という、リフォーム工事などの仕事上の債務を背負ったままではその受給資格を失いかねなくなることから、「本村家の一切の債務を負わないで」その本村弘美と本村安彦の家業を潰し、市役所や福祉などの母子家庭などの援助を得させ、得る目的があったのではないか。以下、考えられることをさらに言えば、故・島袋照子自分自身への多少の小遣にもありつけるかもしれないなどと少しぐらいは目当てにしていたからこそ、債務の多い本村家の家業の共同経営者でありながらも連帯債務者にはなっていなかったことを本村弘美から聞き、
「ほら、昔かあちゃが言ったとおりに破産宣告で自己破産しておいてよかったでしょ。だから連帯責任者にさせられなかったんだよ。こんなふうなときに助かるんだよ。ありがたく思え」とささやきながら債務0での脱出・逃亡背任を図り、実娘・本村弘美をそそのかしまたもや教唆したのではないか。
そして、偶然とはいえ、その計画の道半ばの8月20日に本村家の主で本村弘美の夫の本村安彦が突然現れ、妻・本村弘美と娘・未姫を連れ戻そうと部屋へ入ってきた。
しかし、故・島袋照子がそのような計画を描いていたのであれば、浅はかではあるが、その浅はかな計画にとって必須の孫娘・未姫を取り戻そうとする娘の父親の本村安彦を追い払おうとしたものの、力尽きたのか、人生を全うしたのか、しばらくしてひとりでにその場で倒れ、救急車で運ばれはしたものの翌21日にはこの世を去った。
以上のような故・島袋照子と本村家の金銭にまつわる事実と推測の話は、故人本人とその実の娘で本村家の妻で母の本村弘美とその夫・本村安彦のこの三人だけにしか理解できない話であることから、偶然にも亡くなった故・島袋照子の四十九日の喪が明けた10月9日を持って終えたものとすべきであるとしたい。
よって、そのあやまった計画は実娘・本村弘美が実母故・島袋照子に代わって終わらすべきである。
終わらすことで、昨日まで足踏み状態が約三ヶ月続いてきた本村家一家全員が新たな明日の生活へ踏み出し、前へ進める。
以上。
平成23年10月19日 本村安彦
翌、8月4日に運転手役の妻を行方不明にさせて、その妹と夫は今度も私に無免許運転をさせる状況を作り出し、無免許運転をしたところをかねてから「情報屋」を介して私のライフワークである「沖縄から核施設を撤去させよう!!」とのボランティア活動を監視していた警察関係の兄を介して警察へ通報して逮捕監禁させ、仕事からはずし、ライフワークのボランティア活動も仕事もさせないようにしようとした。
私は5日後の8月8日に家出中の妻を探し当て、翌日家に実母や妹の香に伴われて戻ってきた妻とその運転免許の事について話し合いをした。
私はこの間も当然のようにチラシ配りと営業は徒歩で続けた。
翌日朝から、せめて夕方ぐらいまでの時間帯だけは仕事の件とは別にしてでも当時すでに家に残る遺棄・放棄状態にあった後になって拉致されることになる娘も含む5人の未成熟子の扶養の義務だけは最低限果たすことを決める。
翌日から子どもの送迎と家事だけは最低限やる目的で朝早くから何処からともなく現れて家事と子どもの送迎だけはやり続けた。
しかし、運転免許のない私が、徒歩で出来ることといえば自宅の地元を回るぐらいだが、それでもなんとか営業に毎日出てライフワークのボランティアを兼ねながら浄水器の販売営業を続ける傍ら、運転免許取得へ向け自練へ通うのを繰り返して三日ほどした
8月12日の早朝。
その日も何処からともなく娘の早朝練習の出発時間に少し遅れてやって来た妻へ、待ちきれず徒歩で先に練習へ出掛けた娘を途中でピックアップするよう指示を出し、娘を浦添総合グラウンドへ連れて行くように頼んだ。
☆おそらくその時は、「いかなる理由があろうとも直ぐに家庭や仕事、そして社会的なあらゆる物事をむやみに放棄させられてしまったようなお母さんを真似することがない母親になりなさいね。お前は。お父さんは知っている。娘のお前に対してお母さんがここ2,3日しきりに自己弁護を繰り返しているのを。しっかりしなさいよ!!」
ーと前日の晩辺りからその13歳の娘へ陸上のトレーニングを行いながら、更に厳しく、時には涙がにじむほどのいち人間としての教育的指導を繰り返しながら強く話し掛けていた事を娘から聞いて知った妻から又聞きをした食堂「ふく家」の実質的経営者で警察関係者らが只、単に「気に入らない」と思ったのだろう。
その時は、只それだけの理由で娘の拉致をもくろんだのだろう。
そして「父親が娘に対して虐待をした」などとありもしない「デマ・狂言」を先ず浦添警察署へ流し、その後その13歳の娘まで伴って「配偶者暴力相談」などとして女性センターへ父親へは一切連絡もせず違法に連れ出し巻き込んだ。
以来、裏を取るうちにその事実は無いことに気付きはしたものの、その時すでに一週間が過ぎていて父親へ謝罪すれば済む話にもかかわらず、そのまま拉致することにした。
そこで、娘13歳に対し、そして妻に対してそれなりの「悪者」に父親をする必要が生じた。それが、事の始まりではなかったか。
おそらくその日の時点では、運転手役の妻が居ないなら居ないなりに地元を徒歩で回るなどの方法での営業やボランティア活動をしぶとく続ける私に対し、娘まで居ないとなれば、きっと今回も過去同様、緊急避難的に無免許で自動車を運転し、娘の捜索を始め出し頻繁に無免許運転を繰り返すのではないかと踏んだのだろう。
また、翌日の8月13日予定の全国放送へ父親の私が出演するとなると、私の仕事やボランティアも間違いなく好転することにつながることは目に見えていたことから、「本村の家族潰し」を企ててきたそれまでの努力が水泡に帰するのではないかとの危機感もあって、「娘の拉致」などという大それた犯行行動を取ってしまったのだろう。
また、その全国放送出演という私の約二十年来のライフワークが実り成功する姿を、いずれは自らの商売の広告塔として利用したくて手に入れたい娘・未姫(みき)へだけは見せたくないという思いもあったのではないか。
なにしろ、彼らが、浦添警察署を利用し、拉致以後のこの娘へ行った悪戯では「あんたのお父さんの商売は悪い商売で、被疑者とまでなっている」などと警察官から十分すぎるほど思わせるような悪戯などがあったからだ。
無免許運転での逮捕監禁を目的に娘の未姫(みき)まで拉致してまで私に無免許運転をさせようともくろんでは見たものの、しかし私は、 この8月12日の午前8時18分以来連絡の途絶えた娘の未姫(みき)と妻を案じ、試行錯誤の末、その時の連絡係りの四男の公平(こうへい)から伝えられる状況を「拉致」と疑い、認識・判断した午後2時ごろには前日からその拉致された娘の未姫(みき)や妻、その他の家族へ話してあったとおり、その彼らの悪戯を那覇家庭裁判所へ「拉致」と口頭で訴え、申立て書での手続きではその疑い、認識・判断である「拉致」を確かめる目的で、その彼ら食堂「ふく家」の経営者や第三者らを浮き彫りにする目的でとりあえず、その当時事実として表面に現れている現象である妻の置かれた立場から始めることとして「扶養の義務悪意の遺棄母妻事件」として彼らの思惑などまったく知らないであろう妻を相手方として調停を申し立てた。
以来、その家庭裁判所への調停申し立てによって、そのようなその食堂「ふく家」を中心とする彼らの「本村潰し」の手段であった「無免許運転での逮捕監禁」の思惑は外れた。
そして、夜8時頃になって私が浦添警察署へ娘の分の家出人捜索願を出し、数時間前には家庭裁判所へ「その妻を利用している彼らを浮き彫りにする目的」があることは伝えず、只単に「扶養の義務違反の妻」という趣旨だけの文書を見せ、その通り調停を申し立てていることをその時の浦添警察署の警察官へ伝えた。
おそらく、その食堂「ふく家」の経営者や関係者らはその家庭裁判所への訴えを知って、「無免許運転で逮捕監禁」との当てが外れたことから慌てて万が一のため、最低でも娘を拉致したことだけは隠蔽しようとの対抗処置として、その時点ではすでに「ドロボーの片棒」を担いでしまっていたこともあり、その浦添警察署も一緒になって「夫婦のいさかいで家出している」-とのストーリー作りに入る目的で女性センターへ先ず、アリバイ的な実績作りの目的でそうとは告げずに「何らかの相談」という名目で出向いたのではないか。
その根拠はというと、これまで教育的指導や過去3~4年ほど前にあった正当防衛での緊急避難での夫婦のいさかいはあっても「暴力」などというようなことを一切振るっても居ないにもかかわらず。後日分かったその彼らの行った8月12日と8月30日のその女性センターでの相談内容は「配偶者暴力相談」となっていることである。
その根拠や証拠はまだある。
その一週間後。8月19日。その食堂「ふく家」で無理やり働かされている妻を見つけた時。二人話し合った家へ戻る条件を提示する妻の条件の中には「暴力を振るわないで」などという条件など微塵も無かった。
その時は、妻の実の妹の志良堂ちあきともうひとりの実の妹の金城香の二人。そして実母の故・島袋照子も立ち会っている。
そして、その時私が書いた「暴力」の文字などまったく入っていない「家へ戻る条件誓約書」を妻が今も保管しているはずである。
以上2011年12月3日 おやじ・本村安彦
※8月3日。浦添警察署生活安全課は最後の仕上げとばかりに、零細自営家業の個人へ間をおいた取調べ攻撃を2ヶ月ものらりくらり続けたあげく、「貴方の放射能除去浄水器販売自営家業・生業と核兵器撤去ボランティアは早くやめなさい」とのある種の脅迫メッセージを届けることに成功する。
※翌日8月4日。妻と二人だけの零細自営家業の個人業者の妻で共同経営者で運転手役が、この自営家業では今後も警察からいじめられるのではないか、との恐怖心から、いち経営者としてもいち主婦としてもすべてを遺棄・放棄させられ、一人で家出。
※八日後の2011年8月12日。第三者の狂言を利用した浦添警察署が運転免許も持たない主人たった一人だけが残った零細自営家業の個人宅の13歳の娘の拉致誘拐を指示したことで、実行犯が娘の母親のため逃げ出せず二ヶ月が経った今も未だに寝泊りを転々としていて、自分の家族の待つ自分の家へ帰って来れない。
※翌日の8月13日夕方5時30分。TBS全国ネット「報道特集」の沖縄の核兵器報道に妻と二人だけの零細自営家業の主人の私が出演し、全国へ沖縄や日本の平和運動を広めるがしかしその一方、今日現在、その自営家業は潰れかけ、妻と娘は行方不明状態が続いている。 そして、その背景にいる間接的弾圧者で沖縄の権力構造の頂点に居座る加害者らは暗黙のうちにそうなっていくことの情報をなぜか承知していた、、、。
だからといって、これはなにも国や沖縄電力そして県、或いは市などと言った経済や政治の統治者や支配者がこんな普通の市民一家でしかないいち本村家を直接的に弾圧していると言おうとしているわけではありません。では誰がいったい何の目的で彼ら経済や政治の統治者や支配者の間接的な弾圧加害行為に手を貸しているのだろうか推測してみるとこうなるのではないか:
それは、彼ら国や沖縄電力そして県、或いは市などと言った統治者らから回っているであろう弾圧裏金を貰い続ける警察関係者と、その警察関係者へ情報を提供することで警察裏金が得られる情報屋個人のこの本村家に対する個人的な誹謗中傷での警察への情報提供と、5月24日の浦添警察署生活安全課が絡む家宅捜索のことを知ったいち警察官の個人的なこの本村家に対するねたみや勘違いなどからくる直接的な弾圧が、間接的には彼ら経済や政治の統治者の弾圧に手を貸していることになるのではないか、ということを言いたいのです。
或いはその逆も考えられます。つまり、浦添市の一市民が、過去二十年にも亘り執ってきた商活動方法を普通に行ったことがたまたま彼ら経済や政治の統治者側が自らの愚かな行いである沖縄電力の沖縄本島での「7年前から行われている原子力発電研究」批判に繋がるからといって、その一市民としての商活動をそのものを本末転倒にも不当なものとして「弾圧」と呼び、新聞社などのマスメディアや浦添警察署へ訴え、「潰してくれないか」と泣きこんだ可能性も否定できないのではないか。
(むしろその事例が近年の日本では増えているそうである)
もしそうならば、仕事の合間で配る新聞の切抜きのチラシや個人的なインターネット上での言論を指しての訴えでしかないのだから、むしろその訴えに手を貸したマスメディアと警察署は余計に罰せられなければならない。
特に4ヶ月間にも亘り、その個人宅の娘や母親と、その父親で夫間を音信不通にすることで、その間すでに犯してしまった13歳の娘の少年法違反教唆やその他諸々の刑事事件などの不正義などを警察としては知られたくないだろう。だからそのことを追及するであろう父親と妻及び娘とはその音信不通のまま離婚でも何でもして貰おうとしているのではないだろうか。
弾圧は、個人や団体が自分たちの集団より劣っているという意識、あるいは無自覚ながら劣っているという思い込みが背景にあることが多いと聞きます。
その理屈からすれば、この金城本村リフォーム設計という家業を持つ本村家は個人です。個人が被弾圧者にされるていのですから加害行為の弾圧者もきっと個人に間違いないのではないのでしょうか。
そして彼ら経済や政治の統治者側自らは高見の見物でそのような違法な人権侵害行為を暗黙のうちに認めている、のではないでしょうか。
(1948年12月10日に国連で採択された世界人権宣言、1976年採択された国際人権規約)
以上
詳細はブログ→http://motomurayasuhiko.ti-da.net/e3824783.htmlをご覧ください
2011年12月4日
沖縄県浦添市港川2丁目10番8号
金城本村リフォーム設計 本村安彦 電話番号:098-876ー5538
2011年11月09日
憲法第十六条による請願書
憲法第十六条による請願書
平成23年11月1日
那覇地方法務局人権擁護課 殿
平成23年10月31日午後1時10分の那覇地方簡易裁判所民事担当による本件電話案内での本件内容に限り、人権擁護を願います。
今のところ、なんの事件か表示もできなければ、事件番号が付いているのかどうかも知れません。
只、平成23年10月31日の午後に那覇地方簡易裁判所民事の担当の名城さんからかかって来た電話から察するしかありません。
それによると、夫婦関係の一方が保護命令を申立しているとの事ですので、刑事告訴事件の被害者の一人の妻の本村弘美がその刑事犯に脅迫され、強制的に無理やり提出させられ、事件に巻き込まれていることは明らかですのでその申立は受け入れられませんと同時に、本村家一家8人の人権擁護、特に妻の本村弘美と娘の未姫は深刻ですので早急に人権擁護していただきますようお願いいたします。
その連絡が正確に、平成23年10月27日に申立人として刑事告訴事件の被害者である妻の本村弘美で、夫の本村安彦は相手方ということであれば事実そうなりますのでよろしくお願いいたします。
平成23年10月27日といえば、その前日10月26日の午後に、那覇地方検察庁へ本件電話の件の相手方となっている被害者の本村安彦一家が告訴人として刑事告訴状を提出し、直後には人権擁護課の古謝さんへも報告させてもらった日で、しかも被告訴人は、本件の申し立て人の妻の本村弘美に対し刑法に抵触する被害を与えている食堂「ふく家」の経営者で、本件申し立て人の妻の本村弘美の実の妹の志良堂ちあきの夫、またはその血縁か関係者となっているから余計に危険です。
本件電話は、先に起こった平成23年10月26日に刑事告訴した刑法犯罪事件の告訴状にあるとおり、平成23年8月12日に浦添市内で、被告訴人が妻の本村弘美へ娘の未姫(みき)を拉致誘拐教唆した事件から始まっていますので、その罪から逃れる目的で本件を申立て、先の告訴をこれ以上出来なくする意図がはっきりしています。
また、真に妻の本村弘美の意志での申立てだとすると、妻の本村弘美はその告訴人である夫の本村安彦と、妻の本村弘美自らの間の実の子ども6人が被ったその刑法犯罪被害を与えた本人ということになり、「法を侵しながら、その汚れた手で本件「保護命令」などと法の救済を求める事件」となっていますのでがってんが行かず受け入れられません。
いずれにせよ、仮にでも本件がその刑事事件の解決よりも先に進行するような事態になるとするならば、刑法を無視し公序良俗や正義の理念を侵するばかりか、六人もの子どもたちの親権や監護権。或いはその六人もの子どもたち一人ひとりへ教育を受けさせる義務や責任と、各々の生活面倒を見なければならない義務や責任が存在するひとりの親である妻の本村弘美一人間の人権そのものを侵していて、その人権侵害をいかにさせないようにするべきか、止めさせるべきか、との根本的で重要なことをないがしろにされることになってしまいかねません。それこそ本末転倒そのものでしかありせん。
ややもすると、本件を扱う那覇地方簡易裁判所は、刑法犯の疑いが先に起こっているという重要なことと、しかもそれをもみ消そうとしてるとも取れる要素もある中、妻の本村弘美が実はその犯人の思う壺にはまってしまっていて、また騙されてしまった妻の本村弘美のそのような単純で衝動的なことをしてしまっている可能性などと取り違えることを避けさせてください。「法の救済を求める者は、汚れない手をもって訴えなければならない」という法原則からすると「主客転倒」で違法そのものであることが明らかでもありますので本事件に巻きこまれている本村家の家族全員の人権擁護を憲法第十六条に基づき請願いたします。
以上
平成23年11月1日
沖縄県浦添市港川2丁目10番8号
相手方 本村安彦
2011年11月06日
怖くなったのかなそこまでやるのは?
被害届追加添付資料
沖縄県警察本部長 殿
浦添警察署長 殿
平成23年10月23日
沖縄県浦添市港川2丁目10番8号
被害届出人 本村安彦 印
以下の年表を被害届の参考資料として追加添付します。
本村家年表の抜粋
1991/春4月 | 住所:10年住んだ県営団地の一室で、沖縄県浦添
市城間4丁目36番、県営城間団地2号棟206号室
↓ここから始まる 兄弟の中で最年長で長男の安聡が浦添市立港川小
本村家の 学校幼稚園へ入学
無遅刻無欠席
「皆勤賞」の
歴史が始まる
1997/8/25 | 五男・望(のぞみ)誕生
↓全員「皆勤賞」中
1997/11/5~7 | 住所:10年住んだ県営団地の一室で、沖縄県浦添
市城間4丁目36番、県営城間団地2号棟206号室
↓全員「皆勤賞」中
| 生後三ヶ月、四歳、五歳、小一及び中一を含む親子7人
十年住んだ県営団地を強制立ち退きさせられ、十日間ほ
ど路上生活を経て、その後自宅から数キロ離れた別の学
区の友人宅の一室を善意で空けてもらい、生後三ヶ
月、四歳、五歳、小一及び中一を含む親子7人全員約
一ヶ月間世話になる。(その間も勿論、子どもたち全員
の「無遅刻無欠席」での皆勤賞を続けさせる)
同年/12/16 | 入居:過去のそれまでの学区と同じで隣接地区の現在の借家
で、沖縄県浦添市港川2丁目10番8号沖商不動産貸し住宅58
↓全員「皆勤賞」中
1998/8/1 | 我が家で六番目でしかも最初の女の子、長女・未姫(みき)が
誕生
↓全員「皆勤賞」中
2000/春3月 | 長男・安聡(やすとし)が中学校の卒業式で見事、中学
校一年生の頃の路上生活などの困難をも乗り切り小学校
から中学校までの9ヵ年無遅刻無欠席の皆勤賞を受賞し、
「やれば出来るんだ」ということを証明し、家族へ夢と
希望と勇気をもたらす。
↓全員「皆勤賞 」中
2001/7/7 | 数年ぶりに父親の投稿が琉球新報紙論壇に写真付きで掲
載される。
↓全員「皆勤賞」中
同年/数日後 | 長男・安聡が高校二年。一日だけ行方と寝泊りした所在が分
からずとうとう翌日の登校が出来ず高校をはじめて一日だけ休
み、本人も目指していた小学校からの12年間無遅刻無欠席
での皆勤賞を断念する。(しかし、その後は気をしっかり取
り直してその日以外のすべての日は中学校までと同様に皆勤
賞で高校の卒業式を迎えた)
↓全員「皆勤賞」中
同年/9/6 | 数年ぶりに父親の投稿が沖縄タイムス紙論壇に写真付きで掲
載される。
↓全員「皆勤賞」中
2002/夏8月 | 長男・安聡が高校三年。パワーリフティング県チャンピオン
となり、沖縄県高校選手権代表選手として埼玉県で行われた
全国高校選手権大会で7位入賞を果たす。
↓全員「皆勤賞」中
同年/暮れ | 長男・安聡が突然それまで内定していた国立大学(琉球大学
法学部)への高等学校推薦を取り消される。理由は、高校二
年の夏に一日だけ休んで、それまで小・中・高と10年以上も
連続で続けていた無遅刻無欠席での「皆勤賞」という名誉に
傷が付いた事以外は担任教諭の説明には見当たらなかった。
↓全員「皆勤賞」中
2003/春3月 | 長男・安聡が見事、高校二年生の夏の一日だけの欠席以外12
年間すべての小・中・高を通じて無遅刻無欠席で高等学校を
卒業した。しかし、一方、センター試験の一ヶ月前までは推
薦入学ということで準備が出来ていなかったこともあり、国
立大学(琉球大学)の一般入試にチャレンジするも落ちてし
まい、翌年に私立の沖縄国際大学へ高等学校推薦入学を果た
すまでは浪人でアルバイターという身分に一年間甘んじるこ
とになる。
しかしその同年同月にこんな朗報も。
なんと、そんな長男・安聡の六歳離れた直ぐ下の弟の眞理
(しんり)が小学校の卒業式で見事、その長男・安聡同様
に、小学校一年生の頃の路上生活などの困難をも乗り切り小
学校6ヵ年無遅刻無欠席の皆勤賞を受賞し、家族へ新たな
勇気と希望をもたらした。
↓全員「皆勤賞」中
2004/春4月 | 長男・安聡が沖縄国際大学へ推薦入学を果たす
↓全員「皆勤賞」中
2005/春3月 | 三男・自然(しぜん)が保育園児の頃の路上生活体験などの
精神的困難をも乗り切り、小学校の卒業式で見事、一番上の
兄の長男・安聡と直ぐ上の兄同様に、我が家で三人目の小学
校6ヵ年無遅刻無欠席の皆勤賞を受賞し、本村家では普通の
こととして定着させてくれた。
↓全員「皆勤賞」中
同年/夏7月 | 次男・眞理が中体連の中学野球で活躍し、岡山県の高校野球
部監督から岡山へ来るように、とスカウトされる。
同年/夏8月 | 四男・公平(こうへい)が、県少年野球代表選手として九州
で行われた九州大会へ出場。
↓全員「皆勤賞」中
2006/春3月 | 四男・公平が一つ歳上の兄の三男・自然にひきつづき、保育
園児の頃の路上生活体験などの精神的困難を乗り切り、小学
校の卒業式で見事、一番上の長男・安聡とその次の兄の次
男・眞理同様に、我が家で四人目の小学校6ヵ年無遅刻無欠
席の皆勤賞を受賞し、本村家では当然のこととして安定させ
てくれた。
さらに、この四男の小学校卒業と同月には中学校を卒業した
次男・眞理もその中学校の卒業式で、長男・安聡に引き続
き、小中を通して9ヵ年間無遅刻無欠席での「皆勤賞」で卒
業。これで我が家では二人目の9ヵ年皆勤賞受賞者となる。
↓全員「皆勤賞」中
同年/春4月 | 次男・眞理がスカウトされ岡山県の高校野球へ旅たつ
↓全員「皆勤賞」中
2008/春3月 | 三男・自然が浦添市立港川中学校の卒業式で小中を通じた9
カ年間無遅刻無欠席の皆勤賞を受賞し、これで我が家では長
男・安聡及び次男・眞理に次ぐ三人目の9ヵ年間賞となっ
た。
↓全員「皆勤賞」中
同年/春4月 | 三男・自然が県立浦添商業高等学校へ野球部推薦入学を果た
す。
↓全員「皆勤賞」中
同年/夏7月 | その三男・自然のチームが県夏の大会で優勝し、甲子園で準
優勝するまでに燃え上がる中、
次男・眞理はスカウト先の岡山県高梁日新高等学校野球部で
岡山県予選で岡山理大付ふを打ち破り、ベスト8へ駆け上が
り、遠く離れた沖縄の新聞に「県出身選手活躍」と採り上げ
られ話題を振りまくなどの活躍を果たす。
↓全員「皆勤賞」中
2009/春3月 | 次男・眞理が岡山県の高校の卒業式でも三年間無遅刻無欠席
皆勤賞を受賞し、これで、12カ年間無遅刻無欠席での皆勤
賞を達成する。
また、四男・公平はこの月、港川中学校の卒業式の日を迎え
ていて、なんと、我が家から4人目の小中を通じての9カ年
間の皆勤賞を受賞するも、9カ年間とはいえ、本村家では普
通なこととなり、あまり騒がなくなってしまっていた。
↓全員「皆勤賞」中
同年/春4月 | 四男・公平が県立浦添高等学校へ推薦入学を果たす。
| 小学校5年生になった長女・未姫が「家の外観と中の天井の
ペンキがはがれていて汚いから学校の先生の家庭訪問が恥ず
かしい。嫌だ」と、その前の小学校4年生の頃のトーンとは
明らかに違う高いトーンの無理な要求を言い続けるので仕方
なく、家主の沖商住宅不動産へ内緒で外部のペンキ塗りと内
部のペンキ塗りなどの手入れを自分で行い、その家庭訪問は
満足させることができた。
↓全員「皆勤賞」中
同年/5月 | 次男・眞理が大学野球一年目の最初の大会である沖縄県で行わ
れた当年度の九州大学野球選手権大会に一年生ながら主軸打者
として推挙され、DH5番打者として活躍。
↓全員「皆勤賞」中
同年/夏8月 | 五男・望(のぞみ)が少年野球の県代表選手として九州で行わ
れた九州大会へ出場。
↓全員「皆勤賞」中
同年/9/28 | 現在も住んでいる借家で、沖縄県浦添市港川2丁目10番8号沖
商不動産貸し住宅58に突然、その家主である沖商不動産から
立ち退き要求の嫌がらせ文書が届く。
↓全員「皆勤賞」中
同年/翌月10月 | その嫌がらせ立ち退き要求文書を法テラスへ相談し、異議申
し立てとなり、以後1年間は何の問題も起こらなかった。
その頃、子どもたちはというと、次男・眞理が県大学野球選
手権で一年生ながら活躍を続けて新聞をにぎわせていた。
↓全員「皆勤賞」中
2010/春3月 |五男・望が小学校の卒業式で、小学校6カ年間無遅刻無欠席
の皆勤賞を受賞。これで本村家で長男、次男、三男、四男に
続き、男の兄弟全員6カ年間皆勤賞を達成したことになっ
た。
↓全員「皆勤賞」中
2010/春4月 | 長女・未姫が「送迎が厳しいから少年野球を止める。そのか
わり陸上で日本一になる」と、決断し、直ぐに少年野球を止
め、陸上競技に専念しだす。と同時にますます父親の指導方
針についてくるようになっていった。
2010/春5月 | 次男・眞理が県大学野球「新人賞」と「ホームラン賞」及び
「ベストナイン賞」の賞という、大学野球の賞のすべてと
いっていいほどの賞を大学一年目から獲得。
同年/5/19 | 厚生労働省・県ハローワーク・市町村・社会福祉協議会が一
体となった「セーフティーネット」制度資金の受給資格をハ
ローワークで受ける。
同年/5/21 | 上記の文書を持参し、現在も住んでいる借家で、沖縄県浦添
市港川2丁目10番8号沖商不動産貸し住宅58の家主である沖商
不動産へその制度資金を利用する旨の説明をしたところ、立
ち退き要求があることを理由に嫌がらせからその制度の資金
を利用させなかった。
↓全員「皆勤賞」中
同年/夏8月 | 長女・未姫が東京代々木の国立陸上競技場で行われた全国小
学生陸上大会で一位となり県初の全国制覇を達成し、新聞に
大きく採り上げられた。
次男・眞理が県大学野球「殊勲賞」及び
「ベストナイン賞」の賞を獲得。
↓全員「皆勤賞」中
2010/10月 | 三男・自然の大学推薦入学が決まる。
住宅立ち退きいやがらせ始まる
同年/同月 | 次男・眞理が県大学野球「ベストナイン賞」の賞を獲得。
↓全員「皆勤賞」中
2010/秋頃から| 長女未姫が取材やその他の打ち合わせなどが増えたせいで、
スポーツの優秀な子などへの子育てについてこれといった理念
など持ちようがない少年期の家庭環境で育ったことで、父親と
は違い今流行の”うざい”教育的指導を行えないことが娘から
すれば渡りに船で、都合良く、誰とでも当たり障りのない親、
との理由から、その母親と二人っきりで出かける機会が多くな
りだすことを陰ながら指示してくれる父親の配慮が、母親に
とっても、娘・未姫にとってもうれしいことが続く。
また、少年期の娘・未姫とすれば、「父親の力は借りずにここ
まで結果を出せたんだ」としなければならない、或いは、そう
せざるを得ない状況に追い込んだ娘・未姫の父親との関係以外
での、周りの環境の災いもあったことは間違いない。
↓全員「皆勤賞」中
2010/11/16 | 沖商不動産がセーフティーネット制度での住宅手当充当家賃を
受け入れないことを理由に、セットでもある県社会福祉協議会
がその国などの制度資金を一切利用できず、後は振込みを待つだ
けの状態まで終えていた手続きが不承認となり、結果、支給手前
で打ち切られた。
更に、県社会福祉協議会のそのような状況から、市役所も見
合わが始まるようになる。(別紙、平成22年11月16日付け通知
書参照)
総額=県社会福祉協議会分が2,208,000円+232,000円=2,240,730円
と、+浦添市役所分の住宅手当一年分48,000円×12ヶ月で576,000
円=3,016,730円が、まったく放棄させられた格好となる形に。
↓全員「皆勤賞」中
2010/11/28 | 長女未姫が国頭陸上競技場で行われた県民体育大会会場で、県
陸上連盟・教育団体から今年の全国一位になった優秀選手とし
て表彰された。
↓全員「皆勤賞」中
同年/暮れにかけ | 子どもたちはというと、長女・未姫が市の広報などに数度も
紹介さてたり、小学校の学校新聞などに紹介され続けたこと
で母親と二人が急に忙しくなる。例えば、12月1日には市制
40周年記念市広報などの特集などでも再度登場するのと並行
して市のホームページにも市長や教育長と並んだ母親と一緒の
写真などが掲載されたり、雑誌などにも掲載された。
また、次男・眞理も新聞をにぎわすような大学野球での活躍
が続く。
※2011年2月27日。以下の仮説をインターネット上で発表する。http://groups.yahoo.co.jp/group/ml_ryukyu_400130/
今日現在沖縄の健康状況:
1、1946年以降生まれ世代の全国1早世(早死に)の問題。(略)
2、全国平均不妊症カップルの割合が10組に1組なのに、なぜ沖縄では7組に1組と多いのかという問題。
3、低出生体重児(いわゆる昔で言う未熟児)(1500グラム以上2500グラム以下)が生まれる率が全国1高い沖縄。(略)
仮説第一回目:
1、の原因その1、1946年から始まり、15年後の1962年まで行われたビキニ環礁での核実験による放射性物質を含む放射能雨が琉球列島へ連日のように降り注ぎ続けた。(略)特に当時生まれたばかりの頃の年代の者、いわゆる現在70歳の者は 満15歳になるまでづ~とその放射性物質を含む天水を毎日摂取していただろうから全国1の早世・早死にの短命になっている。
1、の原因その2、上記に加えて1960年代のベトナムで使用された枯葉剤に混入していたダイオキシン散布の問題も重なった。(略)
特にその現在70歳未満の者は原爆の放射能雨から連続していることから被害が多く、全国1早世・早死にになるのは当然の結果と言える。
1、の原因その3、冒頭の戦後沖縄の教育行政で現れている通り、特殊教育対象児童の急激な増加時期とビキニ環礁との因果関係性の問題。(略)この年代の沖縄での健康診断時で「必ず病院へ行くこと」として持たされる有所見率 は全国1である。
2、の原因その1、上記70歳未満の年代の健康問題を考えると、ちょうど彼等の子ども世代が現在の不妊症で悩む世代となっている。
母体への汚染が仮に放射性物質などであった場合、時系列からいって当たり前と言えば当たり前の結果だろう。(略)
あえてここで特筆するなら、(略)1960年代のベトナム戦争当時から長年に亘りダイオキシンを含む枯葉剤を散布実験・訓練していたこととの因果関係だろう。
3、の原因その1、問題の70歳未満の年代からすれば丁度母体や父親がその息子や娘世代で、低出生体重児・未熟児がその孫に当たる問題。
参考資料:2007年に発覚した五つも県民の水がめであるダムが存在する北部米軍訓練区域内のそのダム周辺に米軍がダイオキシンを含む枯葉剤を長年に亘り散布。(2007年7月9日付沖縄タイムス紙夕刊一面及び同日付琉球新報紙夕刊一面)これはお願いですから皆さん是非図書館へ行って下さい。
さらにもうひとつ沖縄の県民すべての世代にとって見過ごすことができないかなり深刻な事件がある。 1954年の米国政府によるビキニ環礁での水爆実験の際に(略)実験直後から日本への放射能汚染への懸念が全国的に広がったが、沖縄では当初は米軍による調査で、検査値の結果も明らかになっていない実情があること。そして、当時の県内は80パーセントが天水の利用だったが、実験の後、米軍基地は急いで水道を敷いたこと。加えて、実験の後県民の相当な人が(放射能物質を含む可能性があった)天水を飲んだのではないか」との研究報告から、沖縄は当事も米軍占領下だったことから、実験国が支配していた状況で、本土と対応が違い沖縄の米軍基地内と外との対応の差別的違いが明らかになった調査結果。(2010年11月22日付琉球新 報紙22ページから)
※2011年3月3日(木)。本村安彦仮説から始まった沖縄タイムス紙スクープ↓
沖縄タイムス紙一面「ビキニ死の灰沖縄に」「かでなで本土の2倍」「54年水爆実験後米が観測」「人体の影響専門家調査へ」。社会面「何も知らず被ばくか」「沖縄に死の灰」「米統治下情報奪われ」「近海の船員早世相次ぐ」
↓全員「皆勤賞」中
※2011/3/11 ↓
| 福島第一原発問題が勃発し、父親のこの17年来の核への専門
性が注目され、平和問題研究者や教育関係者などから招きを受
けるようになり、偶然とはいえ、生業・自営業の放射能除去可
能逆浸透膜浄水器が売れ出し、事業が軌道に乗り出す。
2011/春3月 | 長女・未姫が、沖縄県児童賞を受ける。(平成22年度沖縄県生
徒等表彰、浦添市立港川小学校第6学年 本村 未姫)
↓全員「皆勤賞」中
2011/春3月 | 長女・未姫が小学校の卒業式で小学校6カ年間無遅刻無欠席
の皆勤賞を達成。これで兄弟6人全員同じ港川小学校での珍
しい皆勤賞となる。
更に、三男・自然が高校の皆勤賞も達成。(偶然に長男・安
聡と同じ高2の夏に一日だけ休んだが)これで12ヵ年間準皆
勤賞を長男に引き続き達成した。次男の12ヵ年皆勤賞達成
に加えると3人がすべて12ヵ年皆勤賞ということになる。
↓全員「皆勤賞」中
2011/4/4 | 琉球新報紙で「本村家、兄弟6人全員皆勤賞」と大きく報じら
れ、ネット上でも「本村家」のヤフー検索ワードでのアクセス
数が1,500,000件を超えるほど全国的に報じられ、話題になる。
(現時点では6,460,000件を超えている) ↓
※2011年4月4日。「本村家」検索ワード「本村家」↓出てきますのでご覧ください。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-175672-storytopic-7.html
カテゴリー:教育
本村家、きょうだい6人皆勤賞 港川小2011年4月4日
きょうだい全員小学校皆勤賞を達成した本村家の(左から)五男望君、三男自然さん、末っ子未姫さん、次男眞理さん、四男公平君=3月29日、浦添市港川
【浦添】浦添市の港川小学校を今春卒業した本村未姫さん(12)が皆勤賞で表彰された。未姫さんは6人きょうだいの末っ子で、きょうだい全員が同小を1日も休まず卒業。兄たちは中学校も皆勤賞を取り、未姫さんは「兄ちゃんたちがやってきたことで当たり前だと思ってきた。港川中学校の3年間も頑張りたい」と語り、父安彦さん(57)は「共働きで一人一人にゆっくり付き添うことができない中、自分たちの力で頑張ってくれた」と子どもたちの成長を喜んでいる。
未姫さんは兄たちの影響で小4で野球を始め、てだこアスリートクラブにも所属。
昨年8月、陸上競技の第26回全国小学生交流大会女子共通ソフトボール投げで優勝した。第48回沖縄教育版画コンクール特選にも選ばれた。
全国的に優れた成績を収めた児童生徒らをたたえる「2010年度県児童生徒等表彰」でも表彰され、「将来はCG(コンピューターグラフィックス)クリエーターになりたい」と夢を語る。
8人家族の本村家は長男安聡さん(26)を皮切りに小中学校皆勤賞を続け、次男眞理さん(20)=沖国大3年=は「周囲にこんな大家族はあまりないが、明るくにぎやかでいい」と話し、三男自然さん(18)=同大1年=は「もっと家族が増える将来が楽しみ」と笑う。
四男公平君(17)=浦添高3年=は「皆勤賞も当然と思ってきた」と話し、五男望君(13)=港川中2年=は「中学も達成したい」と意気込む。
6人の子どもの成長を支えてきた母弘美さん(50)は「何よりも健康で生まれてきてくれた喜びが大きい」と目を細めた。(座波幸代)
※4月5日(4月8報道)→フクシマの放射能が沖縄で観測される。
※4月24日→沖縄電力も原子力発電を7年前から研究問題が新聞で発覚。
↓全員「皆勤賞」中
※2011/5/17 ↓
この日は、三日後の5月20日は、15年住んでいる我が家・貸し
外人住宅の家主の沖商不動産の嫌がらせ裁判の和解期日で、その
日までに百万円ほどの大金をその保証人に迷惑を掛けることに
なったお詫びをしに夫婦揃って行って来た。
※2011/5/20 ↓
この日は本村家にとって、悪いことと嬉しいことが同時に起こっ
た日でもある。
まず、悪いことだが、懸案住居立ち退き訴訟では和解案としてこ
の日までに90万円ほどの大金を一括で振り込む手続きをするこ
とと決まっていました。その日は時間までになんとかしはしたも
ののしっくり行かないような意地悪を相手の沖商不動産から脅し
を受けます。それはやはり後日になってからも尾を引き問題にな
ります。そこを間違うと家を追い出されてしまう羽目になってし
まいかねないような脅しでした。
それまで1年余も裁判で争った我が家・貸し外人住宅の家主の沖商不動産と裁判所提案の和解案が成立していて、その※5・24の4日前の5月20日(金)はその和解案最大の条件だった約90万円を一括で支払う期限日だったので期限三日前の5月17日にその分の支払い手続きを済ませ、当日20日に沖商不動産の代理人弁護士の口座へその支払先から直接振込みをしてもらい済ませた。
(しかし実際には代理人弁護士から沖商不動産に渡ったのは休み明けの3日後で※5月24日の前日に当たる※5月23日(月)で、しかもその分には実は5月分が含まれていない可能性があることと、もしその5月31日(火)までにその支払いを本村家が怠ったら問題になることなどをお父さんが自分で直接確認のためにその期限日の可能性のある5月31日になって沖商不動産事務所まで来てはじめてその代理人弁護士からのその分の内容の入った領収書が沖商不動産へ発行されているのを気づいた。さらに本村家へのその分の領収書発行の日付もその※5月23日になっているにもかかわらずその旨の領収書を最終日の時間外に渡された格好になり翌日6月1日まで引きずることになる)
その直後、お母さんが沖商不動産事務所に直接行き沖商不動産からセーフティネットでの家賃受け取りに関しても同意書を取ったものの、しかし、後日になって市役所から書類様式の違いという単純なやり直し要求があり、又もやそのセーフティネット関連の書類のやり取りで二度目、沖商不動産事務所で同意書を再度もらった際、その5月20日期限の一括分には5月末日までには収めなければならないはずのその5月分の家賃8万円が含まれていなかったかどうかの確認が取れていないことが分かった。
住まいの安心確認のため、期限日の5月31日(火)に沖商不動産事務所に今度はお父さんが直接出向き提案者である裁判所などとの確認作業に入ったものの、この期限日の時間内はもちろん翌日6月1日(水)の時間内ギリギリになっても確認が取れなかったので解決策として万が一の場合を想定してそのあいまいな問題の5月分の8万円の振り込みを雨の中、ギリギリで済ませ、もし仮に、最悪なケースの5月20日が期限日の一括支払いの中に入っていなかった場合としても問題が起こらないようにとその裁判所の書記官やその他の関係者へ連絡し、解決し、今日に至っているなどがある。
つまり、家宅捜索のあった※5月24日の前日の※5月23日の時点で、その一括支払い分には実は当月の5月分が含まれていない可能性があるのを沖商不動産は承知してたということになる。
その意味からすると沖商不動産は偶然か必然かは分からないがその※5月24日の家宅捜索の前日、 ※5月23日には何らかの意図があったことがわかる。
そして嬉しいことというのは、長女・未姫が、当日行われた「少
年に夢と誇りを責任を、伸びよう伸ばそう青少年」がスローガン
の浦添市青少年健全育成市民会議の平成23年度第25回定例総会
で表彰される。
表彰理由は「兄弟6人全員皆勤賞」であることや、更に長女・
未姫本人の陸上での当該種目県初全国一の功績が大きかったこと
で兄弟6人全員同じ母校の推薦で兄弟代表として表彰された。
(そのおよそ一週間後の:5月28日には沖縄タイムス紙社会面の写
真付き記事で報じられ、話題になった)
しかし、その間の:
※2011/5/23↓
(住まいの安心確認のため、期限日の5月31日(火)に沖商不動産事務所に今度はお父さんが直接出向き提案者である裁判所などとの確認作業に入ったものの、この期限日の時間内はもちろん翌日6月1日(水)の時間内ギリギリになっても確認が取れなかったので解決策として万が一の場合を想定してそのあいまいな問題の5月分の8万円の振り込みを雨の中、ギリギリで済ませ、もし仮に、最悪なケースの5月20日が期限日の一括支払いの中に入っていなかった場合としても問題が起こらないようにとその裁判所の書記官やその他の関係者へ連絡し、解決し、今日に至っているなどがある。)
つまり、家宅捜索のあった※5月24日の前日の※5月23日の時点で、その一括支払い分には実は当月の5月分が含まれていない可能性があるのを沖商不動産は承知してたということになる。
その意味からすると沖商不動産は偶然か必然かは分からないがその※5月24日の家宅捜索の前日の この日※5月23日には何らかの意図があったことがわかる。
※5月23日→夕方、インターネット掲示板 http://groups.yahoo.co.jp/group/ml_ryukyu_400130/ 上で、今回のフクシマ現地の放射能雨の汚染量より、かつてのビキニ環礁での核実験による放射能雨が琉球列島に降り注いだ当時の琉球気象台の記録、17万カウントのほうがかなり凄い放射能汚染量であることを伝え、公表し警鐘を鳴らす。
夜 → 住まいの家主の沖商不動産から立ち退きの要求が強くあったこと
で、数ヶ月前からそのことで取材を依頼していた新聞社の記者と
深夜まで電話を使いやり取りをしていた。問題は家族の死活問題
にまで発展していることなどを話していた。これ以上のことが起
きるなら、家族が生きてゆけなくなるなどとも。
(そしてその翌日に、浦添警察署からわけの分からないような家宅
捜索を受け、そのことがその後四ヶ月以上も尾を引くことになっ
たことを、この日の前後に起こった出来事などと噛み合わせなが
ら考えてみるとこのときに本村家の家業を狂わす急な何らかの外
力が加わったのではないか?と考えてみてもおかしくないような
気もする)
(と言うのも、こんなことがあったからだ。その家宅捜索のあった
24日の早朝六時半頃に、市内のお客さんから急に「タンクの水が
出ない。調べて直してくれ」との電話があり、急いで支度をして
七時頃お母さんの運転で二人出かけようと家の前の車に乗り込も
うとしたその時である。「ちょっと待ってください。この時間、
別の家宅捜索斑が裁判所へお宅の家宅捜索令状を取りに行ってい
て、その家宅捜索令状は今手にしていないので見せられないが、
今から何処へ?」と、突然現れた一人の刑事が尋ねてきた。それ
からすると、単純に考えて家宅捜索をするにあたっては必須で肝
心要な裁判官の捜索令状がその様な未入手状況だと言うことはこ
うではないだろうか。)
(つまり、前の日の昼後から深夜にかけて浦添警察署へ何らかの通
報なり、申し入れなり、権力者の強い要望が急にあったのではな
いか?ということだ。でないと「、、、捜索令状は今裁判所へ取
りに行っている、、、、」のところのつじつまが合わない。)
(では、どのようなことが起こりうるからこの本村家の捜索令状ま
で急ごしらえで用意しなければならないほど、前の晩から書類を
作り始めて翌日の早朝までかかったのだろうか?について考察し
てみるとしよう。)
(一つは、例えば、その晩は深夜まで電話で記者と話したり、時に
は大きな声になったりしていたし、仮にその声を近所の最近引っ
越してきたばかりで子沢山な家の「地震 雷 火事 親父」を全
く知らないような若くて、未だ子どものいないような世帯の「未
経験」から来る「DVではないか?」などとの誤解から始まる間
違った警察への通報があったかもしれない。)
(或いは、その記者とは別の警察担当の記者がその話を聞き、浦添
警察署へ「子どもや家族が危ない。一家心中も、、、」などと余
計な通報や提案を警察へしてしまった。だから、苦肉策で、電力
の下請けの顧客のタンクトラブル工作のアイディアなども交え、
早朝から電話で確認の意味も兼ねお父さんへ電話をかけたのでは
ないか?それとも全くその逆で人目が付く時間まで待ったか。)
(そして、今になって思えば、あの時、刑事が戸惑ったようになっ
た「お母さんと二人で出かけようとした時」の場面。その戸惑い
の原因は、よもや運転免許が無いお父さんだとは思わなかったの
ではないだろうか。電話をかければ、お父さん一人出かけ、あと
お母さん以下全員の安否をお父さんに隠れて行える算段が壊れた
からではないだろうか?-と考えている。)
(もう一つには、これは、この23日の早朝に電話をかけてきたお客
さんの職業から割り出した結果だが。その客の職業と言うの沖縄
電力関連の下請けの仕事をもうかれこれ50年以上もやっている
客だ。もし、仮にお父さんのライフワークでもある「核」撤去ボ
ランティア活動をもうかれこれ十年以上も前から重々承知のこの
お客さんが、3・11のフクシマ問題以来、当時もマスコミでも問
題にしていた自分の親である「沖縄電力の過去7年にも及ぶ原子
力発電研究の発覚」問題を批判するチラシや新聞の切抜きをこの
お父さんから配布されたとしよう。)
( 当然、そのお客さんは親である沖縄電力の誰かへ何らかの形で伝
えただろうし。)
(すると、未だに戦後の寄り合い所帯が数世帯だけ寄り集まって成
り立っている狭い沖縄の経済界。自然の成り行きでその話題が持
ち上がったとしよう。すると、必然的にその寄り合い所帯の中の
銀行の筆頭株主の中には当時「本村家が住んでいる賃貸住宅から
早く出て行け」裁判でその本村家の主であるお父さんと係争中の
不動産屋も存在することになる。)
(すると、お父さんの活動を破綻させるのための工作をこのように
行ったのではないかという推理が成り立つ。また、こうならない
と筋が逆に通らなくなる:)
(つまり、「住まい」は自分の持ち物である不動産屋が本村家の
家計を「核」撤去のボランティアどころじゃないくらい破綻させ
て困らせ、出来ることなら追い出せばいいだけの話であるから先
ず真っ先に上がるのが家主の不動産屋。)
(この不動産屋とは当時ももう何年も前からなかなか追い出せなく
て困り果て、とうとう裁判まで起こして係争中でもあった目の上
のたんこぶ的存在のお父さんを陥れるとなれば渡りに船とばかり
に不動産屋の担当者の知念などにとっては朗報とばかりに、誰彼
かまわず、お父さんの仕事に関する内容について集められるだけ
の情報を集めたのでしょう。)
(この不動産屋の担当者と言うのは、お母さんの携帯電話
番号ももう何年も前から知っていて、お母さんとは家賃のこと
などの相談を何年も前から結構仲良く話していたことが一緒に
話をするときになると現れる面を持つ。また、周辺住民などと
の情報交換の役目もあるため、結構お父さんの情報に関しては
詳しい。だから、そんなことなどに疎いお母さんが知らぬ間に
この知念の何度かの何らかの裏工作に巻き込まれている可能性
がなきにしもあらずだろう。例えば、知念とすれば、お父さん
の仕事の情報をお母さんへ家賃請求を強く迫れば、時たまお金
が足りなくて引き伸ばさざるを得ないお母さんとすれば正直に
当時のお客さんとのちょっとしたトラブルなどで集金が遅れたり
することなどの理由など、お父さんにとっては知られたくないよ
うな情報まで入手しようとすれば出来るわけだから、さもそれと
はお母さんへは気づかれないようにその際に聞きだせるだろう。
また、お母さんも我が家の家業金策のため、妹たちが共同で経営
する食堂の宣伝もしただろうし、仕方なく顧客などの情報をお母
さんのお母さんの実の香などへも漏らしてしまう場合もあっただ
ろうから、その関連い係者も含まれるだろう。特に故人・島袋照
子は拝みという職業柄だった事から、沖縄の風習を宣伝して自分
の母である故・島袋照子の仕事を応援したいお母さんを通じて不
動産の担当者の知念とも会ったことがあるかもしれない。そうな
ると、ちあきの旦那の兄は警察関係者と聞いているし、そお食堂
ふく家のランチタイムなどを通じて井戸端会議なり、何なりで狭
いこの浦添での情報は簡単に集まるし、広まることだろうから。そ
の食堂ふく家をお母さんは「利用してください」などと、宣伝し
ていただろうから。)
(次に上がるのが、当時ももう何年も前から仕入れた浄水器の支
払い方法でもめ、また、顧客回りの規範などででももめていた
仕入先の会社。)
(この仕入先の会社は、お父さんがかつて真っ先に顧客としていた
顧客が、その後お父さんの手を離れ、後に自分たちのアフターな
どの無責任さから起こったトラブルのある顧客になってしまった
ときは、その矛先を意図的に全く関係ないお父さんへ向かわせよ
うと裏工作までしていたことが今回の取調べを受ける中で見つけ
ている。(この会社の経営者の同級生の中には国会議員で、しか
も同郷ときている政治家も存在し、その国会議員とお父さんとは
その核問題で知り合った経緯がある)
(そして、その会社の下請けの個人経営者で、この個人経営者は
上記の仕入先の会社同様に取り調べの時にその名前がふんだんに
挙がった個人経営者だが、ここでいう「戦後沖縄の寄り合い所
帯」の沖縄銀行や沖縄電力などとは縁が遠いため外す。(只、大
物議員や政治の結束力では評判の奄美出身で人脈の割りと多い小
禄高校出身でもあるので、意外と大物政治家を頼っている可能性
も否定できなくはない。)
(それ以外にも考えられるような仕事関連の中で起こったクリスタ
ルの社員と政治家との関連なども無いでもないが、きりが無いか
らここらでやめておく。)
(※そんな裏側の社会の情報分析などできようも無いお母さんは、浦添警察署などへ夫婦の問題や家庭内の問題として相談を持ちかけていたことからも分かるように早まった行動をとってしまい、すべてお父さんが悪いということとすることでしか解決できようもないことから、お父さんやお母さんに訴えられたあらゆる機関とすれば、仕方なくお父さんを中心とする本村家を破壊していることになるのだろう。いかに、この家の主であるお父さんを貶めることがこの家で暮らす六人もの子どもたちの生活まで破壊することになろうともお構い無しに。)
(一方、その無責任極まりない浦添警察署や他の機関の職員らはお
母さんの生活はどのように?考えているかというと、せいぜい食堂
ふく家で生計を経てていただければそれで良しとしたいのだろう。
全く無責任極まりない。)
(もしそうなら、「運転免許証」がないので困っていることを無視して
いる謎が解ける。)
(だから、お母さんにまつわるすべての第三者の外力での刑法犯な
どの犯罪までをも浦添警察署の市民生活安全課は否定せざるを得
ないのではないか。)
(なにしろ、その通りなら、その第三者とは浦添警察署市民安全課
そのものということになるのだからだ。)
(この件がお母さんの家出の原因のすべてだろうし、お父さんの言
うことを聞かない「警察」という後ろ盾になっているのだろう。)
(だから、そのことを知っているお母さんの周りの親戚らも「警
察」を後ろ盾にいくらでも大柄な態度をとれてしまうようになって
しまったのだろう。)
↓全員「皆勤賞」中
※翌、2011/5/24 ↓
家宅捜索のあったその朝、沖縄電力の下請けを50年やっていてその沖縄電力の株主でもあるお客さんから「水が出ない」と電話があった。(しかもその後何度も同じ理由で)
早朝から住宅へ「沖縄県浦添察署派遣沖縄県警察本部浦添警察
署生活安全部生活保安課」がありもしない(約二ヶ月かけ取調べ
をうけるも、その疑いはまったくのガセだったことが分かる)
「特定商取引に関する法律違反 被疑事件」につき、などとの理
由で家宅捜索に入り、領収書から請求書やスタンプと印鑑、そし
て日々の業務に欠かせない業務記録手帳など、それがなければ営
業そのものが成り立たないようなとても死活にかかわるようなの
商売道具15点を自宅や、営業用車両2台から押収される。(別
紙参照)
おかげで、まる2ヶ月家業が出来ず干上がる。
※5月24日。浦添警察署生活安全課による人通りの多い時間帯での、沖縄の核貯蔵庫撤去市民運動歴17年間の主人の個人的な市民運動に対するこれ見よがし的な妻と二人だけの零細自営家業の個人自宅への突然の家宅捜索。そしてその後の2ヶ月に亘るも数回だけの取調べなどの長期嫌がらせによって商売上の信用が顧客との間でぐらつき、以来、この約半年収入が20分の1に激減した。
※信用が第一の商売。とうぜんながら自営家業の商売が危うくる。
すると売り上げが上がらなくなることで金銭的にお父さんやお母さんを圧迫し、家計や商売がうまくいかなくなり出します。
そして、その被害行為が長引くと当然に精神的にも圧迫され続けることになる。そうなると、当然ながら家庭内では多少の混乱が予想されます。
※また、※5月24日に家宅捜索のあった朝と、 ※8月3日の最後の再取調べのことと、自営家業の金城本村リフォーム設計の一家が事業所兼住宅として15年住んでいる貸し外人住宅の家主の沖商不動産の立ち退き要求についても合わせて考えてみたい。
↓全員「皆勤賞」中
※2011/5/28 ↓
この5月28日の一週間ほど前の平成23年5月20日には、浦添市青少
年健全育成市民会議の平成23年度第25回定例総会で表彰された
内容が沖縄タイムス紙社会面の写真付き記事で報じられ、話題に
なったわけだが、その日から2日後の:
※家宅捜索から六日後、そして娘が健全育成会議で表彰された写真記事から二日後の2011年5月30日深夜。長崎放送放映の沖縄核兵器報道に妻と二人だけの零細自営家業の主人が出演。以後、8月3日までの約二ヵ月半浦添警察署生活安全課による取調べが続く。
※2011/ 5/30 ↓
この日までの間、およそ1年半長崎放送(NBC)から取材を受
ていた「封印された核」というタイトルのドキュメンタリー報
道がこの日(5/30)の深夜被爆地長崎でローカル放映として報じ
られる。
↓全員「皆勤賞」中
2011/6月↓
※ここであらためて5月24日に家宅捜索のあった朝と、※8月3日の最後の再取調べのことと、自営家業の金城本村リフォーム設計の一家が事業所兼住宅として15年住んでいる貸し外人住宅の家主の沖商不動産の立ち退き要求についてももう一度合わせて考えてみたい。
六月に入り、初旬頃、担当の知念と裁判所和解案の一つである敷地内の立ち木の枝打ち程度の件で初めて揉めた。(その時初めて、実は、沖商不動産が借家人の敷地内の権利にまで違法に立ち入ってこだわっていたことが分かる)
案の定、6月に入り、沖商不動産と浦添市役所が一体とならなければ収まらないセーフティーネット関連の最後の詰めの書類が市役所の慣例的な書類手交の方法などといった細かな点などのやり取りを巡ってとどこうってしまい、前に進まないことなどをとある政府の相談機関などへ持ちかけなければ解決できないようなわけの分からないことが連続的に起こりだした。
結局、妻の最後の詰めの数日間は夫と一緒にその相談機関や手続き機関へ運転免許証のない夫の運転手として一緒に出向きはしても、相談機関などで直接夫と同席することも少なくなり、とうとうひとり駐車場の車の中で待つことが多くなっていった。
沖商不動産が再び拒否すれば、昨年の11月に引き続き二度目とな
ることになるセーフティーネット制度での住宅手当充当家賃を、
家の貸主である沖商不動産が受け入れられないと拒否してしまう
と、セットでもある県社会福祉協議会がその国などの制度資金を
一切利用できなくなってしまう結果となってしまいかねない危機
的状況が再び起こる。
それを、必死になって解決し前へ進めようと夫婦一緒になって、積極的にあらゆる相談機関へ出向き働きかけようと妻へも働きかけるものの、最後の詰めにきているというような夫の説明の趣旨が、弾圧という意味すらも理解不能な女性特有の状態が長く続きすぎて混乱している妻へは伝わらず、とうとうわけが分からずじまいのままで夫と一緒になって動きだすことは少なくなっていった。
更に、もし、今回も前回同様となるとなると県社会福祉協議会の
そのような状況から、市役所も見合わが始まるようになることか
ら本村家とすれば一大事の窮地に立たされていたことから、やむ
を得ず人権擁護課での人権相談や、総理府の出先機関である行政
評価事務所(旧・行政監察)など、その他多くの相談機関を訪ね
回り相談したことで、一ヵ月後にはなんとかその最悪な状況を回
避することができるようになることになる。
※この時、お母さんはこの相談で歩き回る事へ車の運転手としては付いてきてはいたものの、一緒に車を降りようとしたら今回は「めんどい」とのことを理由に、おとうさんが強く求める「市の社会福祉協議との同席相談」以外のいずれの機関への相談には同席どころか付いてさえ来なかった。
結局お父さん一人で相談に出向いた格好になった。
↓全員「皆勤賞」中
2011/7月初旬 |この頃になってやっと、家宅捜索の嫌疑がはれ、すべての商売道
具が使えるようになるものの、その時にはすでに信用を失い、全
く商売にならないのが約2ヶ月続き生活そのものが干上がってし
まっていた。(狭い沖縄の更に狭い那覇市や浦添市のマーケット
ではーとの意)
2011/7月中旬 | 長女・未姫が、泡瀬の県総合グラウンドで行われた中学陸上で
ジャベリックスローの投げ方がまったく分からない様子だった。
未姫が投げるプラスチックで軽量のジャベリック棒が真っ直ぐで
はなく縦に回転してしまうなど、風の抵抗を受け遠くはへ飛ばな
いことで初めて決勝にすら残れない恥をかく。(競技を終えた帰
り道で尋ねたら、「この本村未姫選手は、、、全国一の選手で
す、、、。」などと場内アナウンスまで流して未姫を特別に大き
く紹介していたこともあったらしく、そんな中で生まれて初めて
の予選落ちはまさに赤っ恥だったようだった。
※丁度この頃。先月の六月から七月にかけて、決してあきらめな
いありとあらゆる期間へ相談に回ったことが功を奏してセーフ
ティーネット制度での住宅手当充当家賃を家の貸主である沖商不動
産がとうとう受け入れせざるを得ないような状況にまで追い込んだ
ことで、その住宅手当充当家賃とセットのセーフティーネット制度
でもある県社会福祉協議会がその国などの制度資金を利用でき、市
役所もそれまでの非協力的な態度とはガラリと雰囲気まで変わりス
ムーズに手続きも終えられました。
※7月21日、この問題が解決し、沖商不動産が絡むセーフティーネット関連手続きのすべてが終えた証拠の通知が届いた。
それからしばらくしたある日、この問題は実はその7月21日のその日まで水面下ではかなり引きずった旨の説明の電話がその相談に行った先の一つの政府の機関の担当者の電話連絡で知ることになる。
(後日、数あるあらゆる機関の担当者からひとつの電話があり、「本
村さん、その後いかがでした?会ってきましたよ。あなたの言うと
おり機関の怠慢でした。ちゃんと仕事をするようにと話しておきま
したので何かありましたらまた来てください」とのことだったこと
もあり、あっ、あっちのあの機関のあの人のおかげだったんだ、と
察することも出来、しつこく相談に回ってよかったとの実感がほと
ばしった。)
(と同時に、今回はつくづく、そういういち市民の権利や人権などに
ついてしつこく問いただして動き回るいつものお父さんの行動に対
して、すぐに嫌な顔をしたり、今回は特に「めんどい」などと途中
で放り投げてしまっていた母さんの間違いを正すことが出来、子ど
もたちへも「あきらめずにやれば出来るんだ」というお父さんの指
導方針をそのまま受け継ぎ続けることができるという喜びの実感ま
でわき上がってた。)
※ですから本村家では、あと残すは長女・未姫の陸上競技の悪い結
果を解消すべくだけだ、と連日ように夕方からは親父の「地震 雷
火事 親父」が鳴り響き、順風満帆な日々が蘇るようになりまし
た。
↓ (この間、政府の相談機関と浦添警察署・県・市役所・社会福祉協会、そして
沖商不動産と(沖縄電力)その他関係者の間で何があったかは表に出ること
はないが、普通の男性なら想像するにはそう難しいことではない)
↓
↓ また、この間、これから先々、長くて一年間ほどではあっても、一家8人
が住む住 まいの確保と、一時的ではあっても金銭的な問題が解決したこと
で金城本村リフォーム設計を自営家業とする本村家の主で代表者で本村安彦
自身は安堵感と、「やっぱり正義は勝つ。やれば出来るんだ」と、その戦い
を戦い終えた達成感の実感が湧いてきた。
↓ しかし一方、もう一人の共同経営者で妻自身は、この問題の当初のころは
夫と一緒になって行動をしたものの、最後の詰めに入る6月末から7月になっ
てからは、ほとんど夫一人積極的に動き出していたことから、達成感に浸っ
ている様子や喜んでいる様子は見受けられなかった。
そして7月の頭には二ヶ月かかった取調べはもう終わったと言われた筈の取り調べがまさかの突然で唐突な、 ※8月1日には又もや浦添警察署生活安全課からの※8月3日再取り調べとの呼び出しの電話だった。
丁度この頃、「米軍普天間飛行場の代替移設先の名護市辺野古には実は原子力発電計画がある」-という信頼筋の情報を基に、沖縄電力の所在地の浦添市を中心に当時も原発研究をやめないと豪語していた沖縄電力を比喩的に批判することに繋がる台所用放射能除去の浄水器の必要性を広めるチラシ配布をしていた。
なにしろ、沖電の地元・浦添市にはその社員や親族、或いは下請から関連会社、そして政治経済の関係者が大勢居るからだ。
只のお父さんのボランティア活動が即刻、七年も陰で隠れて原発研究をしていた沖縄の電力会社が嫌がらせしたがる内容だったという状況証拠がこれだけ並ぶんだから、その沖縄電力の手先の浦添警察暑の関係者の誰かが沖縄電力の関係者の誰かに本村家の仕事を潰すよう頼まれたから、5月までも苦しい中にさらに仕事も大切な集金もさせないように社版に会社の印鑑。さらに領収書セットや請求書セットに見積書セットから顧客リストに過去数年分の業務経歴メモ等を2ヶ月も取り上げ、終わりを告げた途端の7月にはまた同じ事を、今度は沖縄電力の地元を中心に始めだしたんで余計に腹を立てたんじゃないか。
そして※5月24日当時も不況で困っていた自営家業の生業「金城本村リフォーム設計」を余計にお金に困らせ、7月までで追込んで終わらせたはずが、7月以降、なんと8月になっても更に続け懲りずに続けたもんだから、家業だけじゃなくお母さんやお父さん、そして未姫たち本村一家の家族全員の暮らしそのものまでをもお金で困らせ苦しめることになっても止めようともしなかったんじゃないか。
それにしても家宅捜索された※5月24日の前と後の本村家の暮らしが180度ガラリとか変わった。
↓全員「皆勤賞」中
※2011/7/26 ↓
県社会福祉協議会の21万円余の資金応援を受け、お父さんが15
年ぶりに自動車の運転免許取得に再チャレンジするため牧港自動
車教習所へ入校し、早速その日から第一段階の仮免許を目指して
一日2時間は受講するようになる。
※また、経済的な問題が不十分とはいえ、ある程度片付いていた
この頃。
3・11の福島原発以来盛り上がっている核問題のボランティア
活動の忙しさのせいで、長女・未姫の練習をしばらく見ていな
かったお父さんは、ひとり「ここ数ヶ月だけとはいえ、物事を直
ぐに投げ出すような粘りの精神がない上に、県や全国レベルを目
指すような厳しいスポーツ選手の経験のないお母さんにだけ未姫
を任せていた。失敗だった。今なんとかしないといつかは取り返
しが付かないぐらい未姫がだめな選手になってしまうのではない
か」、、、などと、心の中ではもっと長女・未姫の練習をお父さ
ん自身でみるようにしなければならない、と特に中学に上がって
から後からはお母さんにそのあたりの多くをまかせっきりにして
いたことをつくづく後悔するようになっていた。
※具体的に振り返ってみると、確かに毎日夕方には500は飛ばな
ければならない未姫の日課が、お母さんの生ぬるい”お付き合い
練習”に変わってからというものは縄跳びのメニューは中途半端
だった。
加えて、娘・未姫にとって肝心なはずの陸上競技参加に力を入れ
るかと思いきや、逆にますますなまぬるいテニス部活動へシフト
しだす始末だったことに今頃「なるほど」などと気が付いてき
た。
※その上、未姫は未姫で前回のテストで席次50番以内が未姫本
人が自ら言い出した目標だったにもかかわらず、達せず。しかも
その結果がなんと今回のテストでは前回の順位よりも更に20番以
上も順位を下げる始末になってしてしまったことで、監督責任で
あるお母さんの親としての教育を受けさせる義務を遺棄・放棄の
その結果をお父さんに問われた。と同時に、ちゃんとお母さんが
監督責任を果たしていたならばあり得ないはずのその未姫の成績
だけじゃなく、その未姫の一つ上の兄で中2の望が先のテストの
9点の結果どころかとうとう今回のテストでは0点を貰って帰っ
てきてしまうような出来事までが立て続けに本村家で発生してし
まった。
(この様な結果をとある中学校の教師を経験した大先輩はこういう
が、、、「きっ、その港川中学校の中の古い教師の中には、本村
家の息子や娘兄弟が港川中学校鉱区でしかも、あり得ない20年
に亘り兄弟6人すべてが全国でもない無遅刻無欠席を果たすなどと
は考えも付かないようなその古い教師自身の自分本位的な考え方
と、そのまる反対の庶民的な理念で持ってその難行を果たしてし
まった本村家のお父さんに対して何らかのうらみつらみを持つ教
師が定年後も音楽、又は美術、或いは最近職務の増えた特別支援
学級の教師として居座り続けさせられていて、学校行政の政治的
な力学に利用され続けているのではないか。そのような本村家へ
恨みつらみを持つような誤った援助を利用してしまっているので
はないか」-などと話す。確かその嘱託教師は”あめく”だった
ような気がする。怖いのはその六人の子どもを二十年も育てたこ
とがないにも拘わらず、さもその経験があるかのごとくの言動を
執ってしまうところである。それに反しようものなら引き下がる
ことを知らないからなおさらだ。しかも、その怨念たるや計り知
れないものが存在していて、恐ろしいぐらいの感じをもってしま
うぐらいだ。)
↓全員「皆勤賞」中
※2011年8月1日(月)↓
※8月1日午前10時44分、お母さんの携帯へヤミ金
融から誘いの電話がる。(これは、当時の1、2ヶ月
ほど前に夫が金銭的に困って、「お母さんん、何処か
短期的に繋げられるようなネット上の金融機関はない
か?」と頼んだことがきっかけだったから承知してい
る)
午前10時49分、お母さんが宮平体育堂へ
電話を入れる。(これも、未姫のジャベリックを探
していたから承知している)
午前11時13分、お母さんが学校用品を扱
う会社へ電話を入れる。(これも上記と同じ理由だ
から承知している)
午前11時58分、お母さんの携帯へドコモ
ショップマチナトから電話
が入る。(これはきっと以前使っていた携帯電話の
請求の件だろうから承知している)
※夕方6時25分。お父さんの携帯電話に浦添警察署生活安全課
から再度呼び出しの
電話が入る。
午後6時25分。また誰かの嫌がらせ目的での警察への通報
か、或いは知り合いの誰かからの嫌がらせか??浦添警察署
から呼び出しの電話が突然にあり、二日後の3日水曜日の午
前10時から昼頃までの約2時間ぐらいで済ませる約束がな
された。しかし、その浦添警察署からはもうすでに”終わっ
た”と先月・7月で告げられていただけになんか狐につまま
れたみたいだった。
※その夕方は、長女・未姫のこの日迎えた十三歳の誕生日
プレゼントとして陸上競技の投擲競技マイ、ジャベリックを
注文し、夜になるとみんなでケーキを食べ誕生日を祝った。
※あと2,3日もするとマイ、ジャベリックが届くことか
ら、届いた日から、個人の自主的な練習のためにあんなに欲
しがったマイジャベが家にあるようになり、連夜のようにそ
の競技の投げ方やスローイングのやり方についての談義を本
村家の兄たちみんなの間でも楽しみにしていた。
一方、そんな様子を横目で見るお母さんはあまり興味がない
ような感じだった。むしろ、女の子である長女・未姫を男の
子である兄たち同様、時折大声を張り上げて「地震 雷 火
事 親父」的に指導するお父さんの指導方法に対して反発す
らすることが度々起こっていった。しかし、父さんからすれ
ば「お母さんはレベルの高いスポーツ選手に関しては無知、
或いは無経験だから」としか映らなかった。
↓全員「皆勤賞」中
※2011/8/2 ↓
※8月2日午後0時24分、お母さんの携帯へヤミ金融
から融資誘いの電話が入る。これも、当時の1、2ヶ月
ほど前に夫が金銭的に困って、「お母さんん、何処か
短期的に繋げられるようなネット上の金融機関はない
か?」と頼んだことがきっかけだったから承知してい
る)
午後1時44分、お母さんが友達のお母さ
んへ電話をかける。(??)
午後1時45分、お母さんが友達のお母さ
んへ電話をかける。(??)
※当時しばらくはほとんどお母さんの手抜き状態の練習だけに任せて
ほったらかしていた長女・未姫への不十分な指導の分を取り戻そ
うと、日課の500回縄跳びから、普段の部活や陸上競技の合同練習
などの情報をしつこく本人から聞き出そうと、それこそ図らずも
ますます「地震 雷 火事 親父」的教育を日々繰り返していく
ようになっていった。
↓全員「皆勤賞」中
※2011/8/3 ↓
※8月3日午前8時24分、お母さんの携帯へ妹の志良堂
ちあきから電話が入る。(??)
午前10時丁度、お母さんがお父さんを浦添
警察署へ送り届ける。
これで※5月24日からまっ
た一連の浦添察署生活安全
課による金城本村リフォー
ム設計の本村安彦に対する
取調べが終わり、嫌疑が晴
れ、事件が終息した。
※8月3日。浦添警察署生活安全課は最後の仕上げとばかりに、妻と二人だけの零細自営家業の個人へ間をおいた取調べ攻撃を2ヶ月ものらりくらり続けたあげく、「貴方の放射能除去浄水器販売自営家業・生業と核兵器撤去ボランティアは早くやめなさい」とのある種の脅迫メッセージを届けることに成功する。
午後1時ごろ、 お母さんがお父さんを浦
添警察署近くにいるお父さ
んを迎える。
午後1時49分、お母さんの携帯に090-
2069-9934から着信がる。(??)
午後3時33分、お母さんの携帯へ妹の志
良堂ちあきから電話がる。(??)
午後4時31分、お母さんの携帯に県内の大
手金融会社のオークスの債権
取り立てセンターから電話が入
る、、、。(??)
・
・
・
※この日、一連の家宅捜索事件が終息して、その他の懸案も解決を見たことで金城本村リフォーム設計としてはあとは新たな戦略の模索に入りつつあったが、その一方では、滞ってしまっている様々な学費や最低限度の衣食住の費用といった金銭的な問題などが一挙に脳裏をよぎった。
午前10:00分~午後1:00分頃まで浦添警察署の市民生活安全課か
ら呼び出されて、なんと一ヶ月以上も前の先月7月の初旬まで
には5月24日以来5回に亘って取調べをしてまでその事件は間違
いだったということで終えているはずの、十分に何の疑いもな
いことが分かっているはずの事件の件での突然の再調書だっ
た。
と言うのも、そのことを問う私に対する担当刑事のしどろもど
ろの説明などからは一体何のための呼び出しだったか今もって
分からない呼び出しだった印象を強くもっている。(よっぽど、
これはもしかして、、、警察関係にいる者の仕業では??など、
或いは警察そのものではなくて、誰かの嫌がらせではないか?
などと思うようになっていった。
※当然ながらこの日も長女・未姫への厳しい声が親父から飛
び、本村家に久しぶりな活気がみなぎった。
しかし、その一方、昨今の浦添警察が家宅捜索までして、それ
まで誰も侵したことがない本村家やお父さん、お母さんの家へ
まで深く入り込んで繰り返す嫌がらせが続いていたことをきっ
かけに、長女・未姫にまで上の男の兄弟並みな厳しい指導方針
を貫き通すアスリート一家としては当たり前的な考え方をめぐ
り、昨日まではそんなアスリート一家の妻として、母として普
通についてきていたお母さんがこの日の取調べに疲れて帰って
来た後からは、急に警察という虎の威をお母さんはどこから借
りたのか急激に「女子にまでそんなに厳しくする必要などない
のではないか」、、、などと大柄な態度にまで出てくるように
なっていいった。いったい何時何処でなにがあった??
どうも、今思えば、お父さんが取調室に居る間のこの日のその
時間。午前10時から午後1時くらいまでの約三時間、一体何
がお母さんを大柄な態度へ変えていったのか??なんで急にそ
のお父さんの考え方への対立が始まったのだろうか???
これはあくまでも推測だが、その3時間のあいだ、実はお母さ
んも事情聴取として、その家宅捜索まで過剰にやってしまった
ような事件の調書を取られていたのではないだろうか。そし
て、このお父さんには「一切話さないで」との何らかの密約を
させられたことで何らかの縛りをかけられたんじゃないか?だ
からお母さんはそれ以来黙りこくようになっていったのではな
いか?
或いはそれとはまったく逆に、お母さんに近い身内の誰かが、
またはその他の他人が本村家に対するねたみから浦添警察署へ
電話を入れ、そのような状況に本村家を陥れようとしたのでは
ないだろうか?だから、そのことを知ったお母さんはその間
違った警察権力を借りだす方法を学習したのではないか??後
ろ盾として虎の威として使えたのではないか??
※その外に考えられることとすれば、例えばその3時間のあ
いだ、お母さんは故意または偶然にお父さんには内緒で妹や
故・島袋照子らが経営する食堂のふく家でアルバイトをしてい
て報酬まで貰っていたとすれば、多少のお金ならそのように稼
ぐことが出来ることを約束してくれるふく家食堂の血縁者らと
暗黙の了解とうい密約が成立したことになるとなれば、それな
りに考えられる行動が無きにしもあらずではないか??
或いは、すでにそれはそれ以前から始まっていて、例えば伊
祖の展望台にあるあゆむのお母さんが経営するパーラー
の食事メニューの多様化とふく家食堂との関係などが可能性と
すればありそうであり、勢理客の篤の焼き鳥屋のメニューとふ
く家食堂や、ちあきの嫁ぎ先のゲーム喫茶とふく家食堂の関係
などであったりといろいろと考えられることはないではない。
なにしろ、おなじ食べ物屋であることから、仕入れや処分の無
駄を互いに補え会えるという三者共通の利益がそこには厳然と
してあるからだ。
本村家はもう20年も前から生業・自営業で、お父さんとお母
さんと二人で一日にかなりの実益をあげないと家族が食っていけ
ない大家族特有の膨大な固定経費がある。食堂のアルバイト程
度の収入などでどうやって7人の大家族を養っていけという
のだろか。そんな本村家にとってはいい加減で無責任な行動
で実はお父さんへは一切内緒で、影にかくれてお母さんは自
分のかつての身内を応援していた、というようなトンチンカ
ンなケースも考えられなくもない。だから話せない。だから家
を出続ける。、、、のではないか??
そのような様々な要素を日々一身に受けていながらも、「もっ
としっかりしないと!!」とお父さんに怒鳴られながらも何と
説明していいものか説明しようにも、すべてを、特に浦添警察
署の追及や暗黙の密約まであったとしたならばお父さんに説明
できるわけもなく、試行錯誤の末、いらいらが募り募っていっ
たのではないだろうか。特にこの浦添警察署絡みの件はお母さ
んに理解しろといってもそう易々と理解が出来ない複雑怪奇な
出来事だ。特に女性にとっては。
これは5月23日でも書いていて、繰り返しになるが、そんな裏
側のこの社会の情報分析をやる術のないお母さんは、自分自身
のことであることでさえも本当の事の真相を知らないのだか
ら、ましてやお母さんからの相談や話を聞いたお母さんのお母
さんで故人・島袋照子などや、実の妹などはそもそも知る由も
無い筈である。食堂ふく家の経営者以外では。
そこを、間違ってしまった故・島袋照子が婦人相談所か浦添警
察署などへ単なる夫婦の問題や家庭内の問題として、ありもし
ない「DV」や虐待ではないか?などと大げさな狂言までして
相談を持ちかけていたことからも分かるように早まった行動を
とってしまい、すべてお父さんに問題ガあるのではないか、と
いうことで訴えられたあらゆる機関が真に受けてしまい、お父
さんを中心とする本村家を破壊していることになってしまって
いるのだろう。
いかに、そのような故・島袋照子のおろかな行動がこの家の主
であるお父さんを貶めることになろうとも、この家で暮らす六
人もの子どもたちの生活やお母さん自身の生活まで破壊するこ
とになろうともお構い無しに。全く理不尽で酷い話だ。
だから、お母さんにまつわるすべての第三者の外力での刑法犯
などの犯罪までをも浦添警察署の生活安全課は否定せざるを得
ないのではないか。なにしろ、もしそうならばその第三者とは
浦添警察署生活安全課そのものでしかないだろうからだ。
よって、お母さんの家出の始まりは5月23,24日の
浦添警察署市民生活安全課の家宅捜索にお母さんまで巻き込ま
れて以来。お父さんでさえ、今日までその意味をまったく推測
も理解もできなかったのだから、お母さんとすれば余計に知り
ようがないわけなのだからお母さんはかなりの精神的混乱をき
たしていたことは間違いないだろう。
そして、そのような状態のままおよそ二ヶ月半が過ぎ、一連の
取調べの結果何の疑いも無いこととなったはずのその家宅捜索
事件での再度の突然の呼び出しを8月1日に電話で知らさ
れた直後、夫婦で「何で??」「再三の事情調書作成ですべて
疑いが晴れて終わったはずなのに何で??」と顔を見合すたび
にため息をついていたぐらい大きな精神的混乱に二人とも陥っ
ていったのを忘れることが出来ない。
(※その翌日、8月4日の昼からは金城本村リフォーム設計の共同経営者のひとりでもある妻がひとりで家出し外泊を続け、もう二ヵ月半にもなる。)
だから、それから3日後の8月4日のお母さんの突然の家
出は、浦添警察署のそのような訳の分からない突然の呼び出
しや、営業妨害などが主な原因で精神的混乱をきたしたことに起因
すると言っても過言ではないのではないか。
いや、浦添警察署にとっては下記のようなそのような狙いがあっ
たといっていいほどの狙いがあったのではないだろうか。も
し、そうならば、明らかにその浦添警察署がお母さんを家出する
まで追込んだんだろうとしか言いようがない。
(※その取調べの翌日8月4日。妻と二人だけの零細自営家業の個人業者の妻で共同経営者で運転手役が、この自営家業では今後も警察からいじめられるのではないか、との恐怖心から、いち経営者としてもいち主婦としてもすべてを遺棄・放棄し、一人で家出。
お母さんが一人で家出をしたその直前の様子を記した「8月25
日付けで家庭裁判所へ提出した仮処分申請書」の一部内容を下記
に抜粋しましたので是非ご覧ください。
記
※2011/8/4昼前→ 以下、仮処分申請書から抜粋:
8月4日。その日の昼前に家に戻る途中の
車内。夫婦でもめた。
原因は、妻の仕事中の携帯電話の多さだった。
電話の会話の調子からその相手の中には知っている者もいれば知ら
ない者も含まれることがある程度分かることが災いし、全く誰かが
分からない時には「誰?(二人で情報交換しなければならないこと
がこんなにあるのに妻への着信が邪魔でコミュニケーションがとれ
ないの意)」「忙しいから切っとけ!俺がいる時は後でと言えば」
「今旦那がいるから後でねと言うんだ」などと連発する時もある。
結局何でもない証明で終わった5月24日の家宅捜索。何でもない
事が分かる先月7月末までの約二ヶ月の間に4~5回の事情聴取で
狭い街では信用ががた落ちで売り上げが普段の十分の一に激減し
た。
(家宅捜索時の押収品目録交付書の写し2枚を添付したので参照のこ
と)
、、、これははほんの一例だが、このところ様々な出来事が我が家
を覆い続ける。
そんな中、車の運転以外は夫の私が自営業のリフォーム関係の
仕事をこなす。
しかし売り上げがきつくなって約4ヶ月。心配事が山ほどあるにもか
かわらず妻の運転中での、こんな調子でのほほんと、ぺちゃくちゃぺ
ちゃくちゃやっている姿を見て後部座席から携電話を取り上げた。
その時に互いに胸ぐらを掴むなどの揉み合いになって先に夫のボタン
一つ妻が引きちぎっただけでその後も口喧嘩以外は何もなかった。
そのまま昼御飯を待っている子どもたちも家で待っていることもあ
り、妻は家の駐車場で再度けんかを挑発するも、丁度子どもの姿が見
え出した場所に差し掛かったこともあり到着後、出来るだけ子どもた
ちに気付かれないように振る舞い、そのまま時差を付けながら家に
入った。
(8月4日といえば、丁度昼過ぎから強風域に入りつつあった日)
二人が家に入ってしばらく経ってそろそろ台風時の買い物を済ませ
ようと、丁度車の運転ができる次男がたまたま来ていたこともあり、
さっきの揉め事でスッキリしていないことも手伝い、結局その次男と
買出しに出掛けた。
娘の話によると(ひとり家に残った)娘の父親と兄が買い物に出掛
けると同時に図ったように家にはない携帯電話を探し回るも夫がその
まま持って行った事に腹を立てる。
そして、午後2時頃までにはその台風の最中、独りで家を出た。
(娘の家ではリフォーム業を自営し、長年生業として来た。その手伝い
を運転免許のない夫の運転手としての重要な手伝いもしている母親が
娘だけではなく他の4人の兄もいる家を捨てどこへともなく姿を消し
た)
その時家にはその中1の娘だけだった。
しばらく経って買い物から戻った娘の父親である私と娘の兄は娘の母
親がいないことに気付き、一人で残されたその娘へ尋ねると「知らん」
とパソコンに向かったままそっけない返事。
その日の夜になって台風は益々本格的に吹き荒れだしたことから心配
になってその母親がいなくなった時の詳しい情報を得ようと娘再度尋ね
た。
すると娘は「とにかく何処に行ったか分からない。3~4回玄関のドア
をバタンバタンさせていたからきっとタバコを切らしていてイライラ
して外にタバコを買いに行ったかと思ったらそのまま帰ってこない」
と。
またこうも推理する「これは自分の想像だけど、どっか近所の家に行
き、、、、」とも。
娘の父親や兄たちも、又か、、、と。娘の父親は「50(歳)も超え
てもまだ同じ事を繰り返して家を捨てる母親を探し回るのも恥ずかしい
からと放っておいた。
5、6日経って娘の父親が心当たりに声を掛け出した。
、、、、、以下省略。つづきは、別紙「仮処分申請書」を参照の
こと。
※2011/8/4 ↓
上記にもあるように、午後2時ごろ、お母さんはたった一人で家を出
ることになる。
その経緯の真相は実はこうではないか:
その前に、妻のそのような素行の根底にある以下のようなことを先ず、明らかにした上で事の真相を推理してみたい:
過去20年の金銭面での事実と推測からの考察:
「なんで母で妻の本村弘美が家に帰れないか?」
あえて今回このように大げさに表現することで、あらゆる可能性を推測することで真相を明らかにし、最終的には「そんな大それたことまではなかった」-と、証明していく必要があると思い、以下したためましたのでご一読ください。
故・島袋照子は25年以上も前の過去において、自らが使う目的で実の娘で長女の本村弘美(当時の姓は旧姓で金城弘美)を名義人または連帯保証人として借金をした。
その後、その故・島袋照子自らが使った金銭債務の返済から自らが逃れる手段として、当時はすで嫁に行き、別々の世帯を持って何年にもなっていた本村弘美に対して、未だ二十歳をわずかに過ぎたばかりの若さでその意味もよく知らないことをいいことに「破産宣告が楽だ」と自己破産を押し付け、逃れた。
後になって、寝耳に水のその話を聞かされたときに「確かに自己破産すれば法的にはあらゆる債務から逃れられはするもののしかし、一方では、我が家の妻であり母親でもある本村弘美が、しかも別世帯の実母に自己破産されてしまっては、今後の我が家の人生の中で起こるであろう様々な社会的困難やペナルティーがその自己破産をしたことによってより多く降りかかることになることを伝え、当時のその選択は実は、本村弘美にとってはごくわずかなリスク回避のために膨大な便益を失うことのほうが大きい。間違っている」と当時も本村弘美へ話し、止めるよう薦めたのを今でも覚えているものの、この一家の主である私へは一切話もなく、私抜きで進めた手続きだったことから止めさせきれなかった。
おかげで妻・本村弘美自身はもちろん、本村一家の主である私自身や子どもたちも結婚当初から時折、社会的、或いはこと金融機関との関係において一人前じゃなかったことで後悔し悩み続けることになった。
案の定、本村弘美自身は、人として、一人の人間・子を持つ母親としては現実から逃げてしまった無責任ーとの内なる自己批判や、その自らの実母の不道徳がまねく殺伐とした将来へいざなう道徳的社会通念の制裁から以後十年余り、一人前の大人として扱われなくなる恐れの可能性を常に背負ってきてしまっている。
今から15年ほど前にもこんな事があった。 「県営団地の住居強制立ち退きの手続きの時間帯には絶対に立ち会うな。立ち会ったら本当に追い出されてしまうぞ」ーと、妻の本村弘美へ注意していた本村一家の主で夫の私の注意を、なんとその故・島袋照子は娘・本村弘美へ「母ちゃんの言うとおりにしなさい。強制立ち退きの手続きの時間にはちゃんと立会いなさい」などと、たぶらかし、本村弘美は主の私へは一切内緒で従い、おかげで即刻強制立ち退きに入られ、本村弘美自身も泣き泣き本村家一家全員の家を失わせた。
私が知らせを受け、駆けつけたときにはすでに後の祭り。詰め込めるだけの世帯道具を詰め込まれた普通乗用車の運転席でわずか生後三ヶ月の五男をひとり抱きかかえさせられるという冷たい扱いをされた本村弘美は、実母・故・島袋照子のあやまちに気付き、以後15年実の母であるその故・島袋照子の言いなりにならなくなり、本村家の母として妻としてここまでの15年成功の道を収めることができた。
しかし、15年の歳月と本村一家の主である本村安彦の注意不足や甘さがそのお母さんのあるべき姿、または道を狂わせた。
実は、その遠くに居るべき故・島袋照子が去年から近くの県営城間団地へ引っ越してきてからは怒濤のごとく、お母さんの昔の記憶へ記憶へと流れさかのぼって戻ってしまった。
そして、今回。
この二十年余、本村家で頑張ったお母さん自身の名誉や徳性。そして社会人なら当然の利益と債務。普通の社会人なら真正面から立ち向かわなければならない。
しかし、その故・島袋照子はまたもやお母さんへささやいた。(以後の内容についてはあくまでも可能性を追求してみた)
特に「離婚して、母子家庭になれ。そしたらかなりの母子手当てが入る。今の暮らしより楽になる」とのささやきは強調したのではないか。(故・島袋照子自分自身にはどんな狙いがあったかは本人に聞かないと知らないが、考えられることと言えば、例えば、母子手当てや福祉の援助金を持ってくる自分の思い通りになる娘を増やせることなどの欲得がありはする)
そして、故・島袋照子は、自らの実の娘・本村弘美の嫁ぎ先の本村一家の自営家業でその実の娘自身も夫と二人の共同経営者でもある金城本村リフォーム設計という、リフォーム工事などの仕事上の債務を背負ったままではその受給資格を失いかねなくなることから、「本村家の一切の債務を負わないで」その本村弘美と本村安彦の家業を潰し、市役所や福祉などの母子家庭などの援助を得させ、得る目的があったのではないか。以下、考えられることをさらに言えば、故・島袋照子自分自身への多少の小遣にもありつけるかもしれないなどと少しぐらいは目当てにしていたからこそ、債務の多い本村家の家業の共同経営者でありながらも連帯債務にはなっていなかったことを本村弘美から聞き、
「ほら、昔かあちゃが言ったとおりに破産宣告で自己破産しておいてよかったでしょ。だから連帯責任者にさせられなかったんだよ。こんなふうなときに助かるんだよ。ありがたく思え」とささやきながら債務0での脱出・逃亡背任を図り、実娘・本村弘美をそそのかしまたもや教唆したのではないか。
そして、偶然とはいえ、その計画の道半ばの8月20日に本村家の主で本村弘美の夫の本村安彦が突然現れ、妻・本村弘美と娘・未姫を連れ戻そうと部屋へ入ってきた。
しかし、故・島袋照子がそのような計画を描いていたのであれば、浅はかではあるが、その浅はかな計画にとって必須の孫娘・未姫を取り戻そうとする未姫の父親の本村安彦を追い払おうとしたものの、力尽きたのか、人生を全うしたのか、しばらくしてひとりでにその場で倒れ、救急車で運ばれはしたものの翌21日にはこの世を去った。
以上のような故・島袋照子と本村家の金銭にまつわる事実と推測の話は、故人本人とその実の娘で本村家の妻で母の本村弘美とその夫・本村安彦のこの三人だけにしか理解できない話であることから、偶然にも亡くなった故・島袋照子の四十九日の喪が明けた10月9日を持って終えたものとすべきであるとしたい。
よって、そのあやまった計画は実娘・本村弘美が実母故・島袋照子に代わって終わらすべきである。
終わらすことで、昨日まで足踏み状態が約三ヶ月続いてきた本村家一家全員が新たな明日の生活へ踏み出し、前へ進める。
以上。
平成23年10月19日 本村安彦
推理:
8月4日、↓
この日の午前中の上記のようなお父さんとのぶつかりなどの出来事の
主原因である前日や当日に電話で請求のあった夫には話せないような
オークスなどの金銭的な問題を誰かに相談しようとするも、携帯電話
もなく、近場の電話を借りた家から第三者へ相談を持ちかけたとこ
ろ、その夫のお父さんの知らない金銭的な問題をお母さんと関係持つ
ような本村家に対して一種のやましさを持つその第三者で相談相手
は、金銭的な自らの問題にも絡むような緊急な問題を解決せんがため
の目的で、そんな腹づもりなどに気付かず連絡してきたお母さんへ
「お父さんと喧嘩をした?夫に殴られるかも知れないから家をいった
ん出てみれば」などと、ありもしない暴力といううそでそそのかし、
一日でも家を空けると大混乱に陥ることとなる本村家の妻で主婦兼自
営家業の共同経営者でもあるお母さんに対して、実はその秘密を夫の
お父さんに知られるのが怖くなって、自らが逃れるために本村家の重
要な役割のあるお母さんの立場など一切かまわず無責任なアドバイス
をしたのではないか。
そしてその第三者の早の思惑ありな指示でお母さんがたった一人で台
風が迫る最中家出を果たしたのではないか??しかもパトカーで??
或いは食堂ふく家経営者の車で。
そして、それまでの一連の時系列からはもしかしたら、その第三者で
相談の相手というのは実は、お母さんやお父さんを陥れている張本人
で、その様な状況が早く来ないかと待ち構えていたその相談相手と関
係のある浦添警察署の生活安全課の誰かか、或いは同じ浦添警察署は
浦添警察署でも、本村家を貶めようと画策している生活安全課と関係
を持つ第三者で、その死活安全課以外の部署の夫の暴力が原因と勘違
いした単なる110番または婦人警察官だったのではないか??
つまり、お母さんの混乱の原因は、浦添警察署の生活安全課と何らか
の関係を持つ第三者が持ち続けている本村家を貶める狙いの思惑など
が主因で、その事にまったく気付く様子のないお母さんは間違って、
本村家を貶めようと待ち構えている張本人でもある第三者と関係のあ
る浦添警察署へ相談の申し出をしてしまったたのではないか。あべこ
べに。
そして、この日または後日、浦添警察署生活安全課の思惑などに未だ
にまったく気づいていないお母さんから本村家のお父さんや子どもた
ちを貶める情報を浦添警察署生活安全課とその第三者は易々と入手で
きたことだろう。
要するに、表向きは、暴力も振るわない単なる夫婦げんかについてで
はあるが、今後はできるだけ回避するためには一旦は家を出たほうが
いいかどうかというようなごく世間一般的にもありふれたような何気
ない夫婦喧嘩について相談を持ちかけたお母さん、というシナリオを
用意していたのではないか。
そして、その裏を知らない他の警察官らへ夫の暴力が原因と勘違いさ
せ、そのお母さんの家出当初の、第三者絡みの生活安全課とはまった
く別の課である、その裏とはまったく無関係な地域課の婦人警官の誰
かがその相談者で第三者に摩り替わったのではないか。
しかし、その後その純粋な警察官、または婦人警官がいろいろと調べて
いくうちに夫の暴力はないことに後で気付き、一連のDVや虐待などと
のデマを元に大騒ぎしたのはいったいなんだったんだろうなどと、ばつ
が悪くなったことから最後には本村家を潰す思惑のある生活安全課が扱
い、生活安全課や相談者で第三者自らの狙いである本村家を貶める目的
のためにお母さんを「金銭トラブル回避の保障」を盾に脅し、騙しだ
し、巻き込み、お母さんを益々本村家から遠ざけてしまったのではな
いか。
或いは、少なくとも8月4日以来、今日現在も家出状態のお母
さんと、その後途中の8月12日から拉致監禁され続けている
娘の被害の原因までその浦添警察署生活安全課が作ってしまった可能
性も否定できないのではないか。
いや、それらすべてが浦添警察署生活安全課の仕業なのかも知れない。
だとすれば、お父さんが妻・お母さんや、娘・未姫との相談のことで
会おうと連絡を取ろうとしたとき必ず妨害をしてきている警察権力の
壁や影が常に立ちはだかるつじつまや、そんなにまでして本村家を貶め
るなどとの狙いがある警察権力の思惑など知りようもない妻・お母さん
や娘・未姫と、食堂のふく家でのお母さんの実の妹たちの一連の警察権
力をバックニした横柄な態度のつじつまも合致することになる。
(※8月4日。この日からの出来事はすでに詳細な内容として、
「仮処分申請書や被害届」の文書につづられていますのでご覧くださ
い)
全員「皆勤賞」中
2011/8/5 | お母さんひとり家出中: ※注文してあったマイ、ジャベリック
が届いたことで、当然ながらこの日も長女・未姫の練習をお父さ
んはみる。
↓全員「皆勤賞」中
2011/8/6 | お母さんひとり家出中: ※当然ながらこの日も長女・未姫の練
習をお父さんはみる。
↓全員「皆勤賞」中
2011/8/7 | お母さんひとり家出中: ※当然ながらこの日も長女・未姫の練
習をお父さんはみる。
↓全員「皆勤賞」中
2011/8/8 | ※当然ながらこの日も長女・未姫の練習をお父さんはみる。
↓全員「皆勤賞」中
2011/8/9 | お母さんのお母さんの故人・島袋照子ともうひとりお母さんより
一回り以上も年下の実の妹の金城香に伴われてお母さんが家まで
話し合いに来た。結果、翌日から生業・家業の運転の仕事の扶養
の義務と、子どもたちへの扶養の義務だけは果たすと言い残し、
また三人で立ち去った。(しかし、翌日も、そのまた翌々日も夜
になると何処へともなく消えていなくなったことで夫婦同居の義
務は反故にしたまま続ける、とした結果となった)
※当然ながらこの日も長女・未姫への厳しい声が親父から飛び、
本村家に久しぶりに活気が漲った。
↓全員「皆勤賞」中
2011/8/10 | お母さんが早朝未姫の送迎で家に来る。そして未姫の夏休み中の
部活の送迎とお父さんの仕事を運転手として手伝う、との方針
も、夜になると何処へやら消えていった。
※当然ながらこの日も長女・未姫への厳しい声が親父から飛び、
本村家に久しぶりに活気が漲った。
↓全員「皆勤賞」中
2011/8/11 | 昨日に続き、お母さんが早朝未姫の送迎で家に来る。そして未姫
の夏休み中の部活の送迎とお父さんの仕事を運転手として手伝う
も、その日も夜になると何処へやら消えていった。
その後、夜になって消えていった直後、その様子を見ていた次
男・眞理が「おとうさん、止めようと思ったら止められたでしょ
う。何でとめなかった!?」と親父に迫る。しかし、そのことを
これ以上続けさせるわけには行かない」と、判断を昨日で決めて
いた親父は、心底、せっかくこんな大人しか気がつかないような
優れて高度な判断力を発揮することまでも理解できるようになっ
た一人の息子の成長の跡へもあえて「まだまだ」と察し、応じな
かった。
※この日も、当然ながら長女・未姫への厳しい声が親父から飛び、本村家に久しぶりに活気が漲ったものの、後一歩でひとつのハードルを越えそうなところまでジャベリックを投げこなせるところまで来たことで長女・未姫が泣き出しても「地震 雷 火事 親父」的指導を続けたことで、その日はそれまででいちばん一層厳しい練習となった。
↓全員「皆勤賞」中
※2011/8/12 ↓
お母さんが、約束の午前6時30より5分経ってもまだ来ていないこ
とから、浦添総合グラウンドで7時との予定へ徒歩またはランニ
ングで間に合わすには35分に家から出発させる必要から、それ以
上は待たずに長女・未姫を家から走らせた。
しばらくすると、唇を青くしてきたお母さんへ未だ途中だろうか
ら、(家から700~800メートルほど離れたパーラーのある
メガトンという店のあたりでだろうとの意)車でピックアップし
てくれと頼んだ。(父親は運転免許証がないため)
その約2時間後から長女・未姫が行方が分からないまま未だに家
へ送り返されたことがない。
つまり、午前8時18分以降未だに、拉致監禁状態が続いてい
る。
※お母さんが一人で家出してから八日後の2011年8月12日。第三者の狂言を利用した浦添警察署が運転免許も持たない主人たった一人だけが残った零細自営家業の個人宅の13歳の娘の拉致誘拐を指示したことで、実行犯が娘の母親のため逃げ出せず二ヶ月が経った今も未だに寝泊りを転々としていて、自分の家族の待つ自分の家へ帰って来れない。)
※その妻が一人で家出をした8月4日から8日後の
※8月12日の朝に娘の未姫をその外泊中の妻が拉致誘拐。もう二ヶ月が過ぎた。
※詳細については別紙「仮処分申請書」を参照のこと。
(注意:※翌日の8月13日夕方5時30分。TBS全国ネット「報道特集」の沖縄核兵器報道に妻と二人だけの零細自営家業の主人が出演し、全国へ沖縄や日本の平和運動を広めるがしかしその一方、今日現在、その自営家業は潰れ、妻と娘は行方不明状態が続いている。)
(おそらく、その第三者で相談者のふく家の経営者や
故人・島袋照子とお母さんの実の
妹たちはこの時点ではすでに売り上げが伸びない食堂ふく家の
仕事をお母さんに手伝ってもらい何とかしようと悩んでいたた
め、案として「一人で家出をしたお母さん」一人だけでは家庭
を遺棄・放棄した噂が広まりかねない。お母さんだけの家出だ
けでは狭い浦添では宣伝としても、また、評判としても逆効果
となるためやめたほうがいいとなっただろう。しかし、看板娘
として使える娘・未姫まで拉致して伴い、二人が一緒であれば
儲かるため、十分使えることから協力してもらい、家出中の当
面の二人の生活などの面倒ををみるなどとのことなどを条件
に、そのふく家の経営者や故人・島袋照子と妹たちは一致協力
してでもお母さんと未姫を本村家から引き離すための策を練っ
た結果の上での拉致誘拐だったのではないか?)
※夜になると何処で寝泊りしているかも知れないような一人で
家出中のお母さんに娘・未姫の送迎を頼んだことを後悔しつつ
も、「その様な素行を8日間も取り続けるお母さんに対して
娘・未姫までもが訴える申し立て人の一人となっていることを
知ったお母さんがその未姫を人質にしてその訴えを家庭裁判所
へ提出できないように脅迫していたのではないか??ならなお
のこと許せない」などと、この日の午後2時ごろには家庭裁判
所へお母さんのそのような第三者の指示による素行をこれっき
りにさせるため、そのためにはその第三者の姿をくっきりと浮
き彫りにさせることに繋がるであろうと、思い切って「扶養の
義務悪意の遺棄母妻」調停申立事件として申立た。
(しかし、この調停事件は9月26日の一回目の調停で娘・未姫
を3年みているコーチの照屋さんの「アスリート一家のお父
さんの厳しい指導方法というものを全く知らない一般人の
DVや虐待誤解について」を証言してもらおうとお父さん
が申し出した途端。調停委員や裁判官、そして調査官らはいき
なり「この事件はあまりにも第三者の関わりが多すぎる調停事
件なので警察でなければ解決は難しいのではないか」との趣旨
でそのたったの一回で打ち切られ、まったくわけうの分からない
ような結果で終了した)
また、その8月12夜8時ごろには娘・未姫だけの分の家出人捜索
届けを浦添警察署へ届けたものの、翌13日の夜には取り消されて
いるようでもあり、いや未だに生きているとする説が続いてい
る。(同行者の氏名欄には実際に同行した四男・高校三年生の公
平の名前が載っている)
※ー印はその点についての考察:
午後1~2時頃 | ひとり家庭裁判所近辺で待機していたお父さん自身では未姫とお
母さんと の音信が不通だったことから、当時は唯一音信が通じて
いて、その連絡役で家に残っていた四男の公平へ「お母さんと未
姫へ伝言して。近くの警察署へ行ってそこから電話をかけるよう
に言って。未姫とお母さんが一緒であることをその警察署の警察
官からお父さんへ電話させ、そこから最悪な状況ではないと証明
してくれるように未姫とお母さんへ伝えて。それが警察官から確
認できれば少なくとも”警察官”そして”お母さんと未姫”が
伴っていることで、最悪なケースは少なくともないことになり安
心だから」と連絡係り役の四男公平を通じて指示を出す。
午後2時~3時 すると、それに従ったお母さんからの返事では「浦添警察署へ
行ったが、自分たち二人のいずれも家出人届けが出ていないから
そんな手伝いは出来ないとその浦添警察署の警察官に言われ、と
うとう警察官は電話をしなかった。だからその時間帯に警察署か
ら電話かけられなかった」との事だったことから、半信半疑なが
らもとにかく何らかの接触を警察署で警察官としていたことが確
認できただけでも何らかの事件に巻き込まれていたとしてもその
後に警察署へ行っているならばと、ほっ-と安心した。
※実はこの時にはすでに娘・未姫が洗脳までさせられた拉致軟禁
目的での強制的な家出が始まったのではないか。つまりこうでは
ないか:
この警察署へ行ったときに話をした浦添警察署の地域課の婦人警
官(又は男性警官かもしれない)が、お母さんや未姫たちの話を
聞くようにと案内し、連れて行った部署が問題のその生活安全課
だったのではないか?
(この生活安全課というのは実は、去った5月24日に、
「浄水器の数千円しかしないようなカートリッジでさえも、取替え
する際には、法令上の8日間のクーリングオフの権利通知書類を
いちいち手交しなければならないが、お父さんとお母さんの会
社・金城本村リフォーム設計ではやっていない。だからお父さん
は特定商取引法違反被疑者」なんだーなどとの、まったく社会一
般の通念上も、商取引上も非常識でわけのわからないような不当
な容疑で家宅捜索をし、会社印や社版から請求書や領収書まで
押収しておいて商売を出来ないように追込んだうえにお父さんを
3ヶ月にも亘って呼び出し、取調べをする一方、常時同伴者・運
転手として一緒に仕事を行っているお母さんへは表向きな取り調
べは一切行わずに<お父さんには知られないようにそれとなく裏
から聞き取るなどはしたのだろうけど>本村家の自営家業である
「金城本村リフォーム設計」の仕事をダメにして、更に、お母さ
んやお父さんを約3ヶ月に亘り悩まし続けた挙句、夫婦の間の軋
轢までをも生み出している意地悪が主原因で一連の本村家破壊を
続けている部署であるから、当然、妻のお母さんのことは知り尽
くしているうえに、今度は金城本村リフォーム設計の娘まで同伴
で来てくれた事で今度こそお父さんの仕事やボランティアを潰す
条件が揃ったと思ったことだろう)
そして、当然ながら三ヶ月も前からお母さんを取り調べていて
知っているその部署の担当刑事らは”飛んで火に入る夏の虫”か、
または”渡りに船”とばかりに、「そうですか。なら、家へは帰る
な。何処か二人が寝泊りできる身内はいないか?」などと、日ごろ
からペッちゃんこにしたいけど出来ないお父さんのボランティアや
仕事をこれで潰すことができると喜び勇んで、唯一の運転手役のお
母さんさえお父さんの傍からいなくなりさえすれば、お父さんが運
転免許証を持っていないことで、その間はまったく仕事ができなく
なることを百も承知なことから、本村家のお父さんのライフワーク
であるボランティア活動や訪問営業販売の仕事をさせない目的でお
母さんを自営家業の共同経営者のお母さんに刑罰に相当する背任罪
を教唆してまで切り離しにかかったのではないか?
そして、当面の寝泊り場所として浮上した食堂のふく家又は故・島
袋照子の住む団地の一室へ行くことになったのだろう。
(或いはその時すでにその食堂ふく家の経営者と故・島袋照子は一緒
だった可能性も否定できない。なぜなら、午前から午後に掛け車で
娘・未姫と一緒に南部を回っていたと四男・公平に携帯電話で伝え
ていたという事は、(そのことを又聞きした時に)故・嶋袋照子の
生まれ育った故郷が南部の知念村海野であることからその旧盆入りの
最中ということもあり、故・島袋照子も同伴していて何らかのゆかり
の場所辺りをドライブと称して娘・未姫を連れ回った可能性がある
のではないかなどと、お父さんはそんなことが脳裏をよぎっていた
からだ)
そしてその故・島袋照子は、この15年余、本村家の夫婦のこと
や家族のことなど実体も何も知りもしない、また、自分自身は27
年前に家族を遺棄・放棄していて本当の家族の姿を維持するための
苦労と幸せなどというものを知りようもないにもかかわらず、まし
てや見ず知らずの家風でもある本村家がアスリート一家であること
や、しかもそのおやじの頑固な教育理念や方針など知る由もないはず
のその故・島袋照子の独りよがりから、お父さんの娘・未姫や息子た
ちに対する教育的指導をこともあろうに「DV」じゃないかや、「虐
待」じゃないかなどとの大げさにふれ回る狂言を、「狂言」と知りつ
つも浦添警察署の生活安全課は自らの目的である本村家を貶め、仕事
やボランティアを出来なくしなければならない使命があることから真
に受けたように見せかけ、お母さんと未姫や食堂ふく家の経営者や
故・島袋照子を騙し、利用すことに成功することにつながったのでは
ないか?だからその時そのような状況があったのではないか?だから
今日現在までもそのような状況下にあるのではないか。
事実関係:
(その翌日13日の午後10時頃、その島袋照子の家を訪問しかけたお父
さんに対し浦添警察署の生活安全課の伊礼と名乗る課長は、「本村
さん、今日は帰って。家出人捜索願の出ている娘さんがそこに居る
かどうかは言えない」などと、お父さんが故・島袋照子が住む団地
の四階の玄関先で、お母さんと未姫がその部屋の中にいるかどうか
見つけようとするのを妨害した警らの巡回で回って来ていた城間
交番の警察官の携帯電話を通して大声で怒鳴っていた)
午後4時~5時半頃:
その後、浦添だけじゃなく南部も回っていたという情報を家で受け
ていた四男の公平がお母さんの「今からもう直ぐ浦添警察署を出
る。娘・未姫が家へ帰るという時間に帰る」との言葉を直接携帯電
話から聞き取る。
午後6時頃 | 今朝お母さんが持って出た車が駐車場に戻されていた。
※おそらくこうだろう。、、、浦添警察署からの帰り道、家へ帰
ろうとする未姫とお母さんらを「待って」と、引き止めた食堂ふく
家の経営者の指示に従い、一旦は団地の故・島袋照子の団地の部屋
へ立ち寄ったお母さんと未姫に対して故・島袋照子が「今日は帰ら
なくてもいい」などと強引に引き止めたのではないか?そのせいで
しきりに家へ帰ろうとするお母さんと未姫の2人を強制的に本村家
と引き裂くために今朝お父さんの目の前から持って出た車を家の駐
車場へ戻し、帰れないようにしたのではないか?だとすると、誰か
が家の車を団地から家まで運転をして持って来たことになるからそ
の誰かとはきっとお母さんの実の妹の金城香がワゴン車でそのお父
さんの車を導き、お父さんの車は金城香の内縁の夫が運転をして家
まで持ってきたのではないだろうか?
或いは、すべて浦添警察署生活安全課がその指示をだしていたか、
または浦添警察署生活安全課と関係を持つその食堂経営者との共同
作業をした可能性も否定できない。
午後8時頃 | 8月4日にはすでに家出をしている家出中のお母さんが、そ
の食堂ふく家の経営者ら第三者の指示でこの日12日の朝にお父
さんや家族を裏切る形で娘・未姫を拉致誘拐軟禁洗脳させられた
旨の内容の「家出人捜索願」を浦添警察署へ提出。
↓全員「皆勤賞」中
(注意:※翌日の8月13日夕方5時30分。TBS全国ネット「報道特集」の沖縄核兵器報道に妻と二人だけの零細自営家業の主人が出演し、全国へ沖縄や日本の平和運動を広めるがしかしその一方、今日現在、その自営家業は潰れ、妻と娘は行方不明状態が続いている。)
※2011/8/13 ↓
午後5時30分、約三ヶ月前の5月30日にはすでに長崎放送
(NBC)で報道されたお父さんが証言者として出演した「封印
された核」が東京中央でも注目されたことで、中央ネット局のT
BSが「報道特集」で一部内容を再編集してほとんどそのままの状
態で更新し再放送を全国ネット版として報道する。
午後10時頃 | これは先の8月12日にも述べたが、お父さんの直感からその故・
島袋照子の住む団地の一室へ出向き、お母さんと未姫がそこにいる
可能性が高いと踏んで訪問しかけたお父さんに対し浦添警察署の生
活安全課の伊 礼と名乗る課長が、「本村さん、今日は帰って。家
出人捜索願の出ている娘さんがそこに居るかどうかは言えない」と
お父さんの娘・未姫とお母さん捜索を妨害した。
全員「皆勤賞」中
2011/8/19 | 午後2時ごろ、「お母さん、(あなたの長女の弘美と夫の)私の間
に入って(このような異常な状態を解消するために)仲介していた
だけないですか?」」と故人・島袋照子へ電話を入れたところ、
「いいえ、そんな気は毛頭ないです」との返事だったので、「分
かりました」と静かに電話を切った。
同日午後3時頃|※なんとか一人でお母さんと娘・未姫の居所を探し回り、故人・島
袋照子とその娘たちが経営する「ふく家」というお母さん自身の
本村家の職業とはまったく別の経営者の家族の職場の食堂でお母さ
んがその経営者の指示で働かされ、その家族は利益を得ている現場
を目撃し、背任罪であることを告げ、注意を促している。(経営者
へ一度目の背任罪教唆 を忠告)
※本村家基本理念・方針にも在るとおり、お母さん自身の本村家
の自営で家業の仕事の義務や責任の遺棄・放棄はもちろん、本村
家の日常生活でも運転手が役目のはずの本村家の母親がこの日の
17日も前の8月4日からづーと行方をくましっ放しでお母さん自分自
身の本村家の家族へは妻として、或いは母としての扶養の義務まで
も遺棄・放棄させられ、本来利益を与え続けなければならないそ
のお母さん自分自身の本村家へは損害を与えていながらの状態で、
全くそれとは別のふく家という食堂の経営者の職場で働かされ、そ
のまったく別の家族は利益をむさぼっている現場をお父さんは目撃
し、そんなことはしてはいけないよ、と二度目の注意をしている。
※その食堂ふく家ではこんな脅迫まであった:
↓以下は被害届から抜粋した:
ところで、こんな脅迫を目の当たりにしました。それは去る平成23年8月19日の夕方4時頃に、故人・島袋照子と志良堂ちあき及び金城香が共同運営している食堂でのことです。
妻【運転手で母妻の本村弘美】は突然蒸発する手段で持って家業の仕事を遺棄する一方で、自らの実母や実の姉妹らが共同で運営する食堂のキッチンカウンターで働いていたのを発見したときのことです。
即座に店内のテーブルの一角で二人っきりで話し合い、早く戻るように説得をし、妻【運転手で母妻の本村弘美】が戻る条件を言い出したのをきっかけにまとまりかけていた矢先、本村家の問題を夫婦で真剣に話し合いをしているその場へ故人・島袋照子が割り込んできて妻【運転手で母妻の本村弘美】を睨み付けて突然こう言うのです。「これだけの大騒ぎになって、『はい、二人で話し合ったから家に戻る』?そう簡単にはいかないんじゃない!?」と迫り、更に、「もしあんたが、本村家へ戻るなら親子の縁を切る。そこに居るちあきと香との兄弟姉妹の縁も切らす。だから戻るな!!」とまくしたてた。
これを脅迫・強制と言わずして何というのでしょうか。
おかげで、まとまり掛けていた家へ戻る話を妻【運転手で母妻の本村弘美】は口ごもりはじめ、せっかくの円満な話もその場では直ぐにはまとまらなくなり、翌日の朝まで返事を待つことにはしたものの、それ以来も今のような状況が続いています。
※この店へ行く一時間前までは、その故・島袋照子へ電話をかけ、「お母さんが間に入って仲裁してくれませんか?」と仲裁を持ちかけたが、「私はその気はありません」と断られ、仕方がないので自分ひとりで店に居る妻を見付けた経緯があります。
以上
(略取及び誘拐、脅迫、背任、遺棄)詳細は下記次項以降の「被害の模様」の(1)を参照のこと。
2011/8/20 | 21:20分頃、団地の故・島袋照子の家へ電話をかけ、お母さんと未姫
がいることを確認した。「今から行く」告げると「いいよ」と故・
島袋照子は答える。
| 21:25分頃、団地の故・島袋照子の家の中にお母さんと未姫がいる
のを発見して連れ帰ろうとするも、お母さんと故・島袋照子が未
姫を離そうとしないことで、もめ、口げんかと話し合いを始める。
| 21:35分頃、故・島袋照子は、お父さんがお母さんと未姫へ説教をし
ている最中一人でに扇風機や何やらを来客(警察官と言っていた)
用に準備を始めた矢先、急に倒れたため、意識不明のまま15分ほど
お父さんとお母さん、そして警察官や救急車でやってきた救命関係
の隊員らの人工呼吸の最中、
娘・未姫が、お母さんの指示か自分の意志かは知らないが、突然ひ
とりその故・島袋照子の人工呼吸を施しているお父さんの目の前か
らその四階にある部屋を裸足で駆け出した。
それを見たお父さんは、何やら娘の危険を感じ裸足で追っかけたも
のの二階の廊下あたりで、警察官に引き止められ話を聞かれている
娘・未姫を連れ戻そうとするが、娘・未姫は「向かいの1号棟のれ
いなの家に知らせに行く」との事なので」「うん、呼んで来い」と
行かせた。
(その時の警官は娘・未姫のそのような状況など知る由もないにも
拘わらず数時間後そのことを聞かれたお父さんに「娘さんはお父さ
んに怯えて震えていた」などと、娘・未姫が実は故・島袋照子が急
に倒れたことで怖くなって怯えていたにもかかわらず知ったかぶり
をし、病院から娘・未姫を連れ帰ろうとするお父さんと言い争いを
することになる。結果、そこでも浦添警察署の警官に妨害される)
その後、一階で待機していた救急車まで皆で運び、同乗し浦添総合
病院の救急手術室へ連れて行った。
※その病院の玄関口で容態を案じて待機をしていた時にも第三者の食堂ふく家の経営者の妻で、お母さんの実の妹のちあきがお父さんに向かってわざとらしく警察官などもいる目の前でこれ見よがしに何かを狙ったとしか思えないようなこんな考えられないようなことを大声で発言した:「あんたのせい!!」-と。おかげで、「何も知りもしないくせに何を言い出すんだ!!」と現場を知らないくせに狂言を吐くちあきへ迫るお父さんは、相手が女性と言うだけの理由で目の前の警察官の制止を受けるようになり、以後、全く悪者扱いされることになった経緯がある。
実は、第三者で食堂ふく家の経営者の妻・志良堂ちあきのそのような意図的な行動が、故・島袋照子の葬式や弔いから四十九日までの法事へも、その四十九日から2週間経った今日までも蚊帳の外にお母さんがお父さんを置いておかざるを得ない状況を作っている。
| 22:10分頃、故・島袋照子は意識不明のまま一階の手術室から二階に
あるICUへ運ばれ処置がつづいた。
| 22:15分丁度、お母さんから同じ病院内から電話が入るが取ると同
時に直ぐに切れた。
| 深夜まで病院の廊下にいた娘・未姫を連れ帰ろうとしたら、団地で
も娘・未姫から事情を聞きだそうとしていた浦添警察署の同じ警官
は、繰り返しになるが娘・未姫のそのような状況など知る由もない
にも拘わらず「娘さんはお父さんに怯えて震えていた」などと、
娘・未姫が実は故・島袋照子が急に倒れたことで気が動転していて
怖くなって怯えていたにもかかわらず知ったかぶりをし、その時は
すでにやや落ち着いて病院の廊下で他の四人の兄弟たちと一緒に
座っていた娘・未姫を連れ帰ろうとするお父さんと言い争いをする
ことになる。
結果、そこでも浦添警察署の警官に妨害されることとなり、とうと
う娘・未姫を家へ連れ帰ることが出来なかった。
(おそらく、そのような指示が浦添警察署の生活安全課から出てい
たのだどう。きっと、お父さんへ未姫とお母さんを連れ帰させてし
まってはこれまでのお父さんに対する不正義が明らかになり、困
る、と判断したのだろう)
20118/21 | 夕方、お母さんへ電話をしたら「亡くなった。葬式の準備中だから
来ないで」と、病院での第三者の食堂ふく家の経営者のちあきの策
略にはまってしまったような混乱は二度と避けたい旨のアドバイス
を言うので、その後数日後からは電話だけにしたものの、やはり電
話での娘・未姫の安否の確認だけでも混乱が生じたので以来49日
の法事が終える10月9日の日曜日が過ぎるまではその葬式や弔いに
参列しないと決め、今日の49日明けをむかえた。(当日記)
※ 2011/9/5 | 午前10時頃。一番最初の被害届を携え、浦添警察署一階にある市
民相談室の比嘉さんに被害届の提出の仕方を習ったところ、隣の
地域課のカウンターで受け付けますからそちらへ出してくださいと
いうことだったので、被害届をその地域課へ提出。
しかし、別の課の生活安全課の伊礼と名乗る者が突然現れ、「被害
届」との表題を見るなり「こんなものは受け取れない」と言い出し
たが、私は「一市民の子どもたちが被害に遭っていることを警察へ
届けるのをなぜ拒むのか?」と言い返すとひるんだので、そのまま
おいて帰った。
| 午前11時41分。浦添警察署生活安全課の伊礼という課長から電話が
入る。「今朝の被害届にある刑法違反は該当しない。例えば”遺棄
罪”だが、運転免許を持たない主人の夫が喘息でほぼ一日おきに
立って歩けないことがつづく家で、その家に子どもが4~5人いて
自営家業を家で唯一人の運転手役の共同経営者で母親が一ヶ月家に
帰らず遺棄しようが、”遺棄罪”にならない。だから子の被害届を
取りに来なければごみ箱へ捨てる」との内容だった。
その後、浦添警察署だけでは子どもたちの安全は守れないと判断
し、これからは県の県警本部と両方へ被害相談をすることにした。
↓全員「皆勤賞」中
2011/9/15 | 故人・島袋照子とその娘たちが経営する「ふく家」という食堂で
またもや母親が働かされているのを目撃。(経営者へ二度目の背
任罪教唆を忠告)
↓全員「皆勤賞」中
2011/9/21 | またまた故人・島袋照子とその娘たちが経営する「ふく家」とい
う食堂で母親が働かされているのを目撃。(経営者へ三度目の背
任罪教唆を忠告)
↓全員「皆勤賞」中
※調停前日
2011/9/25 | 運動会で母親がわが子が居る本村家の中二の五男や父夫は無視さ
せられ、その一方の食堂「ふく家」の経営者らの家族大勢へは自
分自身の家族が弁当を持っていないのを知っていながら同じ学校
内の同じ場所へ弁当をこしらえさせられ携えられ振舞わされて来
ているのを目撃し、四度目の背任罪教唆の注意勧告をする。
※本村家理念・方針
基本理念:
車移動の際、運転免許を持つ母妻と一緒の車内では運転免許を持たない父夫は、自営で生業の仕事はもちろん日常生活でも常に船長の役目である。
そして母妻は仕事であれ日常生活であれ常に運転手が役目である。
父夫と母妻は車移動でも常に二人三脚である。
・・・しかし、平成23年(家イ)413~417号の「扶養の義務遺棄母妻」調停申立事件では、一昨日の平成23年9月26日(2011/9/26)に行われた第一回目の調停で無視されてしまいました。しかもそのことを家族の基本的な理念・方針として20年以上に亘り実践してきた肝心要の申立理由にもかかわらずその第一回目の調停をもって打ち切りとなってしまいました。
理念・方針:
第一、父と子の関係や母と子の関係が夫婦関係よりも優先される。
つまり、言い換えれば「子とそれぞれの親の関係を優先させ重んじれば、自然の成り行きで夫婦の関係も円満な形に整っていく」という考え方を本村家では過去二十年以上も家族の姿のあり方を決める最重要要素である家族の理念や方針の中で第一番目としてきたということです。
確かに世の中には人それぞれの家族の姿があります。されど、その家族の基本的な姿というのは、「人倫」の意味である「正しい物事の順番」に基づき、夫婦関係よりも何よりも常に父と子の関係や母と子の関係が優先されることは普遍的であると考えています。
がしかし、すでに添付してある平成23年(家イ)413~417号の「扶養の義務遺棄母妻」調停申立事件では、一昨日の平成23年9月26日(2011/9/26)の第一回目の調停では、当たり前なそれとはまったくの逆の「子どものことも夫婦関係の次に、或いは夫婦関係の中で同時に扱うべきだ」-となってしまい、そのことを家族の理念・方針として20年以上に亘り行ってきたこの「申し立て人当事者であり法定代理人」とは意見が食い違いすぎて「只の一回のその調停をもって打ち切り」となってしまう残念な結果となってしまいました。
ちなみに打ち切りの理由は、後日届いた通知によると「事件番号 平成23年(家イ)第413~417号。頭書の事件については、平成23年9月26日、調停をしない措置により終了したので通知します」とありました。
結局のところ、裁判官も交えたその日で最初でもある調停での調停委員会の結論は一貫して、夫婦の関係の中に父と子の関係を無理やり押し込めようとの愚行が優先されたのでしょうか。甚だ疑問を感じました。
第二、子どもの教育を第一とし、「地震 雷 火事 親父」で行う。(地震じしん 雷(かみなり)火事(かじ)親父(おやじ)-日本国語大辞典;世の中で恐ろしいものを順に並べた表現。*思ひ出〔1933〕〈太宰治〉一「地震雷火事親爺、それ以上に怖い戦争が起ったなら先づ山の中へでも逃げ込まう」 ...)
この点でもその調停では、そもそもこの「扶養の義務遺棄母妻」申立事件の調停を行うまでにになった原因でもある、「家族以外の第三者の本村家への故意または過失による不当な介入」によって引き起こされた事件である、との不道徳性への言及が一切なされなかった点は、まさにこの我が家の理念方針の規範でもある第二の「子どもの教育を第一と
する」に反しているといえることで、その日の調停の結果や様子を家で待つ六人の子どもへの教育としては「反面教師」的で裁判所の名誉や、裁判所への希望を持たせることはできませんでした。(心の中では、「未だに家庭裁判所がこんなんだから”ユタ”がまだまだはびこらざるを得ないのだろう、、、。」と頷いていました)
第三、報告や連絡と相談・チェック・確認は即座にその場で行う。
第四、信賞必罰の罰は「地震 雷 火事 親父」で行う。
第五、一家の主・父夫は常に社会への貢献を第一に行動し、子どもたちへ率先してその模範を示す。
以上、平成23年10月22日
父親、本村安彦
沖縄県警察本部長 殿
浦添警察署長 殿
平成23年10月23日
沖縄県浦添市港川2丁目10番8号
被害届出人 本村安彦 印
以下の年表を被害届の参考資料として追加添付します。
本村家年表の抜粋
1991/春4月 | 住所:10年住んだ県営団地の一室で、沖縄県浦添
市城間4丁目36番、県営城間団地2号棟206号室
↓ここから始まる 兄弟の中で最年長で長男の安聡が浦添市立港川小
本村家の 学校幼稚園へ入学
無遅刻無欠席
「皆勤賞」の
歴史が始まる
1997/8/25 | 五男・望(のぞみ)誕生
↓全員「皆勤賞」中
1997/11/5~7 | 住所:10年住んだ県営団地の一室で、沖縄県浦添
市城間4丁目36番、県営城間団地2号棟206号室
↓全員「皆勤賞」中
| 生後三ヶ月、四歳、五歳、小一及び中一を含む親子7人
十年住んだ県営団地を強制立ち退きさせられ、十日間ほ
ど路上生活を経て、その後自宅から数キロ離れた別の学
区の友人宅の一室を善意で空けてもらい、生後三ヶ
月、四歳、五歳、小一及び中一を含む親子7人全員約
一ヶ月間世話になる。(その間も勿論、子どもたち全員
の「無遅刻無欠席」での皆勤賞を続けさせる)
同年/12/16 | 入居:過去のそれまでの学区と同じで隣接地区の現在の借家
で、沖縄県浦添市港川2丁目10番8号沖商不動産貸し住宅58
↓全員「皆勤賞」中
1998/8/1 | 我が家で六番目でしかも最初の女の子、長女・未姫(みき)が
誕生
↓全員「皆勤賞」中
2000/春3月 | 長男・安聡(やすとし)が中学校の卒業式で見事、中学
校一年生の頃の路上生活などの困難をも乗り切り小学校
から中学校までの9ヵ年無遅刻無欠席の皆勤賞を受賞し、
「やれば出来るんだ」ということを証明し、家族へ夢と
希望と勇気をもたらす。
↓全員「皆勤賞 」中
2001/7/7 | 数年ぶりに父親の投稿が琉球新報紙論壇に写真付きで掲
載される。
↓全員「皆勤賞」中
同年/数日後 | 長男・安聡が高校二年。一日だけ行方と寝泊りした所在が分
からずとうとう翌日の登校が出来ず高校をはじめて一日だけ休
み、本人も目指していた小学校からの12年間無遅刻無欠席
での皆勤賞を断念する。(しかし、その後は気をしっかり取
り直してその日以外のすべての日は中学校までと同様に皆勤
賞で高校の卒業式を迎えた)
↓全員「皆勤賞」中
同年/9/6 | 数年ぶりに父親の投稿が沖縄タイムス紙論壇に写真付きで掲
載される。
↓全員「皆勤賞」中
2002/夏8月 | 長男・安聡が高校三年。パワーリフティング県チャンピオン
となり、沖縄県高校選手権代表選手として埼玉県で行われた
全国高校選手権大会で7位入賞を果たす。
↓全員「皆勤賞」中
同年/暮れ | 長男・安聡が突然それまで内定していた国立大学(琉球大学
法学部)への高等学校推薦を取り消される。理由は、高校二
年の夏に一日だけ休んで、それまで小・中・高と10年以上も
連続で続けていた無遅刻無欠席での「皆勤賞」という名誉に
傷が付いた事以外は担任教諭の説明には見当たらなかった。
↓全員「皆勤賞」中
2003/春3月 | 長男・安聡が見事、高校二年生の夏の一日だけの欠席以外12
年間すべての小・中・高を通じて無遅刻無欠席で高等学校を
卒業した。しかし、一方、センター試験の一ヶ月前までは推
薦入学ということで準備が出来ていなかったこともあり、国
立大学(琉球大学)の一般入試にチャレンジするも落ちてし
まい、翌年に私立の沖縄国際大学へ高等学校推薦入学を果た
すまでは浪人でアルバイターという身分に一年間甘んじるこ
とになる。
しかしその同年同月にこんな朗報も。
なんと、そんな長男・安聡の六歳離れた直ぐ下の弟の眞理
(しんり)が小学校の卒業式で見事、その長男・安聡同様
に、小学校一年生の頃の路上生活などの困難をも乗り切り小
学校6ヵ年無遅刻無欠席の皆勤賞を受賞し、家族へ新たな
勇気と希望をもたらした。
↓全員「皆勤賞」中
2004/春4月 | 長男・安聡が沖縄国際大学へ推薦入学を果たす
↓全員「皆勤賞」中
2005/春3月 | 三男・自然(しぜん)が保育園児の頃の路上生活体験などの
精神的困難をも乗り切り、小学校の卒業式で見事、一番上の
兄の長男・安聡と直ぐ上の兄同様に、我が家で三人目の小学
校6ヵ年無遅刻無欠席の皆勤賞を受賞し、本村家では普通の
こととして定着させてくれた。
↓全員「皆勤賞」中
同年/夏7月 | 次男・眞理が中体連の中学野球で活躍し、岡山県の高校野球
部監督から岡山へ来るように、とスカウトされる。
同年/夏8月 | 四男・公平(こうへい)が、県少年野球代表選手として九州
で行われた九州大会へ出場。
↓全員「皆勤賞」中
2006/春3月 | 四男・公平が一つ歳上の兄の三男・自然にひきつづき、保育
園児の頃の路上生活体験などの精神的困難を乗り切り、小学
校の卒業式で見事、一番上の長男・安聡とその次の兄の次
男・眞理同様に、我が家で四人目の小学校6ヵ年無遅刻無欠
席の皆勤賞を受賞し、本村家では当然のこととして安定させ
てくれた。
さらに、この四男の小学校卒業と同月には中学校を卒業した
次男・眞理もその中学校の卒業式で、長男・安聡に引き続
き、小中を通して9ヵ年間無遅刻無欠席での「皆勤賞」で卒
業。これで我が家では二人目の9ヵ年皆勤賞受賞者となる。
↓全員「皆勤賞」中
同年/春4月 | 次男・眞理がスカウトされ岡山県の高校野球へ旅たつ
↓全員「皆勤賞」中
2008/春3月 | 三男・自然が浦添市立港川中学校の卒業式で小中を通じた9
カ年間無遅刻無欠席の皆勤賞を受賞し、これで我が家では長
男・安聡及び次男・眞理に次ぐ三人目の9ヵ年間賞となっ
た。
↓全員「皆勤賞」中
同年/春4月 | 三男・自然が県立浦添商業高等学校へ野球部推薦入学を果た
す。
↓全員「皆勤賞」中
同年/夏7月 | その三男・自然のチームが県夏の大会で優勝し、甲子園で準
優勝するまでに燃え上がる中、
次男・眞理はスカウト先の岡山県高梁日新高等学校野球部で
岡山県予選で岡山理大付ふを打ち破り、ベスト8へ駆け上が
り、遠く離れた沖縄の新聞に「県出身選手活躍」と採り上げ
られ話題を振りまくなどの活躍を果たす。
↓全員「皆勤賞」中
2009/春3月 | 次男・眞理が岡山県の高校の卒業式でも三年間無遅刻無欠席
皆勤賞を受賞し、これで、12カ年間無遅刻無欠席での皆勤
賞を達成する。
また、四男・公平はこの月、港川中学校の卒業式の日を迎え
ていて、なんと、我が家から4人目の小中を通じての9カ年
間の皆勤賞を受賞するも、9カ年間とはいえ、本村家では普
通なこととなり、あまり騒がなくなってしまっていた。
↓全員「皆勤賞」中
同年/春4月 | 四男・公平が県立浦添高等学校へ推薦入学を果たす。
| 小学校5年生になった長女・未姫が「家の外観と中の天井の
ペンキがはがれていて汚いから学校の先生の家庭訪問が恥ず
かしい。嫌だ」と、その前の小学校4年生の頃のトーンとは
明らかに違う高いトーンの無理な要求を言い続けるので仕方
なく、家主の沖商住宅不動産へ内緒で外部のペンキ塗りと内
部のペンキ塗りなどの手入れを自分で行い、その家庭訪問は
満足させることができた。
↓全員「皆勤賞」中
同年/5月 | 次男・眞理が大学野球一年目の最初の大会である沖縄県で行わ
れた当年度の九州大学野球選手権大会に一年生ながら主軸打者
として推挙され、DH5番打者として活躍。
↓全員「皆勤賞」中
同年/夏8月 | 五男・望(のぞみ)が少年野球の県代表選手として九州で行わ
れた九州大会へ出場。
↓全員「皆勤賞」中
同年/9/28 | 現在も住んでいる借家で、沖縄県浦添市港川2丁目10番8号沖
商不動産貸し住宅58に突然、その家主である沖商不動産から
立ち退き要求の嫌がらせ文書が届く。
↓全員「皆勤賞」中
同年/翌月10月 | その嫌がらせ立ち退き要求文書を法テラスへ相談し、異議申
し立てとなり、以後1年間は何の問題も起こらなかった。
その頃、子どもたちはというと、次男・眞理が県大学野球選
手権で一年生ながら活躍を続けて新聞をにぎわせていた。
↓全員「皆勤賞」中
2010/春3月 |五男・望が小学校の卒業式で、小学校6カ年間無遅刻無欠席
の皆勤賞を受賞。これで本村家で長男、次男、三男、四男に
続き、男の兄弟全員6カ年間皆勤賞を達成したことになっ
た。
↓全員「皆勤賞」中
2010/春4月 | 長女・未姫が「送迎が厳しいから少年野球を止める。そのか
わり陸上で日本一になる」と、決断し、直ぐに少年野球を止
め、陸上競技に専念しだす。と同時にますます父親の指導方
針についてくるようになっていった。
2010/春5月 | 次男・眞理が県大学野球「新人賞」と「ホームラン賞」及び
「ベストナイン賞」の賞という、大学野球の賞のすべてと
いっていいほどの賞を大学一年目から獲得。
同年/5/19 | 厚生労働省・県ハローワーク・市町村・社会福祉協議会が一
体となった「セーフティーネット」制度資金の受給資格をハ
ローワークで受ける。
同年/5/21 | 上記の文書を持参し、現在も住んでいる借家で、沖縄県浦添
市港川2丁目10番8号沖商不動産貸し住宅58の家主である沖商
不動産へその制度資金を利用する旨の説明をしたところ、立
ち退き要求があることを理由に嫌がらせからその制度の資金
を利用させなかった。
↓全員「皆勤賞」中
同年/夏8月 | 長女・未姫が東京代々木の国立陸上競技場で行われた全国小
学生陸上大会で一位となり県初の全国制覇を達成し、新聞に
大きく採り上げられた。
次男・眞理が県大学野球「殊勲賞」及び
「ベストナイン賞」の賞を獲得。
↓全員「皆勤賞」中
2010/10月 | 三男・自然の大学推薦入学が決まる。
住宅立ち退きいやがらせ始まる
同年/同月 | 次男・眞理が県大学野球「ベストナイン賞」の賞を獲得。
↓全員「皆勤賞」中
2010/秋頃から| 長女未姫が取材やその他の打ち合わせなどが増えたせいで、
スポーツの優秀な子などへの子育てについてこれといった理念
など持ちようがない少年期の家庭環境で育ったことで、父親と
は違い今流行の”うざい”教育的指導を行えないことが娘から
すれば渡りに船で、都合良く、誰とでも当たり障りのない親、
との理由から、その母親と二人っきりで出かける機会が多くな
りだすことを陰ながら指示してくれる父親の配慮が、母親に
とっても、娘・未姫にとってもうれしいことが続く。
また、少年期の娘・未姫とすれば、「父親の力は借りずにここ
まで結果を出せたんだ」としなければならない、或いは、そう
せざるを得ない状況に追い込んだ娘・未姫の父親との関係以外
での、周りの環境の災いもあったことは間違いない。
↓全員「皆勤賞」中
2010/11/16 | 沖商不動産がセーフティーネット制度での住宅手当充当家賃を
受け入れないことを理由に、セットでもある県社会福祉協議会
がその国などの制度資金を一切利用できず、後は振込みを待つだ
けの状態まで終えていた手続きが不承認となり、結果、支給手前
で打ち切られた。
更に、県社会福祉協議会のそのような状況から、市役所も見
合わが始まるようになる。(別紙、平成22年11月16日付け通知
書参照)
総額=県社会福祉協議会分が2,208,000円+232,000円=2,240,730円
と、+浦添市役所分の住宅手当一年分48,000円×12ヶ月で576,000
円=3,016,730円が、まったく放棄させられた格好となる形に。
↓全員「皆勤賞」中
2010/11/28 | 長女未姫が国頭陸上競技場で行われた県民体育大会会場で、県
陸上連盟・教育団体から今年の全国一位になった優秀選手とし
て表彰された。
↓全員「皆勤賞」中
同年/暮れにかけ | 子どもたちはというと、長女・未姫が市の広報などに数度も
紹介さてたり、小学校の学校新聞などに紹介され続けたこと
で母親と二人が急に忙しくなる。例えば、12月1日には市制
40周年記念市広報などの特集などでも再度登場するのと並行
して市のホームページにも市長や教育長と並んだ母親と一緒の
写真などが掲載されたり、雑誌などにも掲載された。
また、次男・眞理も新聞をにぎわすような大学野球での活躍
が続く。
※2011年2月27日。以下の仮説をインターネット上で発表する。http://groups.yahoo.co.jp/group/ml_ryukyu_400130/
今日現在沖縄の健康状況:
1、1946年以降生まれ世代の全国1早世(早死に)の問題。(略)
2、全国平均不妊症カップルの割合が10組に1組なのに、なぜ沖縄では7組に1組と多いのかという問題。
3、低出生体重児(いわゆる昔で言う未熟児)(1500グラム以上2500グラム以下)が生まれる率が全国1高い沖縄。(略)
仮説第一回目:
1、の原因その1、1946年から始まり、15年後の1962年まで行われたビキニ環礁での核実験による放射性物質を含む放射能雨が琉球列島へ連日のように降り注ぎ続けた。(略)特に当時生まれたばかりの頃の年代の者、いわゆる現在70歳の者は 満15歳になるまでづ~とその放射性物質を含む天水を毎日摂取していただろうから全国1の早世・早死にの短命になっている。
1、の原因その2、上記に加えて1960年代のベトナムで使用された枯葉剤に混入していたダイオキシン散布の問題も重なった。(略)
特にその現在70歳未満の者は原爆の放射能雨から連続していることから被害が多く、全国1早世・早死にになるのは当然の結果と言える。
1、の原因その3、冒頭の戦後沖縄の教育行政で現れている通り、特殊教育対象児童の急激な増加時期とビキニ環礁との因果関係性の問題。(略)この年代の沖縄での健康診断時で「必ず病院へ行くこと」として持たされる有所見率 は全国1である。
2、の原因その1、上記70歳未満の年代の健康問題を考えると、ちょうど彼等の子ども世代が現在の不妊症で悩む世代となっている。
母体への汚染が仮に放射性物質などであった場合、時系列からいって当たり前と言えば当たり前の結果だろう。(略)
あえてここで特筆するなら、(略)1960年代のベトナム戦争当時から長年に亘りダイオキシンを含む枯葉剤を散布実験・訓練していたこととの因果関係だろう。
3、の原因その1、問題の70歳未満の年代からすれば丁度母体や父親がその息子や娘世代で、低出生体重児・未熟児がその孫に当たる問題。
参考資料:2007年に発覚した五つも県民の水がめであるダムが存在する北部米軍訓練区域内のそのダム周辺に米軍がダイオキシンを含む枯葉剤を長年に亘り散布。(2007年7月9日付沖縄タイムス紙夕刊一面及び同日付琉球新報紙夕刊一面)これはお願いですから皆さん是非図書館へ行って下さい。
さらにもうひとつ沖縄の県民すべての世代にとって見過ごすことができないかなり深刻な事件がある。 1954年の米国政府によるビキニ環礁での水爆実験の際に(略)実験直後から日本への放射能汚染への懸念が全国的に広がったが、沖縄では当初は米軍による調査で、検査値の結果も明らかになっていない実情があること。そして、当時の県内は80パーセントが天水の利用だったが、実験の後、米軍基地は急いで水道を敷いたこと。加えて、実験の後県民の相当な人が(放射能物質を含む可能性があった)天水を飲んだのではないか」との研究報告から、沖縄は当事も米軍占領下だったことから、実験国が支配していた状況で、本土と対応が違い沖縄の米軍基地内と外との対応の差別的違いが明らかになった調査結果。(2010年11月22日付琉球新 報紙22ページから)
※2011年3月3日(木)。本村安彦仮説から始まった沖縄タイムス紙スクープ↓
沖縄タイムス紙一面「ビキニ死の灰沖縄に」「かでなで本土の2倍」「54年水爆実験後米が観測」「人体の影響専門家調査へ」。社会面「何も知らず被ばくか」「沖縄に死の灰」「米統治下情報奪われ」「近海の船員早世相次ぐ」
↓全員「皆勤賞」中
※2011/3/11 ↓
| 福島第一原発問題が勃発し、父親のこの17年来の核への専門
性が注目され、平和問題研究者や教育関係者などから招きを受
けるようになり、偶然とはいえ、生業・自営業の放射能除去可
能逆浸透膜浄水器が売れ出し、事業が軌道に乗り出す。
2011/春3月 | 長女・未姫が、沖縄県児童賞を受ける。(平成22年度沖縄県生
徒等表彰、浦添市立港川小学校第6学年 本村 未姫)
↓全員「皆勤賞」中
2011/春3月 | 長女・未姫が小学校の卒業式で小学校6カ年間無遅刻無欠席
の皆勤賞を達成。これで兄弟6人全員同じ港川小学校での珍
しい皆勤賞となる。
更に、三男・自然が高校の皆勤賞も達成。(偶然に長男・安
聡と同じ高2の夏に一日だけ休んだが)これで12ヵ年間準皆
勤賞を長男に引き続き達成した。次男の12ヵ年皆勤賞達成
に加えると3人がすべて12ヵ年皆勤賞ということになる。
↓全員「皆勤賞」中
2011/4/4 | 琉球新報紙で「本村家、兄弟6人全員皆勤賞」と大きく報じら
れ、ネット上でも「本村家」のヤフー検索ワードでのアクセス
数が1,500,000件を超えるほど全国的に報じられ、話題になる。
(現時点では6,460,000件を超えている) ↓
※2011年4月4日。「本村家」検索ワード「本村家」↓出てきますのでご覧ください。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-175672-storytopic-7.html
カテゴリー:教育
本村家、きょうだい6人皆勤賞 港川小2011年4月4日
きょうだい全員小学校皆勤賞を達成した本村家の(左から)五男望君、三男自然さん、末っ子未姫さん、次男眞理さん、四男公平君=3月29日、浦添市港川
【浦添】浦添市の港川小学校を今春卒業した本村未姫さん(12)が皆勤賞で表彰された。未姫さんは6人きょうだいの末っ子で、きょうだい全員が同小を1日も休まず卒業。兄たちは中学校も皆勤賞を取り、未姫さんは「兄ちゃんたちがやってきたことで当たり前だと思ってきた。港川中学校の3年間も頑張りたい」と語り、父安彦さん(57)は「共働きで一人一人にゆっくり付き添うことができない中、自分たちの力で頑張ってくれた」と子どもたちの成長を喜んでいる。
未姫さんは兄たちの影響で小4で野球を始め、てだこアスリートクラブにも所属。
昨年8月、陸上競技の第26回全国小学生交流大会女子共通ソフトボール投げで優勝した。第48回沖縄教育版画コンクール特選にも選ばれた。
全国的に優れた成績を収めた児童生徒らをたたえる「2010年度県児童生徒等表彰」でも表彰され、「将来はCG(コンピューターグラフィックス)クリエーターになりたい」と夢を語る。
8人家族の本村家は長男安聡さん(26)を皮切りに小中学校皆勤賞を続け、次男眞理さん(20)=沖国大3年=は「周囲にこんな大家族はあまりないが、明るくにぎやかでいい」と話し、三男自然さん(18)=同大1年=は「もっと家族が増える将来が楽しみ」と笑う。
四男公平君(17)=浦添高3年=は「皆勤賞も当然と思ってきた」と話し、五男望君(13)=港川中2年=は「中学も達成したい」と意気込む。
6人の子どもの成長を支えてきた母弘美さん(50)は「何よりも健康で生まれてきてくれた喜びが大きい」と目を細めた。(座波幸代)
※4月5日(4月8報道)→フクシマの放射能が沖縄で観測される。
※4月24日→沖縄電力も原子力発電を7年前から研究問題が新聞で発覚。
↓全員「皆勤賞」中
※2011/5/17 ↓
この日は、三日後の5月20日は、15年住んでいる我が家・貸し
外人住宅の家主の沖商不動産の嫌がらせ裁判の和解期日で、その
日までに百万円ほどの大金をその保証人に迷惑を掛けることに
なったお詫びをしに夫婦揃って行って来た。
※2011/5/20 ↓
この日は本村家にとって、悪いことと嬉しいことが同時に起こっ
た日でもある。
まず、悪いことだが、懸案住居立ち退き訴訟では和解案としてこ
の日までに90万円ほどの大金を一括で振り込む手続きをするこ
とと決まっていました。その日は時間までになんとかしはしたも
ののしっくり行かないような意地悪を相手の沖商不動産から脅し
を受けます。それはやはり後日になってからも尾を引き問題にな
ります。そこを間違うと家を追い出されてしまう羽目になってし
まいかねないような脅しでした。
それまで1年余も裁判で争った我が家・貸し外人住宅の家主の沖商不動産と裁判所提案の和解案が成立していて、その※5・24の4日前の5月20日(金)はその和解案最大の条件だった約90万円を一括で支払う期限日だったので期限三日前の5月17日にその分の支払い手続きを済ませ、当日20日に沖商不動産の代理人弁護士の口座へその支払先から直接振込みをしてもらい済ませた。
(しかし実際には代理人弁護士から沖商不動産に渡ったのは休み明けの3日後で※5月24日の前日に当たる※5月23日(月)で、しかもその分には実は5月分が含まれていない可能性があることと、もしその5月31日(火)までにその支払いを本村家が怠ったら問題になることなどをお父さんが自分で直接確認のためにその期限日の可能性のある5月31日になって沖商不動産事務所まで来てはじめてその代理人弁護士からのその分の内容の入った領収書が沖商不動産へ発行されているのを気づいた。さらに本村家へのその分の領収書発行の日付もその※5月23日になっているにもかかわらずその旨の領収書を最終日の時間外に渡された格好になり翌日6月1日まで引きずることになる)
その直後、お母さんが沖商不動産事務所に直接行き沖商不動産からセーフティネットでの家賃受け取りに関しても同意書を取ったものの、しかし、後日になって市役所から書類様式の違いという単純なやり直し要求があり、又もやそのセーフティネット関連の書類のやり取りで二度目、沖商不動産事務所で同意書を再度もらった際、その5月20日期限の一括分には5月末日までには収めなければならないはずのその5月分の家賃8万円が含まれていなかったかどうかの確認が取れていないことが分かった。
住まいの安心確認のため、期限日の5月31日(火)に沖商不動産事務所に今度はお父さんが直接出向き提案者である裁判所などとの確認作業に入ったものの、この期限日の時間内はもちろん翌日6月1日(水)の時間内ギリギリになっても確認が取れなかったので解決策として万が一の場合を想定してそのあいまいな問題の5月分の8万円の振り込みを雨の中、ギリギリで済ませ、もし仮に、最悪なケースの5月20日が期限日の一括支払いの中に入っていなかった場合としても問題が起こらないようにとその裁判所の書記官やその他の関係者へ連絡し、解決し、今日に至っているなどがある。
つまり、家宅捜索のあった※5月24日の前日の※5月23日の時点で、その一括支払い分には実は当月の5月分が含まれていない可能性があるのを沖商不動産は承知してたということになる。
その意味からすると沖商不動産は偶然か必然かは分からないがその※5月24日の家宅捜索の前日、 ※5月23日には何らかの意図があったことがわかる。
そして嬉しいことというのは、長女・未姫が、当日行われた「少
年に夢と誇りを責任を、伸びよう伸ばそう青少年」がスローガン
の浦添市青少年健全育成市民会議の平成23年度第25回定例総会
で表彰される。
表彰理由は「兄弟6人全員皆勤賞」であることや、更に長女・
未姫本人の陸上での当該種目県初全国一の功績が大きかったこと
で兄弟6人全員同じ母校の推薦で兄弟代表として表彰された。
(そのおよそ一週間後の:5月28日には沖縄タイムス紙社会面の写
真付き記事で報じられ、話題になった)
しかし、その間の:
※2011/5/23↓
(住まいの安心確認のため、期限日の5月31日(火)に沖商不動産事務所に今度はお父さんが直接出向き提案者である裁判所などとの確認作業に入ったものの、この期限日の時間内はもちろん翌日6月1日(水)の時間内ギリギリになっても確認が取れなかったので解決策として万が一の場合を想定してそのあいまいな問題の5月分の8万円の振り込みを雨の中、ギリギリで済ませ、もし仮に、最悪なケースの5月20日が期限日の一括支払いの中に入っていなかった場合としても問題が起こらないようにとその裁判所の書記官やその他の関係者へ連絡し、解決し、今日に至っているなどがある。)
つまり、家宅捜索のあった※5月24日の前日の※5月23日の時点で、その一括支払い分には実は当月の5月分が含まれていない可能性があるのを沖商不動産は承知してたということになる。
その意味からすると沖商不動産は偶然か必然かは分からないがその※5月24日の家宅捜索の前日の この日※5月23日には何らかの意図があったことがわかる。
※5月23日→夕方、インターネット掲示板 http://groups.yahoo.co.jp/group/ml_ryukyu_400130/ 上で、今回のフクシマ現地の放射能雨の汚染量より、かつてのビキニ環礁での核実験による放射能雨が琉球列島に降り注いだ当時の琉球気象台の記録、17万カウントのほうがかなり凄い放射能汚染量であることを伝え、公表し警鐘を鳴らす。
夜 → 住まいの家主の沖商不動産から立ち退きの要求が強くあったこと
で、数ヶ月前からそのことで取材を依頼していた新聞社の記者と
深夜まで電話を使いやり取りをしていた。問題は家族の死活問題
にまで発展していることなどを話していた。これ以上のことが起
きるなら、家族が生きてゆけなくなるなどとも。
(そしてその翌日に、浦添警察署からわけの分からないような家宅
捜索を受け、そのことがその後四ヶ月以上も尾を引くことになっ
たことを、この日の前後に起こった出来事などと噛み合わせなが
ら考えてみるとこのときに本村家の家業を狂わす急な何らかの外
力が加わったのではないか?と考えてみてもおかしくないような
気もする)
(と言うのも、こんなことがあったからだ。その家宅捜索のあった
24日の早朝六時半頃に、市内のお客さんから急に「タンクの水が
出ない。調べて直してくれ」との電話があり、急いで支度をして
七時頃お母さんの運転で二人出かけようと家の前の車に乗り込も
うとしたその時である。「ちょっと待ってください。この時間、
別の家宅捜索斑が裁判所へお宅の家宅捜索令状を取りに行ってい
て、その家宅捜索令状は今手にしていないので見せられないが、
今から何処へ?」と、突然現れた一人の刑事が尋ねてきた。それ
からすると、単純に考えて家宅捜索をするにあたっては必須で肝
心要な裁判官の捜索令状がその様な未入手状況だと言うことはこ
うではないだろうか。)
(つまり、前の日の昼後から深夜にかけて浦添警察署へ何らかの通
報なり、申し入れなり、権力者の強い要望が急にあったのではな
いか?ということだ。でないと「、、、捜索令状は今裁判所へ取
りに行っている、、、、」のところのつじつまが合わない。)
(では、どのようなことが起こりうるからこの本村家の捜索令状ま
で急ごしらえで用意しなければならないほど、前の晩から書類を
作り始めて翌日の早朝までかかったのだろうか?について考察し
てみるとしよう。)
(一つは、例えば、その晩は深夜まで電話で記者と話したり、時に
は大きな声になったりしていたし、仮にその声を近所の最近引っ
越してきたばかりで子沢山な家の「地震 雷 火事 親父」を全
く知らないような若くて、未だ子どものいないような世帯の「未
経験」から来る「DVではないか?」などとの誤解から始まる間
違った警察への通報があったかもしれない。)
(或いは、その記者とは別の警察担当の記者がその話を聞き、浦添
警察署へ「子どもや家族が危ない。一家心中も、、、」などと余
計な通報や提案を警察へしてしまった。だから、苦肉策で、電力
の下請けの顧客のタンクトラブル工作のアイディアなども交え、
早朝から電話で確認の意味も兼ねお父さんへ電話をかけたのでは
ないか?それとも全くその逆で人目が付く時間まで待ったか。)
(そして、今になって思えば、あの時、刑事が戸惑ったようになっ
た「お母さんと二人で出かけようとした時」の場面。その戸惑い
の原因は、よもや運転免許が無いお父さんだとは思わなかったの
ではないだろうか。電話をかければ、お父さん一人出かけ、あと
お母さん以下全員の安否をお父さんに隠れて行える算段が壊れた
からではないだろうか?-と考えている。)
(もう一つには、これは、この23日の早朝に電話をかけてきたお客
さんの職業から割り出した結果だが。その客の職業と言うの沖縄
電力関連の下請けの仕事をもうかれこれ50年以上もやっている
客だ。もし、仮にお父さんのライフワークでもある「核」撤去ボ
ランティア活動をもうかれこれ十年以上も前から重々承知のこの
お客さんが、3・11のフクシマ問題以来、当時もマスコミでも問
題にしていた自分の親である「沖縄電力の過去7年にも及ぶ原子
力発電研究の発覚」問題を批判するチラシや新聞の切抜きをこの
お父さんから配布されたとしよう。)
( 当然、そのお客さんは親である沖縄電力の誰かへ何らかの形で伝
えただろうし。)
(すると、未だに戦後の寄り合い所帯が数世帯だけ寄り集まって成
り立っている狭い沖縄の経済界。自然の成り行きでその話題が持
ち上がったとしよう。すると、必然的にその寄り合い所帯の中の
銀行の筆頭株主の中には当時「本村家が住んでいる賃貸住宅から
早く出て行け」裁判でその本村家の主であるお父さんと係争中の
不動産屋も存在することになる。)
(すると、お父さんの活動を破綻させるのための工作をこのように
行ったのではないかという推理が成り立つ。また、こうならない
と筋が逆に通らなくなる:)
(つまり、「住まい」は自分の持ち物である不動産屋が本村家の
家計を「核」撤去のボランティアどころじゃないくらい破綻させ
て困らせ、出来ることなら追い出せばいいだけの話であるから先
ず真っ先に上がるのが家主の不動産屋。)
(この不動産屋とは当時ももう何年も前からなかなか追い出せなく
て困り果て、とうとう裁判まで起こして係争中でもあった目の上
のたんこぶ的存在のお父さんを陥れるとなれば渡りに船とばかり
に不動産屋の担当者の知念などにとっては朗報とばかりに、誰彼
かまわず、お父さんの仕事に関する内容について集められるだけ
の情報を集めたのでしょう。)
(この不動産屋の担当者と言うのは、お母さんの携帯電話
番号ももう何年も前から知っていて、お母さんとは家賃のこと
などの相談を何年も前から結構仲良く話していたことが一緒に
話をするときになると現れる面を持つ。また、周辺住民などと
の情報交換の役目もあるため、結構お父さんの情報に関しては
詳しい。だから、そんなことなどに疎いお母さんが知らぬ間に
この知念の何度かの何らかの裏工作に巻き込まれている可能性
がなきにしもあらずだろう。例えば、知念とすれば、お父さん
の仕事の情報をお母さんへ家賃請求を強く迫れば、時たまお金
が足りなくて引き伸ばさざるを得ないお母さんとすれば正直に
当時のお客さんとのちょっとしたトラブルなどで集金が遅れたり
することなどの理由など、お父さんにとっては知られたくないよ
うな情報まで入手しようとすれば出来るわけだから、さもそれと
はお母さんへは気づかれないようにその際に聞きだせるだろう。
また、お母さんも我が家の家業金策のため、妹たちが共同で経営
する食堂の宣伝もしただろうし、仕方なく顧客などの情報をお母
さんのお母さんの実の香などへも漏らしてしまう場合もあっただ
ろうから、その関連い係者も含まれるだろう。特に故人・島袋照
子は拝みという職業柄だった事から、沖縄の風習を宣伝して自分
の母である故・島袋照子の仕事を応援したいお母さんを通じて不
動産の担当者の知念とも会ったことがあるかもしれない。そうな
ると、ちあきの旦那の兄は警察関係者と聞いているし、そお食堂
ふく家のランチタイムなどを通じて井戸端会議なり、何なりで狭
いこの浦添での情報は簡単に集まるし、広まることだろうから。そ
の食堂ふく家をお母さんは「利用してください」などと、宣伝し
ていただろうから。)
(次に上がるのが、当時ももう何年も前から仕入れた浄水器の支
払い方法でもめ、また、顧客回りの規範などででももめていた
仕入先の会社。)
(この仕入先の会社は、お父さんがかつて真っ先に顧客としていた
顧客が、その後お父さんの手を離れ、後に自分たちのアフターな
どの無責任さから起こったトラブルのある顧客になってしまった
ときは、その矛先を意図的に全く関係ないお父さんへ向かわせよ
うと裏工作までしていたことが今回の取調べを受ける中で見つけ
ている。(この会社の経営者の同級生の中には国会議員で、しか
も同郷ときている政治家も存在し、その国会議員とお父さんとは
その核問題で知り合った経緯がある)
(そして、その会社の下請けの個人経営者で、この個人経営者は
上記の仕入先の会社同様に取り調べの時にその名前がふんだんに
挙がった個人経営者だが、ここでいう「戦後沖縄の寄り合い所
帯」の沖縄銀行や沖縄電力などとは縁が遠いため外す。(只、大
物議員や政治の結束力では評判の奄美出身で人脈の割りと多い小
禄高校出身でもあるので、意外と大物政治家を頼っている可能性
も否定できなくはない。)
(それ以外にも考えられるような仕事関連の中で起こったクリスタ
ルの社員と政治家との関連なども無いでもないが、きりが無いか
らここらでやめておく。)
(※そんな裏側の社会の情報分析などできようも無いお母さんは、浦添警察署などへ夫婦の問題や家庭内の問題として相談を持ちかけていたことからも分かるように早まった行動をとってしまい、すべてお父さんが悪いということとすることでしか解決できようもないことから、お父さんやお母さんに訴えられたあらゆる機関とすれば、仕方なくお父さんを中心とする本村家を破壊していることになるのだろう。いかに、この家の主であるお父さんを貶めることがこの家で暮らす六人もの子どもたちの生活まで破壊することになろうともお構い無しに。)
(一方、その無責任極まりない浦添警察署や他の機関の職員らはお
母さんの生活はどのように?考えているかというと、せいぜい食堂
ふく家で生計を経てていただければそれで良しとしたいのだろう。
全く無責任極まりない。)
(もしそうなら、「運転免許証」がないので困っていることを無視して
いる謎が解ける。)
(だから、お母さんにまつわるすべての第三者の外力での刑法犯な
どの犯罪までをも浦添警察署の市民生活安全課は否定せざるを得
ないのではないか。)
(なにしろ、その通りなら、その第三者とは浦添警察署市民安全課
そのものということになるのだからだ。)
(この件がお母さんの家出の原因のすべてだろうし、お父さんの言
うことを聞かない「警察」という後ろ盾になっているのだろう。)
(だから、そのことを知っているお母さんの周りの親戚らも「警
察」を後ろ盾にいくらでも大柄な態度をとれてしまうようになって
しまったのだろう。)
↓全員「皆勤賞」中
※翌、2011/5/24 ↓
家宅捜索のあったその朝、沖縄電力の下請けを50年やっていてその沖縄電力の株主でもあるお客さんから「水が出ない」と電話があった。(しかもその後何度も同じ理由で)
早朝から住宅へ「沖縄県浦添察署派遣沖縄県警察本部浦添警察
署生活安全部生活保安課」がありもしない(約二ヶ月かけ取調べ
をうけるも、その疑いはまったくのガセだったことが分かる)
「特定商取引に関する法律違反 被疑事件」につき、などとの理
由で家宅捜索に入り、領収書から請求書やスタンプと印鑑、そし
て日々の業務に欠かせない業務記録手帳など、それがなければ営
業そのものが成り立たないようなとても死活にかかわるようなの
商売道具15点を自宅や、営業用車両2台から押収される。(別
紙参照)
おかげで、まる2ヶ月家業が出来ず干上がる。
※5月24日。浦添警察署生活安全課による人通りの多い時間帯での、沖縄の核貯蔵庫撤去市民運動歴17年間の主人の個人的な市民運動に対するこれ見よがし的な妻と二人だけの零細自営家業の個人自宅への突然の家宅捜索。そしてその後の2ヶ月に亘るも数回だけの取調べなどの長期嫌がらせによって商売上の信用が顧客との間でぐらつき、以来、この約半年収入が20分の1に激減した。
※信用が第一の商売。とうぜんながら自営家業の商売が危うくる。
すると売り上げが上がらなくなることで金銭的にお父さんやお母さんを圧迫し、家計や商売がうまくいかなくなり出します。
そして、その被害行為が長引くと当然に精神的にも圧迫され続けることになる。そうなると、当然ながら家庭内では多少の混乱が予想されます。
※また、※5月24日に家宅捜索のあった朝と、 ※8月3日の最後の再取調べのことと、自営家業の金城本村リフォーム設計の一家が事業所兼住宅として15年住んでいる貸し外人住宅の家主の沖商不動産の立ち退き要求についても合わせて考えてみたい。
↓全員「皆勤賞」中
※2011/5/28 ↓
この5月28日の一週間ほど前の平成23年5月20日には、浦添市青少
年健全育成市民会議の平成23年度第25回定例総会で表彰された
内容が沖縄タイムス紙社会面の写真付き記事で報じられ、話題に
なったわけだが、その日から2日後の:
※家宅捜索から六日後、そして娘が健全育成会議で表彰された写真記事から二日後の2011年5月30日深夜。長崎放送放映の沖縄核兵器報道に妻と二人だけの零細自営家業の主人が出演。以後、8月3日までの約二ヵ月半浦添警察署生活安全課による取調べが続く。
※2011/ 5/30 ↓
この日までの間、およそ1年半長崎放送(NBC)から取材を受
ていた「封印された核」というタイトルのドキュメンタリー報
道がこの日(5/30)の深夜被爆地長崎でローカル放映として報じ
られる。
↓全員「皆勤賞」中
2011/6月↓
※ここであらためて5月24日に家宅捜索のあった朝と、※8月3日の最後の再取調べのことと、自営家業の金城本村リフォーム設計の一家が事業所兼住宅として15年住んでいる貸し外人住宅の家主の沖商不動産の立ち退き要求についてももう一度合わせて考えてみたい。
六月に入り、初旬頃、担当の知念と裁判所和解案の一つである敷地内の立ち木の枝打ち程度の件で初めて揉めた。(その時初めて、実は、沖商不動産が借家人の敷地内の権利にまで違法に立ち入ってこだわっていたことが分かる)
案の定、6月に入り、沖商不動産と浦添市役所が一体とならなければ収まらないセーフティーネット関連の最後の詰めの書類が市役所の慣例的な書類手交の方法などといった細かな点などのやり取りを巡ってとどこうってしまい、前に進まないことなどをとある政府の相談機関などへ持ちかけなければ解決できないようなわけの分からないことが連続的に起こりだした。
結局、妻の最後の詰めの数日間は夫と一緒にその相談機関や手続き機関へ運転免許証のない夫の運転手として一緒に出向きはしても、相談機関などで直接夫と同席することも少なくなり、とうとうひとり駐車場の車の中で待つことが多くなっていった。
沖商不動産が再び拒否すれば、昨年の11月に引き続き二度目とな
ることになるセーフティーネット制度での住宅手当充当家賃を、
家の貸主である沖商不動産が受け入れられないと拒否してしまう
と、セットでもある県社会福祉協議会がその国などの制度資金を
一切利用できなくなってしまう結果となってしまいかねない危機
的状況が再び起こる。
それを、必死になって解決し前へ進めようと夫婦一緒になって、積極的にあらゆる相談機関へ出向き働きかけようと妻へも働きかけるものの、最後の詰めにきているというような夫の説明の趣旨が、弾圧という意味すらも理解不能な女性特有の状態が長く続きすぎて混乱している妻へは伝わらず、とうとうわけが分からずじまいのままで夫と一緒になって動きだすことは少なくなっていった。
更に、もし、今回も前回同様となるとなると県社会福祉協議会の
そのような状況から、市役所も見合わが始まるようになることか
ら本村家とすれば一大事の窮地に立たされていたことから、やむ
を得ず人権擁護課での人権相談や、総理府の出先機関である行政
評価事務所(旧・行政監察)など、その他多くの相談機関を訪ね
回り相談したことで、一ヵ月後にはなんとかその最悪な状況を回
避することができるようになることになる。
※この時、お母さんはこの相談で歩き回る事へ車の運転手としては付いてきてはいたものの、一緒に車を降りようとしたら今回は「めんどい」とのことを理由に、おとうさんが強く求める「市の社会福祉協議との同席相談」以外のいずれの機関への相談には同席どころか付いてさえ来なかった。
結局お父さん一人で相談に出向いた格好になった。
↓全員「皆勤賞」中
2011/7月初旬 |この頃になってやっと、家宅捜索の嫌疑がはれ、すべての商売道
具が使えるようになるものの、その時にはすでに信用を失い、全
く商売にならないのが約2ヶ月続き生活そのものが干上がってし
まっていた。(狭い沖縄の更に狭い那覇市や浦添市のマーケット
ではーとの意)
2011/7月中旬 | 長女・未姫が、泡瀬の県総合グラウンドで行われた中学陸上で
ジャベリックスローの投げ方がまったく分からない様子だった。
未姫が投げるプラスチックで軽量のジャベリック棒が真っ直ぐで
はなく縦に回転してしまうなど、風の抵抗を受け遠くはへ飛ばな
いことで初めて決勝にすら残れない恥をかく。(競技を終えた帰
り道で尋ねたら、「この本村未姫選手は、、、全国一の選手で
す、、、。」などと場内アナウンスまで流して未姫を特別に大き
く紹介していたこともあったらしく、そんな中で生まれて初めて
の予選落ちはまさに赤っ恥だったようだった。
※丁度この頃。先月の六月から七月にかけて、決してあきらめな
いありとあらゆる期間へ相談に回ったことが功を奏してセーフ
ティーネット制度での住宅手当充当家賃を家の貸主である沖商不動
産がとうとう受け入れせざるを得ないような状況にまで追い込んだ
ことで、その住宅手当充当家賃とセットのセーフティーネット制度
でもある県社会福祉協議会がその国などの制度資金を利用でき、市
役所もそれまでの非協力的な態度とはガラリと雰囲気まで変わりス
ムーズに手続きも終えられました。
※7月21日、この問題が解決し、沖商不動産が絡むセーフティーネット関連手続きのすべてが終えた証拠の通知が届いた。
それからしばらくしたある日、この問題は実はその7月21日のその日まで水面下ではかなり引きずった旨の説明の電話がその相談に行った先の一つの政府の機関の担当者の電話連絡で知ることになる。
(後日、数あるあらゆる機関の担当者からひとつの電話があり、「本
村さん、その後いかがでした?会ってきましたよ。あなたの言うと
おり機関の怠慢でした。ちゃんと仕事をするようにと話しておきま
したので何かありましたらまた来てください」とのことだったこと
もあり、あっ、あっちのあの機関のあの人のおかげだったんだ、と
察することも出来、しつこく相談に回ってよかったとの実感がほと
ばしった。)
(と同時に、今回はつくづく、そういういち市民の権利や人権などに
ついてしつこく問いただして動き回るいつものお父さんの行動に対
して、すぐに嫌な顔をしたり、今回は特に「めんどい」などと途中
で放り投げてしまっていた母さんの間違いを正すことが出来、子ど
もたちへも「あきらめずにやれば出来るんだ」というお父さんの指
導方針をそのまま受け継ぎ続けることができるという喜びの実感ま
でわき上がってた。)
※ですから本村家では、あと残すは長女・未姫の陸上競技の悪い結
果を解消すべくだけだ、と連日ように夕方からは親父の「地震 雷
火事 親父」が鳴り響き、順風満帆な日々が蘇るようになりまし
た。
↓ (この間、政府の相談機関と浦添警察署・県・市役所・社会福祉協会、そして
沖商不動産と(沖縄電力)その他関係者の間で何があったかは表に出ること
はないが、普通の男性なら想像するにはそう難しいことではない)
↓
↓ また、この間、これから先々、長くて一年間ほどではあっても、一家8人
が住む住 まいの確保と、一時的ではあっても金銭的な問題が解決したこと
で金城本村リフォーム設計を自営家業とする本村家の主で代表者で本村安彦
自身は安堵感と、「やっぱり正義は勝つ。やれば出来るんだ」と、その戦い
を戦い終えた達成感の実感が湧いてきた。
↓ しかし一方、もう一人の共同経営者で妻自身は、この問題の当初のころは
夫と一緒になって行動をしたものの、最後の詰めに入る6月末から7月になっ
てからは、ほとんど夫一人積極的に動き出していたことから、達成感に浸っ
ている様子や喜んでいる様子は見受けられなかった。
そして7月の頭には二ヶ月かかった取調べはもう終わったと言われた筈の取り調べがまさかの突然で唐突な、 ※8月1日には又もや浦添警察署生活安全課からの※8月3日再取り調べとの呼び出しの電話だった。
丁度この頃、「米軍普天間飛行場の代替移設先の名護市辺野古には実は原子力発電計画がある」-という信頼筋の情報を基に、沖縄電力の所在地の浦添市を中心に当時も原発研究をやめないと豪語していた沖縄電力を比喩的に批判することに繋がる台所用放射能除去の浄水器の必要性を広めるチラシ配布をしていた。
なにしろ、沖電の地元・浦添市にはその社員や親族、或いは下請から関連会社、そして政治経済の関係者が大勢居るからだ。
只のお父さんのボランティア活動が即刻、七年も陰で隠れて原発研究をしていた沖縄の電力会社が嫌がらせしたがる内容だったという状況証拠がこれだけ並ぶんだから、その沖縄電力の手先の浦添警察暑の関係者の誰かが沖縄電力の関係者の誰かに本村家の仕事を潰すよう頼まれたから、5月までも苦しい中にさらに仕事も大切な集金もさせないように社版に会社の印鑑。さらに領収書セットや請求書セットに見積書セットから顧客リストに過去数年分の業務経歴メモ等を2ヶ月も取り上げ、終わりを告げた途端の7月にはまた同じ事を、今度は沖縄電力の地元を中心に始めだしたんで余計に腹を立てたんじゃないか。
そして※5月24日当時も不況で困っていた自営家業の生業「金城本村リフォーム設計」を余計にお金に困らせ、7月までで追込んで終わらせたはずが、7月以降、なんと8月になっても更に続け懲りずに続けたもんだから、家業だけじゃなくお母さんやお父さん、そして未姫たち本村一家の家族全員の暮らしそのものまでをもお金で困らせ苦しめることになっても止めようともしなかったんじゃないか。
それにしても家宅捜索された※5月24日の前と後の本村家の暮らしが180度ガラリとか変わった。
↓全員「皆勤賞」中
※2011/7/26 ↓
県社会福祉協議会の21万円余の資金応援を受け、お父さんが15
年ぶりに自動車の運転免許取得に再チャレンジするため牧港自動
車教習所へ入校し、早速その日から第一段階の仮免許を目指して
一日2時間は受講するようになる。
※また、経済的な問題が不十分とはいえ、ある程度片付いていた
この頃。
3・11の福島原発以来盛り上がっている核問題のボランティア
活動の忙しさのせいで、長女・未姫の練習をしばらく見ていな
かったお父さんは、ひとり「ここ数ヶ月だけとはいえ、物事を直
ぐに投げ出すような粘りの精神がない上に、県や全国レベルを目
指すような厳しいスポーツ選手の経験のないお母さんにだけ未姫
を任せていた。失敗だった。今なんとかしないといつかは取り返
しが付かないぐらい未姫がだめな選手になってしまうのではない
か」、、、などと、心の中ではもっと長女・未姫の練習をお父さ
ん自身でみるようにしなければならない、と特に中学に上がって
から後からはお母さんにそのあたりの多くをまかせっきりにして
いたことをつくづく後悔するようになっていた。
※具体的に振り返ってみると、確かに毎日夕方には500は飛ばな
ければならない未姫の日課が、お母さんの生ぬるい”お付き合い
練習”に変わってからというものは縄跳びのメニューは中途半端
だった。
加えて、娘・未姫にとって肝心なはずの陸上競技参加に力を入れ
るかと思いきや、逆にますますなまぬるいテニス部活動へシフト
しだす始末だったことに今頃「なるほど」などと気が付いてき
た。
※その上、未姫は未姫で前回のテストで席次50番以内が未姫本
人が自ら言い出した目標だったにもかかわらず、達せず。しかも
その結果がなんと今回のテストでは前回の順位よりも更に20番以
上も順位を下げる始末になってしてしまったことで、監督責任で
あるお母さんの親としての教育を受けさせる義務を遺棄・放棄の
その結果をお父さんに問われた。と同時に、ちゃんとお母さんが
監督責任を果たしていたならばあり得ないはずのその未姫の成績
だけじゃなく、その未姫の一つ上の兄で中2の望が先のテストの
9点の結果どころかとうとう今回のテストでは0点を貰って帰っ
てきてしまうような出来事までが立て続けに本村家で発生してし
まった。
(この様な結果をとある中学校の教師を経験した大先輩はこういう
が、、、「きっ、その港川中学校の中の古い教師の中には、本村
家の息子や娘兄弟が港川中学校鉱区でしかも、あり得ない20年
に亘り兄弟6人すべてが全国でもない無遅刻無欠席を果たすなどと
は考えも付かないようなその古い教師自身の自分本位的な考え方
と、そのまる反対の庶民的な理念で持ってその難行を果たしてし
まった本村家のお父さんに対して何らかのうらみつらみを持つ教
師が定年後も音楽、又は美術、或いは最近職務の増えた特別支援
学級の教師として居座り続けさせられていて、学校行政の政治的
な力学に利用され続けているのではないか。そのような本村家へ
恨みつらみを持つような誤った援助を利用してしまっているので
はないか」-などと話す。確かその嘱託教師は”あめく”だった
ような気がする。怖いのはその六人の子どもを二十年も育てたこ
とがないにも拘わらず、さもその経験があるかのごとくの言動を
執ってしまうところである。それに反しようものなら引き下がる
ことを知らないからなおさらだ。しかも、その怨念たるや計り知
れないものが存在していて、恐ろしいぐらいの感じをもってしま
うぐらいだ。)
↓全員「皆勤賞」中
※2011年8月1日(月)↓
※8月1日午前10時44分、お母さんの携帯へヤミ金
融から誘いの電話がる。(これは、当時の1、2ヶ月
ほど前に夫が金銭的に困って、「お母さんん、何処か
短期的に繋げられるようなネット上の金融機関はない
か?」と頼んだことがきっかけだったから承知してい
る)
午前10時49分、お母さんが宮平体育堂へ
電話を入れる。(これも、未姫のジャベリックを探
していたから承知している)
午前11時13分、お母さんが学校用品を扱
う会社へ電話を入れる。(これも上記と同じ理由だ
から承知している)
午前11時58分、お母さんの携帯へドコモ
ショップマチナトから電話
が入る。(これはきっと以前使っていた携帯電話の
請求の件だろうから承知している)
※夕方6時25分。お父さんの携帯電話に浦添警察署生活安全課
から再度呼び出しの
電話が入る。
午後6時25分。また誰かの嫌がらせ目的での警察への通報
か、或いは知り合いの誰かからの嫌がらせか??浦添警察署
から呼び出しの電話が突然にあり、二日後の3日水曜日の午
前10時から昼頃までの約2時間ぐらいで済ませる約束がな
された。しかし、その浦添警察署からはもうすでに”終わっ
た”と先月・7月で告げられていただけになんか狐につまま
れたみたいだった。
※その夕方は、長女・未姫のこの日迎えた十三歳の誕生日
プレゼントとして陸上競技の投擲競技マイ、ジャベリックを
注文し、夜になるとみんなでケーキを食べ誕生日を祝った。
※あと2,3日もするとマイ、ジャベリックが届くことか
ら、届いた日から、個人の自主的な練習のためにあんなに欲
しがったマイジャベが家にあるようになり、連夜のようにそ
の競技の投げ方やスローイングのやり方についての談義を本
村家の兄たちみんなの間でも楽しみにしていた。
一方、そんな様子を横目で見るお母さんはあまり興味がない
ような感じだった。むしろ、女の子である長女・未姫を男の
子である兄たち同様、時折大声を張り上げて「地震 雷 火
事 親父」的に指導するお父さんの指導方法に対して反発す
らすることが度々起こっていった。しかし、父さんからすれ
ば「お母さんはレベルの高いスポーツ選手に関しては無知、
或いは無経験だから」としか映らなかった。
↓全員「皆勤賞」中
※2011/8/2 ↓
※8月2日午後0時24分、お母さんの携帯へヤミ金融
から融資誘いの電話が入る。これも、当時の1、2ヶ月
ほど前に夫が金銭的に困って、「お母さんん、何処か
短期的に繋げられるようなネット上の金融機関はない
か?」と頼んだことがきっかけだったから承知してい
る)
午後1時44分、お母さんが友達のお母さ
んへ電話をかける。(??)
午後1時45分、お母さんが友達のお母さ
んへ電話をかける。(??)
※当時しばらくはほとんどお母さんの手抜き状態の練習だけに任せて
ほったらかしていた長女・未姫への不十分な指導の分を取り戻そ
うと、日課の500回縄跳びから、普段の部活や陸上競技の合同練習
などの情報をしつこく本人から聞き出そうと、それこそ図らずも
ますます「地震 雷 火事 親父」的教育を日々繰り返していく
ようになっていった。
↓全員「皆勤賞」中
※2011/8/3 ↓
※8月3日午前8時24分、お母さんの携帯へ妹の志良堂
ちあきから電話が入る。(??)
午前10時丁度、お母さんがお父さんを浦添
警察署へ送り届ける。
これで※5月24日からまっ
た一連の浦添察署生活安全
課による金城本村リフォー
ム設計の本村安彦に対する
取調べが終わり、嫌疑が晴
れ、事件が終息した。
※8月3日。浦添警察署生活安全課は最後の仕上げとばかりに、妻と二人だけの零細自営家業の個人へ間をおいた取調べ攻撃を2ヶ月ものらりくらり続けたあげく、「貴方の放射能除去浄水器販売自営家業・生業と核兵器撤去ボランティアは早くやめなさい」とのある種の脅迫メッセージを届けることに成功する。
午後1時ごろ、 お母さんがお父さんを浦
添警察署近くにいるお父さ
んを迎える。
午後1時49分、お母さんの携帯に090-
2069-9934から着信がる。(??)
午後3時33分、お母さんの携帯へ妹の志
良堂ちあきから電話がる。(??)
午後4時31分、お母さんの携帯に県内の大
手金融会社のオークスの債権
取り立てセンターから電話が入
る、、、。(??)
・
・
・
※この日、一連の家宅捜索事件が終息して、その他の懸案も解決を見たことで金城本村リフォーム設計としてはあとは新たな戦略の模索に入りつつあったが、その一方では、滞ってしまっている様々な学費や最低限度の衣食住の費用といった金銭的な問題などが一挙に脳裏をよぎった。
午前10:00分~午後1:00分頃まで浦添警察署の市民生活安全課か
ら呼び出されて、なんと一ヶ月以上も前の先月7月の初旬まで
には5月24日以来5回に亘って取調べをしてまでその事件は間違
いだったということで終えているはずの、十分に何の疑いもな
いことが分かっているはずの事件の件での突然の再調書だっ
た。
と言うのも、そのことを問う私に対する担当刑事のしどろもど
ろの説明などからは一体何のための呼び出しだったか今もって
分からない呼び出しだった印象を強くもっている。(よっぽど、
これはもしかして、、、警察関係にいる者の仕業では??など、
或いは警察そのものではなくて、誰かの嫌がらせではないか?
などと思うようになっていった。
※当然ながらこの日も長女・未姫への厳しい声が親父から飛
び、本村家に久しぶりな活気がみなぎった。
しかし、その一方、昨今の浦添警察が家宅捜索までして、それ
まで誰も侵したことがない本村家やお父さん、お母さんの家へ
まで深く入り込んで繰り返す嫌がらせが続いていたことをきっ
かけに、長女・未姫にまで上の男の兄弟並みな厳しい指導方針
を貫き通すアスリート一家としては当たり前的な考え方をめぐ
り、昨日まではそんなアスリート一家の妻として、母として普
通についてきていたお母さんがこの日の取調べに疲れて帰って
来た後からは、急に警察という虎の威をお母さんはどこから借
りたのか急激に「女子にまでそんなに厳しくする必要などない
のではないか」、、、などと大柄な態度にまで出てくるように
なっていいった。いったい何時何処でなにがあった??
どうも、今思えば、お父さんが取調室に居る間のこの日のその
時間。午前10時から午後1時くらいまでの約三時間、一体何
がお母さんを大柄な態度へ変えていったのか??なんで急にそ
のお父さんの考え方への対立が始まったのだろうか???
これはあくまでも推測だが、その3時間のあいだ、実はお母さ
んも事情聴取として、その家宅捜索まで過剰にやってしまった
ような事件の調書を取られていたのではないだろうか。そし
て、このお父さんには「一切話さないで」との何らかの密約を
させられたことで何らかの縛りをかけられたんじゃないか?だ
からお母さんはそれ以来黙りこくようになっていったのではな
いか?
或いはそれとはまったく逆に、お母さんに近い身内の誰かが、
またはその他の他人が本村家に対するねたみから浦添警察署へ
電話を入れ、そのような状況に本村家を陥れようとしたのでは
ないだろうか?だから、そのことを知ったお母さんはその間
違った警察権力を借りだす方法を学習したのではないか??後
ろ盾として虎の威として使えたのではないか??
※その外に考えられることとすれば、例えばその3時間のあ
いだ、お母さんは故意または偶然にお父さんには内緒で妹や
故・島袋照子らが経営する食堂のふく家でアルバイトをしてい
て報酬まで貰っていたとすれば、多少のお金ならそのように稼
ぐことが出来ることを約束してくれるふく家食堂の血縁者らと
暗黙の了解とうい密約が成立したことになるとなれば、それな
りに考えられる行動が無きにしもあらずではないか??
或いは、すでにそれはそれ以前から始まっていて、例えば伊
祖の展望台にあるあゆむのお母さんが経営するパーラー
の食事メニューの多様化とふく家食堂との関係などが可能性と
すればありそうであり、勢理客の篤の焼き鳥屋のメニューとふ
く家食堂や、ちあきの嫁ぎ先のゲーム喫茶とふく家食堂の関係
などであったりといろいろと考えられることはないではない。
なにしろ、おなじ食べ物屋であることから、仕入れや処分の無
駄を互いに補え会えるという三者共通の利益がそこには厳然と
してあるからだ。
本村家はもう20年も前から生業・自営業で、お父さんとお母
さんと二人で一日にかなりの実益をあげないと家族が食っていけ
ない大家族特有の膨大な固定経費がある。食堂のアルバイト程
度の収入などでどうやって7人の大家族を養っていけという
のだろか。そんな本村家にとってはいい加減で無責任な行動
で実はお父さんへは一切内緒で、影にかくれてお母さんは自
分のかつての身内を応援していた、というようなトンチンカ
ンなケースも考えられなくもない。だから話せない。だから家
を出続ける。、、、のではないか??
そのような様々な要素を日々一身に受けていながらも、「もっ
としっかりしないと!!」とお父さんに怒鳴られながらも何と
説明していいものか説明しようにも、すべてを、特に浦添警察
署の追及や暗黙の密約まであったとしたならばお父さんに説明
できるわけもなく、試行錯誤の末、いらいらが募り募っていっ
たのではないだろうか。特にこの浦添警察署絡みの件はお母さ
んに理解しろといってもそう易々と理解が出来ない複雑怪奇な
出来事だ。特に女性にとっては。
これは5月23日でも書いていて、繰り返しになるが、そんな裏
側のこの社会の情報分析をやる術のないお母さんは、自分自身
のことであることでさえも本当の事の真相を知らないのだか
ら、ましてやお母さんからの相談や話を聞いたお母さんのお母
さんで故人・島袋照子などや、実の妹などはそもそも知る由も
無い筈である。食堂ふく家の経営者以外では。
そこを、間違ってしまった故・島袋照子が婦人相談所か浦添警
察署などへ単なる夫婦の問題や家庭内の問題として、ありもし
ない「DV」や虐待ではないか?などと大げさな狂言までして
相談を持ちかけていたことからも分かるように早まった行動を
とってしまい、すべてお父さんに問題ガあるのではないか、と
いうことで訴えられたあらゆる機関が真に受けてしまい、お父
さんを中心とする本村家を破壊していることになってしまって
いるのだろう。
いかに、そのような故・島袋照子のおろかな行動がこの家の主
であるお父さんを貶めることになろうとも、この家で暮らす六
人もの子どもたちの生活やお母さん自身の生活まで破壊するこ
とになろうともお構い無しに。全く理不尽で酷い話だ。
だから、お母さんにまつわるすべての第三者の外力での刑法犯
などの犯罪までをも浦添警察署の生活安全課は否定せざるを得
ないのではないか。なにしろ、もしそうならばその第三者とは
浦添警察署生活安全課そのものでしかないだろうからだ。
よって、お母さんの家出の始まりは5月23,24日の
浦添警察署市民生活安全課の家宅捜索にお母さんまで巻き込ま
れて以来。お父さんでさえ、今日までその意味をまったく推測
も理解もできなかったのだから、お母さんとすれば余計に知り
ようがないわけなのだからお母さんはかなりの精神的混乱をき
たしていたことは間違いないだろう。
そして、そのような状態のままおよそ二ヶ月半が過ぎ、一連の
取調べの結果何の疑いも無いこととなったはずのその家宅捜索
事件での再度の突然の呼び出しを8月1日に電話で知らさ
れた直後、夫婦で「何で??」「再三の事情調書作成ですべて
疑いが晴れて終わったはずなのに何で??」と顔を見合すたび
にため息をついていたぐらい大きな精神的混乱に二人とも陥っ
ていったのを忘れることが出来ない。
(※その翌日、8月4日の昼からは金城本村リフォーム設計の共同経営者のひとりでもある妻がひとりで家出し外泊を続け、もう二ヵ月半にもなる。)
だから、それから3日後の8月4日のお母さんの突然の家
出は、浦添警察署のそのような訳の分からない突然の呼び出
しや、営業妨害などが主な原因で精神的混乱をきたしたことに起因
すると言っても過言ではないのではないか。
いや、浦添警察署にとっては下記のようなそのような狙いがあっ
たといっていいほどの狙いがあったのではないだろうか。も
し、そうならば、明らかにその浦添警察署がお母さんを家出する
まで追込んだんだろうとしか言いようがない。
(※その取調べの翌日8月4日。妻と二人だけの零細自営家業の個人業者の妻で共同経営者で運転手役が、この自営家業では今後も警察からいじめられるのではないか、との恐怖心から、いち経営者としてもいち主婦としてもすべてを遺棄・放棄し、一人で家出。
お母さんが一人で家出をしたその直前の様子を記した「8月25
日付けで家庭裁判所へ提出した仮処分申請書」の一部内容を下記
に抜粋しましたので是非ご覧ください。
記
※2011/8/4昼前→ 以下、仮処分申請書から抜粋:
8月4日。その日の昼前に家に戻る途中の
車内。夫婦でもめた。
原因は、妻の仕事中の携帯電話の多さだった。
電話の会話の調子からその相手の中には知っている者もいれば知ら
ない者も含まれることがある程度分かることが災いし、全く誰かが
分からない時には「誰?(二人で情報交換しなければならないこと
がこんなにあるのに妻への着信が邪魔でコミュニケーションがとれ
ないの意)」「忙しいから切っとけ!俺がいる時は後でと言えば」
「今旦那がいるから後でねと言うんだ」などと連発する時もある。
結局何でもない証明で終わった5月24日の家宅捜索。何でもない
事が分かる先月7月末までの約二ヶ月の間に4~5回の事情聴取で
狭い街では信用ががた落ちで売り上げが普段の十分の一に激減し
た。
(家宅捜索時の押収品目録交付書の写し2枚を添付したので参照のこ
と)
、、、これははほんの一例だが、このところ様々な出来事が我が家
を覆い続ける。
そんな中、車の運転以外は夫の私が自営業のリフォーム関係の
仕事をこなす。
しかし売り上げがきつくなって約4ヶ月。心配事が山ほどあるにもか
かわらず妻の運転中での、こんな調子でのほほんと、ぺちゃくちゃぺ
ちゃくちゃやっている姿を見て後部座席から携電話を取り上げた。
その時に互いに胸ぐらを掴むなどの揉み合いになって先に夫のボタン
一つ妻が引きちぎっただけでその後も口喧嘩以外は何もなかった。
そのまま昼御飯を待っている子どもたちも家で待っていることもあ
り、妻は家の駐車場で再度けんかを挑発するも、丁度子どもの姿が見
え出した場所に差し掛かったこともあり到着後、出来るだけ子どもた
ちに気付かれないように振る舞い、そのまま時差を付けながら家に
入った。
(8月4日といえば、丁度昼過ぎから強風域に入りつつあった日)
二人が家に入ってしばらく経ってそろそろ台風時の買い物を済ませ
ようと、丁度車の運転ができる次男がたまたま来ていたこともあり、
さっきの揉め事でスッキリしていないことも手伝い、結局その次男と
買出しに出掛けた。
娘の話によると(ひとり家に残った)娘の父親と兄が買い物に出掛
けると同時に図ったように家にはない携帯電話を探し回るも夫がその
まま持って行った事に腹を立てる。
そして、午後2時頃までにはその台風の最中、独りで家を出た。
(娘の家ではリフォーム業を自営し、長年生業として来た。その手伝い
を運転免許のない夫の運転手としての重要な手伝いもしている母親が
娘だけではなく他の4人の兄もいる家を捨てどこへともなく姿を消し
た)
その時家にはその中1の娘だけだった。
しばらく経って買い物から戻った娘の父親である私と娘の兄は娘の母
親がいないことに気付き、一人で残されたその娘へ尋ねると「知らん」
とパソコンに向かったままそっけない返事。
その日の夜になって台風は益々本格的に吹き荒れだしたことから心配
になってその母親がいなくなった時の詳しい情報を得ようと娘再度尋ね
た。
すると娘は「とにかく何処に行ったか分からない。3~4回玄関のドア
をバタンバタンさせていたからきっとタバコを切らしていてイライラ
して外にタバコを買いに行ったかと思ったらそのまま帰ってこない」
と。
またこうも推理する「これは自分の想像だけど、どっか近所の家に行
き、、、、」とも。
娘の父親や兄たちも、又か、、、と。娘の父親は「50(歳)も超え
てもまだ同じ事を繰り返して家を捨てる母親を探し回るのも恥ずかしい
からと放っておいた。
5、6日経って娘の父親が心当たりに声を掛け出した。
、、、、、以下省略。つづきは、別紙「仮処分申請書」を参照の
こと。
※2011/8/4 ↓
上記にもあるように、午後2時ごろ、お母さんはたった一人で家を出
ることになる。
その経緯の真相は実はこうではないか:
その前に、妻のそのような素行の根底にある以下のようなことを先ず、明らかにした上で事の真相を推理してみたい:
過去20年の金銭面での事実と推測からの考察:
「なんで母で妻の本村弘美が家に帰れないか?」
あえて今回このように大げさに表現することで、あらゆる可能性を推測することで真相を明らかにし、最終的には「そんな大それたことまではなかった」-と、証明していく必要があると思い、以下したためましたのでご一読ください。
故・島袋照子は25年以上も前の過去において、自らが使う目的で実の娘で長女の本村弘美(当時の姓は旧姓で金城弘美)を名義人または連帯保証人として借金をした。
その後、その故・島袋照子自らが使った金銭債務の返済から自らが逃れる手段として、当時はすで嫁に行き、別々の世帯を持って何年にもなっていた本村弘美に対して、未だ二十歳をわずかに過ぎたばかりの若さでその意味もよく知らないことをいいことに「破産宣告が楽だ」と自己破産を押し付け、逃れた。
後になって、寝耳に水のその話を聞かされたときに「確かに自己破産すれば法的にはあらゆる債務から逃れられはするもののしかし、一方では、我が家の妻であり母親でもある本村弘美が、しかも別世帯の実母に自己破産されてしまっては、今後の我が家の人生の中で起こるであろう様々な社会的困難やペナルティーがその自己破産をしたことによってより多く降りかかることになることを伝え、当時のその選択は実は、本村弘美にとってはごくわずかなリスク回避のために膨大な便益を失うことのほうが大きい。間違っている」と当時も本村弘美へ話し、止めるよう薦めたのを今でも覚えているものの、この一家の主である私へは一切話もなく、私抜きで進めた手続きだったことから止めさせきれなかった。
おかげで妻・本村弘美自身はもちろん、本村一家の主である私自身や子どもたちも結婚当初から時折、社会的、或いはこと金融機関との関係において一人前じゃなかったことで後悔し悩み続けることになった。
案の定、本村弘美自身は、人として、一人の人間・子を持つ母親としては現実から逃げてしまった無責任ーとの内なる自己批判や、その自らの実母の不道徳がまねく殺伐とした将来へいざなう道徳的社会通念の制裁から以後十年余り、一人前の大人として扱われなくなる恐れの可能性を常に背負ってきてしまっている。
今から15年ほど前にもこんな事があった。 「県営団地の住居強制立ち退きの手続きの時間帯には絶対に立ち会うな。立ち会ったら本当に追い出されてしまうぞ」ーと、妻の本村弘美へ注意していた本村一家の主で夫の私の注意を、なんとその故・島袋照子は娘・本村弘美へ「母ちゃんの言うとおりにしなさい。強制立ち退きの手続きの時間にはちゃんと立会いなさい」などと、たぶらかし、本村弘美は主の私へは一切内緒で従い、おかげで即刻強制立ち退きに入られ、本村弘美自身も泣き泣き本村家一家全員の家を失わせた。
私が知らせを受け、駆けつけたときにはすでに後の祭り。詰め込めるだけの世帯道具を詰め込まれた普通乗用車の運転席でわずか生後三ヶ月の五男をひとり抱きかかえさせられるという冷たい扱いをされた本村弘美は、実母・故・島袋照子のあやまちに気付き、以後15年実の母であるその故・島袋照子の言いなりにならなくなり、本村家の母として妻としてここまでの15年成功の道を収めることができた。
しかし、15年の歳月と本村一家の主である本村安彦の注意不足や甘さがそのお母さんのあるべき姿、または道を狂わせた。
実は、その遠くに居るべき故・島袋照子が去年から近くの県営城間団地へ引っ越してきてからは怒濤のごとく、お母さんの昔の記憶へ記憶へと流れさかのぼって戻ってしまった。
そして、今回。
この二十年余、本村家で頑張ったお母さん自身の名誉や徳性。そして社会人なら当然の利益と債務。普通の社会人なら真正面から立ち向かわなければならない。
しかし、その故・島袋照子はまたもやお母さんへささやいた。(以後の内容についてはあくまでも可能性を追求してみた)
特に「離婚して、母子家庭になれ。そしたらかなりの母子手当てが入る。今の暮らしより楽になる」とのささやきは強調したのではないか。(故・島袋照子自分自身にはどんな狙いがあったかは本人に聞かないと知らないが、考えられることと言えば、例えば、母子手当てや福祉の援助金を持ってくる自分の思い通りになる娘を増やせることなどの欲得がありはする)
そして、故・島袋照子は、自らの実の娘・本村弘美の嫁ぎ先の本村一家の自営家業でその実の娘自身も夫と二人の共同経営者でもある金城本村リフォーム設計という、リフォーム工事などの仕事上の債務を背負ったままではその受給資格を失いかねなくなることから、「本村家の一切の債務を負わないで」その本村弘美と本村安彦の家業を潰し、市役所や福祉などの母子家庭などの援助を得させ、得る目的があったのではないか。以下、考えられることをさらに言えば、故・島袋照子自分自身への多少の小遣にもありつけるかもしれないなどと少しぐらいは目当てにしていたからこそ、債務の多い本村家の家業の共同経営者でありながらも連帯債務にはなっていなかったことを本村弘美から聞き、
「ほら、昔かあちゃが言ったとおりに破産宣告で自己破産しておいてよかったでしょ。だから連帯責任者にさせられなかったんだよ。こんなふうなときに助かるんだよ。ありがたく思え」とささやきながら債務0での脱出・逃亡背任を図り、実娘・本村弘美をそそのかしまたもや教唆したのではないか。
そして、偶然とはいえ、その計画の道半ばの8月20日に本村家の主で本村弘美の夫の本村安彦が突然現れ、妻・本村弘美と娘・未姫を連れ戻そうと部屋へ入ってきた。
しかし、故・島袋照子がそのような計画を描いていたのであれば、浅はかではあるが、その浅はかな計画にとって必須の孫娘・未姫を取り戻そうとする未姫の父親の本村安彦を追い払おうとしたものの、力尽きたのか、人生を全うしたのか、しばらくしてひとりでにその場で倒れ、救急車で運ばれはしたものの翌21日にはこの世を去った。
以上のような故・島袋照子と本村家の金銭にまつわる事実と推測の話は、故人本人とその実の娘で本村家の妻で母の本村弘美とその夫・本村安彦のこの三人だけにしか理解できない話であることから、偶然にも亡くなった故・島袋照子の四十九日の喪が明けた10月9日を持って終えたものとすべきであるとしたい。
よって、そのあやまった計画は実娘・本村弘美が実母故・島袋照子に代わって終わらすべきである。
終わらすことで、昨日まで足踏み状態が約三ヶ月続いてきた本村家一家全員が新たな明日の生活へ踏み出し、前へ進める。
以上。
平成23年10月19日 本村安彦
推理:
8月4日、↓
この日の午前中の上記のようなお父さんとのぶつかりなどの出来事の
主原因である前日や当日に電話で請求のあった夫には話せないような
オークスなどの金銭的な問題を誰かに相談しようとするも、携帯電話
もなく、近場の電話を借りた家から第三者へ相談を持ちかけたとこ
ろ、その夫のお父さんの知らない金銭的な問題をお母さんと関係持つ
ような本村家に対して一種のやましさを持つその第三者で相談相手
は、金銭的な自らの問題にも絡むような緊急な問題を解決せんがため
の目的で、そんな腹づもりなどに気付かず連絡してきたお母さんへ
「お父さんと喧嘩をした?夫に殴られるかも知れないから家をいった
ん出てみれば」などと、ありもしない暴力といううそでそそのかし、
一日でも家を空けると大混乱に陥ることとなる本村家の妻で主婦兼自
営家業の共同経営者でもあるお母さんに対して、実はその秘密を夫の
お父さんに知られるのが怖くなって、自らが逃れるために本村家の重
要な役割のあるお母さんの立場など一切かまわず無責任なアドバイス
をしたのではないか。
そしてその第三者の早の思惑ありな指示でお母さんがたった一人で台
風が迫る最中家出を果たしたのではないか??しかもパトカーで??
或いは食堂ふく家経営者の車で。
そして、それまでの一連の時系列からはもしかしたら、その第三者で
相談の相手というのは実は、お母さんやお父さんを陥れている張本人
で、その様な状況が早く来ないかと待ち構えていたその相談相手と関
係のある浦添警察署の生活安全課の誰かか、或いは同じ浦添警察署は
浦添警察署でも、本村家を貶めようと画策している生活安全課と関係
を持つ第三者で、その死活安全課以外の部署の夫の暴力が原因と勘違
いした単なる110番または婦人警察官だったのではないか??
つまり、お母さんの混乱の原因は、浦添警察署の生活安全課と何らか
の関係を持つ第三者が持ち続けている本村家を貶める狙いの思惑など
が主因で、その事にまったく気付く様子のないお母さんは間違って、
本村家を貶めようと待ち構えている張本人でもある第三者と関係のあ
る浦添警察署へ相談の申し出をしてしまったたのではないか。あべこ
べに。
そして、この日または後日、浦添警察署生活安全課の思惑などに未だ
にまったく気づいていないお母さんから本村家のお父さんや子どもた
ちを貶める情報を浦添警察署生活安全課とその第三者は易々と入手で
きたことだろう。
要するに、表向きは、暴力も振るわない単なる夫婦げんかについてで
はあるが、今後はできるだけ回避するためには一旦は家を出たほうが
いいかどうかというようなごく世間一般的にもありふれたような何気
ない夫婦喧嘩について相談を持ちかけたお母さん、というシナリオを
用意していたのではないか。
そして、その裏を知らない他の警察官らへ夫の暴力が原因と勘違いさ
せ、そのお母さんの家出当初の、第三者絡みの生活安全課とはまった
く別の課である、その裏とはまったく無関係な地域課の婦人警官の誰
かがその相談者で第三者に摩り替わったのではないか。
しかし、その後その純粋な警察官、または婦人警官がいろいろと調べて
いくうちに夫の暴力はないことに後で気付き、一連のDVや虐待などと
のデマを元に大騒ぎしたのはいったいなんだったんだろうなどと、ばつ
が悪くなったことから最後には本村家を潰す思惑のある生活安全課が扱
い、生活安全課や相談者で第三者自らの狙いである本村家を貶める目的
のためにお母さんを「金銭トラブル回避の保障」を盾に脅し、騙しだ
し、巻き込み、お母さんを益々本村家から遠ざけてしまったのではな
いか。
或いは、少なくとも8月4日以来、今日現在も家出状態のお母
さんと、その後途中の8月12日から拉致監禁され続けている
娘の被害の原因までその浦添警察署生活安全課が作ってしまった可能
性も否定できないのではないか。
いや、それらすべてが浦添警察署生活安全課の仕業なのかも知れない。
だとすれば、お父さんが妻・お母さんや、娘・未姫との相談のことで
会おうと連絡を取ろうとしたとき必ず妨害をしてきている警察権力の
壁や影が常に立ちはだかるつじつまや、そんなにまでして本村家を貶め
るなどとの狙いがある警察権力の思惑など知りようもない妻・お母さん
や娘・未姫と、食堂のふく家でのお母さんの実の妹たちの一連の警察権
力をバックニした横柄な態度のつじつまも合致することになる。
(※8月4日。この日からの出来事はすでに詳細な内容として、
「仮処分申請書や被害届」の文書につづられていますのでご覧くださ
い)
全員「皆勤賞」中
2011/8/5 | お母さんひとり家出中: ※注文してあったマイ、ジャベリック
が届いたことで、当然ながらこの日も長女・未姫の練習をお父さ
んはみる。
↓全員「皆勤賞」中
2011/8/6 | お母さんひとり家出中: ※当然ながらこの日も長女・未姫の練
習をお父さんはみる。
↓全員「皆勤賞」中
2011/8/7 | お母さんひとり家出中: ※当然ながらこの日も長女・未姫の練
習をお父さんはみる。
↓全員「皆勤賞」中
2011/8/8 | ※当然ながらこの日も長女・未姫の練習をお父さんはみる。
↓全員「皆勤賞」中
2011/8/9 | お母さんのお母さんの故人・島袋照子ともうひとりお母さんより
一回り以上も年下の実の妹の金城香に伴われてお母さんが家まで
話し合いに来た。結果、翌日から生業・家業の運転の仕事の扶養
の義務と、子どもたちへの扶養の義務だけは果たすと言い残し、
また三人で立ち去った。(しかし、翌日も、そのまた翌々日も夜
になると何処へともなく消えていなくなったことで夫婦同居の義
務は反故にしたまま続ける、とした結果となった)
※当然ながらこの日も長女・未姫への厳しい声が親父から飛び、
本村家に久しぶりに活気が漲った。
↓全員「皆勤賞」中
2011/8/10 | お母さんが早朝未姫の送迎で家に来る。そして未姫の夏休み中の
部活の送迎とお父さんの仕事を運転手として手伝う、との方針
も、夜になると何処へやら消えていった。
※当然ながらこの日も長女・未姫への厳しい声が親父から飛び、
本村家に久しぶりに活気が漲った。
↓全員「皆勤賞」中
2011/8/11 | 昨日に続き、お母さんが早朝未姫の送迎で家に来る。そして未姫
の夏休み中の部活の送迎とお父さんの仕事を運転手として手伝う
も、その日も夜になると何処へやら消えていった。
その後、夜になって消えていった直後、その様子を見ていた次
男・眞理が「おとうさん、止めようと思ったら止められたでしょ
う。何でとめなかった!?」と親父に迫る。しかし、そのことを
これ以上続けさせるわけには行かない」と、判断を昨日で決めて
いた親父は、心底、せっかくこんな大人しか気がつかないような
優れて高度な判断力を発揮することまでも理解できるようになっ
た一人の息子の成長の跡へもあえて「まだまだ」と察し、応じな
かった。
※この日も、当然ながら長女・未姫への厳しい声が親父から飛び、本村家に久しぶりに活気が漲ったものの、後一歩でひとつのハードルを越えそうなところまでジャベリックを投げこなせるところまで来たことで長女・未姫が泣き出しても「地震 雷 火事 親父」的指導を続けたことで、その日はそれまででいちばん一層厳しい練習となった。
↓全員「皆勤賞」中
※2011/8/12 ↓
お母さんが、約束の午前6時30より5分経ってもまだ来ていないこ
とから、浦添総合グラウンドで7時との予定へ徒歩またはランニ
ングで間に合わすには35分に家から出発させる必要から、それ以
上は待たずに長女・未姫を家から走らせた。
しばらくすると、唇を青くしてきたお母さんへ未だ途中だろうか
ら、(家から700~800メートルほど離れたパーラーのある
メガトンという店のあたりでだろうとの意)車でピックアップし
てくれと頼んだ。(父親は運転免許証がないため)
その約2時間後から長女・未姫が行方が分からないまま未だに家
へ送り返されたことがない。
つまり、午前8時18分以降未だに、拉致監禁状態が続いてい
る。
※お母さんが一人で家出してから八日後の2011年8月12日。第三者の狂言を利用した浦添警察署が運転免許も持たない主人たった一人だけが残った零細自営家業の個人宅の13歳の娘の拉致誘拐を指示したことで、実行犯が娘の母親のため逃げ出せず二ヶ月が経った今も未だに寝泊りを転々としていて、自分の家族の待つ自分の家へ帰って来れない。)
※その妻が一人で家出をした8月4日から8日後の
※8月12日の朝に娘の未姫をその外泊中の妻が拉致誘拐。もう二ヶ月が過ぎた。
※詳細については別紙「仮処分申請書」を参照のこと。
(注意:※翌日の8月13日夕方5時30分。TBS全国ネット「報道特集」の沖縄核兵器報道に妻と二人だけの零細自営家業の主人が出演し、全国へ沖縄や日本の平和運動を広めるがしかしその一方、今日現在、その自営家業は潰れ、妻と娘は行方不明状態が続いている。)
(おそらく、その第三者で相談者のふく家の経営者や
故人・島袋照子とお母さんの実の
妹たちはこの時点ではすでに売り上げが伸びない食堂ふく家の
仕事をお母さんに手伝ってもらい何とかしようと悩んでいたた
め、案として「一人で家出をしたお母さん」一人だけでは家庭
を遺棄・放棄した噂が広まりかねない。お母さんだけの家出だ
けでは狭い浦添では宣伝としても、また、評判としても逆効果
となるためやめたほうがいいとなっただろう。しかし、看板娘
として使える娘・未姫まで拉致して伴い、二人が一緒であれば
儲かるため、十分使えることから協力してもらい、家出中の当
面の二人の生活などの面倒ををみるなどとのことなどを条件
に、そのふく家の経営者や故人・島袋照子と妹たちは一致協力
してでもお母さんと未姫を本村家から引き離すための策を練っ
た結果の上での拉致誘拐だったのではないか?)
※夜になると何処で寝泊りしているかも知れないような一人で
家出中のお母さんに娘・未姫の送迎を頼んだことを後悔しつつ
も、「その様な素行を8日間も取り続けるお母さんに対して
娘・未姫までもが訴える申し立て人の一人となっていることを
知ったお母さんがその未姫を人質にしてその訴えを家庭裁判所
へ提出できないように脅迫していたのではないか??ならなお
のこと許せない」などと、この日の午後2時ごろには家庭裁判
所へお母さんのそのような第三者の指示による素行をこれっき
りにさせるため、そのためにはその第三者の姿をくっきりと浮
き彫りにさせることに繋がるであろうと、思い切って「扶養の
義務悪意の遺棄母妻」調停申立事件として申立た。
(しかし、この調停事件は9月26日の一回目の調停で娘・未姫
を3年みているコーチの照屋さんの「アスリート一家のお父
さんの厳しい指導方法というものを全く知らない一般人の
DVや虐待誤解について」を証言してもらおうとお父さん
が申し出した途端。調停委員や裁判官、そして調査官らはいき
なり「この事件はあまりにも第三者の関わりが多すぎる調停事
件なので警察でなければ解決は難しいのではないか」との趣旨
でそのたったの一回で打ち切られ、まったくわけうの分からない
ような結果で終了した)
また、その8月12夜8時ごろには娘・未姫だけの分の家出人捜索
届けを浦添警察署へ届けたものの、翌13日の夜には取り消されて
いるようでもあり、いや未だに生きているとする説が続いてい
る。(同行者の氏名欄には実際に同行した四男・高校三年生の公
平の名前が載っている)
※ー印はその点についての考察:
午後1~2時頃 | ひとり家庭裁判所近辺で待機していたお父さん自身では未姫とお
母さんと の音信が不通だったことから、当時は唯一音信が通じて
いて、その連絡役で家に残っていた四男の公平へ「お母さんと未
姫へ伝言して。近くの警察署へ行ってそこから電話をかけるよう
に言って。未姫とお母さんが一緒であることをその警察署の警察
官からお父さんへ電話させ、そこから最悪な状況ではないと証明
してくれるように未姫とお母さんへ伝えて。それが警察官から確
認できれば少なくとも”警察官”そして”お母さんと未姫”が
伴っていることで、最悪なケースは少なくともないことになり安
心だから」と連絡係り役の四男公平を通じて指示を出す。
午後2時~3時 すると、それに従ったお母さんからの返事では「浦添警察署へ
行ったが、自分たち二人のいずれも家出人届けが出ていないから
そんな手伝いは出来ないとその浦添警察署の警察官に言われ、と
うとう警察官は電話をしなかった。だからその時間帯に警察署か
ら電話かけられなかった」との事だったことから、半信半疑なが
らもとにかく何らかの接触を警察署で警察官としていたことが確
認できただけでも何らかの事件に巻き込まれていたとしてもその
後に警察署へ行っているならばと、ほっ-と安心した。
※実はこの時にはすでに娘・未姫が洗脳までさせられた拉致軟禁
目的での強制的な家出が始まったのではないか。つまりこうでは
ないか:
この警察署へ行ったときに話をした浦添警察署の地域課の婦人警
官(又は男性警官かもしれない)が、お母さんや未姫たちの話を
聞くようにと案内し、連れて行った部署が問題のその生活安全課
だったのではないか?
(この生活安全課というのは実は、去った5月24日に、
「浄水器の数千円しかしないようなカートリッジでさえも、取替え
する際には、法令上の8日間のクーリングオフの権利通知書類を
いちいち手交しなければならないが、お父さんとお母さんの会
社・金城本村リフォーム設計ではやっていない。だからお父さん
は特定商取引法違反被疑者」なんだーなどとの、まったく社会一
般の通念上も、商取引上も非常識でわけのわからないような不当
な容疑で家宅捜索をし、会社印や社版から請求書や領収書まで
押収しておいて商売を出来ないように追込んだうえにお父さんを
3ヶ月にも亘って呼び出し、取調べをする一方、常時同伴者・運
転手として一緒に仕事を行っているお母さんへは表向きな取り調
べは一切行わずに<お父さんには知られないようにそれとなく裏
から聞き取るなどはしたのだろうけど>本村家の自営家業である
「金城本村リフォーム設計」の仕事をダメにして、更に、お母さ
んやお父さんを約3ヶ月に亘り悩まし続けた挙句、夫婦の間の軋
轢までをも生み出している意地悪が主原因で一連の本村家破壊を
続けている部署であるから、当然、妻のお母さんのことは知り尽
くしているうえに、今度は金城本村リフォーム設計の娘まで同伴
で来てくれた事で今度こそお父さんの仕事やボランティアを潰す
条件が揃ったと思ったことだろう)
そして、当然ながら三ヶ月も前からお母さんを取り調べていて
知っているその部署の担当刑事らは”飛んで火に入る夏の虫”か、
または”渡りに船”とばかりに、「そうですか。なら、家へは帰る
な。何処か二人が寝泊りできる身内はいないか?」などと、日ごろ
からペッちゃんこにしたいけど出来ないお父さんのボランティアや
仕事をこれで潰すことができると喜び勇んで、唯一の運転手役のお
母さんさえお父さんの傍からいなくなりさえすれば、お父さんが運
転免許証を持っていないことで、その間はまったく仕事ができなく
なることを百も承知なことから、本村家のお父さんのライフワーク
であるボランティア活動や訪問営業販売の仕事をさせない目的でお
母さんを自営家業の共同経営者のお母さんに刑罰に相当する背任罪
を教唆してまで切り離しにかかったのではないか?
そして、当面の寝泊り場所として浮上した食堂のふく家又は故・島
袋照子の住む団地の一室へ行くことになったのだろう。
(或いはその時すでにその食堂ふく家の経営者と故・島袋照子は一緒
だった可能性も否定できない。なぜなら、午前から午後に掛け車で
娘・未姫と一緒に南部を回っていたと四男・公平に携帯電話で伝え
ていたという事は、(そのことを又聞きした時に)故・嶋袋照子の
生まれ育った故郷が南部の知念村海野であることからその旧盆入りの
最中ということもあり、故・島袋照子も同伴していて何らかのゆかり
の場所辺りをドライブと称して娘・未姫を連れ回った可能性がある
のではないかなどと、お父さんはそんなことが脳裏をよぎっていた
からだ)
そしてその故・島袋照子は、この15年余、本村家の夫婦のこと
や家族のことなど実体も何も知りもしない、また、自分自身は27
年前に家族を遺棄・放棄していて本当の家族の姿を維持するための
苦労と幸せなどというものを知りようもないにもかかわらず、まし
てや見ず知らずの家風でもある本村家がアスリート一家であること
や、しかもそのおやじの頑固な教育理念や方針など知る由もないはず
のその故・島袋照子の独りよがりから、お父さんの娘・未姫や息子た
ちに対する教育的指導をこともあろうに「DV」じゃないかや、「虐
待」じゃないかなどとの大げさにふれ回る狂言を、「狂言」と知りつ
つも浦添警察署の生活安全課は自らの目的である本村家を貶め、仕事
やボランティアを出来なくしなければならない使命があることから真
に受けたように見せかけ、お母さんと未姫や食堂ふく家の経営者や
故・島袋照子を騙し、利用すことに成功することにつながったのでは
ないか?だからその時そのような状況があったのではないか?だから
今日現在までもそのような状況下にあるのではないか。
事実関係:
(その翌日13日の午後10時頃、その島袋照子の家を訪問しかけたお父
さんに対し浦添警察署の生活安全課の伊礼と名乗る課長は、「本村
さん、今日は帰って。家出人捜索願の出ている娘さんがそこに居る
かどうかは言えない」などと、お父さんが故・島袋照子が住む団地
の四階の玄関先で、お母さんと未姫がその部屋の中にいるかどうか
見つけようとするのを妨害した警らの巡回で回って来ていた城間
交番の警察官の携帯電話を通して大声で怒鳴っていた)
午後4時~5時半頃:
その後、浦添だけじゃなく南部も回っていたという情報を家で受け
ていた四男の公平がお母さんの「今からもう直ぐ浦添警察署を出
る。娘・未姫が家へ帰るという時間に帰る」との言葉を直接携帯電
話から聞き取る。
午後6時頃 | 今朝お母さんが持って出た車が駐車場に戻されていた。
※おそらくこうだろう。、、、浦添警察署からの帰り道、家へ帰
ろうとする未姫とお母さんらを「待って」と、引き止めた食堂ふく
家の経営者の指示に従い、一旦は団地の故・島袋照子の団地の部屋
へ立ち寄ったお母さんと未姫に対して故・島袋照子が「今日は帰ら
なくてもいい」などと強引に引き止めたのではないか?そのせいで
しきりに家へ帰ろうとするお母さんと未姫の2人を強制的に本村家
と引き裂くために今朝お父さんの目の前から持って出た車を家の駐
車場へ戻し、帰れないようにしたのではないか?だとすると、誰か
が家の車を団地から家まで運転をして持って来たことになるからそ
の誰かとはきっとお母さんの実の妹の金城香がワゴン車でそのお父
さんの車を導き、お父さんの車は金城香の内縁の夫が運転をして家
まで持ってきたのではないだろうか?
或いは、すべて浦添警察署生活安全課がその指示をだしていたか、
または浦添警察署生活安全課と関係を持つその食堂経営者との共同
作業をした可能性も否定できない。
午後8時頃 | 8月4日にはすでに家出をしている家出中のお母さんが、そ
の食堂ふく家の経営者ら第三者の指示でこの日12日の朝にお父
さんや家族を裏切る形で娘・未姫を拉致誘拐軟禁洗脳させられた
旨の内容の「家出人捜索願」を浦添警察署へ提出。
↓全員「皆勤賞」中
(注意:※翌日の8月13日夕方5時30分。TBS全国ネット「報道特集」の沖縄核兵器報道に妻と二人だけの零細自営家業の主人が出演し、全国へ沖縄や日本の平和運動を広めるがしかしその一方、今日現在、その自営家業は潰れ、妻と娘は行方不明状態が続いている。)
※2011/8/13 ↓
午後5時30分、約三ヶ月前の5月30日にはすでに長崎放送
(NBC)で報道されたお父さんが証言者として出演した「封印
された核」が東京中央でも注目されたことで、中央ネット局のT
BSが「報道特集」で一部内容を再編集してほとんどそのままの状
態で更新し再放送を全国ネット版として報道する。
午後10時頃 | これは先の8月12日にも述べたが、お父さんの直感からその故・
島袋照子の住む団地の一室へ出向き、お母さんと未姫がそこにいる
可能性が高いと踏んで訪問しかけたお父さんに対し浦添警察署の生
活安全課の伊 礼と名乗る課長が、「本村さん、今日は帰って。家
出人捜索願の出ている娘さんがそこに居るかどうかは言えない」と
お父さんの娘・未姫とお母さん捜索を妨害した。
全員「皆勤賞」中
2011/8/19 | 午後2時ごろ、「お母さん、(あなたの長女の弘美と夫の)私の間
に入って(このような異常な状態を解消するために)仲介していた
だけないですか?」」と故人・島袋照子へ電話を入れたところ、
「いいえ、そんな気は毛頭ないです」との返事だったので、「分
かりました」と静かに電話を切った。
同日午後3時頃|※なんとか一人でお母さんと娘・未姫の居所を探し回り、故人・島
袋照子とその娘たちが経営する「ふく家」というお母さん自身の
本村家の職業とはまったく別の経営者の家族の職場の食堂でお母さ
んがその経営者の指示で働かされ、その家族は利益を得ている現場
を目撃し、背任罪であることを告げ、注意を促している。(経営者
へ一度目の背任罪教唆 を忠告)
※本村家基本理念・方針にも在るとおり、お母さん自身の本村家
の自営で家業の仕事の義務や責任の遺棄・放棄はもちろん、本村
家の日常生活でも運転手が役目のはずの本村家の母親がこの日の
17日も前の8月4日からづーと行方をくましっ放しでお母さん自分自
身の本村家の家族へは妻として、或いは母としての扶養の義務まで
も遺棄・放棄させられ、本来利益を与え続けなければならないそ
のお母さん自分自身の本村家へは損害を与えていながらの状態で、
全くそれとは別のふく家という食堂の経営者の職場で働かされ、そ
のまったく別の家族は利益をむさぼっている現場をお父さんは目撃
し、そんなことはしてはいけないよ、と二度目の注意をしている。
※その食堂ふく家ではこんな脅迫まであった:
↓以下は被害届から抜粋した:
ところで、こんな脅迫を目の当たりにしました。それは去る平成23年8月19日の夕方4時頃に、故人・島袋照子と志良堂ちあき及び金城香が共同運営している食堂でのことです。
妻【運転手で母妻の本村弘美】は突然蒸発する手段で持って家業の仕事を遺棄する一方で、自らの実母や実の姉妹らが共同で運営する食堂のキッチンカウンターで働いていたのを発見したときのことです。
即座に店内のテーブルの一角で二人っきりで話し合い、早く戻るように説得をし、妻【運転手で母妻の本村弘美】が戻る条件を言い出したのをきっかけにまとまりかけていた矢先、本村家の問題を夫婦で真剣に話し合いをしているその場へ故人・島袋照子が割り込んできて妻【運転手で母妻の本村弘美】を睨み付けて突然こう言うのです。「これだけの大騒ぎになって、『はい、二人で話し合ったから家に戻る』?そう簡単にはいかないんじゃない!?」と迫り、更に、「もしあんたが、本村家へ戻るなら親子の縁を切る。そこに居るちあきと香との兄弟姉妹の縁も切らす。だから戻るな!!」とまくしたてた。
これを脅迫・強制と言わずして何というのでしょうか。
おかげで、まとまり掛けていた家へ戻る話を妻【運転手で母妻の本村弘美】は口ごもりはじめ、せっかくの円満な話もその場では直ぐにはまとまらなくなり、翌日の朝まで返事を待つことにはしたものの、それ以来も今のような状況が続いています。
※この店へ行く一時間前までは、その故・島袋照子へ電話をかけ、「お母さんが間に入って仲裁してくれませんか?」と仲裁を持ちかけたが、「私はその気はありません」と断られ、仕方がないので自分ひとりで店に居る妻を見付けた経緯があります。
以上
(略取及び誘拐、脅迫、背任、遺棄)詳細は下記次項以降の「被害の模様」の(1)を参照のこと。
2011/8/20 | 21:20分頃、団地の故・島袋照子の家へ電話をかけ、お母さんと未姫
がいることを確認した。「今から行く」告げると「いいよ」と故・
島袋照子は答える。
| 21:25分頃、団地の故・島袋照子の家の中にお母さんと未姫がいる
のを発見して連れ帰ろうとするも、お母さんと故・島袋照子が未
姫を離そうとしないことで、もめ、口げんかと話し合いを始める。
| 21:35分頃、故・島袋照子は、お父さんがお母さんと未姫へ説教をし
ている最中一人でに扇風機や何やらを来客(警察官と言っていた)
用に準備を始めた矢先、急に倒れたため、意識不明のまま15分ほど
お父さんとお母さん、そして警察官や救急車でやってきた救命関係
の隊員らの人工呼吸の最中、
娘・未姫が、お母さんの指示か自分の意志かは知らないが、突然ひ
とりその故・島袋照子の人工呼吸を施しているお父さんの目の前か
らその四階にある部屋を裸足で駆け出した。
それを見たお父さんは、何やら娘の危険を感じ裸足で追っかけたも
のの二階の廊下あたりで、警察官に引き止められ話を聞かれている
娘・未姫を連れ戻そうとするが、娘・未姫は「向かいの1号棟のれ
いなの家に知らせに行く」との事なので」「うん、呼んで来い」と
行かせた。
(その時の警官は娘・未姫のそのような状況など知る由もないにも
拘わらず数時間後そのことを聞かれたお父さんに「娘さんはお父さ
んに怯えて震えていた」などと、娘・未姫が実は故・島袋照子が急
に倒れたことで怖くなって怯えていたにもかかわらず知ったかぶり
をし、病院から娘・未姫を連れ帰ろうとするお父さんと言い争いを
することになる。結果、そこでも浦添警察署の警官に妨害される)
その後、一階で待機していた救急車まで皆で運び、同乗し浦添総合
病院の救急手術室へ連れて行った。
※その病院の玄関口で容態を案じて待機をしていた時にも第三者の食堂ふく家の経営者の妻で、お母さんの実の妹のちあきがお父さんに向かってわざとらしく警察官などもいる目の前でこれ見よがしに何かを狙ったとしか思えないようなこんな考えられないようなことを大声で発言した:「あんたのせい!!」-と。おかげで、「何も知りもしないくせに何を言い出すんだ!!」と現場を知らないくせに狂言を吐くちあきへ迫るお父さんは、相手が女性と言うだけの理由で目の前の警察官の制止を受けるようになり、以後、全く悪者扱いされることになった経緯がある。
実は、第三者で食堂ふく家の経営者の妻・志良堂ちあきのそのような意図的な行動が、故・島袋照子の葬式や弔いから四十九日までの法事へも、その四十九日から2週間経った今日までも蚊帳の外にお母さんがお父さんを置いておかざるを得ない状況を作っている。
| 22:10分頃、故・島袋照子は意識不明のまま一階の手術室から二階に
あるICUへ運ばれ処置がつづいた。
| 22:15分丁度、お母さんから同じ病院内から電話が入るが取ると同
時に直ぐに切れた。
| 深夜まで病院の廊下にいた娘・未姫を連れ帰ろうとしたら、団地で
も娘・未姫から事情を聞きだそうとしていた浦添警察署の同じ警官
は、繰り返しになるが娘・未姫のそのような状況など知る由もない
にも拘わらず「娘さんはお父さんに怯えて震えていた」などと、
娘・未姫が実は故・島袋照子が急に倒れたことで気が動転していて
怖くなって怯えていたにもかかわらず知ったかぶりをし、その時は
すでにやや落ち着いて病院の廊下で他の四人の兄弟たちと一緒に
座っていた娘・未姫を連れ帰ろうとするお父さんと言い争いをする
ことになる。
結果、そこでも浦添警察署の警官に妨害されることとなり、とうと
う娘・未姫を家へ連れ帰ることが出来なかった。
(おそらく、そのような指示が浦添警察署の生活安全課から出てい
たのだどう。きっと、お父さんへ未姫とお母さんを連れ帰させてし
まってはこれまでのお父さんに対する不正義が明らかになり、困
る、と判断したのだろう)
20118/21 | 夕方、お母さんへ電話をしたら「亡くなった。葬式の準備中だから
来ないで」と、病院での第三者の食堂ふく家の経営者のちあきの策
略にはまってしまったような混乱は二度と避けたい旨のアドバイス
を言うので、その後数日後からは電話だけにしたものの、やはり電
話での娘・未姫の安否の確認だけでも混乱が生じたので以来49日
の法事が終える10月9日の日曜日が過ぎるまではその葬式や弔いに
参列しないと決め、今日の49日明けをむかえた。(当日記)
※ 2011/9/5 | 午前10時頃。一番最初の被害届を携え、浦添警察署一階にある市
民相談室の比嘉さんに被害届の提出の仕方を習ったところ、隣の
地域課のカウンターで受け付けますからそちらへ出してくださいと
いうことだったので、被害届をその地域課へ提出。
しかし、別の課の生活安全課の伊礼と名乗る者が突然現れ、「被害
届」との表題を見るなり「こんなものは受け取れない」と言い出し
たが、私は「一市民の子どもたちが被害に遭っていることを警察へ
届けるのをなぜ拒むのか?」と言い返すとひるんだので、そのまま
おいて帰った。
| 午前11時41分。浦添警察署生活安全課の伊礼という課長から電話が
入る。「今朝の被害届にある刑法違反は該当しない。例えば”遺棄
罪”だが、運転免許を持たない主人の夫が喘息でほぼ一日おきに
立って歩けないことがつづく家で、その家に子どもが4~5人いて
自営家業を家で唯一人の運転手役の共同経営者で母親が一ヶ月家に
帰らず遺棄しようが、”遺棄罪”にならない。だから子の被害届を
取りに来なければごみ箱へ捨てる」との内容だった。
その後、浦添警察署だけでは子どもたちの安全は守れないと判断
し、これからは県の県警本部と両方へ被害相談をすることにした。
↓全員「皆勤賞」中
2011/9/15 | 故人・島袋照子とその娘たちが経営する「ふく家」という食堂で
またもや母親が働かされているのを目撃。(経営者へ二度目の背
任罪教唆を忠告)
↓全員「皆勤賞」中
2011/9/21 | またまた故人・島袋照子とその娘たちが経営する「ふく家」とい
う食堂で母親が働かされているのを目撃。(経営者へ三度目の背
任罪教唆を忠告)
↓全員「皆勤賞」中
※調停前日
2011/9/25 | 運動会で母親がわが子が居る本村家の中二の五男や父夫は無視さ
せられ、その一方の食堂「ふく家」の経営者らの家族大勢へは自
分自身の家族が弁当を持っていないのを知っていながら同じ学校
内の同じ場所へ弁当をこしらえさせられ携えられ振舞わされて来
ているのを目撃し、四度目の背任罪教唆の注意勧告をする。
※本村家理念・方針
基本理念:
車移動の際、運転免許を持つ母妻と一緒の車内では運転免許を持たない父夫は、自営で生業の仕事はもちろん日常生活でも常に船長の役目である。
そして母妻は仕事であれ日常生活であれ常に運転手が役目である。
父夫と母妻は車移動でも常に二人三脚である。
・・・しかし、平成23年(家イ)413~417号の「扶養の義務遺棄母妻」調停申立事件では、一昨日の平成23年9月26日(2011/9/26)に行われた第一回目の調停で無視されてしまいました。しかもそのことを家族の基本的な理念・方針として20年以上に亘り実践してきた肝心要の申立理由にもかかわらずその第一回目の調停をもって打ち切りとなってしまいました。
理念・方針:
第一、父と子の関係や母と子の関係が夫婦関係よりも優先される。
つまり、言い換えれば「子とそれぞれの親の関係を優先させ重んじれば、自然の成り行きで夫婦の関係も円満な形に整っていく」という考え方を本村家では過去二十年以上も家族の姿のあり方を決める最重要要素である家族の理念や方針の中で第一番目としてきたということです。
確かに世の中には人それぞれの家族の姿があります。されど、その家族の基本的な姿というのは、「人倫」の意味である「正しい物事の順番」に基づき、夫婦関係よりも何よりも常に父と子の関係や母と子の関係が優先されることは普遍的であると考えています。
がしかし、すでに添付してある平成23年(家イ)413~417号の「扶養の義務遺棄母妻」調停申立事件では、一昨日の平成23年9月26日(2011/9/26)の第一回目の調停では、当たり前なそれとはまったくの逆の「子どものことも夫婦関係の次に、或いは夫婦関係の中で同時に扱うべきだ」-となってしまい、そのことを家族の理念・方針として20年以上に亘り行ってきたこの「申し立て人当事者であり法定代理人」とは意見が食い違いすぎて「只の一回のその調停をもって打ち切り」となってしまう残念な結果となってしまいました。
ちなみに打ち切りの理由は、後日届いた通知によると「事件番号 平成23年(家イ)第413~417号。頭書の事件については、平成23年9月26日、調停をしない措置により終了したので通知します」とありました。
結局のところ、裁判官も交えたその日で最初でもある調停での調停委員会の結論は一貫して、夫婦の関係の中に父と子の関係を無理やり押し込めようとの愚行が優先されたのでしょうか。甚だ疑問を感じました。
第二、子どもの教育を第一とし、「地震 雷 火事 親父」で行う。(地震じしん 雷(かみなり)火事(かじ)親父(おやじ)-日本国語大辞典;世の中で恐ろしいものを順に並べた表現。*思ひ出〔1933〕〈太宰治〉一「地震雷火事親爺、それ以上に怖い戦争が起ったなら先づ山の中へでも逃げ込まう」 ...)
この点でもその調停では、そもそもこの「扶養の義務遺棄母妻」申立事件の調停を行うまでにになった原因でもある、「家族以外の第三者の本村家への故意または過失による不当な介入」によって引き起こされた事件である、との不道徳性への言及が一切なされなかった点は、まさにこの我が家の理念方針の規範でもある第二の「子どもの教育を第一と
する」に反しているといえることで、その日の調停の結果や様子を家で待つ六人の子どもへの教育としては「反面教師」的で裁判所の名誉や、裁判所への希望を持たせることはできませんでした。(心の中では、「未だに家庭裁判所がこんなんだから”ユタ”がまだまだはびこらざるを得ないのだろう、、、。」と頷いていました)
第三、報告や連絡と相談・チェック・確認は即座にその場で行う。
第四、信賞必罰の罰は「地震 雷 火事 親父」で行う。
第五、一家の主・父夫は常に社会への貢献を第一に行動し、子どもたちへ率先してその模範を示す。
以上、平成23年10月22日
父親、本村安彦
2011年11月03日
夫婦喧嘩
未姫へ、お母さんへも伝えて
2011年11月3日 木曜日 午前12:24
明後日4日金曜日の午前中まではお父さんからお母さんへ緊急かつ重要な用事以外は直接接しない。
その訳を言う前に、
未姫、これを見て。↓
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全2件
1.夫婦(ふうふ)喧嘩(げんか)は犬も食わない
じきに仲直りするから、他人が仲裁に入るのは愚かなことであるというたとえ。
じきに仲直りするから、他人が仲裁に入るのは愚かなことであるというたとえ。
2.ふうふ‐げんか【夫婦喧嘩】
夫と妻との間のいさかい。
いさかい【×諍い】
a quarrel, an argument, a dispute ((about, over; with))⇒こうろん(口論)
いさかいをする quarrel ((with)); argue ((with))
隣の家と年中,いさかいが絶えない
He quarrels with his neighbors all the time.
ちょっとしたいさかいが元でなぐり合いになった
1.ふうふ‐げんか[:ゲンクヮ]【夫婦喧嘩】-日本国語大辞典
〔名〕夫婦の間のいさかい。めおとげんか。夫婦いさかい。*俳諧・武玉川〔1750〜76〕二「夫婦喧嘩の外で小便」*雑俳・柳多留‐一二〔1777〕「おかしさは夫婦けんくゎを狆がほえ」*西洋道中膝栗毛〔18 ...
2.ふうふげんか は 犬(いぬ)も食(く)わぬ-日本国語大辞典
夫婦げんかは犬さえ気にとめない。夫婦のいさかいは一時的ですぐに和解するものが多いから、他人が仲裁などするものではない、または、仲裁するのはばからしい。*洒落本・狐竇這入〔1802〕四「ふうふげんくはは ...
3.ふうふげんか は 貧乏(びんぼう)の種蒔(たねまき)-日本国語大辞典
家庭の不和は貧乏の原因となることをいう。 ...
その理由は、食堂「ふく家」の経営者が今度も又汚い手を使ってお母さんへ「本村へ戻ったら親兄弟姉妹の縁を切らす!!」とお母さんを脅している事が明らかで、しかも今度はお父さんがやたらと直接接触したら未姫やお母さんがますます危険な状態に陥るからだ。
未姫、つまり、普通の大人や社会人なら「夫婦喧嘩は犬も喰わない」などとの諺もあるとおり一般的にはその家庭以外の者は見向きもしないような、どこの家庭でも常に起こっているお父さんとお母さんの単なる「夫婦喧嘩」ということだ。
それを「本村家だけが夫婦喧嘩」するんだ!そんな本村家だけは特別なんだ!違うんだ!特別なんだ。ーなどと「夫婦喧嘩」を過剰に煽り、お父さんが昨日までのおよそ2ヶ月半亘り、この国で唯一「夫婦喧嘩」解決のための機関である家庭裁判所へ夫婦の問題を解決しようと申立てをしたりしたものの、その後、
実は本村家の問題は第三者が違法に絡みすぎて、家庭裁判所がいかに解決しようと努力しても及ばなかった。
例えば故・島袋照子のようなお母さんのお母さんでさえも、現在、家で暮らす未姫の五人の兄ちゃんたちの中では一番の年上の眞理とも、自然や公平、そして望といった未姫の直ぐ上の兄ちゃんたち全員とも生まれてこの方、特別には全く交流がないにもかかわらず、他人からみれば普通の孫対おばあちゃんではあっても、しかし実質的には未姫をも去年の老年性の運動会おの時に「えっ、あれが娘?」と驚いたぐらい今になって初めて知ったぐらいの関係だ。
つまり、故・島袋照子にしても金城香にしても志良堂ちあきにしても、或いは故・島袋照子が亡くなって法事へやって来るお母さんの親戚関係者は皆、本村家の人間からすれば未姫だけじゃなくて未姫の上の5人の兄ちゃんたち全員全く知らない赤の他人と変わらない只の知り合いのおばあちゃんやおばちゃんでお年玉さえも、近くに住みながら生まれてこの方一度も貰ったことがないような関係だったんだ、ということだ。
その、周りから見れば「普通の一”おばあちゃん”」的な故・島袋照子が、さも「普通の”おばあちゃん”のように未姫へ装い、近づき、8月12日に未姫も知っての通り、この「本村家」へ不当に介入したから今の状況があるんだ。実は。
だから家庭裁判所だけでは解決できなかった。
たとえば、「未姫は浦添市どころか県や国といったレベルから間違いなく陸上連盟の財産です。だから早く元通りの家庭から練習に通わせてください」と証言してくれた「照コーチ」が登場して証言なければならないというような本村家以外の人物が関わっている。
また、故・島袋照子のような見せ掛けは未姫の「おばあちゃん」だが、実質的には未姫を含める本村家の6人の兄弟姉妹たちからすればそれまでは全くの赤の他人と変わらない関係だった。
今から27年前にあったかつての故・島袋照子の「夫婦喧嘩」へ、横から口を出した当時の親戚のおばあちゃんたちといった、故・島袋照子の家庭とはまったく別の世帯の傲慢な身勝手が元で、故・島袋照子の人生を狂わせてしまったのがそもそもの始まりだ。
未姫、家庭裁判所が、本村家へは第三者の介入が多すぎて解決できないと去った9月26日の未姫も関わった調停の結果が示すとおりだ。
、、、どうだろう、未姫の目から見て、今回のこの本村家の問題を一刻も早く解決してもらいたいと願うおとうさんが、当たり前に浦添警察と県警本部、そして検察庁といった正義や法の理念を司り、引いては沖縄社会全体どころか、基地問題などの事件が多くなってきた関係から今や日本全体の公序良俗を守るべくあらゆる国の機関に対して一市民として、一おとうさんとして訴え続けるのを嫌がるやつがいるということぐらいは想像ができないか?
出来なければここらで止めておく。返事をくれ。
この話の続きはそれからにする。
以上、2011年11月3日、文化の日
沖縄県浦添市港川2丁目10番8号
おやじ
2011年11月3日 木曜日 午前12:24
明後日4日金曜日の午前中まではお父さんからお母さんへ緊急かつ重要な用事以外は直接接しない。
その訳を言う前に、
未姫、これを見て。↓
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全2件
1.夫婦(ふうふ)喧嘩(げんか)は犬も食わない
じきに仲直りするから、他人が仲裁に入るのは愚かなことであるというたとえ。
じきに仲直りするから、他人が仲裁に入るのは愚かなことであるというたとえ。
2.ふうふ‐げんか【夫婦喧嘩】
夫と妻との間のいさかい。
いさかい【×諍い】
a quarrel, an argument, a dispute ((about, over; with))⇒こうろん(口論)
いさかいをする quarrel ((with)); argue ((with))
隣の家と年中,いさかいが絶えない
He quarrels with his neighbors all the time.
ちょっとしたいさかいが元でなぐり合いになった
1.ふうふ‐げんか[:ゲンクヮ]【夫婦喧嘩】-日本国語大辞典
〔名〕夫婦の間のいさかい。めおとげんか。夫婦いさかい。*俳諧・武玉川〔1750〜76〕二「夫婦喧嘩の外で小便」*雑俳・柳多留‐一二〔1777〕「おかしさは夫婦けんくゎを狆がほえ」*西洋道中膝栗毛〔18 ...
2.ふうふげんか は 犬(いぬ)も食(く)わぬ-日本国語大辞典
夫婦げんかは犬さえ気にとめない。夫婦のいさかいは一時的ですぐに和解するものが多いから、他人が仲裁などするものではない、または、仲裁するのはばからしい。*洒落本・狐竇這入〔1802〕四「ふうふげんくはは ...
3.ふうふげんか は 貧乏(びんぼう)の種蒔(たねまき)-日本国語大辞典
家庭の不和は貧乏の原因となることをいう。 ...
その理由は、食堂「ふく家」の経営者が今度も又汚い手を使ってお母さんへ「本村へ戻ったら親兄弟姉妹の縁を切らす!!」とお母さんを脅している事が明らかで、しかも今度はお父さんがやたらと直接接触したら未姫やお母さんがますます危険な状態に陥るからだ。
未姫、つまり、普通の大人や社会人なら「夫婦喧嘩は犬も喰わない」などとの諺もあるとおり一般的にはその家庭以外の者は見向きもしないような、どこの家庭でも常に起こっているお父さんとお母さんの単なる「夫婦喧嘩」ということだ。
それを「本村家だけが夫婦喧嘩」するんだ!そんな本村家だけは特別なんだ!違うんだ!特別なんだ。ーなどと「夫婦喧嘩」を過剰に煽り、お父さんが昨日までのおよそ2ヶ月半亘り、この国で唯一「夫婦喧嘩」解決のための機関である家庭裁判所へ夫婦の問題を解決しようと申立てをしたりしたものの、その後、
実は本村家の問題は第三者が違法に絡みすぎて、家庭裁判所がいかに解決しようと努力しても及ばなかった。
例えば故・島袋照子のようなお母さんのお母さんでさえも、現在、家で暮らす未姫の五人の兄ちゃんたちの中では一番の年上の眞理とも、自然や公平、そして望といった未姫の直ぐ上の兄ちゃんたち全員とも生まれてこの方、特別には全く交流がないにもかかわらず、他人からみれば普通の孫対おばあちゃんではあっても、しかし実質的には未姫をも去年の老年性の運動会おの時に「えっ、あれが娘?」と驚いたぐらい今になって初めて知ったぐらいの関係だ。
つまり、故・島袋照子にしても金城香にしても志良堂ちあきにしても、或いは故・島袋照子が亡くなって法事へやって来るお母さんの親戚関係者は皆、本村家の人間からすれば未姫だけじゃなくて未姫の上の5人の兄ちゃんたち全員全く知らない赤の他人と変わらない只の知り合いのおばあちゃんやおばちゃんでお年玉さえも、近くに住みながら生まれてこの方一度も貰ったことがないような関係だったんだ、ということだ。
その、周りから見れば「普通の一”おばあちゃん”」的な故・島袋照子が、さも「普通の”おばあちゃん”のように未姫へ装い、近づき、8月12日に未姫も知っての通り、この「本村家」へ不当に介入したから今の状況があるんだ。実は。
だから家庭裁判所だけでは解決できなかった。
たとえば、「未姫は浦添市どころか県や国といったレベルから間違いなく陸上連盟の財産です。だから早く元通りの家庭から練習に通わせてください」と証言してくれた「照コーチ」が登場して証言なければならないというような本村家以外の人物が関わっている。
また、故・島袋照子のような見せ掛けは未姫の「おばあちゃん」だが、実質的には未姫を含める本村家の6人の兄弟姉妹たちからすればそれまでは全くの赤の他人と変わらない関係だった。
今から27年前にあったかつての故・島袋照子の「夫婦喧嘩」へ、横から口を出した当時の親戚のおばあちゃんたちといった、故・島袋照子の家庭とはまったく別の世帯の傲慢な身勝手が元で、故・島袋照子の人生を狂わせてしまったのがそもそもの始まりだ。
未姫、家庭裁判所が、本村家へは第三者の介入が多すぎて解決できないと去った9月26日の未姫も関わった調停の結果が示すとおりだ。
、、、どうだろう、未姫の目から見て、今回のこの本村家の問題を一刻も早く解決してもらいたいと願うおとうさんが、当たり前に浦添警察と県警本部、そして検察庁といった正義や法の理念を司り、引いては沖縄社会全体どころか、基地問題などの事件が多くなってきた関係から今や日本全体の公序良俗を守るべくあらゆる国の機関に対して一市民として、一おとうさんとして訴え続けるのを嫌がるやつがいるということぐらいは想像ができないか?
出来なければここらで止めておく。返事をくれ。
この話の続きはそれからにする。
以上、2011年11月3日、文化の日
沖縄県浦添市港川2丁目10番8号
おやじ
2011年11月02日
応援来る
協力者現る!!
Date: 2011年10月31日(月) 午後10時58分
タイトル: Re: 内部被ばく防止運動協力者 各位
やっぱりいらっしゃいましたね!太田さん。さすがです。待ってました。早速ですが、以下のようなデッドな家族メール会議の状況をお伝えします。
そして、実はここ何年もその「ふく家」の経営者が妻の母親を介して本村家のボランティア活動を疎ましく思っているということを暗黙のうちに妻を追込んでいたような事実を浮き彫りにし、そして、願わくばその上にある権力構造と妻の身内が働く「ふく家」を切り離し、妻と娘を自由にしてあげられるような具体的な協力依頼をしたいと思います。(括弧)内は太田さんへの説明用です。
本村。
緊急連絡2011年10月31日 月曜日 午後6:49
今日那覇地方簡易裁判所から電話があった。
せっかく3日前からお母さんと家族だけの話が進みつつあるのに、その1日まえの4日前の27日付けでお母さん名義で「夫の暴力から保護してという保護命令」の申し立てがあったから、と。
きっと10月26日にお父さんが「ふく家」を再度告訴したことでその事を知った「ふく家」がお母さんへ「本村家はどうなってもいいから本村家と一切切り離す。未姫と兄弟同士も切り離す。連絡もさせない。早く離婚して!!じゃないと兄弟姉妹の縁を切るぞ!!」と圧力をかけ提出させたんだろう。
(お母さんのお母さんが生前の8月中頃に「扶養の義務悪意の遺棄母妻」調停申し立てを出したお父さんのことは実はお母さんお母親である自分のそのような素行を模倣させようとしていることと繋がっていることを悟り、腹を立て)
勝手にお母さんの名を語って離婚調停を出し、その事を見破ったお父さんに家裁で証明され、棄却された。
まだ懲りないようだ。
一応、その旨を伝えた。(地裁の担当へ)
だから、その申し立てをお母さん一人の意志で取り下げが立場上出来ないなら、
(本村へ戻ったら「ふく家」の経営者が実は裏口を利用しなければ成り立たないいかがわしい場所でのゲーム喫茶を運営し続けられるなどと国家の警察官・公務員との密接な関係が知れ渡り、職を失いかねない。兄弟姉妹の縁を切る!との趣旨でおどされるような状況)
皆で応援して取り下げさせて。1日も早く。
お母さんへ、
今家庭科室だけど2011年10月31日 月曜日 午後8:09
今評議委員会の最中だ。(中一の娘と中二の五男が共に通えるよう、これまで一切校長へ迷惑をかけなかったが、
未姫と望の父母として参加丸付けようとチェックマーカー用紙見て驚いたけど、本村家からは今年約7~8回行われたこの評議委員会に今日が初参加とはどういうこと?
そのPTA関係はすべてお母さんに任せていただけにびっくりだ。
その後、校長と二人で話し合った。
未姫とお母さんが電話すらも受け取れないような状況では父親としての指導監督ができない。同じ学校に居るきょうだいの望と未姫が比較的学校生活に於いて変わったことや、或いは二人の学校生活を比較して違ったことがあるとすれば、
それはそもそもお母さんが5人もいる未成熟子の家庭を親としてあるまじき姿の放棄状態させられてしまっていて、その家庭に残っている望はお母さんに遺棄、捨てられ、お父さん一人で残った4人を見る中、うちの4分の一しか望へ監護責任の神経が行き通らないことや、あいも変わらない厳しいだけのおやじがやさしい母親役をするわけもなく、ひねくれ者になる危険性があるし、
お母さんが拉致して「ふく家」に洗脳させて連れまわる未姫は一人お母さんの手厚い監護をうけられ、学校生活などといった表向きでは変化が見えにくいものの、優しいだけのお母さんを上手にあやつり厳しい親父の目を逃れ、自分勝手な行動をする愚か者になってしまう危険性があるだけだ、-というようなことをいかに改善するを。
校長からお母さんに何らかの形で連絡があるはずだから、それが直接かどうかが心配事といえば心配事だ。
願わくば、一番の責任者である校長が直接接してくれたら何の問題もない。だから決して生徒指導が入らないようお母さんと未姫は気を張っておくように。
(聞いたら、校長は800人からみてるそうだから、ややもすると校長以外が介入し、ややこしくなりかねない。)
以上。おやじ
新運転東京太田:
> 本村さんへ。
>
> 命どう宝ネットワークの太田です。
> ご無沙汰しているうちにひどい弾圧を受けながら
> 闘い続けていることを知り、言葉がありません。
> 特に、自慢の子供さんたちご家族がバラバラにされているということで、
> 本村さんの悲しみと怒りの深さは想像を超えるものがあります。
> そうした反動的弾圧は、本村さんがこの間暴露した貴重な歴史的事実と
> 未来に対する警告と具体的な対策に対するものだと確信するだけに、
> 何らかの支援と共闘が出来ないものかと思っています。
> 「内部被ばく防止運動協力者 各位」と呼びかけ、報告がありますが、
> 何らかの動きが予定されているようでしたら、連絡ください。
内部被ばく防止運動協力者 各位
>
> [ml_ryukyu_400130]グループの掲示板に投稿があったことを、Yahoo!グループよりお
> 知らせいたします。
> ---
> こんばんは、内部被ばく防止運動協力者の皆さん。
> 本日新たな告訴状を提出しました。ブログは↓のアドレスですのご覧ください。
>
> そして、同じビル内の人権擁護課へは弾圧は阻止しなけれらなりませんから調査の必
> 要性を訴えてきました。
>
> 警察関係者を使ったと思われる違法な家族介入を沖縄の経済の頂点への違法な点取り
> 虫と、沖縄の大手金融機関への違法な点取り虫らに繋がるならとの告訴でした。
>
> 以下、報告いたします。
>
> 本村
>
> →http://motomurayasuhiko.ti-da.net/e3770004.html
>
> 告訴状
>
> 告訴人 本村安彦
> 住所 沖縄県浦添市港川2丁目10番8号
> 職業 自営業
> 氏名 本村 安彦(昭和28年12月30日生)印
>
> 被告訴人
> 住所 沖縄県浦添市伊祖4丁目13の1番地1
> 食堂 ふく家
> 職業 飲食店経営
> 経営者の氏名 不詳。
>
> これは、推測ですが、下記の関係や経緯からおそらく、の被告訴人の経営者 というのは実の子どもたちのまとめ役である実母の故・島袋 照子を店長とし た、その実母の子どもで被告訴人の妻でもある志良堂ちあきを介して費用など のお金や経営上の戦略の指示を出している人物ではないか、だから、志良堂ち あきの夫、またはその血縁か関係者。(あるいは) 実母の故・島袋照子では ないかと現時点では考えています。
>
> なぜなら、告訴後も調べたら、この事件の被害
> 者で妻の本村弘美の実の妹の志良堂ちあきの夫が開店
> 費用を出したオーナーで、お昼時間には決まって回っ
> てきて昼食をとるなどと直接的にも経営者であるとの
> 情報だが、その一方、
> 三年前の開店当初はその被告訴人の妻で、妻の本村弘
> 美の実の妹の志良堂ちあきと実母の故・島袋照子が実
> 質的経営者で、もうひとりの実の妹の金城香の三人が
> 共同で経営する食堂、という情報だった関係と、問い
> ただしても教えてもらえない関係で今のところ告訴人
> の立場の私にも特定不能です。
> 平成23年10月26日
>
>
> 那覇地方検察庁 殿
>
> 一、 告訴の趣旨
> 平成23年9月5日午前10時ごろに被害届を携え、浦添警察署一階にある地域課
> へ提出。
> しかし、別の課の生活安全課の伊礼と名乗る者が突然現れ、「被害届」との表題を
> 見るなり「こんなものは受け取れない」と拒んだが、そのまま置いて帰った。
>
> その後、11時41分丁度にその浦添警察署生活安全課の伊礼という課長から電話が入
> り、こう言いました。
> 「今朝の被害届にある刑法違反は該当しない。例えば”遺棄罪”だが、運転免許を持
> たない主人の夫が喘息でほぼ一日おきに立って歩けないことがつづく家で、その家に
> 子どもが4~5人いて自営家業を家で唯一人の運転手役の共同経営者で母親が一ヶ月
> 家に帰らず遺棄しようが、”遺棄罪”にもならない。運転免許取ればいい。だからこ
> の被害届を取りに来なければごみ箱へ捨てる」との内容でした。
>
> その後、浦添警察署だけでは子どもたちの安全は守れないと判断し、その後は県の
> 県警本部と両方へ被害相談をすることにし、即刻提出しました。
> しかし、あれから一ヵ月半。何の進展もありませんので平成23年10月5日に那覇
> 地方検察庁へ告訴しました。
>
> 被害者の一人で妻の本村弘美は、過去20年以上に亘り、運転免許を持たない夫で
> 告訴人の私が喘息でほぼ一日おきに立って歩けないことがつづく事情や、夫婦自らが
> 営む事業所兼自宅では未だに自らが産んだ5人の未成熟子も抱える母親でもありま
> す。
> そのような重要な立場の妻で母親の本村弘美が、被告訴人の経営する「ふく家」とい
> う食堂で「本村家へ戻るなら親子の縁も兄弟姉妹の縁も切る」との脅迫によって本村
> 家に対する背信・背任を教唆され、住み込みで強制的に働かされることによって平成
> 23年8月4日~平成23年10月26日の今日現在に至る間のおよそ3ヶ月に亘り、夫で告訴
> 人の私と共同で自営する「金城本村リフォーム設計」という家業では唯一人の運転免
> 許を持つ運転手役としての役割と5人の母親役を遺棄・放棄させられています。
> また、その間の平成23年8月12日からは、その日までは遺棄・放棄状態にあった自ら
> の事業所兼自宅に残り住む5人の未成熟子の内の13歳の娘一人を被告訴人の意図の
> 脅迫が元で拉致誘拐までさせられています。
>
> 平成23年8月4日当初は、当時も低迷していた食堂「ふく家」の売り上げをなん
> とか好転させようとの被告訴人の狙いから始まったその本村弘美にとっては一種背
> 信・背任行動になってしまったようなささいなアルバイト的「食堂のキッチン手伝
> い」という軽い教唆的所為が、いつの間にか途中の平成23年8月12日の翌日あたりか
> らは、とうとう当時浦添市役所の広報、そして新聞やラジオで評判になっていた本村
> 弘美の13歳の娘・未姫を「広告塔」役として利用する目的に発展してしまい、その
> 娘を拉致・誘拐軟禁・洗脳までさせられるはめに妻で母親の本村弘美は陥れられてし
> まっています。
> すべて被告訴人の脅迫が元とはいえ、本村弘美は本来の「妻で母親の本村弘美」自ら
> のその事業所へも、またその事業所を兼ねる自宅へも、戻ろうにも戻れず今日現在も
> 遺棄・放棄させられ、家に残る4人の子どもに対する教育を受けさせ続ける義務と責
> 任などの監護義務や扶養の義務と責任が果たせず、中学校や高等学校、そして大学へ
> も直接的に迷惑を掛けてしまって悩み苦しむことはもちろん。夫同様、自らも共同経
> 営者でもある自営家業の顧客およそ100件に対するアフターサービス義務すらも果
> たせず、その事を要求する夫や子どもたちの要求を拒否せざるを得ないといった異常
> な状況にほとほと困り果てています。
> また、その自らの自営家業や家庭の債務などの債権者らに対し、夫と共同責任債務者
> として事業を継続し、債務整理しなければならないなどといった社会人としての当然
> で当たり前の社会的責任まで怠っています。現在その100件のお客様へまで迷惑が
> かかっており、その責任も取りようもないことはもちろん、夫との同居義務も果たそ
> うにも果たすことが不可能な状況下で苦悩しつづけています。
>
> 以上、被告訴人の上記のそのような所為は、刑法224条・225条~227条の1(略取
> 及び誘拐幇助)及び247条(背任罪教唆)刑法第217条~218条(遺棄罪教唆)の被害
> を及ぼした。
> 特に、略取及び誘拐幇助や遺棄罪と背任罪の教唆については深刻であります。なにし
> ろ被告訴人の経営するその「ふく家」という食堂には本村弘美の実の母も当時は関
> わっており、現在も実の妹らが働いています。その親族は告訴人の妻の本村弘美が過
> 去20年以上に亘り、運転免許を持たない夫で告訴人の私が喘息でほぼ一日おきに
> 立って歩けないことがつづく事情や、夫婦自らが営む事業所兼自宅では未だに妻の本
> 村弘美自らが産んだ5人の未成熟子も抱える母親でもあることなど百も承知の上での
> 誘拐や背任。そして遺棄を脅迫し、強要しているという妻の本村弘美の持つ家族全体
> に対する悪意があることになるからであります。
> つまり、被告訴人は本村弘美の抱えるそのような事情を知っていながらその事実を無
> 視する形で採用手続きを経て働かせようととすることすなわち犯罪未遂そのものに該
> 当するし、しかもそれを実行してすでに2ヶ月と半月が経っているということです。
> よって当該被告訴人を厳罰に処することを求め告訴する。
>
> 二、 告訴事実
> 被告訴人は平成23年8月4日午後2時頃、沖縄県浦添市港川2丁目10番8号の本
> 村家の住宅周辺で、当時精神的に落ち込んでいた本村家の主婦の本村弘美を呼び出し
> 連れ去った。
> 以来、その六人の子どもの実母で妻・本村弘美は、今日現在もその6人もの子どもた
> ちの実の母である本村弘美そのものを捨て去ってしまった拉致誘拐罪と背信・背任罪
> 及び遺棄罪を背負わされたということになっています。
> 被告訴人は平成23年8月12日午前。沖縄県浦添市港川2丁目10番8号の本村家
> の娘・13歳を、先の平成23年8月4日に連れ去ったその娘の実の母親である本村弘美
> を使い、そそのかし拉致誘拐軟禁させ、現在までその娘を家へ帰えさせていない。
>
> 被告訴人は平成23年8月19日午後四時頃、故・実母とその娘たちが働く「ふく
> 家」という、食堂という、(本村家の自営で家業の仕事はもちろん、本村家の日常生
> 活でも運転手が役目のはずの母親が、この8月19日の15日前の8月4日から行方を
> くらましっ放しで自分の家族への扶養の義務を遺棄させられ、自分自身の家族である
> 本村家へは損害を与えて居ながらの状態で)本村弘美自身の家業とはまったく別の被
> 告訴人の経営する職場でその本村弘美を働かし、被告訴人自身の家族は利益を得てい
> るのを告訴人に目撃されている。
> また、同日同時刻にその被告訴人の経営する食堂の「ふく家」でこんな脅迫を目の当
> たりにしました。
> 妻の本村弘美は家業の仕事を遺棄する一方で、自らの実母も当時も関わり、現在も実
> の姉妹らが働くその食堂「ふく家」のキッチンカウンターで働いていたのを初めて発
> 見したときのことです。
> 発見し、即座に店内のテーブルの一角で二人っきりで話し合い、早く戻るようにと説
> 得をし、妻の本村弘美が家へ戻る条件を言い出したのをきっかけに本村家へ帰ること
> がほぼ決まった矢先、夫婦で真剣に話し合いをしているそのテーブルへ妻の本村弘美
> の実母の故・島袋照子がいきなり割り込んできて妻の本村弘美を睨み付けて突然こう
> 言うのです。「これだけの大騒ぎになって、『はい、二人で話し合ったから家に戻
> る』?そう簡単にはいかないんじゃない!?」と迫り、更に、「もしあんたが、本村
> 家へ戻るなら親子の縁を切る。そこに居るちあきと香との兄弟姉妹の縁も切らす。だ
> から戻るな!!」とまくしたてました。(小ぶりの店内の二つ向こうのテーブルには
> その実母と、あと二人の妹が座って様子を伺っていたが、夫婦でまとまった事を知っ
> たその実母が一人立ち上がって二人のテーブルへ来た状況です)
> これを脅迫・強制と言わずして何というのでしょうか。
> おかげで、まとまり掛けていた自分の家へ戻る話を妻の本村弘美は口ごもりはじめ、
> せっかくの円満な話もその場では直ぐにはまとまらなくなり、翌日の朝まで返事を待
> つことにはしたものの、それ以来も今のような状況が続いています。
> ※この店へ行く一時間前までは、その妻の実母の故・島袋照子へ電話をかけ、「お母
> さんが間に入って仲裁してくれませんか?」と仲裁を持ちかけたが、「私はその気は
> ありません」と断られ、仕方がないので自分ひとりで店に居る妻を見付けた経緯があ
> ります。
>
> 被告訴人は平成23年9月5日頃、告訴人がこの日の午前中に浦添警察署生活安全
> 課へ告訴人が提出した被害届の内容に対して「被害届にある刑法違反は該当しない。
> 例えば”遺棄罪”だが、運転免許を持たない主人の夫が喘息でほぼ一日おきに立って
> 歩けないことがつづく家で、その家に子どもが4~5人いて自営家業を家で唯一人の
> 運転手役の共同経営者で母親が一ヶ月家に帰らず遺棄しようが、”遺棄罪”にならな
> い。運転免許は取ればいい」というような浦添警察署の正当ないち市民である告訴人
> の権利行使に対する不当な結論を導くようなうそ・狂言などの情報を意図的にその浦
> 添警察署生活安全課へ提供した。
>
> また、その後、浦添警察署だけへかと思ったら、県の県警本部の両方へも被害相談
> をしたいち市民である告訴人の正当な権利行使に対しても同じようなことを行った。
>
> 被告訴人は平成23年9月15日。故人・島袋照子とその娘たちが働く「ふく家」と
> いう被告訴人の経営する食堂の職場でその本村弘美を働かし、被告訴人自身の家族は
> 利益を得ているのを告訴人に目撃されている。
>
> 被告訴人は平成23年9月21日。またまた故人・島袋照子とその娘たちが働く「ふ
> く家」という被告訴人の経営する職場でその本村弘美を働かし、被告訴人自身の家族
> は利益を得ているのを告訴人に目撃されている。
>
> 被告訴人は平成23年9月25日。中学校の運動会の昼食時間に本村弘美が、本村家
> の中2の五男や父で夫の告訴人を無視させられ、その一方、被告訴人の経営する食堂
> 「ふく家」で働く本村弘美の実の妹らの家族大勢へは本村弘美自分分自身の家族への
> 弁当は用意させないでおいて、その同じ学校内の同じ場所へ被告訴人らの家族分の弁
> 当をこしらえさせ、携えさせ振舞わさせて被告訴人の家族が利益を得ているのを告訴
> 人に目撃されている。
>
> 被告訴人の、前記行為は刑法224条・225条~227条の1(略取及び誘拐幇助)及び
> 247条(背任罪教唆)刑法第217条~218条(遺棄罪教唆)に該当すると思われますの
> で、被告訴人の厳重な処罰を求めます。そして、ここに告訴いたします。
>
> 三、 立証方法
> 1 参考人 娘のコーチ
> 2 被害者 次男
> 3 被害者 三男
> 4 被害者 四男
> 5 被害者 五男
> 6 被害者 長女
> 7 被害者 妻
>
> 四、 添付書類
>
> 平成23年8月12日付け家裁申立て書から始まったその申し立て書にまつわる文書の
> 写しと、その間、今日現在までの被害届やそれにまつわる一連の文書一組。↓
>
> 「最新版:被害届添付参考資料」をご覧ください。
>
> 全文はこちら↓
> パソコンは→http://motomurayasuhiko.ti-da.net/e3764557.html
>
> 携帯は↓7分割してあります。ご覧ください。
> その1→http://motomurayasuhiko.ti-da.net/e3764658.html
> その2→http://motomurayasuhiko.ti-da.net/e3764664.html
> その3→http://motomurayasuhiko.ti-da.net/e3764668.html
> その4→http://motomurayasuhiko.ti-da.net/e3764670.html
> その5→http://motomurayasuhiko.ti-da.net/e3764672.html
> その6→http://motomurayasuhiko.ti-da.net/e3764674.html
> その7→http://motomurayasuhiko.ti-da.net/e3764675.html
> 沖縄県浦添市港川2丁目10番8号
>
> 告訴人 本村安彦
>
> 自宅電話番号:098-876-5536番
> 携帯電話番号:080-3964-4623番
Date: 2011年10月31日(月) 午後10時58分
タイトル: Re: 内部被ばく防止運動協力者 各位
やっぱりいらっしゃいましたね!太田さん。さすがです。待ってました。早速ですが、以下のようなデッドな家族メール会議の状況をお伝えします。
そして、実はここ何年もその「ふく家」の経営者が妻の母親を介して本村家のボランティア活動を疎ましく思っているということを暗黙のうちに妻を追込んでいたような事実を浮き彫りにし、そして、願わくばその上にある権力構造と妻の身内が働く「ふく家」を切り離し、妻と娘を自由にしてあげられるような具体的な協力依頼をしたいと思います。(括弧)内は太田さんへの説明用です。
本村。
緊急連絡2011年10月31日 月曜日 午後6:49
今日那覇地方簡易裁判所から電話があった。
せっかく3日前からお母さんと家族だけの話が進みつつあるのに、その1日まえの4日前の27日付けでお母さん名義で「夫の暴力から保護してという保護命令」の申し立てがあったから、と。
きっと10月26日にお父さんが「ふく家」を再度告訴したことでその事を知った「ふく家」がお母さんへ「本村家はどうなってもいいから本村家と一切切り離す。未姫と兄弟同士も切り離す。連絡もさせない。早く離婚して!!じゃないと兄弟姉妹の縁を切るぞ!!」と圧力をかけ提出させたんだろう。
(お母さんのお母さんが生前の8月中頃に「扶養の義務悪意の遺棄母妻」調停申し立てを出したお父さんのことは実はお母さんお母親である自分のそのような素行を模倣させようとしていることと繋がっていることを悟り、腹を立て)
勝手にお母さんの名を語って離婚調停を出し、その事を見破ったお父さんに家裁で証明され、棄却された。
まだ懲りないようだ。
一応、その旨を伝えた。(地裁の担当へ)
だから、その申し立てをお母さん一人の意志で取り下げが立場上出来ないなら、
(本村へ戻ったら「ふく家」の経営者が実は裏口を利用しなければ成り立たないいかがわしい場所でのゲーム喫茶を運営し続けられるなどと国家の警察官・公務員との密接な関係が知れ渡り、職を失いかねない。兄弟姉妹の縁を切る!との趣旨でおどされるような状況)
皆で応援して取り下げさせて。1日も早く。
お母さんへ、
今家庭科室だけど2011年10月31日 月曜日 午後8:09
今評議委員会の最中だ。(中一の娘と中二の五男が共に通えるよう、これまで一切校長へ迷惑をかけなかったが、
未姫と望の父母として参加丸付けようとチェックマーカー用紙見て驚いたけど、本村家からは今年約7~8回行われたこの評議委員会に今日が初参加とはどういうこと?
そのPTA関係はすべてお母さんに任せていただけにびっくりだ。
その後、校長と二人で話し合った。
未姫とお母さんが電話すらも受け取れないような状況では父親としての指導監督ができない。同じ学校に居るきょうだいの望と未姫が比較的学校生活に於いて変わったことや、或いは二人の学校生活を比較して違ったことがあるとすれば、
それはそもそもお母さんが5人もいる未成熟子の家庭を親としてあるまじき姿の放棄状態させられてしまっていて、その家庭に残っている望はお母さんに遺棄、捨てられ、お父さん一人で残った4人を見る中、うちの4分の一しか望へ監護責任の神経が行き通らないことや、あいも変わらない厳しいだけのおやじがやさしい母親役をするわけもなく、ひねくれ者になる危険性があるし、
お母さんが拉致して「ふく家」に洗脳させて連れまわる未姫は一人お母さんの手厚い監護をうけられ、学校生活などといった表向きでは変化が見えにくいものの、優しいだけのお母さんを上手にあやつり厳しい親父の目を逃れ、自分勝手な行動をする愚か者になってしまう危険性があるだけだ、-というようなことをいかに改善するを。
校長からお母さんに何らかの形で連絡があるはずだから、それが直接かどうかが心配事といえば心配事だ。
願わくば、一番の責任者である校長が直接接してくれたら何の問題もない。だから決して生徒指導が入らないようお母さんと未姫は気を張っておくように。
(聞いたら、校長は800人からみてるそうだから、ややもすると校長以外が介入し、ややこしくなりかねない。)
以上。おやじ
新運転東京太田:
> 本村さんへ。
>
> 命どう宝ネットワークの太田です。
> ご無沙汰しているうちにひどい弾圧を受けながら
> 闘い続けていることを知り、言葉がありません。
> 特に、自慢の子供さんたちご家族がバラバラにされているということで、
> 本村さんの悲しみと怒りの深さは想像を超えるものがあります。
> そうした反動的弾圧は、本村さんがこの間暴露した貴重な歴史的事実と
> 未来に対する警告と具体的な対策に対するものだと確信するだけに、
> 何らかの支援と共闘が出来ないものかと思っています。
> 「内部被ばく防止運動協力者 各位」と呼びかけ、報告がありますが、
> 何らかの動きが予定されているようでしたら、連絡ください。
内部被ばく防止運動協力者 各位
>
> [ml_ryukyu_400130]グループの掲示板に投稿があったことを、Yahoo!グループよりお
> 知らせいたします。
> ---
> こんばんは、内部被ばく防止運動協力者の皆さん。
> 本日新たな告訴状を提出しました。ブログは↓のアドレスですのご覧ください。
>
> そして、同じビル内の人権擁護課へは弾圧は阻止しなけれらなりませんから調査の必
> 要性を訴えてきました。
>
> 警察関係者を使ったと思われる違法な家族介入を沖縄の経済の頂点への違法な点取り
> 虫と、沖縄の大手金融機関への違法な点取り虫らに繋がるならとの告訴でした。
>
> 以下、報告いたします。
>
> 本村
>
> →http://motomurayasuhiko.ti-da.net/e3770004.html
>
> 告訴状
>
> 告訴人 本村安彦
> 住所 沖縄県浦添市港川2丁目10番8号
> 職業 自営業
> 氏名 本村 安彦(昭和28年12月30日生)印
>
> 被告訴人
> 住所 沖縄県浦添市伊祖4丁目13の1番地1
> 食堂 ふく家
> 職業 飲食店経営
> 経営者の氏名 不詳。
>
> これは、推測ですが、下記の関係や経緯からおそらく、の被告訴人の経営者 というのは実の子どもたちのまとめ役である実母の故・島袋 照子を店長とし た、その実母の子どもで被告訴人の妻でもある志良堂ちあきを介して費用など のお金や経営上の戦略の指示を出している人物ではないか、だから、志良堂ち あきの夫、またはその血縁か関係者。(あるいは) 実母の故・島袋照子では ないかと現時点では考えています。
>
> なぜなら、告訴後も調べたら、この事件の被害
> 者で妻の本村弘美の実の妹の志良堂ちあきの夫が開店
> 費用を出したオーナーで、お昼時間には決まって回っ
> てきて昼食をとるなどと直接的にも経営者であるとの
> 情報だが、その一方、
> 三年前の開店当初はその被告訴人の妻で、妻の本村弘
> 美の実の妹の志良堂ちあきと実母の故・島袋照子が実
> 質的経営者で、もうひとりの実の妹の金城香の三人が
> 共同で経営する食堂、という情報だった関係と、問い
> ただしても教えてもらえない関係で今のところ告訴人
> の立場の私にも特定不能です。
> 平成23年10月26日
>
>
> 那覇地方検察庁 殿
>
> 一、 告訴の趣旨
> 平成23年9月5日午前10時ごろに被害届を携え、浦添警察署一階にある地域課
> へ提出。
> しかし、別の課の生活安全課の伊礼と名乗る者が突然現れ、「被害届」との表題を
> 見るなり「こんなものは受け取れない」と拒んだが、そのまま置いて帰った。
>
> その後、11時41分丁度にその浦添警察署生活安全課の伊礼という課長から電話が入
> り、こう言いました。
> 「今朝の被害届にある刑法違反は該当しない。例えば”遺棄罪”だが、運転免許を持
> たない主人の夫が喘息でほぼ一日おきに立って歩けないことがつづく家で、その家に
> 子どもが4~5人いて自営家業を家で唯一人の運転手役の共同経営者で母親が一ヶ月
> 家に帰らず遺棄しようが、”遺棄罪”にもならない。運転免許取ればいい。だからこ
> の被害届を取りに来なければごみ箱へ捨てる」との内容でした。
>
> その後、浦添警察署だけでは子どもたちの安全は守れないと判断し、その後は県の
> 県警本部と両方へ被害相談をすることにし、即刻提出しました。
> しかし、あれから一ヵ月半。何の進展もありませんので平成23年10月5日に那覇
> 地方検察庁へ告訴しました。
>
> 被害者の一人で妻の本村弘美は、過去20年以上に亘り、運転免許を持たない夫で
> 告訴人の私が喘息でほぼ一日おきに立って歩けないことがつづく事情や、夫婦自らが
> 営む事業所兼自宅では未だに自らが産んだ5人の未成熟子も抱える母親でもありま
> す。
> そのような重要な立場の妻で母親の本村弘美が、被告訴人の経営する「ふく家」とい
> う食堂で「本村家へ戻るなら親子の縁も兄弟姉妹の縁も切る」との脅迫によって本村
> 家に対する背信・背任を教唆され、住み込みで強制的に働かされることによって平成
> 23年8月4日~平成23年10月26日の今日現在に至る間のおよそ3ヶ月に亘り、夫で告訴
> 人の私と共同で自営する「金城本村リフォーム設計」という家業では唯一人の運転免
> 許を持つ運転手役としての役割と5人の母親役を遺棄・放棄させられています。
> また、その間の平成23年8月12日からは、その日までは遺棄・放棄状態にあった自ら
> の事業所兼自宅に残り住む5人の未成熟子の内の13歳の娘一人を被告訴人の意図の
> 脅迫が元で拉致誘拐までさせられています。
>
> 平成23年8月4日当初は、当時も低迷していた食堂「ふく家」の売り上げをなん
> とか好転させようとの被告訴人の狙いから始まったその本村弘美にとっては一種背
> 信・背任行動になってしまったようなささいなアルバイト的「食堂のキッチン手伝
> い」という軽い教唆的所為が、いつの間にか途中の平成23年8月12日の翌日あたりか
> らは、とうとう当時浦添市役所の広報、そして新聞やラジオで評判になっていた本村
> 弘美の13歳の娘・未姫を「広告塔」役として利用する目的に発展してしまい、その
> 娘を拉致・誘拐軟禁・洗脳までさせられるはめに妻で母親の本村弘美は陥れられてし
> まっています。
> すべて被告訴人の脅迫が元とはいえ、本村弘美は本来の「妻で母親の本村弘美」自ら
> のその事業所へも、またその事業所を兼ねる自宅へも、戻ろうにも戻れず今日現在も
> 遺棄・放棄させられ、家に残る4人の子どもに対する教育を受けさせ続ける義務と責
> 任などの監護義務や扶養の義務と責任が果たせず、中学校や高等学校、そして大学へ
> も直接的に迷惑を掛けてしまって悩み苦しむことはもちろん。夫同様、自らも共同経
> 営者でもある自営家業の顧客およそ100件に対するアフターサービス義務すらも果
> たせず、その事を要求する夫や子どもたちの要求を拒否せざるを得ないといった異常
> な状況にほとほと困り果てています。
> また、その自らの自営家業や家庭の債務などの債権者らに対し、夫と共同責任債務者
> として事業を継続し、債務整理しなければならないなどといった社会人としての当然
> で当たり前の社会的責任まで怠っています。現在その100件のお客様へまで迷惑が
> かかっており、その責任も取りようもないことはもちろん、夫との同居義務も果たそ
> うにも果たすことが不可能な状況下で苦悩しつづけています。
>
> 以上、被告訴人の上記のそのような所為は、刑法224条・225条~227条の1(略取
> 及び誘拐幇助)及び247条(背任罪教唆)刑法第217条~218条(遺棄罪教唆)の被害
> を及ぼした。
> 特に、略取及び誘拐幇助や遺棄罪と背任罪の教唆については深刻であります。なにし
> ろ被告訴人の経営するその「ふく家」という食堂には本村弘美の実の母も当時は関
> わっており、現在も実の妹らが働いています。その親族は告訴人の妻の本村弘美が過
> 去20年以上に亘り、運転免許を持たない夫で告訴人の私が喘息でほぼ一日おきに
> 立って歩けないことがつづく事情や、夫婦自らが営む事業所兼自宅では未だに妻の本
> 村弘美自らが産んだ5人の未成熟子も抱える母親でもあることなど百も承知の上での
> 誘拐や背任。そして遺棄を脅迫し、強要しているという妻の本村弘美の持つ家族全体
> に対する悪意があることになるからであります。
> つまり、被告訴人は本村弘美の抱えるそのような事情を知っていながらその事実を無
> 視する形で採用手続きを経て働かせようととすることすなわち犯罪未遂そのものに該
> 当するし、しかもそれを実行してすでに2ヶ月と半月が経っているということです。
> よって当該被告訴人を厳罰に処することを求め告訴する。
>
> 二、 告訴事実
> 被告訴人は平成23年8月4日午後2時頃、沖縄県浦添市港川2丁目10番8号の本
> 村家の住宅周辺で、当時精神的に落ち込んでいた本村家の主婦の本村弘美を呼び出し
> 連れ去った。
> 以来、その六人の子どもの実母で妻・本村弘美は、今日現在もその6人もの子どもた
> ちの実の母である本村弘美そのものを捨て去ってしまった拉致誘拐罪と背信・背任罪
> 及び遺棄罪を背負わされたということになっています。
> 被告訴人は平成23年8月12日午前。沖縄県浦添市港川2丁目10番8号の本村家
> の娘・13歳を、先の平成23年8月4日に連れ去ったその娘の実の母親である本村弘美
> を使い、そそのかし拉致誘拐軟禁させ、現在までその娘を家へ帰えさせていない。
>
> 被告訴人は平成23年8月19日午後四時頃、故・実母とその娘たちが働く「ふく
> 家」という、食堂という、(本村家の自営で家業の仕事はもちろん、本村家の日常生
> 活でも運転手が役目のはずの母親が、この8月19日の15日前の8月4日から行方を
> くらましっ放しで自分の家族への扶養の義務を遺棄させられ、自分自身の家族である
> 本村家へは損害を与えて居ながらの状態で)本村弘美自身の家業とはまったく別の被
> 告訴人の経営する職場でその本村弘美を働かし、被告訴人自身の家族は利益を得てい
> るのを告訴人に目撃されている。
> また、同日同時刻にその被告訴人の経営する食堂の「ふく家」でこんな脅迫を目の当
> たりにしました。
> 妻の本村弘美は家業の仕事を遺棄する一方で、自らの実母も当時も関わり、現在も実
> の姉妹らが働くその食堂「ふく家」のキッチンカウンターで働いていたのを初めて発
> 見したときのことです。
> 発見し、即座に店内のテーブルの一角で二人っきりで話し合い、早く戻るようにと説
> 得をし、妻の本村弘美が家へ戻る条件を言い出したのをきっかけに本村家へ帰ること
> がほぼ決まった矢先、夫婦で真剣に話し合いをしているそのテーブルへ妻の本村弘美
> の実母の故・島袋照子がいきなり割り込んできて妻の本村弘美を睨み付けて突然こう
> 言うのです。「これだけの大騒ぎになって、『はい、二人で話し合ったから家に戻
> る』?そう簡単にはいかないんじゃない!?」と迫り、更に、「もしあんたが、本村
> 家へ戻るなら親子の縁を切る。そこに居るちあきと香との兄弟姉妹の縁も切らす。だ
> から戻るな!!」とまくしたてました。(小ぶりの店内の二つ向こうのテーブルには
> その実母と、あと二人の妹が座って様子を伺っていたが、夫婦でまとまった事を知っ
> たその実母が一人立ち上がって二人のテーブルへ来た状況です)
> これを脅迫・強制と言わずして何というのでしょうか。
> おかげで、まとまり掛けていた自分の家へ戻る話を妻の本村弘美は口ごもりはじめ、
> せっかくの円満な話もその場では直ぐにはまとまらなくなり、翌日の朝まで返事を待
> つことにはしたものの、それ以来も今のような状況が続いています。
> ※この店へ行く一時間前までは、その妻の実母の故・島袋照子へ電話をかけ、「お母
> さんが間に入って仲裁してくれませんか?」と仲裁を持ちかけたが、「私はその気は
> ありません」と断られ、仕方がないので自分ひとりで店に居る妻を見付けた経緯があ
> ります。
>
> 被告訴人は平成23年9月5日頃、告訴人がこの日の午前中に浦添警察署生活安全
> 課へ告訴人が提出した被害届の内容に対して「被害届にある刑法違反は該当しない。
> 例えば”遺棄罪”だが、運転免許を持たない主人の夫が喘息でほぼ一日おきに立って
> 歩けないことがつづく家で、その家に子どもが4~5人いて自営家業を家で唯一人の
> 運転手役の共同経営者で母親が一ヶ月家に帰らず遺棄しようが、”遺棄罪”にならな
> い。運転免許は取ればいい」というような浦添警察署の正当ないち市民である告訴人
> の権利行使に対する不当な結論を導くようなうそ・狂言などの情報を意図的にその浦
> 添警察署生活安全課へ提供した。
>
> また、その後、浦添警察署だけへかと思ったら、県の県警本部の両方へも被害相談
> をしたいち市民である告訴人の正当な権利行使に対しても同じようなことを行った。
>
> 被告訴人は平成23年9月15日。故人・島袋照子とその娘たちが働く「ふく家」と
> いう被告訴人の経営する食堂の職場でその本村弘美を働かし、被告訴人自身の家族は
> 利益を得ているのを告訴人に目撃されている。
>
> 被告訴人は平成23年9月21日。またまた故人・島袋照子とその娘たちが働く「ふ
> く家」という被告訴人の経営する職場でその本村弘美を働かし、被告訴人自身の家族
> は利益を得ているのを告訴人に目撃されている。
>
> 被告訴人は平成23年9月25日。中学校の運動会の昼食時間に本村弘美が、本村家
> の中2の五男や父で夫の告訴人を無視させられ、その一方、被告訴人の経営する食堂
> 「ふく家」で働く本村弘美の実の妹らの家族大勢へは本村弘美自分分自身の家族への
> 弁当は用意させないでおいて、その同じ学校内の同じ場所へ被告訴人らの家族分の弁
> 当をこしらえさせ、携えさせ振舞わさせて被告訴人の家族が利益を得ているのを告訴
> 人に目撃されている。
>
> 被告訴人の、前記行為は刑法224条・225条~227条の1(略取及び誘拐幇助)及び
> 247条(背任罪教唆)刑法第217条~218条(遺棄罪教唆)に該当すると思われますの
> で、被告訴人の厳重な処罰を求めます。そして、ここに告訴いたします。
>
> 三、 立証方法
> 1 参考人 娘のコーチ
> 2 被害者 次男
> 3 被害者 三男
> 4 被害者 四男
> 5 被害者 五男
> 6 被害者 長女
> 7 被害者 妻
>
> 四、 添付書類
>
> 平成23年8月12日付け家裁申立て書から始まったその申し立て書にまつわる文書の
> 写しと、その間、今日現在までの被害届やそれにまつわる一連の文書一組。↓
>
> 「最新版:被害届添付参考資料」をご覧ください。
>
> 全文はこちら↓
> パソコンは→http://motomurayasuhiko.ti-da.net/e3764557.html
>
> 携帯は↓7分割してあります。ご覧ください。
> その1→http://motomurayasuhiko.ti-da.net/e3764658.html
> その2→http://motomurayasuhiko.ti-da.net/e3764664.html
> その3→http://motomurayasuhiko.ti-da.net/e3764668.html
> その4→http://motomurayasuhiko.ti-da.net/e3764670.html
> その5→http://motomurayasuhiko.ti-da.net/e3764672.html
> その6→http://motomurayasuhiko.ti-da.net/e3764674.html
> その7→http://motomurayasuhiko.ti-da.net/e3764675.html
> 沖縄県浦添市港川2丁目10番8号
>
> 告訴人 本村安彦
>
> 自宅電話番号:098-876-5536番
> 携帯電話番号:080-3964-4623番
2011年10月31日
2011年10月30日
Fw:※2011年4月4日
※2011年4月4日。 「本村家」全国区へ2011/4/4日付琉球新報紙で 「本村家、兄弟6人全員皆勤賞」 と大きく報じら
れ、ネット上でも「本村家」のヤフー検索ワードでのアクセス数が1,500,000件を超えるほど全国的に報じられ、話題になる。(この時点では6,460,000件を超えている) ↓
検索ワード「本村家」↓出てきますのでご覧ください。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-175672-storytopic-7.html
カテゴリー:教育
本村家、きょうだい6人皆勤賞 港川小2011年4月4日
きょうだい全員小学校皆勤賞を達成した本村家の(左から)五男望君、三男自然さん、末っ子未姫さん、次男眞理さん、四男公平君=3月29日、浦添市港川
【浦添】浦添市の港川小学校を今春卒業した本村未姫さん(12)が皆勤賞で表彰された。未姫さんは6人きょうだいの末っ子で、きょうだい全員が同小を1日も休まず卒業。兄たちは中学校も皆勤賞を取り、未姫さんは「兄ちゃんたちがやってきたことで当たり前だと思ってきた。港川中学校の3年間も頑張りたい」と語り、父安彦さん(57)は「共働きで一人一人にゆっくり付き添うことができない中、自分たちの力で頑張ってくれた」と子どもたちの成長を喜んでいる。
未姫さんは兄たちの影響で小4で野球を始め、てだこアスリートクラブにも所属。
昨年8月、陸上競技の第26回全国小学生交流大会女子共通ソフトボール投げで優勝した。第48回沖縄教育版画コンクール特選にも選ばれた。
全国的に優れた成績を収めた児童生徒らをたたえる「2010年度県児童生徒等表彰」でも表彰され、「将来はCG(コンピューターグラフィックス)クリエーターになりたい」と夢を語る。
8人家族の本村家は長男安聡さん(26)を皮切りに小中学校皆勤賞を続け、次男眞理さん(20)=沖国大3年=は「周囲にこんな大家族はあまりないが、明るくにぎやかでいい」と話し、三男自然さん(18)=同大1年=は「もっと家族が増える将来が楽しみ」と笑う。
四男公平君(17)=浦添高3年=は「皆勤賞も当然と思ってきた」と話し、五男望君(13)=港川中2年=は「中学も達成したい」と意気込む。
6人の子どもの成長を支えてきた母弘美さん(50)は「何よりも健康で生まれてきてくれた喜びが大きい」と目を細めた。(座波幸代)
2011年10月29日
2011年10月26日
あらたな告訴状を今日提出して来た
お母さんと未姫へ
明日も家族がすぐやらなければならないことが3つある。それは:
1、仕事・営業求職活動。それも収入の9割り占める「お父さんが無党派無宗教無団体という真の故人の立場で憲法16条の「個人の請願権」を盾に『核』撤去ボランティアという地域に密着した社会貢献をするからお父さんへ特に仕事を与えてくれる」お客さんに応えるため、その仕事と同時にボランティア活動も進める。
そして、18年も続けているお父さん個人のボランティア活動を妨害し、そのボランティア活動を伴って始めて得られる本村家の家族8人分の暮らしの糧の9割の収入をその妨害によって得られないようにしながら、自らの暮らしの糧の収入をお父さん個人のボランティア活動を妨害することによって増やそうとするような不当な利益を得ようとする人を、明日も国の人権擁護課と連携をとって仕事・営業休職活動及びボランティア活動を同時に行い収入という本村家の暮らしの糧を得る。
2、中学生を含む未成熟子5人も両親と伴に暮らす本村家個人宅へ不当に介入しようとする人を明日も、今日新たに分かった情報を携え、検察庁へ刑事訴追しながら、自動車練習所へ通いつつ、その他の公用や大事な用事も済ます。
3、お母さんと未姫が早く帰ってこれるよう、家族で話し合う。家に居ないお母さんと未姫と兄ちゃんと眞理へは手紙またはこうやってメールにして送り、意見を募りながら家族全員が安心できる環境整備を整えていく。
そして、仕事の収入と直結する「個人の請願権」を盾に『核』撤去ボランティアという地域に密着した社会貢献をするからお父さんへ特に仕事を与えてくれる」お客さんのためにブログ→http://motomurayasuhiko.ti-da.net/e3770004.htmlで情報提供をしながら、営業活動をする。
以上、
以下は、家族が今話し合わなければならないメールだから必ず読んでね。
お母さんと未姫へ。早く帰って来て!!
下の↓「望がさらりと告白」、、、の続きだけど、
昨日までの話では、食堂の『ふく家』のお金かなにかにまつわるようななんらかの事が原因でかつては2年前の小学校六年生の時の望を、そして今度はその妹の未姫をその食堂『ふく家』の何らかの原因でお母さんが自動車の運転免許証を持たないお父さんの「娘の送迎を頼む」との信任を裏切らされ、拉致までさせられてしまって、こっそりと隠れ、その食堂『ふく家』に通い巻き込んでしまっている。
そのようなお母さんの行動は、お母さんのお母さん、そして妹のちあきや香といったお母さんの親兄弟姉妹らの持つ何らかのお父さんに知られたら困る目的があって、今となっては本村家のお母さんが自分の家へ帰ってしまったらお父さんに追及され、お父さんにその何らかの目的が知れるのを恐れているというやましさから本村家のお母さんへ「本村家へ帰ったら親兄弟姉妹との縁を切るぞ!!」と脅迫までした。
たとえ一時的にはあったとしても、最終的には決してありもしない家族の縁切りなどというような事をある程度の期間の間ではあっても実際にその与儀の実家のお兄さんらの家族との間の縁まで断ち切られてしまい、かつてには、夫のお母さんのお父さん、故・金城良守の意志とは関係なく金城キクらの意志によって離婚させられたいわく付きで金城家とも中途半端な状態を27年も延々と続けていた現状もあって、つらくてさびしい思いをした経験のあるお母さんのお母さんとしては自分の長女のお母さんへはもちろん、その他の自分の子どもたちへもこの二十年余こんこんと話し、その怖さを植えつけててきてしまったんだろう。
そんな経緯の中で、その本人であるお母さんのお母さんの口から出る家族の縁を切るというキーワードはおそらくお母さんにとっても、その他の妹や弟たちにとってもこの二十年間、親としての子どもに対するしつけのときや、指導監督のためであったり、その他の事などで親である自分の思うとおりの行動を取らさなければならないような場面などではその脅迫や脅しは十分な一喝の手段として通用してきたんだろう。
だからお母さんもあのときその一喝の手段であるその親兄弟姉妹の縁を切るとの脅迫で、脅された8月19の食堂の『ふく家』で恐ろしくなって気が動転したんだろうな。
過去にこんなこともあったし:
過去20年の金銭面での事実と推測からの考察から抜粋した:
「なんで母で妻の本村弘美が家に帰れないか?」
故・島袋照子は25年以上も前の過去において、自らが使う目的で実の娘で長女の本村弘美(当時の姓は旧姓で金城弘美)を名義人または連帯保証人として借金をした。
その後、その故・島袋照子自らが使った金銭債務の返済から自らが逃れる手段として、当時はすで嫁に行き、別々の世帯を持って何年にもなっていた本村弘美に対して、未だ二十歳をわずかに過ぎたばかりの若さからもその意味もよく知らないことをいいことに「破産宣告が楽だ」と自己破産を押し付け、逃れた。
後になって、寝耳に水のその話を聞かされたときに「確かに自己破産すれば法的にはあらゆる債務から逃れられはするもののしかし、一方では、我が家の妻であり母親でもある本村弘美が、しかも実母とはいえまったく別の世帯の主婦によって自己破産されてしまっては、今後の本村家の人生の中で起こるであろう様々な社会的困難やペナルティーがその自己破産をしたことによってより多く降りかかることになることを伝え、当時のその選択は実は、本村弘美にとってはごくわずかなリスク回避のために膨大な便益を失うことのほうが大きい。間違っている」と当時も本村弘美へ話し、止めるよう薦めたのを今でも覚えている。が、しかし、この一家の主である私へは一切話もなく、私抜きで進めた手続きだったことから止めさせきれなかった。
おかげで妻・本村弘美自身はもちろん、本村一家の主である私自身や子どもたちも結婚当初から、時折、社会的、或いはこと金融機関との関係において一人前じゃなかったことで
後悔し悩み続けることになった。
案の定、本村弘美自身も、人として、一人の人間・子を持つ母親としては現実から逃げてしまった無責任ーとの内なる自己批判や、その自らの実母がまねく殺伐とした将来へいざなう道徳的社会通念の制裁から以後十年余り、一人前の大人として扱われなくなる恐れの可能性を常に背負ってきてしまっている。
今から15年ほど前にもこんな事があった。
「県営団地の住居強制立ち退きの手続きの時間帯には絶対に立ち会うな。立ち会ったら最後。本当に追い出されてしまうぞ」ーと、妻の本村弘美へ注意して仕事のため家を出た本村一家の主で夫の私の注意を、なんとその故・島袋照子は娘・本村弘美へ「強制立ち退きの手続きの時間にはちゃんと立会いなさい」などと言い、言われた妻の本村弘美は、主の私へは一切内緒で従い、おかげで即刻強制立ち退きに入られ、本村弘美自身も泣き出すなど、本村家一家全員の家を失わせた。
(妻・本村弘美の実母の故・島袋照子は、なんと未だにその日の強制立ち退きの話もでない数週間前にはすでに妻の本村弘美へ引越し費用の準備金として20万円を手渡してあったことから、その故・島袋照子が実は県営団地の家主である県の職員らとの交流もあることを承知していた関係もあって、直ぐに自分の長女である妻の本村弘美へは話したかもしれないが、本村家の主であるお父さんへは一切内緒でその県の住宅課と何らかの取引に利用したのではないか、直感したのを憶えている)
私が知らせを受け、駆けつけたときにはすでに後の祭り。
詰め込めるだけの世帯道具を詰め込まれた普通乗用車の運転席でわずか生後三ヶ月の五男をひとり抱きかかえさせられるという冷たい扱いをされた妻の本村弘美は、実母・故・島袋照子のあやまちに気付き、以後15、年実の母であるその故・島袋照子の言いなりにならなくなり、その住む家を失った日から始まった乳飲み子を含む一家7人でのおよそ一ヶ月にも亘るの路上生活中でさえも、その後の間借り生活中でさえ以後一切その実母の故・島袋照子へは連絡も交信すらすることもなく、本村家の母として妻としてここまでの15年成功の道を収めることができた。
しかし、15年の歳月と、かねてからの不況の波やボランティアを武器とする営業に対する弾圧などの影響のため経済的な力が衰えてしまっていた本村一家の主である本村安彦自身の注意不足や甘さも伴って本来の本村弘美という母としてや、妻としてのあるべき姿、または道を狂わせた。
実は、その遠くに居るべき故・島袋照子が去年から近くの県営城間団地へ引っ越してきてからは怒濤のごとく、妻・母・本村弘美は昔の記憶へ記憶へと流れさかのぼって戻ってしまった。
そして、今回。
この二十年余、本村家で頑張ったお母さん・本村弘美自身の名誉や徳性。そして社会人なら当然の利益と債務。普通の社会人なら当たり前に真正面から立ち向かわなければならない。
しかし、その故・島袋照子はまたもやお母さんへささやいた。(以後の内容についてはあくまでも可能性を追求してみた)
特に「離婚して、母子家庭になれ。そしたらかなりの母子手当てが入る。そのためには娘一人だけでも拉致してこい。今の暮らしより楽になる」とのささやきは強調したのではないか。
(故・島袋照子自分自身にはどんな狙いがあったかは本人に聞かないと知らないが、考えられることと言えば、例えば、母子手当てや福祉の援助金を無償で持ってくる自分の思い通りになる娘を増やせることなどの欲得がありはする)
そして、故・島袋照子は、自らの実の娘・本村弘美の嫁ぎ先の本村一家の自営家業でその実の娘の本村弘美自身も夫と二人の共同経営者でもある金城本村リフォーム設計という、リフォーム工事などの仕事上の債務を背負ったままではその受給資格を失いかねなくなることから、「本村家の一切の債務を負わないで」その本村弘美と本村安彦の家業を潰し、食堂の『ふく家』で勤め、市役所や福祉などといった母子家庭などの援助を得させ、得る目的があったのではないか。
以下、考えられることをさらに言えば、故・島袋照子自分自身への多少の小遣にもありつけるかもしれないなどと少しぐらいは目当てにしていたからこそ、債務の多い本村家の家業の共同経営者でありながらも連帯債務保証人にすらなっていなかったことを本村弘美から聞き、
「ほら、昔かあちゃが言ったとおりに破産宣告で自己破産しておいてよかったでしょ。だから連帯責任者にさせられなかったんだよ。こんなふうなときに助かるんだよ。ありがたく思え」と不道徳にささやきながら債務0での本村家脱出・逃亡背任を図らせ、実娘・本村弘美をそそのかしまたもや教唆したのではないか。
そして、偶然とはいえ、その計画の道半ばの8月20日に本村家の主で本村弘美の夫の本村安彦が突然現れ、妻・本村弘美と娘・未姫を連れ戻そうと部屋へ入ってきた。
しかし、故・島袋照子がそのような計画を描いていたのであれば、浅はかではあるが、その浅はかな計画にとって必須の孫娘・未姫を取り戻そうとする未姫の父親の本村安彦を狂言によって追い払おうとしたものの、力尽きたのか、人生を全うしたのか、しばらくしてひとりでにその場で倒れ、救急車で運ばれはしたものの翌21日にはこの世を去った。
以上のような故・島袋照子と本村家の金銭にまつわる事実と推測の話は、故人本人とその実の娘で本村家の妻で母の本村弘美とその夫・本村安彦のこの三人だけにしか理解できない話であることから、偶然にも亡くなった故・島袋照子の四十九日の喪が明けた10月9日を持って終えたものとすべきであるとしたい。
よって、そのあやまった計画は実娘・本村弘美が実母故・島袋照子に代わって終わらすべきである。
終わらすことで、昨日まで足踏み状態が約三ヶ月続いてきた本村家一家全員が新たな明日の生活へ踏み出し、前へ進める。
以上。
平成23年10月19日 本村安彦
ところで、お母さん。あれ覚えているか?
全盲のピアニストの辻井伸行君の成功の秘密と、沖縄芝居の大宜味小太郎夫婦が生涯に亘って演じ続けた丘の一本松の最後の場面で、その一本松を最後に頑固な鍛冶屋の父親を持つひとり息子が、立派な一人前の大人になって旅立てるまでになったという話の二つを。
実は、この二人はお父さんは厳しいんだけど、お母さんは優しい共通点があるんだってことを。
そして、互いにその役割が子どもの成長にとってとても重要であることを知っていて、お父さん役はお父さんが。お母さん役はお母さんがと、誰が何と言おうが貫き通し、息子を成人させ、旅たたせ終えたとき初めて互いに妥協しないでくれてありがとうね、と言い合って以後夫婦仲良く生涯を添い遂げたという話だ。
特に、大宜味小太郎夫婦の場合は現実的にも重い。実は二人の間には障碍児の子がひとりだけだった。それだけに理想を追い求め続けたのだろうか。
今日は詳しい内容はおいておく。
お母さんへ。ちあきと香りにに聞いてくれないか。2011年10月27日 木曜日 午前3:46
ちあきの夫、せいほうの兄は暴力団との関係があることが多く、この沖縄では評判の特に汚い裏刑事と呼ばれる特捜刑事がいるんだからその関係者が客商売の食堂『ふく家』に頻繁に来てなかったか?
気になるな。
お父さんの妻のお母さんがその警察官のような自分で稼ぐ事を知りもしない輩の思惑通り家を出てくれて、お母さんがお父さんには内緒で来て手伝っているかどうか訪ねて来てないかどうか聞いてみて
今から15年前当時も、お父さんとお母さんの「『核』撤去ボランティア」という命がけな社会貢献の行動に対し、そんなことなど10年以上も前にすでにわかっていながら浦添警察署の情報屋としての金欲しさにありもしない内実を調べようと本村家の俺たちの職業について再度探りに来なかったかどうか聞いてみて?
特にそいつは、浄水器でちあきやせいほうが、もう何年も前からやっていて、お母さんのお母さんがそのお父さんの放射能までとれる唯一のクリスタル浄水器の良さを十分に知った事でどんなにちあきやせいほうへ薦めても薦めても、あの浦添市仲間の石川文男さんの奥さんのアムエのネットワーク同様に一切受け付けない-といったアムエを使っている客の例えと同じぐらいライバルのエナジックのねずみ講・ネットワークビジネスを主食としている屋富祖のコーヒー屋のエスプレッソの経営者で、親父の核撤去ボランティアを調べる事が任務の警察官を兄に持つ佐和田か多和田という名の情報屋と同じ情報屋でもある。
そいつは自然と同級生もいる宮城の郵便局の向かいのマンションに住む石川だよ、覚えているだろ。あの今から15年前。義明・よっちゃんを塾に行かせた塾の奴だよ。
当時も「お父さんが『核』撤去ボランティアをするから」と市内の家族ひとり当たり月に0円から千円ぐらいのお父さんのボランティアに対するカンパが珍しい。貴方はかつての坂本龍馬だなどとおべっかを使い食べ物を持参し、その一方ではカンパは無しなどといった矛盾で、自分は一市民的な理由でなどと当時の宮城の俺たちの建築設計事務所へ、実は「事なかれ」を目的としたかつての戦前の特高警察と同じ高圧な組織のくせに表向きは建前で、市民の生活安全を守るなどとの「生活安全課」の回し者で情報屋の金だけが目的の汚い目的でやって来る、しかも、さも支援者を装ってやって来ていた輩の石川だ。覚えているだろ。
確か、自然が高2の時に「来るな!!スパイめ!」と一個年下のおやじに怒鳴られて以来、来てない宮古出身の臆病な奴だよ。
又はよっちゃんの様子を伺うふりをして来てたか、その金づるで仲間の佐和田か多和田の兄の関係者は来てなかったか?
でっ、昨日のニュースにも「生活安全課の警官はまるで暴力団。逮捕」とあるように、一昨日、ある特捜刑事の裏側の内実に詳しい人の話によるとどうもまともじゃないらしいなこの特捜刑事らは。お前と未姫は大丈夫たろ?違うか?答えて。法事の途中はかなり変な警察関係者がうろうろしたらしいけど。
題:「望がさらりと告白」、、、このメールをお母さんへ。
「ん?何でしゃべったかかって?、今おやじが『ふく家に行ったけど裏の倉庫と、店のトイレ以外しか見てないけどお母さんは見えなかった』と、『ふく家』と言ったから思い出しただけだよ」と望が今頃話した。
つまり実は望は、二、三年前の小学校六年生の時すでに望の親のおやじですら今年の8月19日になってお母さんを探す時になってはじめて知ったそのふく家の場所や『ふく家』とい食堂の名前を知っていた事を吐露したんだよ。
お父さんとすれば当然望も知らない筈と思っていただけにびっくりした。
また、その時にお母さんはお母さんの妹のちあきや香、そして故・島袋照子らが共同で揃って運営するそのふく家という食堂でおしゃべりしながらいたこと。望の弁当を作っておくから取りに来てと言われてあきらと二人で取りに行った事があったことを話してた。
そんな話聞いてないな。お母さん。
望の話によると、なんでもその朝のヤンキースの少年野球の試合に朝寝坊したお母さんは弁当をつくれなかったからお父さんに内緒でそのふく家にお母さんが世話になっていたらしいな。
こんな話聞いたことないな~。
そんな三年も前からお父さんに内緒でふく家に出入りしていたなんて。それを一言も話さなかったなんてのは三年も裏切り続けていたんだな。お母さんはお父さんを。
寝坊以外の理由があったら教えくれればいいのに。
そしたら望が悩まなくてもよかったのに。今からでもその訳を話してちょうだい。
望はなぜあれから二年も経った昨日しか自分自身の父親のお父さんへ話せなかったのか?わかるだろ。
その二年間も、望はそのふく家での出来事を昨日の昨日まで話せなかったお父さんに対してどんな気持ちだったんだろうって簡単に想像がつくだろ。
望とすれば、なぜお母さんはそのふく家での出来事をお父さんに伝えないのかを自分なりに悩んだんじゃないかな?わかるだろ。
その疑問をづ~と抱えたままそれ以来昨日までふく家に絡む事ではお父さんに対して心を開けなったんじゃないか?違う?
だからその頃から成績が上がらなくなっていったんじゃないか?わかるだろ。
昨日、早速傍で聞いていた自然からも公平からも「俺たちはそんなことは一切なかったよ」と聞いている。何で望たけだ?変だろ?望や他の兄弟やお父さんからすれば。
それとひとつ聞きたいことがあるけど、その時未姫はどこでどうしてた?お母さんには答える責任があるよ。答えて。
8月4日にお母さんがひとりで家を出る数時間前にお母さんがその日の履歴を削除してから手渡しした携帯に残っていた1日前の8月3日。その日はお父さんがその日の10時から1時まで浦添警察署で取り調べを受ける一時間前の履歴にある朝早くとその取り調べが終わった後の午後にかかってきてあった食堂『ふく家』の経営者の嫁で妹のちあきというのと、その間の誰だか分からない番号と、そして四時過ぎに金貸し金融会社のオークス債務取立て部署からの履歴ををあらためて見て思ったけど、望までお父さんに内緒にする事でお父さんに秘密を持たせ悩ましてまで巻き込んでいたそのような食堂『ふく家』とお母さんのそれは、その『ふく家』のことをお父さんに内緒にしなければならないような何らかのお金に絡む事情でもあるの?
それともお父さんに知られたくないちあきと何らかの金絡みがあって、そのお金をオークスから請求されているの?それともオークスに払うお金はその『ふく家』の事をお父さんに知られたら支払えなくなるの?
それとも単純に只小遣いの金欲しさに夫のお父さんを裏切ったの?
いずれにしてもお母さん、『ふく家』開店から三年。その『ふく家』は食堂という客商売。お母さんが望まで平気で巻き込んでいる食堂。
もしかしお母さん、親父と対立している○○○の○○にも○○にも○○○○○の○○や○○○。そして親父が気に入らない連中、または親父を嫌いな連中み~んなに対しても、平気で堂々と自分自身自らも共同経営者として一日中かかわる自営家業のうちの仕事の宣伝そっちのけでその『ふく家』応援だけを「ふく家で弁当買って下さい」や「食事に行って下さい」などとちあきや『ふく家』経営者からの見返りのお金を目当てに、働きかけ、夫のお父さんには一切内緒で、自分名義のその○○○○からの借金支払いだけの目的で『ふく家』に関わり、お金に絡みその借金の支払いを続けたの?だから、かねてからお父さんと対立する『ふく家』以外の彼らへ頭が上がらなかったの?
また、そんな食堂と言う客商売の『ふく家』とお母さんとの息子の望まで巻き込んだ堂々な関係を知らないお父さんとすればお母さんのそのような不自然なおべっかがふがいなくて、そうとは知らずにそんなお母さんを何度も注意したよね?何で一言言ってくれなかった?
8月19日にお父さんがその『ふく家』のカウンターの中に立っていたお母さんを見つけて、その場でお母さんと二人だけで話し合い、帰る条件まで決めて帰る事を決めた時に、
そんな以前からお父さんへは隠しとおした『ふく家』と本村家のお母さんのお父さんには話さなかった何らかのお金絡みがあるような事まであることがお父さんに知られ、怒られることに当然なる妹やお母さんのお母さんをかばうために、その事を話さなかったんだろ。
だから、家に帰る条件の2つ「1、家に帰ったらごちゃごちゃ言わない事」「2、お酒を飲んだら何時も口うるさくなって追及したりして恐いから、お酒を止める事」を言ったんだろ。
そんな『ふく家』が絡むお金の事に及ぶのが恐いから8月20日にお父さんが団地のお母さんのお母さんの部屋へ行き未姫とお母さんを迎えに行った時も、
その後でお母さんのお母さんが団地で倒れた後の病院の時でも、
その翌日にお母さんのお母さんが亡くなってその後の容態を案じて団地へ電話をかけたお父さんに対して「亡くなった。来ないでよ」と話した時も、
お母さんのお母さんが亡くなって初七日を過ぎて再開店したふく家でお父さんとお母さんとで話した時も、
9月5日にお父さんが警察署に被害届を出した時も、
9月25日の運動会の時も、
9月26日の家庭裁判所の調停の時もその後も、
そして眞理や自然と公平が団地に通いつめた時も今日も、その望をそんなにまで悩ませてしまったような『ふく家』が絡むお金の事のような事を未だにお母さんの口からは堂々と話せないのはなぜ??今からでも遅くないから話してちょうだい。家族だろ。夫婦だろ。お前のお腹を痛めた俺たち二人のだけの子どもたちだろ。前にも話したように「家族は許しあう」のが家族だよ。だから家族なんだよ。「人を殺しても最後には許す」のが家族だよ。お母さんは本村のおばあちゃんや兄弟とお父さんの関係を見て聞いて分かるだろ。お父さんは何があっても最後には本村に向かって行くだろ。去った22日は兄ちゃん・安聡が満27歳になったから本村家はもう27年だよ。
だけど、解らんでもないよ。今は。お母さんがお母さんのお母さんに「今度、本村へ戻ったら親子の縁も兄弟姉妹の縁も切るぞ!!」と脅かされてビクつき、自分の家に帰ろうに帰れないかを。
そのお母さんのお母さんが亡くなって、お母さんのお母さんの那覇の与儀にある実家で「へ~世の中にはこんなおかしな考えや習慣を持つ七十代もいるもんだ」と心で思うような、まるでお父さん自身の家族像とはまる反対の姿を見たり話を聞いたからだ。
団地でお母さんのお母さんの弔い中。お父さんがそのお母さんのお母さんのその与儀の島袋家の実家にいた七十代のお母さのお母さんの兄夫婦へ「申し訳ないが、貴方たちはおかしい。本村の私の妻の弘美が私と弘美の娘をすぐ近くにある自分の家には帰さないで、づ~と弘美だけに故・島袋照子をみせているけど、故・島袋照子は貴方の妹で、しかも27年も前には金城家とはすで離婚していて今や貴方が一番近い親戚なのに、なぜ貴方はそんな境遇の直ぐしたの妹でもある故・照子を貴方はみないで、団地でしかも私の娘の未姫まで巻き込んで弘美と二人だけに四六時中法事をみせるのはおかしい。七日、七日の一週間に一度ならまだしも毎日はおかしい。何で自分でみないんですか?」「おかげで本村家は大変迷惑してる。なんとかして下さい。弘美を自分の家に帰さないのは筋が通らない」と言い寄った途端の返事だった。
返事がこうだったからびっくりした。「いくら兄弟姉妹でも縁を切る場合もある。うちは兄弟姉妹かも、家族かも知れない。しかし縁を切っている。だからと言って法事をは別。七日、七日も行く。これがうちの常識」としゃぁ~しゃぁと夫婦揃って同じ口調だった。
つまり、お母さんのお母さん、島袋ではこういうことだと。おやじの持つ「家族は永遠に家族。だから何があっても縁は切れない」のような家族像では島袋はないんだと。お母さんのお母さんは実際に縁を切られたんだ。過去に。死んだ後も。と。
だけど、お母さん。安心しなさい。本村家は違うよ。また、真理では家族の縁は切れるもんじゃないよ。分かるだろ。それが人の世だ。お母さん、お母さんの50年の人生でどうだ。家族の縁を真の意味で切られた人を見た事、聞いたことあるか?その与儀の実家の島袋さんは本当にお母さんのお母さん、故・島袋照子と縁を切ってるか?
早く帰って来て!!おやじ。
2011年10月26日 親父より 続きを読む
明日も家族がすぐやらなければならないことが3つある。それは:
1、仕事・営業求職活動。それも収入の9割り占める「お父さんが無党派無宗教無団体という真の故人の立場で憲法16条の「個人の請願権」を盾に『核』撤去ボランティアという地域に密着した社会貢献をするからお父さんへ特に仕事を与えてくれる」お客さんに応えるため、その仕事と同時にボランティア活動も進める。
そして、18年も続けているお父さん個人のボランティア活動を妨害し、そのボランティア活動を伴って始めて得られる本村家の家族8人分の暮らしの糧の9割の収入をその妨害によって得られないようにしながら、自らの暮らしの糧の収入をお父さん個人のボランティア活動を妨害することによって増やそうとするような不当な利益を得ようとする人を、明日も国の人権擁護課と連携をとって仕事・営業休職活動及びボランティア活動を同時に行い収入という本村家の暮らしの糧を得る。
2、中学生を含む未成熟子5人も両親と伴に暮らす本村家個人宅へ不当に介入しようとする人を明日も、今日新たに分かった情報を携え、検察庁へ刑事訴追しながら、自動車練習所へ通いつつ、その他の公用や大事な用事も済ます。
3、お母さんと未姫が早く帰ってこれるよう、家族で話し合う。家に居ないお母さんと未姫と兄ちゃんと眞理へは手紙またはこうやってメールにして送り、意見を募りながら家族全員が安心できる環境整備を整えていく。
そして、仕事の収入と直結する「個人の請願権」を盾に『核』撤去ボランティアという地域に密着した社会貢献をするからお父さんへ特に仕事を与えてくれる」お客さんのためにブログ→http://motomurayasuhiko.ti-da.net/e3770004.htmlで情報提供をしながら、営業活動をする。
以上、
以下は、家族が今話し合わなければならないメールだから必ず読んでね。
お母さんと未姫へ。早く帰って来て!!
下の↓「望がさらりと告白」、、、の続きだけど、
昨日までの話では、食堂の『ふく家』のお金かなにかにまつわるようななんらかの事が原因でかつては2年前の小学校六年生の時の望を、そして今度はその妹の未姫をその食堂『ふく家』の何らかの原因でお母さんが自動車の運転免許証を持たないお父さんの「娘の送迎を頼む」との信任を裏切らされ、拉致までさせられてしまって、こっそりと隠れ、その食堂『ふく家』に通い巻き込んでしまっている。
そのようなお母さんの行動は、お母さんのお母さん、そして妹のちあきや香といったお母さんの親兄弟姉妹らの持つ何らかのお父さんに知られたら困る目的があって、今となっては本村家のお母さんが自分の家へ帰ってしまったらお父さんに追及され、お父さんにその何らかの目的が知れるのを恐れているというやましさから本村家のお母さんへ「本村家へ帰ったら親兄弟姉妹との縁を切るぞ!!」と脅迫までした。
たとえ一時的にはあったとしても、最終的には決してありもしない家族の縁切りなどというような事をある程度の期間の間ではあっても実際にその与儀の実家のお兄さんらの家族との間の縁まで断ち切られてしまい、かつてには、夫のお母さんのお父さん、故・金城良守の意志とは関係なく金城キクらの意志によって離婚させられたいわく付きで金城家とも中途半端な状態を27年も延々と続けていた現状もあって、つらくてさびしい思いをした経験のあるお母さんのお母さんとしては自分の長女のお母さんへはもちろん、その他の自分の子どもたちへもこの二十年余こんこんと話し、その怖さを植えつけててきてしまったんだろう。
そんな経緯の中で、その本人であるお母さんのお母さんの口から出る家族の縁を切るというキーワードはおそらくお母さんにとっても、その他の妹や弟たちにとってもこの二十年間、親としての子どもに対するしつけのときや、指導監督のためであったり、その他の事などで親である自分の思うとおりの行動を取らさなければならないような場面などではその脅迫や脅しは十分な一喝の手段として通用してきたんだろう。
だからお母さんもあのときその一喝の手段であるその親兄弟姉妹の縁を切るとの脅迫で、脅された8月19の食堂の『ふく家』で恐ろしくなって気が動転したんだろうな。
過去にこんなこともあったし:
過去20年の金銭面での事実と推測からの考察から抜粋した:
「なんで母で妻の本村弘美が家に帰れないか?」
故・島袋照子は25年以上も前の過去において、自らが使う目的で実の娘で長女の本村弘美(当時の姓は旧姓で金城弘美)を名義人または連帯保証人として借金をした。
その後、その故・島袋照子自らが使った金銭債務の返済から自らが逃れる手段として、当時はすで嫁に行き、別々の世帯を持って何年にもなっていた本村弘美に対して、未だ二十歳をわずかに過ぎたばかりの若さからもその意味もよく知らないことをいいことに「破産宣告が楽だ」と自己破産を押し付け、逃れた。
後になって、寝耳に水のその話を聞かされたときに「確かに自己破産すれば法的にはあらゆる債務から逃れられはするもののしかし、一方では、我が家の妻であり母親でもある本村弘美が、しかも実母とはいえまったく別の世帯の主婦によって自己破産されてしまっては、今後の本村家の人生の中で起こるであろう様々な社会的困難やペナルティーがその自己破産をしたことによってより多く降りかかることになることを伝え、当時のその選択は実は、本村弘美にとってはごくわずかなリスク回避のために膨大な便益を失うことのほうが大きい。間違っている」と当時も本村弘美へ話し、止めるよう薦めたのを今でも覚えている。が、しかし、この一家の主である私へは一切話もなく、私抜きで進めた手続きだったことから止めさせきれなかった。
おかげで妻・本村弘美自身はもちろん、本村一家の主である私自身や子どもたちも結婚当初から、時折、社会的、或いはこと金融機関との関係において一人前じゃなかったことで
後悔し悩み続けることになった。
案の定、本村弘美自身も、人として、一人の人間・子を持つ母親としては現実から逃げてしまった無責任ーとの内なる自己批判や、その自らの実母がまねく殺伐とした将来へいざなう道徳的社会通念の制裁から以後十年余り、一人前の大人として扱われなくなる恐れの可能性を常に背負ってきてしまっている。
今から15年ほど前にもこんな事があった。
「県営団地の住居強制立ち退きの手続きの時間帯には絶対に立ち会うな。立ち会ったら最後。本当に追い出されてしまうぞ」ーと、妻の本村弘美へ注意して仕事のため家を出た本村一家の主で夫の私の注意を、なんとその故・島袋照子は娘・本村弘美へ「強制立ち退きの手続きの時間にはちゃんと立会いなさい」などと言い、言われた妻の本村弘美は、主の私へは一切内緒で従い、おかげで即刻強制立ち退きに入られ、本村弘美自身も泣き出すなど、本村家一家全員の家を失わせた。
(妻・本村弘美の実母の故・島袋照子は、なんと未だにその日の強制立ち退きの話もでない数週間前にはすでに妻の本村弘美へ引越し費用の準備金として20万円を手渡してあったことから、その故・島袋照子が実は県営団地の家主である県の職員らとの交流もあることを承知していた関係もあって、直ぐに自分の長女である妻の本村弘美へは話したかもしれないが、本村家の主であるお父さんへは一切内緒でその県の住宅課と何らかの取引に利用したのではないか、直感したのを憶えている)
私が知らせを受け、駆けつけたときにはすでに後の祭り。
詰め込めるだけの世帯道具を詰め込まれた普通乗用車の運転席でわずか生後三ヶ月の五男をひとり抱きかかえさせられるという冷たい扱いをされた妻の本村弘美は、実母・故・島袋照子のあやまちに気付き、以後15、年実の母であるその故・島袋照子の言いなりにならなくなり、その住む家を失った日から始まった乳飲み子を含む一家7人でのおよそ一ヶ月にも亘るの路上生活中でさえも、その後の間借り生活中でさえ以後一切その実母の故・島袋照子へは連絡も交信すらすることもなく、本村家の母として妻としてここまでの15年成功の道を収めることができた。
しかし、15年の歳月と、かねてからの不況の波やボランティアを武器とする営業に対する弾圧などの影響のため経済的な力が衰えてしまっていた本村一家の主である本村安彦自身の注意不足や甘さも伴って本来の本村弘美という母としてや、妻としてのあるべき姿、または道を狂わせた。
実は、その遠くに居るべき故・島袋照子が去年から近くの県営城間団地へ引っ越してきてからは怒濤のごとく、妻・母・本村弘美は昔の記憶へ記憶へと流れさかのぼって戻ってしまった。
そして、今回。
この二十年余、本村家で頑張ったお母さん・本村弘美自身の名誉や徳性。そして社会人なら当然の利益と債務。普通の社会人なら当たり前に真正面から立ち向かわなければならない。
しかし、その故・島袋照子はまたもやお母さんへささやいた。(以後の内容についてはあくまでも可能性を追求してみた)
特に「離婚して、母子家庭になれ。そしたらかなりの母子手当てが入る。そのためには娘一人だけでも拉致してこい。今の暮らしより楽になる」とのささやきは強調したのではないか。
(故・島袋照子自分自身にはどんな狙いがあったかは本人に聞かないと知らないが、考えられることと言えば、例えば、母子手当てや福祉の援助金を無償で持ってくる自分の思い通りになる娘を増やせることなどの欲得がありはする)
そして、故・島袋照子は、自らの実の娘・本村弘美の嫁ぎ先の本村一家の自営家業でその実の娘の本村弘美自身も夫と二人の共同経営者でもある金城本村リフォーム設計という、リフォーム工事などの仕事上の債務を背負ったままではその受給資格を失いかねなくなることから、「本村家の一切の債務を負わないで」その本村弘美と本村安彦の家業を潰し、食堂の『ふく家』で勤め、市役所や福祉などといった母子家庭などの援助を得させ、得る目的があったのではないか。
以下、考えられることをさらに言えば、故・島袋照子自分自身への多少の小遣にもありつけるかもしれないなどと少しぐらいは目当てにしていたからこそ、債務の多い本村家の家業の共同経営者でありながらも連帯債務保証人にすらなっていなかったことを本村弘美から聞き、
「ほら、昔かあちゃが言ったとおりに破産宣告で自己破産しておいてよかったでしょ。だから連帯責任者にさせられなかったんだよ。こんなふうなときに助かるんだよ。ありがたく思え」と不道徳にささやきながら債務0での本村家脱出・逃亡背任を図らせ、実娘・本村弘美をそそのかしまたもや教唆したのではないか。
そして、偶然とはいえ、その計画の道半ばの8月20日に本村家の主で本村弘美の夫の本村安彦が突然現れ、妻・本村弘美と娘・未姫を連れ戻そうと部屋へ入ってきた。
しかし、故・島袋照子がそのような計画を描いていたのであれば、浅はかではあるが、その浅はかな計画にとって必須の孫娘・未姫を取り戻そうとする未姫の父親の本村安彦を狂言によって追い払おうとしたものの、力尽きたのか、人生を全うしたのか、しばらくしてひとりでにその場で倒れ、救急車で運ばれはしたものの翌21日にはこの世を去った。
以上のような故・島袋照子と本村家の金銭にまつわる事実と推測の話は、故人本人とその実の娘で本村家の妻で母の本村弘美とその夫・本村安彦のこの三人だけにしか理解できない話であることから、偶然にも亡くなった故・島袋照子の四十九日の喪が明けた10月9日を持って終えたものとすべきであるとしたい。
よって、そのあやまった計画は実娘・本村弘美が実母故・島袋照子に代わって終わらすべきである。
終わらすことで、昨日まで足踏み状態が約三ヶ月続いてきた本村家一家全員が新たな明日の生活へ踏み出し、前へ進める。
以上。
平成23年10月19日 本村安彦
ところで、お母さん。あれ覚えているか?
全盲のピアニストの辻井伸行君の成功の秘密と、沖縄芝居の大宜味小太郎夫婦が生涯に亘って演じ続けた丘の一本松の最後の場面で、その一本松を最後に頑固な鍛冶屋の父親を持つひとり息子が、立派な一人前の大人になって旅立てるまでになったという話の二つを。
実は、この二人はお父さんは厳しいんだけど、お母さんは優しい共通点があるんだってことを。
そして、互いにその役割が子どもの成長にとってとても重要であることを知っていて、お父さん役はお父さんが。お母さん役はお母さんがと、誰が何と言おうが貫き通し、息子を成人させ、旅たたせ終えたとき初めて互いに妥協しないでくれてありがとうね、と言い合って以後夫婦仲良く生涯を添い遂げたという話だ。
特に、大宜味小太郎夫婦の場合は現実的にも重い。実は二人の間には障碍児の子がひとりだけだった。それだけに理想を追い求め続けたのだろうか。
今日は詳しい内容はおいておく。
お母さんへ。ちあきと香りにに聞いてくれないか。2011年10月27日 木曜日 午前3:46
ちあきの夫、せいほうの兄は暴力団との関係があることが多く、この沖縄では評判の特に汚い裏刑事と呼ばれる特捜刑事がいるんだからその関係者が客商売の食堂『ふく家』に頻繁に来てなかったか?
気になるな。
お父さんの妻のお母さんがその警察官のような自分で稼ぐ事を知りもしない輩の思惑通り家を出てくれて、お母さんがお父さんには内緒で来て手伝っているかどうか訪ねて来てないかどうか聞いてみて
今から15年前当時も、お父さんとお母さんの「『核』撤去ボランティア」という命がけな社会貢献の行動に対し、そんなことなど10年以上も前にすでにわかっていながら浦添警察署の情報屋としての金欲しさにありもしない内実を調べようと本村家の俺たちの職業について再度探りに来なかったかどうか聞いてみて?
特にそいつは、浄水器でちあきやせいほうが、もう何年も前からやっていて、お母さんのお母さんがそのお父さんの放射能までとれる唯一のクリスタル浄水器の良さを十分に知った事でどんなにちあきやせいほうへ薦めても薦めても、あの浦添市仲間の石川文男さんの奥さんのアムエのネットワーク同様に一切受け付けない-といったアムエを使っている客の例えと同じぐらいライバルのエナジックのねずみ講・ネットワークビジネスを主食としている屋富祖のコーヒー屋のエスプレッソの経営者で、親父の核撤去ボランティアを調べる事が任務の警察官を兄に持つ佐和田か多和田という名の情報屋と同じ情報屋でもある。
そいつは自然と同級生もいる宮城の郵便局の向かいのマンションに住む石川だよ、覚えているだろ。あの今から15年前。義明・よっちゃんを塾に行かせた塾の奴だよ。
当時も「お父さんが『核』撤去ボランティアをするから」と市内の家族ひとり当たり月に0円から千円ぐらいのお父さんのボランティアに対するカンパが珍しい。貴方はかつての坂本龍馬だなどとおべっかを使い食べ物を持参し、その一方ではカンパは無しなどといった矛盾で、自分は一市民的な理由でなどと当時の宮城の俺たちの建築設計事務所へ、実は「事なかれ」を目的としたかつての戦前の特高警察と同じ高圧な組織のくせに表向きは建前で、市民の生活安全を守るなどとの「生活安全課」の回し者で情報屋の金だけが目的の汚い目的でやって来る、しかも、さも支援者を装ってやって来ていた輩の石川だ。覚えているだろ。
確か、自然が高2の時に「来るな!!スパイめ!」と一個年下のおやじに怒鳴られて以来、来てない宮古出身の臆病な奴だよ。
又はよっちゃんの様子を伺うふりをして来てたか、その金づるで仲間の佐和田か多和田の兄の関係者は来てなかったか?
でっ、昨日のニュースにも「生活安全課の警官はまるで暴力団。逮捕」とあるように、一昨日、ある特捜刑事の裏側の内実に詳しい人の話によるとどうもまともじゃないらしいなこの特捜刑事らは。お前と未姫は大丈夫たろ?違うか?答えて。法事の途中はかなり変な警察関係者がうろうろしたらしいけど。
題:「望がさらりと告白」、、、このメールをお母さんへ。
「ん?何でしゃべったかかって?、今おやじが『ふく家に行ったけど裏の倉庫と、店のトイレ以外しか見てないけどお母さんは見えなかった』と、『ふく家』と言ったから思い出しただけだよ」と望が今頃話した。
つまり実は望は、二、三年前の小学校六年生の時すでに望の親のおやじですら今年の8月19日になってお母さんを探す時になってはじめて知ったそのふく家の場所や『ふく家』とい食堂の名前を知っていた事を吐露したんだよ。
お父さんとすれば当然望も知らない筈と思っていただけにびっくりした。
また、その時にお母さんはお母さんの妹のちあきや香、そして故・島袋照子らが共同で揃って運営するそのふく家という食堂でおしゃべりしながらいたこと。望の弁当を作っておくから取りに来てと言われてあきらと二人で取りに行った事があったことを話してた。
そんな話聞いてないな。お母さん。
望の話によると、なんでもその朝のヤンキースの少年野球の試合に朝寝坊したお母さんは弁当をつくれなかったからお父さんに内緒でそのふく家にお母さんが世話になっていたらしいな。
こんな話聞いたことないな~。
そんな三年も前からお父さんに内緒でふく家に出入りしていたなんて。それを一言も話さなかったなんてのは三年も裏切り続けていたんだな。お母さんはお父さんを。
寝坊以外の理由があったら教えくれればいいのに。
そしたら望が悩まなくてもよかったのに。今からでもその訳を話してちょうだい。
望はなぜあれから二年も経った昨日しか自分自身の父親のお父さんへ話せなかったのか?わかるだろ。
その二年間も、望はそのふく家での出来事を昨日の昨日まで話せなかったお父さんに対してどんな気持ちだったんだろうって簡単に想像がつくだろ。
望とすれば、なぜお母さんはそのふく家での出来事をお父さんに伝えないのかを自分なりに悩んだんじゃないかな?わかるだろ。
その疑問をづ~と抱えたままそれ以来昨日までふく家に絡む事ではお父さんに対して心を開けなったんじゃないか?違う?
だからその頃から成績が上がらなくなっていったんじゃないか?わかるだろ。
昨日、早速傍で聞いていた自然からも公平からも「俺たちはそんなことは一切なかったよ」と聞いている。何で望たけだ?変だろ?望や他の兄弟やお父さんからすれば。
それとひとつ聞きたいことがあるけど、その時未姫はどこでどうしてた?お母さんには答える責任があるよ。答えて。
8月4日にお母さんがひとりで家を出る数時間前にお母さんがその日の履歴を削除してから手渡しした携帯に残っていた1日前の8月3日。その日はお父さんがその日の10時から1時まで浦添警察署で取り調べを受ける一時間前の履歴にある朝早くとその取り調べが終わった後の午後にかかってきてあった食堂『ふく家』の経営者の嫁で妹のちあきというのと、その間の誰だか分からない番号と、そして四時過ぎに金貸し金融会社のオークス債務取立て部署からの履歴ををあらためて見て思ったけど、望までお父さんに内緒にする事でお父さんに秘密を持たせ悩ましてまで巻き込んでいたそのような食堂『ふく家』とお母さんのそれは、その『ふく家』のことをお父さんに内緒にしなければならないような何らかのお金に絡む事情でもあるの?
それともお父さんに知られたくないちあきと何らかの金絡みがあって、そのお金をオークスから請求されているの?それともオークスに払うお金はその『ふく家』の事をお父さんに知られたら支払えなくなるの?
それとも単純に只小遣いの金欲しさに夫のお父さんを裏切ったの?
いずれにしてもお母さん、『ふく家』開店から三年。その『ふく家』は食堂という客商売。お母さんが望まで平気で巻き込んでいる食堂。
もしかしお母さん、親父と対立している○○○の○○にも○○にも○○○○○の○○や○○○。そして親父が気に入らない連中、または親父を嫌いな連中み~んなに対しても、平気で堂々と自分自身自らも共同経営者として一日中かかわる自営家業のうちの仕事の宣伝そっちのけでその『ふく家』応援だけを「ふく家で弁当買って下さい」や「食事に行って下さい」などとちあきや『ふく家』経営者からの見返りのお金を目当てに、働きかけ、夫のお父さんには一切内緒で、自分名義のその○○○○からの借金支払いだけの目的で『ふく家』に関わり、お金に絡みその借金の支払いを続けたの?だから、かねてからお父さんと対立する『ふく家』以外の彼らへ頭が上がらなかったの?
また、そんな食堂と言う客商売の『ふく家』とお母さんとの息子の望まで巻き込んだ堂々な関係を知らないお父さんとすればお母さんのそのような不自然なおべっかがふがいなくて、そうとは知らずにそんなお母さんを何度も注意したよね?何で一言言ってくれなかった?
8月19日にお父さんがその『ふく家』のカウンターの中に立っていたお母さんを見つけて、その場でお母さんと二人だけで話し合い、帰る条件まで決めて帰る事を決めた時に、
そんな以前からお父さんへは隠しとおした『ふく家』と本村家のお母さんのお父さんには話さなかった何らかのお金絡みがあるような事まであることがお父さんに知られ、怒られることに当然なる妹やお母さんのお母さんをかばうために、その事を話さなかったんだろ。
だから、家に帰る条件の2つ「1、家に帰ったらごちゃごちゃ言わない事」「2、お酒を飲んだら何時も口うるさくなって追及したりして恐いから、お酒を止める事」を言ったんだろ。
そんな『ふく家』が絡むお金の事に及ぶのが恐いから8月20日にお父さんが団地のお母さんのお母さんの部屋へ行き未姫とお母さんを迎えに行った時も、
その後でお母さんのお母さんが団地で倒れた後の病院の時でも、
その翌日にお母さんのお母さんが亡くなってその後の容態を案じて団地へ電話をかけたお父さんに対して「亡くなった。来ないでよ」と話した時も、
お母さんのお母さんが亡くなって初七日を過ぎて再開店したふく家でお父さんとお母さんとで話した時も、
9月5日にお父さんが警察署に被害届を出した時も、
9月25日の運動会の時も、
9月26日の家庭裁判所の調停の時もその後も、
そして眞理や自然と公平が団地に通いつめた時も今日も、その望をそんなにまで悩ませてしまったような『ふく家』が絡むお金の事のような事を未だにお母さんの口からは堂々と話せないのはなぜ??今からでも遅くないから話してちょうだい。家族だろ。夫婦だろ。お前のお腹を痛めた俺たち二人のだけの子どもたちだろ。前にも話したように「家族は許しあう」のが家族だよ。だから家族なんだよ。「人を殺しても最後には許す」のが家族だよ。お母さんは本村のおばあちゃんや兄弟とお父さんの関係を見て聞いて分かるだろ。お父さんは何があっても最後には本村に向かって行くだろ。去った22日は兄ちゃん・安聡が満27歳になったから本村家はもう27年だよ。
だけど、解らんでもないよ。今は。お母さんがお母さんのお母さんに「今度、本村へ戻ったら親子の縁も兄弟姉妹の縁も切るぞ!!」と脅かされてビクつき、自分の家に帰ろうに帰れないかを。
そのお母さんのお母さんが亡くなって、お母さんのお母さんの那覇の与儀にある実家で「へ~世の中にはこんなおかしな考えや習慣を持つ七十代もいるもんだ」と心で思うような、まるでお父さん自身の家族像とはまる反対の姿を見たり話を聞いたからだ。
団地でお母さんのお母さんの弔い中。お父さんがそのお母さんのお母さんのその与儀の島袋家の実家にいた七十代のお母さのお母さんの兄夫婦へ「申し訳ないが、貴方たちはおかしい。本村の私の妻の弘美が私と弘美の娘をすぐ近くにある自分の家には帰さないで、づ~と弘美だけに故・島袋照子をみせているけど、故・島袋照子は貴方の妹で、しかも27年も前には金城家とはすで離婚していて今や貴方が一番近い親戚なのに、なぜ貴方はそんな境遇の直ぐしたの妹でもある故・照子を貴方はみないで、団地でしかも私の娘の未姫まで巻き込んで弘美と二人だけに四六時中法事をみせるのはおかしい。七日、七日の一週間に一度ならまだしも毎日はおかしい。何で自分でみないんですか?」「おかげで本村家は大変迷惑してる。なんとかして下さい。弘美を自分の家に帰さないのは筋が通らない」と言い寄った途端の返事だった。
返事がこうだったからびっくりした。「いくら兄弟姉妹でも縁を切る場合もある。うちは兄弟姉妹かも、家族かも知れない。しかし縁を切っている。だからと言って法事をは別。七日、七日も行く。これがうちの常識」としゃぁ~しゃぁと夫婦揃って同じ口調だった。
つまり、お母さんのお母さん、島袋ではこういうことだと。おやじの持つ「家族は永遠に家族。だから何があっても縁は切れない」のような家族像では島袋はないんだと。お母さんのお母さんは実際に縁を切られたんだ。過去に。死んだ後も。と。
だけど、お母さん。安心しなさい。本村家は違うよ。また、真理では家族の縁は切れるもんじゃないよ。分かるだろ。それが人の世だ。お母さん、お母さんの50年の人生でどうだ。家族の縁を真の意味で切られた人を見た事、聞いたことあるか?その与儀の実家の島袋さんは本当にお母さんのお母さん、故・島袋照子と縁を切ってるか?
早く帰って来て!!おやじ。
2011年10月26日 親父より 続きを読む
2011年10月26日
沖縄は一個のピラミッド
「最新版:被害届添付参考資料」をご覧ください。
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その1→http://motomurayasuhiko.ti-da.net/e3764658.html
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その7→http://motomurayasuhiko.ti-da.net/e3764675.html
「概略」報告と説明
(詳細については後段に添付した「全文」報告と説明をご一読ください)
ご協力者各位
しばらくの間、訪問での御挨拶が遅れますので以下、その理由の報告説明をいたします。平成23年10月21日 金城本村リフォーム設計 代表 本村安彦
ご承知のように金城本村リフォーム設計代表者の本村安彦は訪問販売の営業活動を通じ、この18年間、無党派無宗教無団体という庶民の立場で様々な沖縄社会の問題をボランティア活動の一環として提起し、自由に議論して頂きながら皆様のご協力の下、多くの沖縄社会の問題を解決してきました。これからもよろしくお願いいたします。
しかし、残念ながら去る5月24日以降から、その金城本村リフォーム設計の特色であるそのような社会貢献がまったくもって行えないようになりました。今日はその報告と説明をいたします。
ものの本によると、弾圧(だんあつ)とは、(略)「言論を―する」などとありますとおり、今まさにその弾圧によってこの金城本村リフォーム設計の言論ボランティア活動が行えません。
事の成り行き:
※2011年2月27日。以下の仮説をインターネット上で発表する。
先ず今日現在沖縄の健康状況から:
1、1946年以降生まれ世代の全国1早世・早死にの問題。(略)
2、全国平均不妊症カップルの割合が10組に1組なのに、なぜ沖縄では7組に1組と多いのかという問題。
3、低出生体重児・未熟児(1500グラム以上2500グラム以下)が生まれる率が全国1高い沖縄。(略)
仮説第一回目:
1、の原因その1、1946年から始まり、15年後の1962年まで行われたビキニ環礁での核実験による放射性物質を含む放射能雨が琉球列島へ連日のように降り注ぎ続けた。(略)特に当時生まれたばかりの頃の年代の者、いわゆる現在70歳の者は 満15歳になるまでづ~とその放射性物質を含む天水を毎日摂取していただろうから全国1の早世・早死にの短命になっている。
1、の原因その2、上記に加えて1960年代のベトナムで使用された枯葉剤に混入していたダイオキシン散布の問題も重なった。(略)
特にその現在70歳未満の者は原爆の放射能雨から連続していることから被害が多く、全国1早世・早死にになるのは当然の結果と言える。
1、の原因その3、冒頭の戦後沖縄の教育行政で現れている通り、特殊教育対象児童の急激な増加時期とビキニ環礁との因果関係性の問題。(略)この年代の沖縄での健康診断時で「必ず病院へ行くこと」として持たされる有所見率 は全国1である。
2、の原因その1、上記70歳未満の年代の健康問題を考えると、ちょうど彼等の子ども世代が現在の不妊症で悩む世代となっている。
母体への汚染が仮に放射性物質などであった場合、時系列からいって当たり前と言えば当たり前の結果だろう。(略)
あえてここで特筆するなら、(略)1960年代のベトナム戦争当時から長年に亘りダイオキシンを含む枯葉剤を散布実験・訓練していたこととの因果関係だろう。
3、の原因その1、問題の70歳未満の年代からすれば丁度母体や父親がその息子や娘世代で、低出生体重児・未熟児がその孫に当たる問題。
参考資料:2007年に発覚した五つも県民の水がめであるダムが存在する北部米軍訓練区域内のそのダム周辺に米軍がダイオキシンを含む枯葉剤を長年に亘り散布。(2007年7月9日付沖縄タイムス紙夕刊一面及び同日付琉球新報紙夕刊一面)これはお願いですから皆さん是非図書館へ行って下さい。
さらにもうひとつ沖縄の県民すべての世代にとって見過ごすことができないかなり深刻な事件がある。
1954年の米国政府によるビキニ環礁での水爆実験の際に(略)実験直後から日本への放射能汚染への懸念が全国的に広がったが、沖縄では当初は米軍による調査で、検査値の結果も明らかになっていない実情があること。
そして、当時の県内は80パーセントが天水の利用だったが、実験の後、米軍基地は急いで水道を敷いたこと。
加えて、実験の後県民の相当な人が(放射能物質を含む可能性があった)天水を飲んだのではないか」との研究報告から、沖縄は当事も米軍占領下だったことから、実験国が支配していた状況で、本土と対応が違い沖縄の米軍基地内と外との対応の差別的違いが明らかになった調査結果。(2010年11月22日付琉球新 報紙22ページから)
※2011年3月3日(木)。本村安彦仮説から始まった沖縄タイムス紙スクープ↓
沖縄タイムス紙一面「ビキニ死の灰沖縄に」「かでなで本土の2倍」「54年水爆実験後米が観測」「人体の影響専門家調査へ」。社会面「何も知らず被ばくか」「沖縄に死の灰」「米統治下情報奪われ」「近海の船員早世相次ぐ」
※2011年3月11日。フクシマ原子力発電所から放射能が漏れる。
※2011年4月4日。「本村家」検索ワード「本村家」↓出てきますのでご覧ください。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-175672-storytopic-7.html
カテゴリー:教育
本村家、きょうだい6人皆勤賞 港川小2011年4月4日
きょうだい全員小学校皆勤賞を達成した本村家の(左から)五男望君、三男自然さん、末っ子未姫さん、次男眞理さん、四男公平君=3月29日、浦添市港川
【浦添】浦添市の港川小学校を今春卒業した本村未姫さん(12)が皆勤賞で表彰された。未姫さんは6人きょうだいの末っ子で、きょうだい全員が同小を1日も休まず卒業。兄たちは中学校も皆勤賞を取り、未姫さんは「兄ちゃんたちがやってきたことで当たり前だと思ってきた。港川中学校の3年間も頑張りたい」と語り、父安彦さん(57)は「共働きで一人一人にゆっくり付き添うことができない中、自分たちの力で頑張ってくれた」と子どもたちの成長を喜んでいる。
未姫さんは兄たちの影響で小4で野球を始め、てだこアスリートクラブにも所属。
昨年8月、陸上競技の第26回全国小学生交流大会女子共通ソフトボール投げで優勝した。第48回沖縄教育版画コンクール特選にも選ばれた。
全国的に優れた成績を収めた児童生徒らをたたえる「2010年度県児童生徒等表彰」でも表彰され、「将来はCG(コンピューターグラフィックス)クリエーターになりたい」と夢を語る。
8人家族の本村家は長男安聡さん(26)を皮切りに小中学校皆勤賞を続け、次男眞理さん(20)=沖国大3年=は「周囲にこんな大家族はあまりないが、明るくにぎやかでいい」と話し、三男自然さん(18)=同大1年=は「もっと家族が増える将来が楽しみ」と笑う。
四男公平君(17)=浦添高3年=は「皆勤賞も当然と思ってきた」と話し、五男望君(13)=港川中2年=は「中学も達成したい」と意気込む。
6人の子どもの成長を支えてきた母弘美さん(50)は「何よりも健康で生まれてきてくれた喜びが大きい」と目を細めた。(座波幸代)
※4月5日(4月8報道)。フクシマの放射能が沖縄で観測される。
※4月24日。沖縄電力も原子力発電を7年前から研究問題が新聞で発覚。
※5月23日。夕方、インターネット掲示板 http://groups.yahoo.co.jp/group/ml_ryukyu_400130/ 上で、今回のフクシマ現地の放射能雨の汚染量より、かつてのビキニ環礁での核実験による放射能雨が琉球列島に降り注いだ当時の琉球気象台の記録、17万カウントのほうがかなり凄い放射能汚染量であることを伝え、公表し警鐘を鳴らす。
※5月24日。浦添警察署生活安全課による人通りの多い時間帯での、沖縄の核貯蔵庫撤去市民運動歴17年間の主人の個人的な市民運動に対するこれ見よがし的な妻と二人だけの零細自営家業の個人自宅への突然の家宅捜索。
そしてその後の2ヶ月に亘るも数回だけの取調べなどの長期嫌がらせによって商売上の信用が顧客との間でぐらつき、以来、この約半年収入が20分の1に激減した。
信用が第一の商売。とうぜんながら自営家業の商売が危うくなる。
すると売り上げが上がらなくなることで金銭的にお父さんやお母さんを圧迫し、家計や商売がうまくいかなくなり出します。
そして、その被害行為が長引くと当然に精神的にも圧迫され続けることになる。そうなると、当然ながら家庭内では多少の混乱が予想されます。
※六日後の2011年5月30日深夜。長崎放送放映の沖縄核兵器報道に妻と二人だけの零細自営家業の主人が出演。以後、8月3日までの約二ヵ月半浦添警察署生活安全課による取調べが続く。
※8月3日。浦添警察署生活安全課は最後の仕上げとばかりに、妻と二人
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その6→http://motomurayasuhiko.ti-da.net/e3764674.html
その7→http://motomurayasuhiko.ti-da.net/e3764675.html
「概略」報告と説明
(詳細については後段に添付した「全文」報告と説明をご一読ください)
ご協力者各位
しばらくの間、訪問での御挨拶が遅れますので以下、その理由の報告説明をいたします。平成23年10月21日 金城本村リフォーム設計 代表 本村安彦
ご承知のように金城本村リフォーム設計代表者の本村安彦は訪問販売の営業活動を通じ、この18年間、無党派無宗教無団体という庶民の立場で様々な沖縄社会の問題をボランティア活動の一環として提起し、自由に議論して頂きながら皆様のご協力の下、多くの沖縄社会の問題を解決してきました。これからもよろしくお願いいたします。
しかし、残念ながら去る5月24日以降から、その金城本村リフォーム設計の特色であるそのような社会貢献がまったくもって行えないようになりました。今日はその報告と説明をいたします。
ものの本によると、弾圧(だんあつ)とは、(略)「言論を―する」などとありますとおり、今まさにその弾圧によってこの金城本村リフォーム設計の言論ボランティア活動が行えません。
事の成り行き:
※2011年2月27日。以下の仮説をインターネット上で発表する。
先ず今日現在沖縄の健康状況から:
1、1946年以降生まれ世代の全国1早世・早死にの問題。(略)
2、全国平均不妊症カップルの割合が10組に1組なのに、なぜ沖縄では7組に1組と多いのかという問題。
3、低出生体重児・未熟児(1500グラム以上2500グラム以下)が生まれる率が全国1高い沖縄。(略)
仮説第一回目:
1、の原因その1、1946年から始まり、15年後の1962年まで行われたビキニ環礁での核実験による放射性物質を含む放射能雨が琉球列島へ連日のように降り注ぎ続けた。(略)特に当時生まれたばかりの頃の年代の者、いわゆる現在70歳の者は 満15歳になるまでづ~とその放射性物質を含む天水を毎日摂取していただろうから全国1の早世・早死にの短命になっている。
1、の原因その2、上記に加えて1960年代のベトナムで使用された枯葉剤に混入していたダイオキシン散布の問題も重なった。(略)
特にその現在70歳未満の者は原爆の放射能雨から連続していることから被害が多く、全国1早世・早死にになるのは当然の結果と言える。
1、の原因その3、冒頭の戦後沖縄の教育行政で現れている通り、特殊教育対象児童の急激な増加時期とビキニ環礁との因果関係性の問題。(略)この年代の沖縄での健康診断時で「必ず病院へ行くこと」として持たされる有所見率 は全国1である。
2、の原因その1、上記70歳未満の年代の健康問題を考えると、ちょうど彼等の子ども世代が現在の不妊症で悩む世代となっている。
母体への汚染が仮に放射性物質などであった場合、時系列からいって当たり前と言えば当たり前の結果だろう。(略)
あえてここで特筆するなら、(略)1960年代のベトナム戦争当時から長年に亘りダイオキシンを含む枯葉剤を散布実験・訓練していたこととの因果関係だろう。
3、の原因その1、問題の70歳未満の年代からすれば丁度母体や父親がその息子や娘世代で、低出生体重児・未熟児がその孫に当たる問題。
参考資料:2007年に発覚した五つも県民の水がめであるダムが存在する北部米軍訓練区域内のそのダム周辺に米軍がダイオキシンを含む枯葉剤を長年に亘り散布。(2007年7月9日付沖縄タイムス紙夕刊一面及び同日付琉球新報紙夕刊一面)これはお願いですから皆さん是非図書館へ行って下さい。
さらにもうひとつ沖縄の県民すべての世代にとって見過ごすことができないかなり深刻な事件がある。
1954年の米国政府によるビキニ環礁での水爆実験の際に(略)実験直後から日本への放射能汚染への懸念が全国的に広がったが、沖縄では当初は米軍による調査で、検査値の結果も明らかになっていない実情があること。
そして、当時の県内は80パーセントが天水の利用だったが、実験の後、米軍基地は急いで水道を敷いたこと。
加えて、実験の後県民の相当な人が(放射能物質を含む可能性があった)天水を飲んだのではないか」との研究報告から、沖縄は当事も米軍占領下だったことから、実験国が支配していた状況で、本土と対応が違い沖縄の米軍基地内と外との対応の差別的違いが明らかになった調査結果。(2010年11月22日付琉球新 報紙22ページから)
※2011年3月3日(木)。本村安彦仮説から始まった沖縄タイムス紙スクープ↓
沖縄タイムス紙一面「ビキニ死の灰沖縄に」「かでなで本土の2倍」「54年水爆実験後米が観測」「人体の影響専門家調査へ」。社会面「何も知らず被ばくか」「沖縄に死の灰」「米統治下情報奪われ」「近海の船員早世相次ぐ」
※2011年3月11日。フクシマ原子力発電所から放射能が漏れる。
※2011年4月4日。「本村家」検索ワード「本村家」↓出てきますのでご覧ください。
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本村家、きょうだい6人皆勤賞 港川小2011年4月4日
きょうだい全員小学校皆勤賞を達成した本村家の(左から)五男望君、三男自然さん、末っ子未姫さん、次男眞理さん、四男公平君=3月29日、浦添市港川
【浦添】浦添市の港川小学校を今春卒業した本村未姫さん(12)が皆勤賞で表彰された。未姫さんは6人きょうだいの末っ子で、きょうだい全員が同小を1日も休まず卒業。兄たちは中学校も皆勤賞を取り、未姫さんは「兄ちゃんたちがやってきたことで当たり前だと思ってきた。港川中学校の3年間も頑張りたい」と語り、父安彦さん(57)は「共働きで一人一人にゆっくり付き添うことができない中、自分たちの力で頑張ってくれた」と子どもたちの成長を喜んでいる。
未姫さんは兄たちの影響で小4で野球を始め、てだこアスリートクラブにも所属。
昨年8月、陸上競技の第26回全国小学生交流大会女子共通ソフトボール投げで優勝した。第48回沖縄教育版画コンクール特選にも選ばれた。
全国的に優れた成績を収めた児童生徒らをたたえる「2010年度県児童生徒等表彰」でも表彰され、「将来はCG(コンピューターグラフィックス)クリエーターになりたい」と夢を語る。
8人家族の本村家は長男安聡さん(26)を皮切りに小中学校皆勤賞を続け、次男眞理さん(20)=沖国大3年=は「周囲にこんな大家族はあまりないが、明るくにぎやかでいい」と話し、三男自然さん(18)=同大1年=は「もっと家族が増える将来が楽しみ」と笑う。
四男公平君(17)=浦添高3年=は「皆勤賞も当然と思ってきた」と話し、五男望君(13)=港川中2年=は「中学も達成したい」と意気込む。
6人の子どもの成長を支えてきた母弘美さん(50)は「何よりも健康で生まれてきてくれた喜びが大きい」と目を細めた。(座波幸代)
※4月5日(4月8報道)。フクシマの放射能が沖縄で観測される。
※4月24日。沖縄電力も原子力発電を7年前から研究問題が新聞で発覚。
※5月23日。夕方、インターネット掲示板 http://groups.yahoo.co.jp/group/ml_ryukyu_400130/ 上で、今回のフクシマ現地の放射能雨の汚染量より、かつてのビキニ環礁での核実験による放射能雨が琉球列島に降り注いだ当時の琉球気象台の記録、17万カウントのほうがかなり凄い放射能汚染量であることを伝え、公表し警鐘を鳴らす。
※5月24日。浦添警察署生活安全課による人通りの多い時間帯での、沖縄の核貯蔵庫撤去市民運動歴17年間の主人の個人的な市民運動に対するこれ見よがし的な妻と二人だけの零細自営家業の個人自宅への突然の家宅捜索。
そしてその後の2ヶ月に亘るも数回だけの取調べなどの長期嫌がらせによって商売上の信用が顧客との間でぐらつき、以来、この約半年収入が20分の1に激減した。
信用が第一の商売。とうぜんながら自営家業の商売が危うくなる。
すると売り上げが上がらなくなることで金銭的にお父さんやお母さんを圧迫し、家計や商売がうまくいかなくなり出します。
そして、その被害行為が長引くと当然に精神的にも圧迫され続けることになる。そうなると、当然ながら家庭内では多少の混乱が予想されます。
※六日後の2011年5月30日深夜。長崎放送放映の沖縄核兵器報道に妻と二人だけの零細自営家業の主人が出演。以後、8月3日までの約二ヵ月半浦添警察署生活安全課による取調べが続く。
※8月3日。浦添警察署生活安全課は最後の仕上げとばかりに、妻と二人
